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預り屋  作者: 蒼斗
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 例えばの話をしよう。

 例えば、あなたは今、何かを持っているとする。ある理由でそれを手放したいが、人手には渡らせたくない。

 例えば、あなたは今、何かを隠したいとする。けれどそれは自分の心にも隠せない。引出しにも金庫にも隠せない。

 例えば、あなたは今、誰かに何かを伝えたいとする。だけどその人は今ここにはいない。

 例えば――――――――――


 あなたはどうするでしょうか?

 やっぱりそれを手放せない?

 やっぱりそれを心に留める?

いつ見つかるか分からず不安に思いながら引出しに隠す?

 やっぱり誰に見られる分からない手紙にでも残す?

 

 いいえ。そのためにここがあるのです。







 キィ―――――――


 古い金具の音を軋ませて木製の扉が開いた。途端に年季の入った木と紙の香に包まれる。扉を閉めると外の雑音が遮断され、まるで別世界のような静けさがもたらされた。薄いレースのかかった、たった一枚の窓から入ってくる光を頼りに、ぐるりと見渡してみる。

 ビン、鞄、本、手紙、人形、万年筆、花瓶、コート、コーヒーカップ、帽子…

 大きい物は下に、小さい物は上に―――といった分類はあるものの、その並び方や置いてある物には統一感の欠片もない。

 ふと、すぐ横の棚にあった陶器製の入れ物が目についた。バラをあしらった小さなつまみを上げ、中身を見てみたくなって手を伸ばした。


「いらっしゃいませ」


 指先が触れる直前に、鈴が軽やかに鳴ったような、少し幼い声が店内に響いた。驚いて声のした方を見ると、白いブラウスにシンプルな黒のワンピースを着た、十一、二歳程の少女が立っていた。


「えっと、あの…」

「お客様、それは『預り物』ですのでお手を触れないようお願いいたします」

「あ、ごめんなさい」


 少女の言葉に素直に従って、伸ばしていた手を引っ込めた。

 肩で切りそろえた髪を微かに揺らしながらこちらに歩いてくる。可愛らしい声から想像した通り可愛らしい少女だった。真っ直ぐな黒髪の下からのぞく大きな黒の瞳は強くもなく弱くもなく、何とも言えない光を灯している。


「あの…私」

「どうぞ奥へ」

「え…?」

「この店にご来店したということは、あなたはこの店が必要だったのでしょう?」

「いえ、私は…あの、この店は何を売っているの?」

「売ってはいません。預っているのです。ここは『預り屋』ですから」

「『預り屋』…?」

「はい。この店は何でも預ります。形あるものも、無いものも、何でも」

「…預けた後はどうなるの?」

「どうにもなりません。ここはただ預っているだけなのです。また必要になったら取りに来ればいいですし、必要がなければずっと預けることも可能です。その人が死んだ後でも、ずっと」

「ずっと…」

「あなたにも預けたいものがある筈です。そうでなければこの店に入ることはできませんから」


 淡々と説明をしてきた少女は店の奥の扉を開けた。店頭からは想像がつかない程長い廊下が続いていた。その両脇には等間隔で同じ形の木製の扉が並んでいる。しかし窓も電気も無いのか、奥には深い闇が広がるばかりだ。

 ふわりと、あたたかな光を感じた。いつの間にか少女の手にはアンティーク調の燭台があり、少女が動く度に怪しげに揺れる。


「先ずは店主オーナーにお会い下さい」


 少女は一言そう言うと、闇の中へと足を踏み入れた。



 *



「シキさん、お客様です」


 コンコン、というノックと共に、一つの扉の前から声をかける。正直どの扉も同じに見えるのだが、この少女には区別がついているらしい。


「シキさん?」


 少女はもう一度ノックをしたが、やはり返事はない。少女は声をかけることを諦めてドアノブに手をかけた。


「お客様かい?」


 暗闇の奥から声だけが聞こえた。よく耳をすますと足音も。それはだんだん近づいてきて光の中に姿を現した。


「…」

「いらっしゃいませ」


 何故か埃まみれで。


「ああ、すみません。ちょっと探し物をしていたもので」


 おそらく二十代中頃だろう。身長もそれなりにあり、スラリとした体つきをしている。しかしながらサスペンダーが妙によく似合うのは、やはりその童顔のせいなのだろう。気を緩めた猫のようにふにゃりと笑った顔はことさらにあどけない。うっかりすると高校生にも見えてくる。


