第三話 決意
不眠不休で金太郎を抱えて歩き続けた安子は
足柄の里に着いた安心感からか意識を失い
眠り続けていたが、彼女は悪夢にうなされていた。
金太郎を抱いて逃げる安子が兼家たちに捕えられ
彼女の腕から泣き叫ぶ金太郎を強奪し
兼家の前に差し出された。
安子は金太郎のもとに走ろうとするが
家来たちに身体を縄で縛られ、猿ぐつわをされ、
彼女の前に巨大な檻が下され前に進めない。
泣き叫ぶ金太郎の目の前にいる兼家は
腰に差していた刀を抜き、
金太郎の身体に刀を振り下ろそうとした時、
安子は悪夢から覚めた。
目を覚ますと清久と初子の顔が見える。
「安子・・安子・・わかるか。
わたしだ清久だ」
「兄上・・義姉上・・あっ・・あの子は
若様は・・」
安子が左隣に目をやると
金太郎が横たわっていることに気づき安堵した。
初子が答えた。
「安子、先ほど里の女性がこの子に乳を与えてくれましたし、
使用人たちが身体をきれいにしてくれました」
「まぁ・・申し訳ありません」
「それにしても、そなたはこの子を抱えて
駿河国からここへ来たようだが、
一体何があったのですか。
道直どのはどうしたのですか。
それにこの子を若様と言っていたが、
確かそなたは赤ん坊だった娘を病で亡くしたのではないか」
安子はゆっくり起き上がり、一呼吸したあと
語りだした。
「兄上、義姉上。
今からわたくしが言うことは絶対、
誰にも口外しないと約束してくれますか」
「口外してはならぬとは、深刻なことなのか」
安子はゆっくりとうなずいた。
「わかった約束する」
「この子は酒田義家さまと良子さまの嫡男金太郎さま
なのです」
彼女の言葉にふたりは仰天した。
「それはまことか。
ではなぜ酒田家の若様を足柄の里に連れてきたのだ」
安子は娘を病で亡くした二ヶ月後に
良子が金太郎を出産してまもなく亡くなったこと、
義家が金太郎の乳母を募っていることを知り乳母に
なったこと、
金太郎が生まれて半年後、
義家の叔父兼家による焼き討ちに遭ったこと、
義家の命令で金太郎の命を守るべく
足柄の里に逃げてきたことを洗い浚い話した。
「そのようなことがあったのか・・」
「はい・・兄上、義姉上。
迎えの者が来るまで、ここに匿ってほしいのです。
もうひとつここにいる間、
若様は夫道直とわたくしの息子ということに
してほしいのです。
もし、若様がここに逃げていることが知られたら、
若様は殺されてしまいます。
それだけでなく足柄の里にも危険が及びます。
若様に関することはわたくしと兄上、義姉上だけの
秘密ということにしてほしいのです。
色々と迷惑をかけるかもしれませんが、
兄上、義姉上お願いします。助けてください」
安子はふたりに哀願した。
「わかった、私たち夫婦もそなたと若様のために
協力しよう」
「ありがとうございます」
その夜、安子は峠越えに使った杖のことを
思いだし探し回ったが見つからなかった。
兄夫婦に聞いたら、安子と金太郎が
屋敷に着いた時には杖を持っていなかったと
聞かされた。
おかしなことがあるものかと思いながら、
金太郎が眠る部屋に入った時だった。
「安子・・安子・・」と呼ぶ男の声が
聞こえた。
彼女が後ろを振り返ると義家、良子、道直が座っていた。
「殿さま、奥方さま、あなたではありませんか。
いつここへ」
安子は嬉しい気持ちを抑えることが出来なかった。
「たったいま着いたところだ」と義家は静かに答えたが
彼の表情は寂しそうだった。
「殿さま、あなた・・本当に心配しておりました。
こうして会えてうれしゅうございます。
夜が明けたら、すぐに出発を」
「安子、済まない。
そなたとの約束を果たすことが出来なくなった。
金太郎はそなたの息子として、
足柄の里で育ててほしい。
出来れば有力な武将の元に仕官し、
いずれ酒田家を再興してほしい。
金太郎のことを頼んだぞ」
義家の言葉に安子は何が何だか分からなかった。
続いて良子が話した。
「安子、金太郎を守り足柄の里に連れてきてくれて
ありがとう。
この鏡と櫛、着物は感謝のしるしであり、
形見です。
金太郎が大人になり結婚するときには
この子の妻となる人にこの三品を渡して下さい。
来たるべき時が来たら、
この子に過去の事実をあなたの口から伝えてください。
金太郎のこと、お願いします」
最後に道直が話した。
「安子、そなたのそばにいることは出来ないが、
わたしたちはそなたと若様のことを見守っているぞ。
そなたは父であり母となって若様を守り、強い心を持って生きるのだぞ」
「そんな・・待って下さい」
安子が三人のほうに手を伸ばしたが、ゆっくりと姿を消した。
彼女は外に出たが三人の姿はどこにもなかった。
