第一章4 『知らず蠢くうんたらかんたら』
「……なんだ、こりゃあ」
「さあ? 俺にもサッパリでさ」
いつもの如く外回り、もとい英雄回りをしていた輝義。結局自力では解けなかった暗号を、昼間から公園で飲んだくれる元ヒーローの中年オヤジに見せてみた。
しかし、やはりというか反応は芳しくない。酒のつまみになるとでも思ったのか、どこか楽しそうに暗号が書かれた紙を斜め読みしているが、これでは解けそうもなかった。
「うぅむ……ふぅむ?」
「はは……わかんないよな」
「いや待て、もう少し、もう少しで……」
「嘘言うなよ」
いつかの初恋相手に会ったかのように目を輝かせていた中年オヤジから紙切れを奪い取る。
いったい何をそこまで……と考え、思い当たる。
――することねえんだよ。
「あ……」
「ん? どしたよクソガキ」
することがない。本当に、本当の意味で。ちょっとしたパズルが『すること』になってしまうほどに。
それに気づいてしまい――そんな風に腑抜けてしまったヒーローに対し、言いようのない怒りを覚える。
「……とにかく、わかんないなら回収。オッサンにはやらないよ」
「んだよ、ケチくせえな」
「こんなもんに目ぇ輝かせてるヒーローなんて見たくないんでね」
どうしてもこれが欲しいというのなら、明日にでもコピーしたのを渡せばいい。本当はそれすらも嫌だけど。
こうなると知っていたのなら見せなかったのに、と軽い後悔を味わいながら今日もその場を後にする。
当然のように酒を浴びる中年オヤジがいる、その公園を。
「あ、おいガキ」
「あぁん?」
振り返った輝義に、免許証大の何かが投げられる。
「――『英雄登録証』?」
「お前に預けとくわ。……今のオレは、ヒーローじゃないもんで。変な期待されても困るんだよガキ。わかったか?」
「……あ、そ」
皮肉気に笑う中年オヤジ――元ヒーロー。あんなにも気高く恐ろしく戦っていた戦士。その面影を彼に見ることは叶わない。
もうこの世界にヒーローは、妄想の中にしかいない。
それがわかっていても、輝義は諦められなかった。だから今こうして……無意味に奔走している。
「あー……やめやめ。ネガティブやめ」
公園から役所に戻る道すがら、受け取った英雄登録証を空に掲げながら、輝義は呟く。
「――今に見てろ腑抜け共。必ず目を覚まさせてやる」
そのために、
「……暗号解読ぅ?」
無理難題が待っていた。
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「――セットよーし。準備よーし。確認よーし。……って、全部同じかぁ? ぎゃははは!」
下卑た笑みが人通りの多い商店街に響き渡る。まだ昼だというのに主婦でごった返す通りに笑みは埋もれていったため誰も気づかない。
気づいたとしてきっと、関わり合いにならないようにと無視を決め込むだろう。
「オーケー、オーケー。予想通り無関心を貫いとります奥様方ぁ。キャー、不用心ねえまったく。これも平和が成してしまった悪行……ってなぁ?」
声はややアルトがかっていて、男のようにも女のようにも聞こえる。その外見からしても男女を見極めるのは難しい、中性的な人物。
彼とも彼女とも言い難いが、ここでは『彼』を採用する。
彼は、ポロシャツにジーパンとなんら特徴のない格好をしている。周囲の主婦と格好だけならば紛れているのだが、溢れる含み笑いがその特徴の無さ全てを台無しにしていた。
「く、クッフフフ……ククク、ははは……! あー、駄目。笑いが止まんないわぁ」
「――相変わらず汚らしい」
応じる声は彼の背後から聞こえた。
「お、なんだ。アンタも来てたのかぁ……どういった風の吹き回しぃ?」
「別に。ちょっとイライラを発散したくて」
「――ハッ、理不尽だねぇ。そのイライラをぶつけられる方は堪ったもんじゃない」
「理不尽上等でしょう。それに、私ごときの能力じゃ嫌がらせ程度しかできませんし」
