第九話 初恋
生まれて初めて本当の生まれ故郷に
足を踏み入れた金太郎改め酒田金時と
育ての母安子。
必ず酒田の領主になることを
安子たちに約束した金時は
頼光と共に京へ旅立ちました。
さて金時は都でどんな日々を過ごすのでしょう。
頼光一行は長い時間をかけて都にたどり着いた。
足柄の里しか知らなかった金時にとって
都の華やかさや人の多さに驚きながらも
彼の目には新鮮に映った。
金時は頼光の屋敷に住むことになり、
頼光から与えられた一間が金時の新たな生活の場となった。
部屋を見渡すと調度品が揃っていて
足柄の里の家より恵まれた環境に気後れしそうだった。
金時は漆塗りの箱に気付き開けてみると硯と墨と筆が
入っていた。
彼は酒田で暮らす安子に手紙を書き、
東国に向かう商人に手紙を託した。
二ヶ月半後、酒田に住む安子の元に金時の手紙が届いた。
久々に見る金時の筆跡を安子は懐かしみ
無事に都に着いたことを知り安心した。
金時は武芸と学問に励み、
頼光と共に悪党征伐で大活躍し、
やがて碓井貞光、卜部季武、渡辺綱、酒田金時と
頼光四天王のひとりに数えられる強い大将になった。
金時が都に住み始めて十年が経った。
彼も二十三歳の青年になり、
頼光から新たに屋敷を与えられ、
そこで生活をするようになった。
金時は頼光の右腕として多忙な日々を送り、
文武両道に秀でて、器量良く気品漂う男性になった。
そんな金時が生まれて初めてひとりの女性に
恋をした。
ある夜のこと。
金時、碓井、卜部、渡辺の四人は頼光の屋敷に招かれ
そこで酒宴が催された。
金時は広間に向かう途中、どこからか琴の音色が
聞こえてきた。
音のする方へ振り向くとひとりの女性が
繊細な音を奏でていた。
艶やかな黒髪、薄紅色の頬、珊瑚色の唇、
どこか寂しげな表情に金時は魅せられた。
その女性は金時の視線に気づいたのか
慌てて部屋の奥へ隠れてしまった。
金時はその女性の輝く美貌に心を奪われ
酒宴が始まっても心は上の空だった。
やがて金時は酒を飲みすぎてしまい酔いつぶれてしまった。
どれくらい時間が経ったのか。
彼が目を覚ました場所はかつて使った部屋だった。
傍らには先程出会った女性が座っていたので
金時は驚いた。
「そなたは・・あの時・・」
「お目覚めになられましたか。
金時さまが酔いつぶれてしまったので、
ここへお連れ致しました」
「そなた名をなんと申す・・」
「わたくしの名は聡子といいます。
頼光さまの遠戚の娘ですが
ある事情で頼光さまの屋敷に住んでおります」
「頼光さまの遠戚の者に介抱されるとは面目ない」
「いえ夜も更けましたし、このまま屋敷で
休むよう頼光さまから仰せつかりました」
「そうかお言葉に甘えそうさせていただこう」
金時は頼光の屋敷で休むことになったが
聡子の輝くような美貌と優しさが心に残り
寝付けず、
夜が明けて使用人たちが金時の身支度を手伝い
朝食を持ってきたが、食事中も聡子のことが
脳裏から離れなかった。
屋敷を出る直前、金時は頼光に聡子のことを聞いた。
「聡子のことか。あの娘は儂の遠戚の娘でな。
両親を幼い時に亡くしてしまい
父方の祖父母の元で暮らしてきた。
だが祖父母も最近相次いで亡くなり、
天涯孤独となった聡子は儂を頼り
ここで身を寄せているのだ。
聡子のことを聞くとは、
そなた聡子に恋をしているのでは」
「そんな恋など・・」
金時は慌てて屋敷を後にしたが、
聡子のことを知った彼は行方も知らぬ恋の道に
迷い込むような心地がして、
帰る道も分からないほどになってしまった。
屋敷に着いた後も目に浮かぶのは聡子のことだった。
金時が帰った後、聡子が姿を現し
頼光に金時のことを聞いた。
頼光の口から金時のことを語られ
いずれは駿河国酒田の領主になることを
知ると聡子は落胆した。
「聡子、そなたは金時に恋をしているのでは。
金時の仲を取り持ってもいいが」と頼光が話すと
「そんなことしなくて、けっこうです」と聡子は
断り頼光の部屋を出た。
聡子は金時の優しさと強さと
彼の人となりを知っていくうちに心は乱れていった。
金時も同様だった。
