解
「問」には「解」がつきものだ。
問題が起これば、その解《答え》が返ってくる。
人が何かを言えば、何かが返ってくる。
何かが起これば、それに対する何かが起こる。
それは当り前のことのように、私たちの中に存在している。
何かが返ってくることに何の疑問も持たずに。
けれどもし、
何も返ってこなかったら、
何も起こらなかったら、
「解」が無くなったら。
「はぁ…」
足が重い。鞄が重い。正確にはその中身が重い。教科書とノートが数冊ずつ、プリントの入ったファイルが一つという、通常より少ない荷物だとしても重いのだ。さらに正確に言えばそのファイルの中身、今日返ってきたテストが重い。ペラペラの藁半紙のくせに。もういっそのことこのまま公園の池に投げ入れてしまおうか。
…いやいやいや、駄目駄目駄目。一時のテンションでやらかしたことはもう二度と戻ってこないどころか二次災害を引き起こしかねないことを思い出せ。
「はぁ」
またため息が漏れた。
家に帰ってからのことを考えると、このまま回れ右をして親友の家に駆け込もうかとも考えてしまう。…いや、駄目だ。その親友も今頃怒られている最中だろう。あいにく藪蛇をつつく趣味はない。
「…おとなしく家に帰ろう」
そして素直に怒られよう。
実際の重さより五割増しで重い鞄の取っ手を握りなおした。
青少年に悩みなんてつきものだと大人達は軽~く言ってくれるけど、実際問題現在進行形で青春を送っている私にとってはそんな軽いもんじゃない。勉強、友人関係、先輩後輩関係、部活、進路決定、親子関係…などなど。軽く言えるのは、大人達にとってもうそれが遠い過去のことに成り果てているからだ。
何でもかんでも、誰でも彼でも、私に答えを求めてくる。
円滑に日常を送り、社会を生きていきたい私は、それらに答えを出さなければならない。
けれど、けどね、けっこう疲れるんだよ、これ。
うん、疲れた。
またため息が漏れそうになった。が、それは寸前で止められる。
「……ん?」
ふと視線を動かすと、見覚えのない扉が目に入った。
「『預り屋』…?」
たった一つだけの窓の横に、重そうな木製の扉。何かのお店だろうに、人にアピールする気がないのか、あまり目立たない看板に『預り屋』と記されているのみ。アンティーク調と言えば聞こえはいいのだろうが、この町並みからはあからさまに時代が浮いている。
「こんな店、あったっけ?」
何度もこの通りには来ているが、今までこの店があったことに気付かなかった。しかも、逆の意味でかなり浮いてる筈なのに、この通りを歩く人達は誰もその店に目をとめない。まるでそこには何もないみたいに。
ゾクリと気味の悪い感覚が背中に走ったが、同時にここに入りたいと思った。入らなければいけないと思った。
理由なんてない。
私は依然重い鞄をかけ直して、凝った作りの取っ手に手をかけた。
*
重い扉を閉めた途端、外の雑音から切り離され、別世界のような静けさが体を包んだ。たった一枚の窓にかかった薄いレースを通して入ってくる光を頼りに、ぐるりと周りを見渡した。
…何だこれ。
何かが入っているビン、古びた鞄、背表紙にどこのものか分からない言語が書かれた本、人形、万年筆、生花の生けられた花瓶、男性用のコート、綺麗な装飾がされたコーヒーカップ、帽子…などなど。
一定の感覚を開けて並んでいる大きな棚に、それらがどう考えても適当に置かれてるとしか思えない。並ぶ全ての棚に、同じように、共通点の欠片もないものが置かれていた。
「いらっしゃいませ」
「きゃぁぁあ!」
それらを見て棚の間を回っていると、急に声をかけられた。それに思わず声を上げてしまったが、まあ女の子らしい悲鳴を出せたのでよしとしよう。うん。
未だに鳴り止まない鼓動を表に出さないように抑えて、声のした方に顔を向けた。そういえば、すごく可愛らしい声だったな―――うん、予想通り可愛らしい子だよ! むしろ予想以上!