彼の背中を鋭い視線で射抜く長髪の女は、温度の低い声を保ちながら近づいてくる。
正直言って、彼はこの女が苦手だ。何を考えているのか読めない――のはこの女だけではないが、それを置いてもわからなさすぎる。
いったいこの女にどんな行動基底があるのか。その言動から把握するのが極端に難しいのだ。
「そうかぁ? 十分クソッタレな能力だって聞いてるけどぉ」
「私からすれば、こんな中途半端なもの――」
「おぉっと。それ以上を言うのは駄目っしょぉ。そんなのみーんな思ってることだしぃ」
「――――ッ! あなたのそれはっ、中途半端なんかじゃなく……!」
人通りの絶えない商店街で、二人は誰の気にも留められず会話を続ける。まるでそこにだけある種の結界が生まれているかのように。
「……イライラを発散するつもりが、余計募ってしまいましたね。どうしてくれるんですか?」
「悪いのはアンタじゃねぇ……? いや、ん? どうなんだぁ?」
「まあいいです。私は私で動き――」
突如女の言葉が切れ、不意に違和のある空白が生まれる。その間を埋める隙もなく、女は次の句を紡いだ。
「――やっぱり、今回も私は降ります」
「……はぁ?」
「精々好き勝手に暴れてください。私は傍観者を気取っていますので」
特に何事もなかったかのように、澄まし顔で前言を撤回する様子も見慣れたものだが。どこかいけ好かないと思ってしまうのだけは抑えられない。
「こうほいほいスタンスを変えられると対応に困るねぇ、ったく」
「あ、そうそう」
「あぁ?」
立ち去ろうとした女が彼を呼び止めた。忘れ物をした、という態度そのままに、
「あなた、また小さくなりましたか?」
彼にとっての爆弾を放り込んだ。
「――――」
「前回会った時はもう少し……百六十はあったかと思ったんですけど。今は百五十五、辺りですかね? あまり無理しちゃ駄目ですよ」
「……アンタいつかぶっ殺すよ、魔女め」
「魔女なんて呼ばないでください。あなたの方がよほど魔女っぽいですから。では」
今度こそ立ち去る女に舌を出す。女との会話で初めて間延びした口調を取りやめた彼は、またしても思う。
――何考えてっか、全然わかんね。
「まあいいやぁ。そんじゃらほい、始めるとしますかねぇ?」
パチン。
パチン。
パチン。
パチン――
――不意に、商店街に暗闇が訪れる。
昼の明るい日差しが掻き消え、代わりに現れたのは宵闇。互いがどこにいて何をしているのかさえ見えない状況で、主婦達は慌て混乱し、叫びを上げる。
まるで蟻が逃げ惑うのを見ているようだ。
「ぎゃははは! いいねぇ、いいねぇ。この光景だけはいつも楽しく仕方ない。ほーらもういっちょ!」
パチン。
今度は空という天井にヒビが入り――巨大な蜘蛛が現れた。
ギシギシと生理的嫌悪を表さずにはいられない音が商店街に木霊する。
糸を伝って降りてきたそれは、逃げ惑う蟻達に狙いを定め――
「今日のご馳走はぁ、平穏に溺れ肥えた豚蟻でございますぅ!」
――口が開いた。
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「――あ?」
今まさに新しい酒を開け、呷ろうとしていたところで、ふと懐かしい感覚を味わった。
別にこれが初めてというわけではない。今までにもこの英市で『懐かしい感覚』とやらは数度ほど捉えている。
しかし、今回は随分と近い。今まで何に対してもやる気が出ず、それを確かめることすらしなかった元ヒーローだが、今回くらいは確かめてみても良いかもしれない。
なにせ、『すること』もない暇人だ。世間からつまはじきにされ、生きる寄る辺を失った男には暇しかない。
近くであり、面倒くさくもない距離であれば少しは動いてもいいか、と思うのである。
「……ま、この酒飲んでからだけどな」
……やはり腑抜けは腑抜けだった。
投稿開始三日目。徐々に短くなっているのはご愛嬌ということで一つ……!