聡子の輝くような美貌と優しさ、
生まれた国は違えど幼い時に両親を亡くしたという
似たような境遇を知ったことで
金時の聡子への思いはますます強くなっていった。
だが同時に安子と幸家、亡き両親と交わした
約束が頭をもたげた。
約束を忘れたわけではない。
酒田家を何としてでも再興したい、
都育ちの聡子と所帯を持つこと、
駿河国に連れて帰ることが出来ないわけではないが
聡子を見知らぬ土地で寂しい思いをさせたくない。
様々な思いが金時の心を乱れさせた。
お互い悶々とした気持ちを抱えていくうちに
三ヶ月が経ったある日のこと。
金時の屋敷に頼光が聡子を伴ってやって来た。
頼光は聡子を別室で待機させ、
金時と色々と語り合ったあと退室したかと思うと、
入れ違いに細殿の簾を押し開け、
聡子が衣擦れの音も静かに入ってきて
両手をつかえ、
「聡子でござりまする」と丈なす黒髪をハラとこぼして
恥らいつつ挨拶をしたものだから、
金時は度肝を抜かれてしまった。
「これは、そなたが連れとは知らなかった。
して、頼光さまはどこへ」
「もうお帰りになりました。
どうぞ今よりお側において下さりませ。
お館にとどまるようにと頼光さまから仰せられて
ここへ参りました」
金時が聡子に詳しく聞くと
事情を知った頼光が熱い恋心を抱いているのなら
側に仕えるがよいと仰せられ強く勧めてくれたので
ここへ来たと言う。
「金時さま、優しいあなたさまの元に
いつまでも居させてください。
お願いします」
聡子は三つ指をついて金時にお願いした。
「主君の遠戚の者と夫婦になることが
出来ないわけではないが、
わたくしはいずれは駿河国酒田に帰り
領主になることが決まっている。
都育ちの聡子さまを見知らぬ土地で
寂しい思いを味わせたくないのです。
聡子さま、わたくしのことは諦めてください。
どなたか高貴な身分の者と結婚をし、
幸せになってください」
「金時さま、わたくしをひとりにするのですか」
「聡子さま・・」
「わたくしは、幼い時に両親と死に別れ、
祖父母に育てられました。
両親と一緒に暮らしている人たちを見ては羨ましく思い、
同時に寂しさを募らせながら生きてきました。
金時さまと出会い知っていくうちに恋心を抱き、
あなたさまの側にいたいと思いました。
あなたさま以外の人と一緒になる気はありません。
金時さま、あなたさまを心から愛しています。
あなたさまの側にいられないのなら
わたくしは死んだほうがましです」
涙ながらに思いを訴える聡子を金時は
力強く抱きしめた。
「聡子さま・・わたくしも初めて出会った時から
愛しておりました。
あなたさまがわたくしのことをこれほどまで
慕っていたとは・・。
頼光さまは、この金時に聡子さまを下された。
生涯どのようなことがあっても手放しません。
聡子さまはこの金時の宝物です。
わたくしの元から離れないでください・・」
「金時さま・・わたくしはあなたさまの側に
いつまでも居ます。
あなたさまと運命を共にします。
愛しています」
ふたりは抱き合いながら初めて愛し愛されることの喜びを知った。
夜が明けてふたりは身なりを整えたあと
金時は聡子に結婚を申し込み、
亡き実母良子の形見である着物と櫛と鏡を
受け取ってほしいと言って聡子の前に差し出した。
聡子は結婚を承諾しても
金時の母の形見を受け取ることは出来ないといって
断ったが、自分の妻となる人に受け取ってほしいと
母が話していたことを聡子に話した。
事情を知った聡子は彼の求婚を受け入れ、
良子の形見を有難く受け取った。
その後、金時と聡子は頼光のもとに向かい
結婚の許しをいただき
一ヶ月後、金時の屋敷で結婚の儀が執り行われた。
正式な夫婦になったふたりを頼光は心から祝福した。
金時と聡子は酒田に住む安子、幸家に
結婚の報告の手紙を書き送った。
金時の結婚を知った安子と幸家は心から喜び
祝福の手紙を金時たちのもとに送った。
都に住むふたりが自分を姑として慕っていることを
手紙に書かれていたことに安子は言葉では
言い表せないくらい嬉しく涙した。
こうして金時と聡子の夫婦生活が始まった。
第十話に続く