「リオ。お茶の準備をお願いできるかい?」

「準備もなにも…シキさんに任せたらその度にティーカップが一つずつ減っていきます」

「…うん任せることにするよ」


 どうやら上下関係というものは必ずしも見た目で判断できるものではないらしい。

 そんな考えが伝わったのか、シキと呼ばれた青年は困ったように眉を下げて曖昧な笑みを浮べた。



 *



「改めまして、僕は『預り屋』の店主、シキといいます。こちらはリオです」


 シキの言葉に、リオと呼ばれた少女はちょうど注ぎ終えた紅茶のポットを置いて、丁寧にペコリと頭を下げた。こちらも慌てて下げ返す。


「あなたの名前は――――言っても言わなくてもいいですよ」

「はあ…」


 無表情なリオの分までか、シキは常に微笑みを浮かべている。少し長い明るい茶の髪に同じ色の瞳。しかしその瞳の奥の感情は全く読み取れない。


「さて、この店のことはリオから聞きましたか?」

「ええ…この店は『預り屋』で、何でも預ってくれる所だと。それに私にも預けたい物があると…」

「ここは『預り屋』です。預けたいものなら何でも預ります。それが形あるものでも、無いものでも、何でも」


 先程のリオと同じ言葉を繰り返す。


「この店はここを必要とする人しか入ることはできず、見つけることすらできません。あなたには必要だったのですよ。この店が」


 シキの言葉にこの店に入る前のことを思い出してみる。突拍子もないその内容はSFのようだが、どうしてだか納得した自分がいた。


「でも私には…」

「本当にありませんか?」


 明るい茶の瞳がスッと細められ、影が落ちる。だからだろうか。今の台詞を酷く恐ろしいものに感じた。まるで全てを知っているというような声色に、心の奥を見透かされた気になる。


「預けたいものが、ありませんか」

「私、は…」


 預けたい物ならある。

 捨てることもできずに、でも壊すこともできずに、ずっと持っている物。

 正直捨てるのは辛い。見る度に苦しい。だけどそう思うことに疲れた自分もいる。

 預けた方がいいのだろうか?

 コトリとテーブルにティーカップが置かれた。リオはシキの前にも同じ物を置くと、シキの横にちょこんと座った。

 静かに揺れる透き通る琥珀色の液体の表面に、今の自分の姿が一緒になって揺れている。伏せていた視線を上げて、テーブルを挟んだ向かいのソファーに座るシキを見る。その表情は微笑んでいるのみで何を考えているのか分からない。その表情に逆に気持ちが傾いた。


 預けた方がいいのかもしれない。


 捨てて誰かに拾われてしまうより、壊して後悔を背負うより、このまま持っていて同じ感情を繰り返すより、きっとマシだ。


「鍵…鍵を預ってほしいんです」

「鍵、ですか」


 お見せ願えますか? とシキが言うので、鞄の中からキーケースを取り出す。アパートの鍵、車の予備の鍵、実家の鍵、引出しの鍵――の中に混ざって異質な鍵が一つ。アンティーク調の古めかしい色をした鍵。それをキーホルダーから外してテーブルの上に置く。白いレースのかかった上に置くと、より一層年季を感じた。


「分かりました。この鍵をお預りすればよいのですね?」


 あまりにもあっさりと言うシキに、こちらが面喰ってしまう。


「……理由を、聞かないんですか?」


 そう質問すると、シキは一瞬キョトンとして、そして微笑んだ。


「話したくなければ話さなくてよいですし、話したければ話していただいて結構ですよ。ここは『預り屋』ですから。あなたが預けたいものを預ければよいのです。それが形ある物でも、無い物でも」


