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第五話 源 頼光(みなもとのよりみつ)

安子と金太郎が足柄の里に住むようになって、

十一年が経った。

十二歳になった金太郎は遊ぶことより畑仕事や

家の手伝いをすることが多くなった。

安子も一日一回の足柄明神のお参りは欠かさなかったが、

金太郎が十二歳になるとあるお願いをするようになった。

それは彼を強い武士に育ててくれる有力な武将が

現れてほしいことだった。

安子の兄清久は金太郎の学問の師匠を続けてはいたが、

十二歳になった金太郎を見て思うことがあった。

それは父義家が生きていたら彼は元服をしていても

おかしくないことだった。

安子も同様のことを思ってはいたが、

金太郎が余所の家の一家団欒の様子を見ては

寂しい表情を見せることが多くなったことを

安子は見逃さなかった。

金太郎は、本当は寂しいのだ。

父親に甘えたい、頼りたい、愛されたい

ひとつ屋根の下で家族そろって暮らしたいのに

それは叶わぬ願いであることを彼は分かっている。

父親のことをたくさん聞きたいのに、

二年前の出来事を機に彼は父親のことを

聞こうとしなくなった。

金太郎なりに遠慮をしていることを安子は感じていた。

金太郎の出生の事実を話せるものなら

今、この場で話したい。

しかし、話したことで金太郎と足柄の里に

何かあってはならないという思いから話せずにいた。


その年の暮れ、安子は清久の屋敷を訪れ

兄夫婦に着物地を少し分けて欲しいとお願いした。

清久が理由を尋ねると、着物地で『ある物』を作り

金太郎に贈りたいと安子は話した。

理由を聞いた兄夫婦は彼女に褐色かちいろ

中縹色なかはなだいろの着物地を分けた。

安子は、金太郎が家にいない間や眠りについた時を

見計らって着物地で『ある物』を作り続けた。

 

時は流れ、金太郎が十三歳になった初夏のこと。

安子は畑仕事、金太郎は鉞で薪割りをしていた時だった。

家の周辺が急に騒がしくなった。

ふたりが騒ぎのする方へ向かった時、

伝助が大慌てでやって来た。

「安子さん、金太郎大変だ!

明神さまの祭壇が何者かに滅茶苦茶にされた!」

「明神さまの祭壇が」

三人が足柄明神の石段を昇ると、

祭壇の前に人だかりが出来ていた。

人混みをかき分けて三人が見たものは、

祭殿の前に供えてあった、お神酒や御供え物が

滅茶苦茶にされていた有様だった。

神鏡は祭殿の中にあったが、

扉の鍵がかかっていたので無事だった。

「一体、誰がこんなことを」

清久が怒りで肩を震わせていた時だった。

金太郎があることに気づいた。

御供え物に動物が齧ったような跡、

地面を見ると動物の足跡があった。

これは動物の仕業ではないかと思った時だった。

「大変だ!大猪が畑を荒らしたり、

里の者に怪我を負わせたぞ!」と里の男が

石段を駆け上がって伝えに来た。

「なんだって」

金太郎が石段を駆け下りて畑の方に向かうと、

逃げ惑う人々の悲鳴が聞こえてきた。

人々の中には怪我人を運ぶ者がいた。

金太郎が人の流れを逆らって畑の方へ向かうと、

大猪が作物を食い荒らしていた。

金太郎は怒りに震え、里の者が腰掛代わりに

使っている岩を持ち上げた。

「お前だな!明神さまと畑を荒らしたのは!

