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第1話始まりの物語

 新作です。あまり長くはならないつもりです。

 「本法案は只今満場一致で可決されました」


 パチパチパチ


 議長の言葉の後に衆議院本会議場いっぱいに響き渡る拍手。私はひな壇から議員席に向かってお辞儀をする。ようやくようやく長年の夢が叶った。私が子供のころから願い続けていた夢。それがきょう成立した法律だ。私は今日という日を迎えることがことができてよかった。自転車をこよなく愛し続けて幾年毎日の登院も自転車でしてきた。そしてついにその願いである法律が成立した。


 自転車社会構築法


 これが私の政治生命をかけて作った法律だ。法律の中身は自転車の地位を認めるというものだ。私がわざわざ国土交通省に入省してそれから政界へ進出したかというとこの法律を作るためだ。


 「佐藤国土交通大臣」


 私は議長に呼ばれて感謝の言葉を述べるために登壇する。目の前には与党平和党の議員が起立した状態で拍手している。与党平和党、改革の党だけでなく野党第一党の民友党、社会党、市民民主党、未来新党の議員たちも起立した状態で拍手している。座っている議員は1人もいない。

 それだけこの法律は議員から認められたということなんだ。


 さて、ここまででどうしてこうなったかわからない人のためにも私のこの人生について少し長くなるが語らせてもらいたいと思う。


 私の名前は佐藤俊彦。現在57歳のおっさんだ。ただのおっさんではなく国会議員、衆議院議員である。衆議院議員は現在7期目。もうベテランである。所属している政党は保守政党平和党。長年現野党第一党の民友党とは政権交代を繰り返してきた歴史ある政党だ。ちなみに平和党は衆議院全定数480議席の内278議席、参議院では242議席中123議席を持っており、民友党は衆議院130議席、参議院76議席を持っている。

 それは私の経歴とは関係ないか。では、これから私のことを語るとしよう。


 20XX年私がまだ10歳の時。


 私は自転車が大好きであった。週末はいつも自転車に乗って友達とよく遠くまで遊びに行った。自転車は歩くより速いし電車やバスと違いお金がかからない。何にしても子供にとっては便利なものだ。


 それから6年後。私は高校生になった。自分の家からまあまあ遠い場所に位置していたが電車などの交通機関が整っておらず私は愛用の自転車と共に通い始めた。


 「とし、おはよう」


 「俊おはよう」


 俺は幼馴染の川崎俊介と共に毎日高校へと通った。つまりは併走をして高校へ行った、家へ帰ったということである。ちなみに現在も俊介とは付き合いが続いている。幼馴染とは縁が切れないものなんだとこの年で感じることもある。


 そして、今日も併走をして帰っていた。そこへ忌々しい白黒の車がやってきた。

 

 「ピー。そこの自転車止まりなさい」


 私と俊介はその指示に従って自転車から降りる。その白黒の車──パトカーから警察が下りてくる。俺の内心では検挙ボーナスに貢献してしまったという自分に対しての怒りが出ていた。そして、見逃せよと言う警察に対しての怒りも出ていた。


 「君達、自転車の併走は禁止って知っているかな」


 警察のおじさんが言ってくる。そんなの知っているに決まっているだろうと私は思っていた。隣りにいた俊介も同様だ。反抗したかったがさすがにそんなことはできない。その後、私達は適当に警察の職務に付き合い無事に解放されることとなった。


 「くそ」


 俊介は珍しく怒っていた。


 「何で自転車だけこんな目に合うんだよ。歩道を走れば歩行者に嫌な目で見られるし、車道を走れば車のドライバーに嫌な目で見られるし本当に最悪」


 「だよな」


 私も適当な相打ちを打っておく。しかし、心の中ではその通りだと思っていた。何で私達自転車族だけこんな扱いをされないといけないんだ。一体何を考えているんだ。

 私達はそのあとしっかり併走をすることなく家に帰ったのだった。


 それから1年後17歳高校2年生の秋。

 私はゆっくり自分の家でくつろいでいた。テレビを横になってみていた時にその番組で特集としてやっていたニュースに驚いたのであった。


 ニュース夕


 今日衆議院本会議において改正道路交通法が与党民友党、野党第一党社会党の協力により成立しました。野党第二党平和党は自転車の縛り付けに反対する姿勢から法案の採決には反対しました。今回の法改正の主な内容はこれからは自転車は歩道ではなく車道を走るものとなり違反者への罰則はさらなる強化となりました。

