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霊の見えない大切な想い  作者: 黒宮湊
2/2

見つけた想い

 窓を開けると湿った涼しい風が、湿気でじめじめする部屋の中に流れ込む。


 そんな梅雨の6月。


 僕は、弟に気付いてもらった。


 僕がいることに。

 僕の存在に。

 僕がやり残したことに。


 会話は出来ないけれど、弟は分かってくれる。


 本当に、とても大切で、とても大事な僕の弟。


 ん?


 何か引っ掛かる?


 あ、"気付いてもらった"、っていうことかな?


 あー、やっぱそうなんだ。


 でも、これを聞いたらきっと君は納得するよ。



 実は、


 僕、


 "霊"なんだ。




 山が赤や黄色や橙に染まり始め、焼けるような暑さが無くなり、徐々に涼しくなる11月上旬の日曜の昼下がり。


 僕と弟が描いていた絵はもう完成が見えてきていた。


「もうすぐ完成しそうだね」


 僕の弟、"莱"が嬉しそうに僕に話し掛ける。

 うん、そうだね。

 もうすぐ…完成しちゃうね…。


「僕の描いてる絵はまだ完成しそうにないよ」


 莱が試行錯誤を繰り返しながら描いている一枚の

絵。


 僕の家系の絵の特徴は"人間以外の第三者からの目線"という事。


 自分目線の絵は描かない。


 でも…、莱の絵は…よく分からない…。

 暗い色を何度も何度も重ねて、時々白い線を引いたと思っても、またそれを暗い色で潰してしまう。


 その絵を描いている時の莱の顔はこの上なく悲しそうで、とても潤った目をしていた。


 何故…そんなに悲しい顔をしながら描くんだろう…?


 何故…今にも涙が零れそうな目をしてるんだろう…?


 疑問に思っていても、莱に尋ねる事は出来ない。

 唯一言葉を伝えれたあの短い鉛筆も、二週間も経った頃にはもう芯が無くなってしまったため…、ただ僕の存在を示すだけのものになってしまった…。


 莱に僕の声は聞こえない。

 莱の耳元で叫んでみても、空気は震えてくれない…。

 僕がこんなに悲しい顔をしていても…莱は気付いてくれない…。


 だって…、莱には…僕の姿が見えていないから…。


 "霊"って…、

 結構…キツいんだよ…?




 莱が絵を描いている。

 また悲しい顔をしながら。


 開いている窓からは涼しい風が入り込み、庭に植えてある深い紅色に少し染まり始めた紅葉の木が風に揺れ、サアサアと心地好い音が耳にスーッと入ってくる。


 僕にも聞こえてるんだ。

 莱にだって聞こえてるはず。


 でも、莱はこんなに心地好い音を耳に入れず、キャンパスと向かい合って、じっと見つめている。


 何度も色を重ねられて深い色を出すそのキャンパスは…、何故か…見ているととても悲しくなる…、そんな色をしていた…。


 莱…、

 君は…何を描いてるの…?


「……お兄ちゃん…いる…?」


 突然莱が振り返って僕を呼んだ。

 "うん、いるよ。"と、僕は鉛筆を莱の目の前で振った。


「…あのね……お兄ちゃん…」


 莱はまだ悲しい顔をしている。

 何だろう…?

 何を話すんだろう…?


 何故か僕は少し、怖かった。


「……お兄ちゃん……僕……もう……分からない…」


 え…?


「……分かんない……分かんないよ…」


 悲しい顔で言葉を吐く莱に、僕は今すぐ伝えたかった。


 "どうしたの?"


 "何が分かんないの?"


 "お兄ちゃんに話してごらん?"


 唯一動かせる鉛筆で宙に字を書いてみる。


 でも…、

 うつむく莱は見てくれず…、見てくれていたとしても長い文は伝わらなかっただろう…。


「…僕には……描けない…。もう…描きたくない…」


 "描けない"…。


 確かに莱はそう言った。


 今描いている絵が…分からない…。

 だから…描けない…、描きたくない…。


 絵の事でこんな弱気な事を言う莱を…僕は初めて見た…。


「お兄ちゃん……、何で…、何で…死んじゃったの…?」


『!』


 まさか莱の口からそんな言葉が出てくるとは思ってもいなかった。


 何で死んじゃったかって…?


