番外編自転車社会構築法第5条
今回は短い話です。今までの4分の1以下の分量でありあっけもないものです。
また、2話更新なので気を付けてください。
私の名前は佐藤俊彦。現在57歳の衆議院議員である。与党平和党所属であり現職の副総理兼国土交通大臣を務めている。私が国土交通大臣を務めているのには政治家になった理由が深くかかわっておりそのことが私の人生の指針となっていた。それは自転車である。私は自転車愛好家であり自転車をより厳格に規制しているこの世の中を許すことができなかった。だから、自転車がいかに素晴らしいものなのかを説得させるためにも国土交通省に入省した。だが、それではだめであった。だから、政治家となって今国会で成立した自転車社会構築法とまとめ上げた。
自転車社会構築法は全5条からなっており前回は第4条について語ったので今回は第5条について語りたいと思う。
と言っても第5条には特に語ることはない。それはどうしてかと言うと、第5条はただの補足が書いてあるだけだからだ。この法律の施行に関する条文。それは第5条の内容だ。この法律の施行の際に既存の法律の扱い(主に道路交通法を指す)をどうするかや、この法律の施行日のことが書かれているだけだ。だから語ることはない。いわゆる日本国憲法の第100条から103条と同じようなことである。
語ることはもうない。やり残したことはもうない。
だから、もう私の仕事はすべて終わった。自転車に対する仕事は終わったのであった。
私はこの法律の条文をすべて再度読み終えると、床に置いてあった自分の主に私物である荷物をまとめて国土交通省の自身の部屋つまりは大臣室を出ると自分の公設秘書を伴って車に乗って、すぐさま総理官邸を目指した。事前に私が総理官邸に来ることについては佐藤内閣の内閣官房長官である朽木正晴氏にはその旨を伝えておいた。そして、総理官邸の1室で待機をしていたとしにいや、川崎総理大臣に辞表を提出をして、私のすべての仕事を終えることとしたのであった。川崎総理大臣は私の辞表を慰留することなくすんなり受け取ってくれた。川崎総理大臣もいや、としもこのあたりはわきまえていたということだ。
そもそも私が就任した時からもともとこういう話であった。私の目的が達成したら大臣を辞任すると決めていた。そう、テレビの就任記者会見の時に国民相手にそう話していた。だから有言実行しただけだ。政治家として何よりしてはいけないと私が考えていることは無駄な悪あがきをした延命工作であると考えている。1つの目標が終わった以上、今の私にはもう出番というものはない。
なのでこれで、終わった。
私はしばらくは休みたい。一度、大臣を辞めていろいろと考えていきたいと思う。自転車の次に自分がやりたいこと。もしくは、再び自転車に対する新たな問題を解決すること。それを見つけるために休みたいと思う。
これまで議員になって、いや、議員になるまでの高校生の頃、国土交通省の役人であったころ、そして、一般の議員であったころ、大臣政務官であったころ、副大臣であったころ。今まで数々の努力をしてきた。そのたびに数々の試練が壁として立ち塞がった。しかし、諦めることなく抵抗勢力を相手にしてもやりきることができた。政治家として公約を無事達成できたことは本当にうれしい。
そして、またいつか新たなことに挑戦してみたいと思う。私の心はすがすがしく思えた。空を見上げてみる。転機は雲1つとしてない快晴であった。そんな今日の日であったのだ。
Fin
これで、外伝を含めてすべてを終わりにしたいと思います。
今までありがとうございました。