 これに関して政界の反応です。

 民友党前田源治政策調査会長は野党の中で平和党が反対したことは残念。これからは交通事故を減らすために必要なこととして理解を深めていきたいと思う。


 社会党太田台豪書記長は自転車は危険な存在である。ここ最近自転車事故は急速に増えているのでここで止めなければならないと思う。


 といったように法案の可決に好意的な意見が出た一方法案に反対した平和党からは


 平和党春日優治幹事長は自転車は高校生など学生の方々が乗る大切な交通手段。それを規制することは乗り物弱者をいじめるに他ならない。我々は今後日本自転車連盟の方々と共に法案の改正をさらに改正もしくは廃案に追い込めるように努力したい。


 また、町の人の感想です。


 あら、まあ~。でも、これで安心できるならいいですね


 自転車を乗る身としては勝手すぎるものだと思います


 自転車事故が怖くて、でもこれで事故が減るならいいことだと思います


 といった意見が出ました。 以上です。


 「……」


 また、自転車に対する縛りが強くなるのか。残念だ。どうにか自転車の人のためのことをしてやりたい。政治家は車に乗っていけばいいから自転車の気持ちなんてわからないんだ。大人は理解できないはずだ。そんな大人が自転車のことを決めるなんて認めたくはない。


 私はこの日から真面目に授業中も寝ることなく家に帰ったら勉強。その生活を続けた末に日本トップの大学、旧帝国大学であるT大学に見事合格した。文化一類でひたすら法律について学んだ末に私は政治家や弁護士にはならずに国土交通省に入省した。


 ただ、国土交通省に入省した私は愕然とした。これが自転車を縛り付ける真の黒幕であったことに気が付いたのだ。こんな場所では何もできない。そう思っていた私は帰り道に偶然見つけたあるチラシを片手にある場所へと向かったのであった。


 それは平和党の本部だ。

 私が手に持っていたのは平和党次期衆議院議員公認候補募集の紙であったのだ。平和党はこの時野党第二党であったが7年前までは衆議院第一党つまりは与党であった。しかし、当時の上坂内閣が閣僚の不祥事が相次ぎ政界は動乱、結果野党第一党民友党が政権交代を果たし今に至るのだ。今では平和党は社会党にすら議席を12議席差で負けているという状況にまで党勢は停滞していた。


 「次の方」


 私は平和党内の待合室で待っていた。それは面接の試験だった。周りには多くの人がいる。中にはテレビで見たことがある有名教授などもいた。そんな中官僚出身の私は大丈夫なのかと心配になっていた。


 「はい」


 私は自分の番になって面接会場に行った。面接官は平和党幹事長田中勝氏となんと私が憧れていた平和党総裁春日優治氏であった。彼はついこないだ平和党第29代総裁に就任したばっかりであった。そんな憧れの人を前にできたうれしく思った。


 「では、お名前をお願いします」


 田中幹事長に言われて私は自己紹介を始める。


 「佐藤俊彦です」


 「職業は何ですか?」


 「国土交通省に勤めています」


 私の返事に周りの一部の議員が官僚出身かというひそひそ声がした。

 その後も質問が続いた。そして、最後の質問となったところでだ。春日総裁自ら質問をしてきたのだ。


 「佐藤君あなたは何のために政治家になるのですか?」


 私は迷わず答えた。


 「自転車のための社会を作るためです。私は昔春日総裁が幹事長時代に道路交通法改正のニュースを見ました。私はこの時高校生でして自転車に乗っていた世代でした。その時に思ったのは何で自転車に乗っていない人によって自転車は差別されないといけないんだということです。それがきっかけで私は頑張りました。そして国土交通省に入りましたが結局何も変わらなかったのです。だから今度は政界から頑張りたいと思ったのです」


 私は自分でも信じられないくらい長々と語っていました。あとあと、これでは落とされて当然だと思っていましたがそれからしばらくして自分の家のポストに平和党からの手紙が届きました。私は人生で初めてドキドキしました。

 チキンな私はしばらく手紙を開けるのをためらっていましたが手紙を手にしてから10分してようやく決心がつき手紙を開けました。そこには……



                合格



  ……へっ? 2文字が書かれていた。もう一度その文字を注意深く読んでみることとした。


               合格


 合格。合格だって、合格!? 私はこの日テンションが高くなりすぎていてもう1枚の手紙のことをすっかり忘れていた。


 翌日。もう1枚の手紙の存在に気が付いた私はその手紙を呼んだ。1枚目は合格と共に諸事項が書かれていたが2枚目は総裁からの応援メッセージだった。


 佐藤君へ

 君は我々平和党の意思を持っている。君にならあの法律を改正できる気がする。私にはそう思えるんだ。どうか次期選挙で君が当選することを祈るよ。


 そう手紙の最後は締めくくられていた。感動した。その日私は国土交通省を退職した。

 この日から私の第二の人生が始まったのだ。

 

 感想お待ちしております。次回は1時間後に更新です。

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