 そんなの…、


 そんなの…!


 僕だって知りたい…!


 僕が一番知りたいよ…!!


 僕だって生きたかった…!!!


 生きてる莱が羨ましい…!!!!


 羨ましくて仕方ないんだよ!!!!!


 だからそんな事…!!


 僕に聞くなよ…!!


 そんな事…、僕に聞いたって…、僕は…答えられないんだから…。


 もし答えれたとしても…


 莱には…聞こえないでしょ…?


「……お兄ちゃん…」


 莱が何度も僕を呼びながら屈み込んだ。

 莱の声も体も、小刻みに震えている。


 何…泣いてんだよ…。


 泣きたいのはこっちだよ…。


 ってか…、


 僕も…泣いてるんだよ…。


「莱…? どうしたの…?」

『!』


 泣いている莱を母が見つけて部屋に入ってきた。


「大丈夫…?」

「お兄ちゃん…! お兄ちゃんっ…!!」

「大丈夫…。お兄ちゃんは向こうで元気にしてるよ…」


 僕はここにいるよ…。


 僕も泣いてるよ…?


 僕も慰めてよ…母さん…。


「亡くなってしまったお兄ちゃんの代わりに…莱が一生懸命生きるのよ…」


 莱が僕の代わり…?


 僕はここにいるのに…?


 僕の代わりなんて───…


 ………ん?


 "代わり"…?


 その時、僕は思いついた。

 "霊"だからこそ出来る事を。


 本当に出来るかは分からないけれど、やってみるだけの価値はあるはず。


 そう思い立った僕は、



 そっと莱の体に触れた。




「お兄ちゃぁあぁぁん…!!」

「莱…大丈夫…大丈夫…」

「お兄ちゃあぁぁ───……!」

「……莱?」



 ……嘘…。



 本当に…出来た…。



「……………母…さん……」


 僕が思いついた事、


 それは…、




 "莱に乗り移る"事だった。




「莱…? わっ!?」


 莱に乗り移れた僕は生前でもした事なかったのに、嬉しさのあまり思わず母に抱きついてしまった。


「母さん…!! 母さん…!!」

「ど、どうしたの…?」

「僕だよ…!! 母さん…!!」

「え…?」


 母に触れれた事が嬉しかった。


 母の暖かさを感じれる事が嬉しかった。


 母が…僕が発した言葉に反応してくれる事が…嬉しかった…。


「母…さっ…!! ううぅっ…!! うわあぁぁああぁぁん!! 母さぁぁあぁぁん!!」

「莱…? え…?」


 そりゃ驚くよね…。

 死んだ長男が…次男に乗り移ってるんだから…。


 いや…、僕が乗り移ってるのも分かってないよね…。


「莱…?」


 母は泣き付く僕を呆然とした顔で見ている。


 泣き止んで母に僕だって示したいのに…涙が止まらない…。

 暖かい涙が、どんどん頬をぬらしていく。


 気付いて…。


 気付いてよ…、母さん…。


 僕だよ…?


 死んでしまった息子だよ…?


「………莱…じゃ…ないの…?」


 母が莱に疑問を持ち始めた。


 そうだよ…。


 莱じゃないんだよ…。


「……そうなの…?」


 うん…。


「…そうなのね…?」


 うん…!


「…まさか…、…本当に…?」


 うんっ…!