レースが少しあしらわれた白いブラウスに、黒のシンプルなワンピースを着た、十一、二歳くらいの女の子。
肩で切りそろえられたストレートの黒髪と白い肌。前髪の下にのぞく大きな黒の瞳には、強くもなく弱くもなく、なんとも言えない光を灯してるようだ。
お人形さんみたい。
「お客様?」
何も言わずじっとと観察していたせいか、不審に思ったのだろう女の子が声をかける。
「え? あ、ごめんね。ちょっと棚の中を見ていただけなんだけど――って、『いらっしゃいませ』? ここ、やっぱりお店なの?」
「この店は『預り屋』です」
「『預り屋』?」
「はい。この店は何でも預かります。形あるものも、無いものも、何でも。先程までお客様がご覧になっていたのは売り物ではありません。預かりものです」
「何でも…?」
なんというか、よく分からない。コインロッカーのようなものだと思えばいいんだろうか。だけど形ある物はともかく、無い物なんてどうやって預かるんだろう。
疑問ばかりが募っていく。
「…そうですね…先ずは店主にお会い下さい」
そう言った女の子の手にはアンティーク調の燭台があり、部屋の奥にあった扉のさらにその向こう、真っ暗な廊下をほのかに照らしていた。
…お化け屋敷にでも迷い込んでしまったんだろうか。
若干現実逃避をしながらも何故か足はしっかりと動いていたようで、どうしてこんな小さな子が働いているのかという突っ込みを入れ忘れていることに気づいたのは、案内された部屋に着いてからだった。
*
そして私は今、一人の男性とテーブルを挟んで向かい合っている。
日本人に自然には現れない明るい茶の髪と、それと同じ色の瞳。座った状態ではよく分からないが、身長もそれなりにあって、スラリとした体つきをしている。しかしながらサスペンダーが妙によく似合うのは、やはりその童顔のせいなんだろうか。二十代中頃だと思われるが、あどけないふにゃりとした笑顔は十代にも見えなくはない。イケメンの部類には入るんだけど、なんか頼りなさそうな感じだよねぇ。
部屋の中と店主というその男性を交互に観察していると、その男性が口を開いた。
「はじめまして。僕は『預り屋』の店主、シキ。こちらはリオです」
いい香りのする紅茶を入れていた女の子――リオちゃんがペコリと頭を下げたので、こちらも慌てて下げ返す。
「あ、私は――」
「ああ、あなたの名前は言っても言わなくてもいいですよ」
私の言葉を遮ってそう言うシキさんは微笑みを浮かべているのだが、その瞳の奥からは感情が見えない。
「さて、リオからこの店のことは聞きましたか?」
「聞きました。何でも預かる『預り屋』だと。でも…形の無い物も、ってどういう意味ですか?」
私の問にシキさんは一瞬キョトンとした後、またすぐに微笑みを浮かべた。
「言葉の通りです。この店は何でも預かります。それが形あるものだろうと、無いものだろうと、何でも」
先程のリオちゃんと同じ冗談みたいな内容の説明。
笑っているはずなのに、シキさんの瞳は笑っていない。むしろ真剣味を帯びている。
「もう一つ言えば、この店はここを必要とする人しか入ることはできず、見つけることもできません。あなたには必要だったのですよ。この店が」
「私が? この店を?」
つまり、私は預けるものを持っていることになる。
「確かに預けたい物、っていうか、今すぐ消し去りたい物はありますけど…」
言うまでもない、テストだ。けど、それじゃあなんだかつまらない。それに、
「…形の無い物も、預かってくれるんですよね…?」
ふと、現代文の先生の言葉を思い出した。
国語の問題に、答えはあって無いもの。
計算式のように、化学式のように、答えが一つしかないとは限らない。人によって考え方は違うから。人の分だけ、答えがあるから。
「解」があるから。
「預かって欲しいものがあります。それは―――」
だったら預けてしまおう。
もう何にも答えを出さなくていいように。
もう誰にも応えなくていいように。
「解」を預けよう。
*
「ただいまー」
家に帰って靴を脱ぎながらそう言う。
「……おかーさん?」
いつもはすぐに返ってくる「おかえり」が何故かない。
「おかーさん?」
キッチンに行くと、いつものように夕飯を作っているおかーさんの姿。
「なんだ、いるんじゃん。あのね、今日ちょっと、ううん、すごく変わったお店を見つけたんだー。そこね、何でも預かりますとか言うんだよ!…って、おかーさん?」
いつもなら、何か言ってくれるはずのおかーさんの返事がない。
「…おかーさん?……おかーさん!」
返事をしないどころか、こちらを見向きもしない。今まで、どんなに怒っていてもこんなことはなかったのに。
―――本当にいいのですか?
