第六話 過去の真実
安子の口から金太郎の過去の事実が
語られ始めた。
「あれは十三年前のことでした。
母上さまは父上さまと結婚して三年後に
金太郎を身籠りました。
おふたりにとって初めて授かった子供なので
大変喜びました。
母上さまは父上さまにあるお願いをしました。
産まれてくる子供は乳母に頼らず
自分の手で育てたいと。
父上さまは驚きましたが、
願いを聞き入れることにしました。
十ヶ月めに母上さまは金太郎を出産しましたが、
母上さまは産後の肥立ちが悪く
まもなく亡くなったのです。
母上さまは亡くなる前、
父上さまにこう話されました。
乳の出が良い女性がいたら、その者の乳を
金太郎に与えてほしい、
金太郎を置いて逝くことを許してほしいと
伝えてこの世を去りました」
「それで・・おらの母上の代わりを・・」
安子は無言でうなずいた。
「その頃、わたくしは夫との間に産まれた娘が
ひとりいましたが、産まれて二ヶ月後に
病で亡くしました。
娘の死から立ち直れずにいたころ、
父上さまは金太郎の乳母を務める者を
探していることを知りました。
わたくしの乳房からは娘が亡くなってもなお、
乳が出続けていました。
わたくしは決めたのです。
金太郎の命を助けるために乳母になろう、
わたくしの乳を金太郎にすべてあげようと。
わたくしは夫と共に父上さまに
乳母を務めさせてほしいと願い出ました。
父上さまは、とても喜びました。
乳母を務める女性が見つからず、
金太郎は乳が飲めず弱っていく一方で
困っておられたからです。
わたくしは早速、金太郎に乳を与えました。
金太郎はお腹を空かせていたのか、
わたくしの乳を貪るように飲みました。
金太郎の乳をのむ口の力と温もりが
必死に生きようとする力となって
わたくしの乳房に痛いほど伝わった気がしました。
そう思うとわたくしの目から涙が溢れました。
流した涙とお前との出会いが
娘を失った悲しみを消し去ったのです。
父上さまはわたくし達夫婦に感謝の意味をこめて、
夫の名字金ヶ崎からとり、お前に金太郎と名付けたのです。
わたくしは金太郎と失った娘と重ねながら、
乳母を務めたのです。
だが幸せな日々は長くは続きませんでした。
金太郎が産まれて半年後、恐ろしい事件が起きたのです。
金太郎の一族が父上さまの領地を攻めてきたのです」
「一族が攻めた・・何故そんなことを・・」
「事件の首謀者は、父上さまの叔父酒田兼家さま。
お前にとっては大叔父にあたる方です。
お前が産まれる前から父上さまと兼家さまとの
間では所領争いがありました。
父上さまは何とか争いを収束させようと
努力しましたが、兼家さまは父上の所領酒田の地を
攻めてきて、父上さまとお前を亡き者にし、
酒田の地を自分の物にしようとしたのです。
混乱のさなか、父上さまはわたくしにある命令を
しました。
金太郎を連れて駿河国を脱出し、
相模国の足柄の里へ逃げるようにと。
父上さまは金太郎を死なせるようなことは
避けたかったから、このような命令を下したのでしょう。
わたくしは父上さまの命令に従い
乳飲み子のお前を抱いて駿河国を脱出しました。
これが乳飲み子だった金太郎と
わたくしにとって家族との永遠の別れとなったのです。
松明も持たず暗闇の街道を走り続けました。
足柄峠を目の前に差し掛かった時、
母上さまの霊が姿を現し、
足柄の里に着くまでの間、わたくしたちのそばにいて
励まし守ってくれました。
母上さまが守ってくれたおかげで
足柄峠を越えて何とか足柄の里へたどり着くことが
出来ました。
わたくしは金太郎と共に伯父上の屋敷に身を寄せて
父上さまが迎えの者をよこしてくれるのを
待ちましたが、
ここに来たその夜、父上さまと母上さま、わたくしの夫の霊が
姿を現し父上さまはこう仰いました、
金太郎のことを頼む。
出来れば有力な武将もとに仕官させ武士になったのちは
酒田家を再興してほしいと仰って姿を消しました。
わたくしは察知しました。
父上さまとわたくしの夫があの事件で命を落とし、
金太郎とわたくしに別れを告げるために現れたのだと。
けれど、そう思いたくはなかったが・・。
ここに来た翌日、駿河国から逃げてきた
伝助おじさんとおゆきおばさんから、
お前の父上さまやわたくしの夫を含む家来と
たくさんの領民たちが殺されたこと、
父上さまが苦労して守った領地は兼家さまの
手に落ちたことを聞かされたのです。
わたくしはとても悲しみましたが、
お前の両親の代わりを務めなければという思いが
