第一章3 『③ 9 16 8 5 18』
「――話を聞いてください。お願いします」
恥も外聞も投げ捨て土下座する。そもそも暗い路地。人目につくこともないためそこまでの覚悟は必要なかった。
「嫌ですそこどいてください汚物」
「……なんで僕まで付き合わされてんだよ」
出会い方が最悪だった。原因があるとすればそれに違いない。それ以外にはない。
もっとこう、運命的な出会いをしていれば輝義の感銘は伝わっていたかもしれない。
「お願いです後生だから……! せっかく手に入れた味方を逃したくないんです!」
「そもそも味方になってない件について、あなた理解できてます?」
「コイツらブッ殺せば良いかなそうだなそうしよう」
「濃ゆい! キャラが濃ゆい!」
元々は互いに向けられていたはずの蒼白二人の敵意は、いつしか輝義に向いている。なんでやねん。自分が何をした。
「いや、何もしていない。だから俺悪くない。オーケー?」
「しね」
――それだけを言い残し、二人は路地を去った。
「え、マジで?」
一人残された輝義。土下座の姿勢を保ったまま、悲壮に打ちひしがれる。いや、大したダメージがあるわけでもないが。
「……そらそうよな、当たり前」
今までもそうだった。今のように成り損ないの者達ではなかったが、『英雄再臨計画』なるものを掲げる輝義のことを馬鹿らしいと拒絶した。
いっそ本気の拒絶であれば良かった。だが一部にいらない優しさを見せる者がいたりして中途半端に期待してしまったこともある。
「諦めなくて済んだ、って意味では助かったけども。……かー、これからどうすっか」
どうするも何も、戻って仕事に決まっているのだが。
転んだ際に落とした諸々を拾いつつ、役所へ戻ろうとして、
「……ん?」
自分のものではない落とし物があることに気がついた。普通に考えてあの二人のものだろうが――
「――なんだ、これ」
単なる紙切れ。そこに書いてあったのは多くの数字。しかし何か意味を成しているようにも見えない。
しかし意味もなく数字を羅列しているようにも見えない。何か一定の法則があり、それに従っている。
つまり、暗号。
何やら急いでいたのか走り書きのようだが、それでも損なわれぬ丁寧さがその筆記から現れている。
「書いたのは女、か……となると、白髪の姉様かね?」
――閃いた。
「……これ使って、あの姉様の弱み握れねえかな。そうすれば」
仲間になってくれるかもしれない。自分の馬鹿げた計画を実行に移す、バカな仲間に。
なんて、最低なことを当たり前のように思いつくのもまた、相良輝義という人間の性質だった。
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『⑨ 23 9 12 12 8 5 12 16 25 15 21. ① 2 19 15 12 21 20 5 12 25, 1 2 19 15 12 21 20 5 12 25. ①⑨ 15 23 1 9 20 ――』
意味のわからない数字の羅列。役所に戻った輝義が仕事を放って取り掛かったのは暗号の解読だった。
「お、戻ってきたのか相良。どこ行ってたんだ? やっぱお前も気分転換か」
「あ、山城さん。――っとと?」
「コーヒー。奢りだ」
彫りの深い、一見すれば『恐い』部類に入る顔向きだが、これで山城という男は気配りができる優しい人種だ。お荷物扱いされているこの役所を、どうにか潰れないようにと奔走する人物でもある。
「ちと外の空気吸って戻ってきたら、お前がいなくなってんだもんな。いつも外回りっつーか英雄回り終わったらデスクに付きっきりのお前が……って驚いたわ。休めって言ったのは俺だけどよ」
「いや、別にデスクに付きっきりってわけでもありませんよ? 去年は就いたばかりで仕事に不慣れなのもあったし、書類とかまとめるのも時間がかかったし。……今年に入ってからはそうでもないです。ヒーローさん達の方も、まったく動きがないし」
「はっはは。仕方ないな……まったく」
閑散とする役所の中では人が多い方の英雄科支援係。とは言っても、真面目に働く人間のなんと少ないことか。これも時代の流れが与えた影響か。
職種上公務員であることもあってか、安定しているこれ以上を望まぬ者が多い。役所が潰れては困る。だが潰れないならそれで良い。……そんな考えの者がゴロゴロといるのだ。山城が走り回らなければすでに潰れているというのに。