「…莱じゃ…ないのね…!!」


 理解したのか、母の目は涙を溜め始めた。


 やっと…、やっと…母に気付いてもらえた…。


 僕が死んでから11ヶ月…。


 やっと…気付いてもらえた…。


「悲しかった…! 怖かったぁぁ…!! 寂しかったぁぁぁ!!」


 今までずっと伝えたかった感情。


 僕はそれを母に泣き付きながらぶつける。


「ごめんね…! ごめんね…!! 気付いてあげられなくて…!! 見えなくてごめんね…!!」


 僕が見えないのは母のせいじゃないのに、母は懸命に謝って僕を慰めてくれた。


 僕を痛いくらい強い力で抱き締め返してくれている母の腕の中は暖かくて、とても優しかった。


 "霊"なんて不確かなもの、信じてくれる人の方が少ないはず。


 今だって、莱が演技をしてると捉えられてもおかしくない。


 それでも、母は信じてくれた。


 "僕"だって事…、気付いて信じてくれた…。



「母さぁあぁん!! 母さぁぁああぁん!!」

「ごめんね…! ごめんね…!!」


 約1年ぶりの再会に涙する母。


 ようやく気付いてもらえた事に涙する僕。


 そこにまた嬉しい事が…、


「どうした!? 二人とも何で泣いてるんだ!?」


 父が泣き叫ぶ声に何事かと駆け付けてきたのだ。


「あなた…!! 莱に…!! 莱にあの子が…!!」


 感情が高ぶる母が父に拙い言葉で説明しようとする。


「何だ!? 何があった!?」


 その説明では伝わらないため、父はさらに訳が分からなくなる。


「父さぁああぁぁん!!」

「うわっ!? ら、莱!? どうしたんだ!?」

「その子は莱じゃないの…!! あの子なのよ…!!」

「えっ…!? ま…、まさか…! 本当にか…!?」


 どうやら父さんも、僕だってことに気づいてくれたようだ。


 でも…、この場で一番何が起きているか分かっていないのは莱だと思う…。


 僕が乗り移った事で、莱の意識は"ここではない場所"に行ってしまった。

 自分がどうなったのかも、自分が今どこにいるのかも、莱には分かっていないだろう…。



「母さん…! この体に莱が戻ってきたら伝えてほしいことがあるんだ…!!」

「いいわよ…! ちゃんと伝えてあげる…! 言って頂戴…!」


 やっと落ち着き始めた僕は、母に莱への伝言を残す事にした。




 そして僕は、今まで照れ臭くて言った事ないような言葉を素直に吐き出し始めた。




「僕の存在に気付いてくれてありがとうっ…!

 僕だって信じてくれてありがとうっ…!

 僕っ…!

 僕っ…!!

 莱と一緒に絵が描けてすごく楽しかった…!!

 少しだけだったけど会話が出来て嬉しかった…!!

 それと…!

 それと…!!

 僕…!!

 死にたくなかったっ…!!

 もっと長く生きたかったっ…!!

 もっともっと長く生きて…!!

 生きて莱や母さんや父さんと楽しく喋りながら一緒に絵が描きたかった…!!

 本当はもっともっと生きたかったんだよ…!!

 何で死んじゃったかなんて僕にも分かんないよ…!!

 でも…!!

 もう生きられないんだよ…!!

 もう死ぬ事が出来ないから生きられないんだよ…!!

 だから…!


 僕の分まで莱が生きて!!


 僕が出来なかった事…!

 莱が代わりにやって…!

 僕の分までうんと幸せになって!!

 莱の幸せは僕の幸せだから…!!

 見えなくても僕はいつも傍にいるよ…!!

 莱の事…!