 ゴクリ唾を飲み込んだ。震える手を隠すように両手を握り合わせる。


「『話』も…預ってくれますか?」

「ええ、勿論です」


 シキは淡々と述べた。安易に親身にされるより、わざとらしく冷たくされるより、何故だか分からないが妙に安心できた。


「…私…私は、妹を……殺したんです」


 絞り出すように声を吐き出した。それにもかかわらず、シキの微笑みと、リオの無表情は決して崩れることはなかった。




 私には妹がいたんです。妹は病弱で、母はいつも妹に付きっきりでした。理屈では分かっていても、小学生ながらにそれが妬ましかったんです。三年生の時、学校で劇をやることになって、私は母にせがんで見に来てもらう約束をしました。嬉しくて、頑張って主役になって。でも劇の前日に妹が熱を出して、母は行けないと言い出したんです。それで私、妹なんかいなくなればいいのにって。いつの間にか外に飛び出していて、何故か手の中に妹の病気の薬があって。ええ、持ち出してきてしまったんです。どうしようって。お母さんに知られたら絶対怒られるし、嫌われるって。そしたらすぐ近くに古そうで、でも頑丈そうな鍵のついた箱があったんです。私もう必死でその中に薬を隠して、鍵をかけて、家に帰ったんです。帰ったら家は大騒動。でもそれは私がいなくなったからではなくて…妹の容体が悪くなっていたんです。母は引出しやごみ箱をひっくり返して薬を探していました。見つかるわけないのに。父は電話口で怒鳴りながら救急車を呼んで。私、怖くて。箱のあった場所に急いで戻りました。でも、もうそこには何もなかったんです。確かにあった筈なんです。だって私の手の中にはこの鍵があったんですから。結局妹は病院に運ばれたけど、手遅れで、死んじゃいました。私が薬を隠したから死んじゃったんです。……父も、母も、この鍵のことは知りません。私が妹を殺したことも、知らないんです。ずっと、この鍵と一緒に隠してきたんです。だから私はこの鍵を捨てられなかった。これは私が妹を殺した罰、そのものだから。




 話している間も、今も、シキとリオの表情や態度、雰囲気は変わらない。まるで今の私の告白自体があったのかと、話した自分が疑いたくなる。


「こんな話でも…預ってくれますか?」


 そう聞いた。


「お預かりいたします」


 即答するわけでもなく、変に間を置くわけでもない。今日の天気を答えるような自然なシキの言葉。自分でも気づかずに詰めていた息を吐き出した。



 *



 客のいなくなった部屋に、シキの本のページをめくる音と、リオの紅茶を淹れる音のみが響く。


「あの方は覚えていらっしゃらなかったのでしょうか?」


 青い薔薇をあしらったポットを置く。そしてシキの前に湯気をたてるティーカップを置いた。紅茶の香がシキの鼻腔をくすぐる。


「さあね。彼女の言葉に嘘がなければ、きっと忘れてしまっているんだろう。なんせあの時彼女はまだ小学三年生だったし、直後に妹を亡くしているからね」


 無理もないさ、とシキが微笑む。


「また訪れるでしょうか?」


 リオの言葉には答えず、シキは開いていた本を閉じるとソファーから立ち上がって近くの棚の開いていたスペースに戻した。そしてそのまま隣の棚の大きく開いたスペースに、あからさまに他とは離して置いてある一つのアンティーク調の小箱を手に取った。それを机の上に置くと、先程預った鍵を鍵穴にさし込む。それはあっさりと鍵穴を通り、僅かな手応えとともにカチャリ、とありきたりな音がして鍵が開いた。シキは静かな微笑みを浮かべながら、蓋を開けずに、そのまま鍵を逆へ回す。再びカチャリと音をたてて、今度は鍵が閉まった。そして鍵穴から鍵を抜く。


「それは…彼女次第さ」


 コトッ、と小箱の横に鍵を置いた。そして少し冷めてしまった紅茶を飲む。

 急いで探し出してくる必要はなかったな、とシキは小さく呟いた。





 ここは「預り屋」。

 預けたいものなら何でも預ります。それが形あるものでも、無いものでも、何でも。


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