「まあ俺も、何もしないうちの一人なんだけど」
「お前が何もしていない? はっはは、そしたら俺はもっと何もしていないさ」
「……いや、はい? 何言ってんすか」
「本心だぞ? 俺がしているのは現状維持のみ。だがお前は現状を良い方向に変えようとしているじゃないか」
「何かしましたっけ」
心当たりがまるでない。とぼけているわけでもなく、嘘をついているわけでもなく。
強いて挙げるとすれば『英雄再臨計画』か。だがアレを知っているのは――あ、意外といたわ。昔多くの人に公言してたわ。もしかしてアレのことを言っているのだろうか。
だとしたらやめてほしい。アレ自体をやめるわけではないが、他人から頑張っているように見られるのは少し違う気がする。あくまでも自己満足。自分がムカついてイラついて堪らないから、というだけなのだから。
「ま、好きなようにやりな若人。はっはは」
結局何のことかは明かさず、山城は自分のデスクに戻る。残されたコーヒーはまだ少し温かさを残していた。
「コーヒー、ホットか……この時期はもうアイスじゃないすかね?」
苦笑しつつコーヒーを一気に呷り、
「ぷはっ。……さて、と。解いたところでどうなるともわからないこの暗号、少し頑張ってみますか」
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――ない。
肌身離さず持ち歩いていたはずのアレがない。どこで落としたのだろうか。
考えられるとすればあそこ、昼間妙な闖入者が現れた路地だ。
「アレだけは無くせないのに……!」
アレは、あのメッセージが書かれた紙は、自分へ向けられた拒絶。その戒めを、その存在を忘れぬために、と、後悔と共に持ち歩いていたのに。
それほど大事なものを簡単に失くしては、覚悟の不足、損失を認めることになる。それでは駄目だ。自分はいつまで経っても――追いつけない。探し出すことなどできない。
急いで昼間の路地へ戻る――が、案の定、目立つようなところには何もなかった。
「探さなきゃ……! なんで、ああもうっ!」
膝が汚れるのも構わず地面に這い蹲る。昼間でさえ薄暗かった路地はさらに暗くなり、落し物の捜索が困難となっている。こんな状況でどうやって見つけるというのか。
こんな時、自分の能力の中途半端加減に腹が立つ。肝心な時に役立たずなソレを、自分はいつになったら棄てられるというのか。
「――――」
昼間のあの男を思い出す。
自分達には中途半端な力がある。だからこそ良いんだ、と。そんな馬鹿なことを言って、こんな大人になりたくないベスト10……いや、5くらいには入りそうな醜態を晒したあの男。
――こんな力の何が役に立つ。何ができる。ふざけるなよ、クソ野郎。
「……あんな奴はいい。そうじゃなくて今は、アレを――!」
トス、と。手が何かに触れた。
「ッ!?」
この暗い中、自分が探し求めたアレが見つかった。それが嬉しくて、安心できて、思わず普段は見せないような笑顔を浮かべ……そして、
「…………違う?」
自分が手にしたものがアレではないことに気づき、喜の感情を浮かべていた顔には無表情が戻った。
アレでないのなら興味はない。それを捨て置こうとして、しかしチラと目に入ったものを見逃せなくて、
「……これ、免許証?」
写っている顔は冴えず、眠たげである。どこか憔悴しているようにも感じられる。この写真を撮った当時は余程疲れていたのだろう。それ以外はごく普通の青年、といった感じ。
だが見過ごせないことに、その顔を見たことがあった。そう、昼間に。
髪色こそ写真は黒で、昼間の男は燃えるような紅であったが、染めればどうとでもなる。肝心の顔に見覚えがあるのだから間違いない。
自分と同じく、落としたのだろう。
――免許証だけ、ピンポイントで?
「……変、か」
普通に考えて、偶然で片付けるべきだろう。たまたま、転んだ際に飛び散った数々の中で免許証だけが取り残された。財布から偶然抜け落ちたそれは、やはりなんとなく自分に拾われた。
――偶然で片付けられるわけあるか!
結局、それを手にした後もアレの捜索を続けたが見つからず。もしかしたら昼間の男が持って行ったのかもしれない、と考えることにした。
もちろん考えるだけで終わるのではなく、どうすればあの男と接触できるかも考える。結局考えることしかしていなかった。