 いつでも傍にいて見守ってるから…!!」






 本当は…、"いつも"傍にいられるか分からない…


 もしかしたら…、もう…いられないのかもしれない…。


 僕の心残りは…莱と一緒に絵を描く事じゃなかったんだ…。





 もう一度…、

 家族と話したかったんだ…。








 それから3年後───、



「お兄ちゃん、久しぶり」


 莱は兄のお墓参りに来ていた。


「あの日から3年も経つね。僕、もう高校生になったんだよ。向こうでも元気にしてる? まぁ、お兄ちゃんなら元気だよね」


 莱はお墓の前で屈むと、優しく目を細めて話しはじめた。


「……あのね、今日は報告しに来たんだよ」


「実はね、僕が描いてたあの絵、コンクールで入選したんだ」


「あの絵を描く事を途中で投げ出しかけて、お兄ちゃんが僕の体に乗り移った時、初めて死んだ人の目線を見たんだ」


「でもそれは、僕らと何も変わらなくて、でも、とても寂しくて悲しかった」


「お兄ちゃんが逝った後、母さんから全部聞いたんだ。"死にたくなかった"、"もっと生きたかった"ってお兄ちゃんが言ってたって」


「それまで僕は、死んだ人の見ている世界は暗いんだと思ってた」


「でも、違った。生きてる人は持っていない、強い想いを持っていて、生きている人より明るいものを見てた」


「だから僕は、それを伝えたくてあの絵を描いたんだ」


「一緒に絵を描いてくれてありがとう、お兄ちゃん。お兄ちゃんと描いた絵は僕の部屋に飾ってあるよ。コンクールとかに出すには勿体なくてっ…」


「あの絵は僕の一生の宝物なんだ」


 そして莱は、飛びっきりな笑顔でお墓に向かってこう言った。


「世界に一つしかない、お兄ちゃんと描いた大切な絵だからっ…!!」



 3年という月日は早く、今の莱の容姿はあの日の兄にとても似ていた。


 兄がいなくなったことに泣いていた莱の姿は、もう見えなくなっていた。


「莱~、もう出発するわよ~」

「はーい。……そろそろ行かなくちゃ。今からあの絵の表彰式なんだ。……行ってきます、ありがとう、お兄ちゃん」


 あの日より格段と成長した莱が墓前からゆっくりと去っていく。


 そのお墓には、



『森山 玲』



 という名前が書いてあった。





 莱の描いた絵はただ入選しただけではなかった。


 "最優秀賞"を受賞したのだ。


 高校生でありながら最優秀賞に選ばれた莱は絵に関する受賞の言葉を任されていた。




「僕にはとても優しい兄がいました。いつも僕を気にかけてくれていて、いつも一緒に遊んでくれて、ケンカもしたことが無いほど、僕と兄はとても仲のよい兄弟でした」


「…ですが3年前の1月1日、僕達家族は交通事故に遭い、そして、兄だけが亡くなりました」


「家族の中で一番明るくて、元気が取り柄の兄は、いつも僕達を笑わせてくれました。そんな元気な兄でしたので、きっと今も、あの世で幸せに暮らしていると思います。また、僕もそうであることを願っています」


「この絵はそんな想いを込めた絵なんです」


「兄も僕や両親と同じように絵を描く事が好きな人でした。僕なんかよりも断然上手で、幼い頃からずっと僕の憧れでした」


「でも、そんな憧れだった兄はもういません」


「なので、僕は自分自身を信じてこの道を歩もうと思っています。まだまだ未熟で拙い者ですが、この絵を選んで頂きましたことにとても、とても感謝しています。皆様、ご清聴ありがとうございました」




 莱の演説が終わり、表彰会場は暖かい拍手に包まれた。


 莱の後ろには、暖かい家族の笑顔が描かれた『兄の目線』という名札の付いた絵が展示してあった。


 一族の中で初めて人からの目線を描いた絵、それは、亡くなった兄を想う弟の寂しくて切なくて悲しくて、且つ暖かい経験と優しい感情を詰め込んだ、兄への唯一無二の贈り物。


 もう莱に疑問は無い。


 兄が亡くなってしまった悲しみは莱の中で大きな"自信"となった。


 "兄の分まで幸せになる"、これが今の莱の目標だった。


 "いつも傍にいる"、そう言ってくれた兄はもう鉛筆を振ってはくれない。


 いるのかいないのかも、もう確認する事ができないけれど、今も莱は信じている。




 兄が傍にいる事を。

 兄が見守ってくれている事を。

 兄も幸せを感じてくれている事を…。

この兄弟の暖かい話が書けたのではないかと思っています。

始まり方こそ悲しい話ですが、ただ悲しいだけの話じゃなくて、そこに暖かさがあるものが書きたかったんです。

そんな話にちゃんとなっていたか、自分では確信が持てませんが、読んでくれた人に暖かい気持ちになってもらえたらいいなと思います。


今生きているという事は"当たり前"の事ではなく、奇跡がたくさん起こった結晶なんです。

生きているという事は、幸せな事なんです。

それを分かって頂けるととても嬉しいです。


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