さっき出てきたばかりの店の店主の言葉を思い出す。その言葉とともに向けられた、一瞬悲しそうな色を浮かべた瞳も。
ゾクリと、背筋が寒くなった。
携帯を取り出して電話帳から親友の名を押す。
……ダメ、出ない。他の子に…!
「出て…! 出てよ! 誰でもいいから! 答えてよっ!」
コール音が何度もなるが、一向に出る気配がない。
ブラリとその手を下ろした。
何で? 何で?
「何でよ!」
私の悲鳴に似た言葉に反応するものは、何もなかった。
*
「問」があれば「解」がある。
「解」は全て同じではないけれど、人は必ず持っている。
「尋」があれば「応」がある。
何かを尋ねれば何かが返ってくる。
そう、
誰かが訪ねてきたら、尋ねてきたら、応えましょう。
それがここの役割だから。
それがここの存在意義だから。
*
キィ―――――――
古い金具の音を軋ませて木製の扉が開いた。
読んでいた本から顔を上げると、落ち着いた若草色の着物を着た、一人の女性が店の中を見渡しながら立っていた。長い艶やかな黒髪が女性の動きに合わせて揺れ動く。立ち上がって、椅子の上に読みかけの本を置く。
「いらっしゃいませ」
いつものように出迎える。私のことに気づいていなかったようで、声をかけるとびくりと肩を震わせた。
「あら…あなた、このお店の人かしら? あの、私…」
「ここは『預り屋』です」
「『預り屋』…?」
「ええ、この店はお客様の預けたいものを預かります」
「預けたいもの……私は…ここに初めて来たのよね?」
「以前にも来たことがあるのですか?」
曖昧な女性の反応に内心で首を傾げる。
「いいえ…でも…でも、私、ここに何かを取りに来た気がするの…」
視線が交わる。私とよく似た大きな黒の瞳。
途端、頭の中に一人の男の姿が浮かんだ。
明るい茶の髪と、それと同じ色の瞳。
――――この店にある。僕には分かるからね。
いつかのシキさんの言葉を思い出した。
「分かる」と言ったシキさんの言葉の意味を、今、理解した。
「…この店は、この店を必要とする人しか入ることはできません」
「必要と…?」
「あなたには、この店が必要だったのです。ご紹介が遅れました、私はリオ。どうぞ、奥へ。あなたの預りものをお渡しいたします」
もう分かっている。この人が何を預けたのか、何を迎えにきたのか。
「リオ、ちゃん…偶然ね。私は璃乃。芦原璃乃。なんとなく似てるわね」
そう言って穏やかに微笑んだ。
ここは「預り屋」。
預けたいものなら何でも預ります。それが形あるものでも、無いものでも、何でも。
ここに尋ねてきたのなら、あなたが望むのなら、私は、私たちは応えましょう。それが何であろうとも。
それが誰であろうとも。
ここに預けられているモノ達は、時を待っている。
皆、陽の光の下に出される時を。
いつか、迎えが来る時を待っている。
あなたも待っていたのですね。
シキさん。