悲しみを振り払い、強くさせました。
そして父上さまと母上さま、わたくしの夫に
こう約束しました。
金太郎を酒田家を再興させ、世の為人の為に役立つ
強く立派な男に育ててみせると。
わたくしはその後、お前と共に伯父上の屋敷を出て、
近くの空き家を譲り受け、ふたりだけの生活を始めました。
お前の素性を隠しながらの生活でした。
お前の素性を知るのは、わたくしと伯父夫婦、
伝助おじさんとおゆきおばさんだけです。
伯父夫婦、伝助おじさんとおゆきおばさん、
里の人々が私たちを助けてくれたから
ここまで頑張ってこれたと思います。
お前は大きな病気をせず、元気で力持ちで賢く
心優しい男の子に成長しました。
わたくしは父上さまと母上さまとの約束を守るべく、
伯父上と共に、お前に読み書きなどを教えました。
お前は嫌な顔をひとつせず、家の手伝いをしながら
学問に取り組んでいましたね。
だが成長するにつれ父上さまのことを聞かれたときは辛かった。
つい感情的になり手をあげてしまった時は
お前に申し訳ないことをしたと思いました。
本当は話したかった・・お前の過去の事実を。
けれど話してしまったら、お前の命だけでなく
足柄の里が危険にさらされる恐れがありました。
だから話すことが出来なかったのです。
わたしは話す機会を窺っていましたが、
頼光さまがお前を家来に召し抱えたいと知り、
これを機に過去の事実を話すことにしたのです。
金太郎、いつまでも足柄の里にいてはいけません。
頼光さまと共に都に上りなさい。
都で色々なこと学び、頼光さまや世の為人の為の
お役に立てる人になりなさい。
そして酒田家を再興させるのです。
それが亡き両親の願いでもあり、供養となるでしょう。
頼光さまにお願いするように、
わたくしを家来にして下さいと」
安子がすべてを話し終えた後、金太郎は大泣きした。
何もかも初めて聞くことばかりだった。
十三歳の少年が背負い込むにはあまりにも重すぎる事実だった。
安子は号泣する金太郎に厳しく接した。
「金太郎、泣くのはやめなさい。
いつまでも泣いていたら強い武士にはなれません。
亡き両親も悲しみます」
「いやじゃ!いやじゃ!
おらは武士になんかなりたくない!
足柄の里を出たくない!
本当のおっ母じゃなくても、おらにとっては
大好きなたったひとりのおっ母じゃ!
おっ母をひとりぼっちにさせたくない!
離れたくない!
家の手伝いをいっぱいするから・・お願い・・
おっ母のそばにいさせて・・」
「金太郎、泣き言はやめなさい!
お前らしくない!
こんな泣き虫な男に育てた覚えはありません!
亡き両親も望んでいません!
お前が頼光さまの家来になり
いすれ酒田家を再興させれば、
わたくしとは赤の他人になるのです。
お前の両親の代わりの役目は終わるのです。
頼光さまにお願いし、家来になったら
わたくしのことは忘れなさい!」
「いやじゃー!誰が何と言おうと
おらは武士にはならぬ!」
金太郎はそう叫んで広間を飛び出し、
屋敷から駆け出した。
何も考えられない、得体のしれない力に
突き動かされて自分の家に向かって走った。
金太郎は戸を乱暴に開けて中へ入り、
囲炉裏のそばに倒れ、そのまま起き上がろうとせず
ただ泣いた。
蝋燭の灯りの無い家の中で、
泣いて泣いて涙が枯れるまで泣いた。
「うそじゃ!うそじゃ!おっ母・・あぁー!!」
一方、清久の屋敷では頼光と安子が話しをしていた。
「金太郎と安子どのには、
そのような過去があったのか。
金太郎が武家の血を引く子供だったとは」
「はい。お見苦しいところをみせてしまい、
申し訳ございません。
金太郎には、もう一度言い聞かせます」
「安子どの、金太郎は自身の過去などを聞いて
混乱していることだろう。
安子どの、金太郎に伝えておくれ。
儂は七日後にもう一度、足柄の里に来るから、
その時まで考えて返事をもらいたいと」
「わかりました。
金太郎に必ず伝えておきます」
安子のそばにいた清久が口を開いた。
「頼光さま、ご家来の皆さま。
日が暮れましたし、これから峠を越えるのは
危険です。
今夜は、わたくしの屋敷にお泊り下さい」
「かたじけない、そうさせて頂こう」
「安子、そろそろ家に戻って金太郎のそばに
いてあげたらどうだ」
「兄上、金太郎をそっとしてあげてください。
わたくしも心を落ち着かせてから
あの子と向き合いたいのです。
頼光さま、ご家来の皆さまの接待の手伝いをします」
そう言った安子の表情は悲しげだった。
第七話へつづく