許さぬぞ!」

金太郎は持ち上げた岩を大猪の頭に投げつけた。

投げつけられた大猪は怒り、金太郎に襲いかかった。

彼も大猪に立ち向かい取っ組み合いになったが、

大猪は鋭い角で金太郎を突き飛ばし、

金太郎は右足を負傷した。

「金太郎、逃げて!」

後からやって来た安子が叫ぶ。

大猪が金太郎に再び襲いかかろうとした時だった。

一頭の熊が大猪の頭に飛びつき、取っ組合いになった。

二頭が取っ組み合っていくうちに大猪が腹這いの状態に

なっていることに金太郎は気づいた。

金太郎は右足の痛みをこらえながら、

鉞を手にし大猪の方へ走った。

「やめなさい金太郎!逃げて!」

安子の声を無視し、金太郎は大猪の腹の上に乗りかかり、

鉞で大猪の腹をズブズブと切り裂いた。

大猪はけたたましい悲鳴を上げ、金太郎と熊を振り払い

痛みでのた打ち回った。

金太郎は止めを刺すべく大猪の口に岩を詰め込み、

鉞で大猪の両目をつぶし、

鉞を大猪の喉元に振り下ろし、深く切り裂いた。

夥しい血が吹き出し、大猪は息絶えた。

金太郎の着物と肌と、鉞は大猪の血で赤く染まっていた。

大猪を退治し、死骸を見ている金太郎の心臓は早く

打っていた。

そんな金太郎のところに、あの熊が近づいてきた。

彼は熊の姿に見覚えがあった。

額の白い三日月模様の熊。

三年前、金太郎が山奥で負かした熊だった。

彼は熊に向かって言った。

「お前がいなければ、おらは死んでいたかもしれない。

熊よ、ありがとう」

熊にお礼を言った金太郎は足元に気配を感じ、

下を見ると小熊二匹が親熊の足元に寄って来た。

やがて小熊は大猪の死骸に近づき肉を食べ始めた。

「そうか、お前たちは腹を空かしていたのか。

わかった、大猪をお前たちの棲み処に運ぼう。

これから、里の人たちが畑を元通りにするから」

金太郎の思いが通じたのか、

熊は小熊たちを連れて金太郎を山奥へ案内した。

金太郎も大猪を担いで、熊の後をついて行った。

「金太郎・・」

心配した安子が金太郎の元に近づいた。

「おっ母、おらは大猪を熊の棲み処に運ぶだけだ。

すぐ戻ってくる」

そう言って金太郎は熊と共に山へ入って行った。

そんな彼の行動を遠巻きで見ていた人物がいた。

その人物の存在を金太郎と安子は気づかなかった。

金太郎は熊の後をついて山道を歩いていたが、

熊が立ち止まり、頭を縦に振った。

「ここに置くんだね」

金太郎は大猪の死骸を熊が立ち止まった場所に置いた。

「それじゃ・・お腹いっぱい食べてね」と言って

金太郎は熊の元を後にした。

熊は金太郎の後ろ姿が見えなくなるまで見送った後、

小熊たちと大猪の肉を食べ始めた。


金太郎が怪我をした右足を庇いながら

家路を急ぐと、安子が迎えに来た。

「金太郎・・こんなに血まみれになって。

右足を怪我したようだが、他に痛いところは

ないか」

「大丈夫だよ、おっ母。

右足が痛いけど心配ないよ」

「そう、今おゆきおばさんが湯を沸かしているわ。

家に着いたら、身体を綺麗にしましょう」

安子と金太郎が家に着くとおゆきが湯を沸かして

待っていた。

「金太郎、丁度湯が沸いたところよ。

身体や髪を綺麗にしましょうね」

金太郎は血で染まった身体と髪を洗い、

安子は彼の着物と褌を洗い、

清潔な着物と褌を用意した。

金太郎の身なりを整え、怪我の手当てを終えた時だった。

伝助が慌てて家に入ってきた。

「安子さん、金太郎大変だ。

安子さんの兄上の屋敷に源頼光みなもとのよりみつさまが

やって来て、ふたりに会いたいと仰っている」

「えっ・・源頼光さまが」

ふたりは源頼光の名前は聞いたことはあったが、

まさか清久の屋敷を訪れているとは驚くばかりだった。


ふたりは急いで、清久の屋敷に向かった。

門の前では家来たちが護衛にあたり

初子はふたりが来るのを今か今かと

待っていた。

「安子、金太郎待っていましたよ」

「義姉上、驚きました。

源頼光さまが、ここにいらっしゃるとは」

「そうなの。

さぁ早く中に入って。

ふたりの着物を用意しましたから、

それを着て頼光さまのおられる広間へ」

安子は初子が用意した着物を、

金太郎は初子の息子の水干に着替え

広間に向かった。

広間に入ると奥には源頼光が、

左右には家来たちが座っていた。

安子と金太郎は頼光の前に座り、恭しく礼をした。

頼光が口を開いた。

「そなたが金太郎という者か」

「はい・・」

「隣にいるのが母の安子どのか」

「はい、お目にかかることができ光栄にございます」

「そうか、ふたりともおもてを上げなさい」

そう言われ、ふたりは顔を上げ頼光の姿を見た。

狩衣姿かりぎぬすがたの頼光から

知的な雰囲気と華やかさがふたりのほうにも伝わってきた。

頼光が語り始めた。

「儂は源頼光と申すもの。

帝の命令で奥州の蝦夷征伐を終えて、

都に戻る途中、足柄の里を通りかかったのだが、

そなたが大猪を退治したところを遠巻きで見ていたのだ。

儂は、そなたの事が気になり清久どのの屋敷に立ち寄り、

そなたのことを清久どのから色々聞いたのだ。

そなたは怪力の持ち主だけでなく、

心根が優しく学問に長けた男であるそうだな。

金太郎、儂はこれから都の人々を苦しめる悪党を

征伐するため都に戻るところだ。

金太郎、そなたを家来として召し抱え、

その心優しさと賢さと怪力を儂に貸してほしいのだ。

儂と一緒に都に行かないか」

「えっ、おらを頼光さまの家来に召し抱えて

くれるのですか」

金太郎の言葉に頼光は頷いた。

「嬉しい。

おらは武士になれるし、都に行けるんだ。

おっ母、良いだろう」

金太郎が安子のほうを向くと、

彼女が声を押し殺し泣いていた。

「おっ母どうしたの。

急に泣いて、おらが武士になることが

悲しいの」

「金太郎、許しておくれ。

わたくしは、お前の父上さまのことで

嘘をつき話しませんでした。

今まで話さなかったのはお前の心を傷つけないため、

命を守るためだったのです。

今、こうして話す機会が巡ってきました。

金太郎、これからお前に関することすべてを

お話しします。

お前の心を傷つけると思うが、すべて本当のことです。

落ち着いて聞いてください。

頼光さまもお聞きください。

この子の過去の事実を」

安子の緊張した面持ちに、

金太郎と頼光はただならぬものを感じた。

彼女の口からゆっくり語られた。

「金太郎、わたくしはお前の本当の母ではありません。

お前の父上さまは駿河国酒田の豪族酒田義家さま、

本当の母上さまは遠江国の豪族の娘良子さま、

お前は酒田家の嫡男なのです」

安子の話に金太郎と頼光は驚いた。

「おっ母、嘘だろう・・何かの間違いだろう・・。

おっ母が本当のおっ母じゃないなんて

おらが酒田家の嫡男だなんて・・豪族の子だなんて・・

嘘だろう!」

「本当です。

わたくしはお前の父上さまの家来金ヶ崎道直の妻であり、

乳母であり両親の代わりを務めてきたのです」

「おっ母が・・本当のおっ母じゃなく・・

乳母だなんて・・両親の代わりだなんて・・

どういうことだ?」

金太郎は混乱しつつ安子に詰めよった。


第六話へ続く


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