もしや義家さまと夫は、あの焼き討ちで命を落とし、
若様とわたしに別れを告げるために
姿を現したのでは・・。
そんなはずはない・・信じたくない。
彼女は、あの出来事が引っかかり
その夜一睡もできなかった。
翌日の昼下がり、安子が金太郎を昼寝させている時、
初子が彼女の元にやってきた。
「安子、そなたに客人が来ているわ」
「客人、一体誰だろう」
彼女が金太郎を抱いて居間に入ると、
見覚えのある夫婦が悲痛な面持ちで座っていた。
「あなた方は、殿さまの屋敷で働いていた
伝助さんとおゆきさんではありませんか」
「えぇ安子さん、また会えて嬉しいわ・・
若様もご無事で」
「伝助さん、おゆきさんどうして
若様とわたしがここへ逃げていることがわかったの」
「若様と安子さんがここへ逃げていることは
殿さまから聞きました。
おふたりが足柄の里にいることを知るのは
使用人たちの中では、私たちだけです。
安子さん、今から伝えることがあります。
落ち着いて聞いてください」
伝助の口からあることが伝えられた。
「殿さまと、道直さまを含む家来たちの
ほとんどが殺されました。
道直さまは殿さまを守るため奮戦したが・・。
殿さまが苦労して守った領地も何もかも灰になり、
家族を殺された領民も数多いて・・
酒田の地は兼家さまの手に落ちました・・」
伝助は涙で言葉を詰まらせた。
安子は話を聞いていくうちに、昨夜のことを思い出した。
「やはりあれは・・若様とわたくしに別れを告げるために・・」
彼女は兄夫婦、伝助夫婦に昨夜の不思議な出来事を話し、
良子から贈られた鏡と櫛、着物を見せたあと、
涙ながらに語った。
「無念だったことでしょう。
奥方さまは若様を抱くことも乳を与えることも出来ず、
殿さまは武家の血をひく金太郎を
強い男に育ててほしいと託し、
殿を守るために戦った夫も・・」
安子はついに声をあげて泣いてしまった。
兄夫婦、伝助夫婦も涙を堪えることが出来なかった。
しばらくして、おゆきが語った。
「安子さん、私たち夫婦が足柄の里に来たのは、
殿さまと道直さまのことを伝えるためでも
あるけれど、若様と安子さんの力になるため
足柄の里に移り住むことを決めて来たのです。
兄上夫婦と私たち夫婦がそばにいます。
力を落とさないでください」
おゆきは安子を励ました。
「すまぬ・・しばらくひとりにしておくれ・・」
安子の言葉を聞いた清久たちが、
彼女をひとりにするため金太郎を連れて居間を退出した。
「殿さま・・奥方さま・・あなた・・。
わたしが・・若様の親の代わりを務めよというのですか・・
殿さま・・奥方さま・・
若様・・父上さまが・・帰る家も失って・・
あっ・・あぁー!」
安子はひとり涙が枯れるまで泣き続けた。
その日の夕方。
安子は金太郎を抱いて、足柄の里一帯を見下ろす
高台へやって来た。
彼女の視線の先は、かつて過ごした駿河国酒田の
方角を向いていた。
酒田の方角を見ながら、かつて義家から冗談交じりで
言われた言葉を思い出した。
金太郎が自分の息子ならよかったと思っているのではと
言われたことを。
思わぬかたちで未亡人になっただけでなく
金太郎の親代わりを務めることになろうとは
思ってもみなかった。
だが悲嘆に暮れている暇はない、
この子の命を守ることが出来るのは、わたしだけなのだ。
安子は酒田の方角に向かって黙祷を捧げた。
そして、亡き義家と良子、夫道直に誓った。
「殿さまと奥方さまから託された若様を
酒田家を再興させ、世の為人の為に役立つ
立派な男にに育ててみせます。
どうか見守ってください」
そして金太郎を見て言った。
「若様、いえ・・金太郎・・。
今日から、わたしがお前の父であり母です。
我が身にかえても、お前を守り愛し、
強く立派な男に育てよう」
並々ならぬ決意を固めた安子の顔を、
金太郎の小さな瞳が見つめていた。
一方、駿河国酒田では兼家の命令で
義家の嫡男金太郎の捜索が行われていたが
見つけることが出来ずにいた。
捜索の範囲を駿河国から
金太郎の実母良子の故郷である遠江国、
隣国の甲斐国、伊豆国にまで広げても
金太郎を見つけることはできず、
やがて兼家は安子と金太郎が避難している
足柄の里がある相模国にも家来たちを送り込んだ。
家来たちは相模国に向かったが暴風雨で行く手を阻まれ、
足柄峠を目の前にしたところで
大規模な土砂崩れで峠道が寸断され先へ進むことが出来ず
諦めるしかなかった。
やがて兼家たちの脳裏から金太郎のことは
忘れ去られていった。
この大規模な土砂崩れと暴風雨、
金太郎の記憶を消したのは安子と金太郎の命を守るために
金太郎の両親の霊と道直が引き起こしたものだった。
第四話へつづく