第A-4話・加藤優理子は、今日も元気です!
加藤優理子(加藤さん)の一人称視点です。
これからも、時々別視点での短編を唐突に挿入していきます。読みにくいのは承知ですが、ご了承ください。
朝が弱い私にとって、学校への坂道は難所である。
頭も回っていない状態なのに、肉体を酷使しなければいけないのだから当然だ。
この坂はまさに地獄。
私なりに名付けるなら、地獄坂。
「我ながら、ひどいネーミングセンス……」
空回りする頭と体質を呪う。
下を向いて、地獄坂にため息をこぼすのが、毎日の日課。
――と、私は下を向いていたせいか、誰かの背中に頭をぶつけてしまったようだった。
「あ……すいません。よそ見をしていて」
私は相手が誰であるか確認もせずに、深く頭をたれる。
「あ、気にしないで。痛くも痒くもないから」
それ見かねてか、優しく声をかけてくれる。声から判断するに、男子だ。
……しかも、この声には聞き覚えがある。
「あれ、和輝」
「おはよう、加藤」
顔を上げた私に軽く手を上げて挨拶する。
切れ長の目と、すっきりとした顔の輪郭が、笑みに揺れた。
「珍しく今日は早いね。いつも遅刻してくるのに」
「ま、たまにはこういう日もあるってことかな。今日はなぜだか早起きできたから、みんなを驚かせてやろうと思ってね」
私は青空を仰ぎ、横切っていく大きな雲に目を馳せる。
「悪いが、槍は降ってこないぞ」
和輝が口を尖らせる。
わざとらしく空を見つめてみたのだが、どうやら皮肉が上手く伝わってくれたようだ。
「正臣なんか特に驚くんじゃない?」
正臣の話題になったとたん、和輝の顔が一段と華やいだ。
「そうなんだよ。俺もそれが楽しみでさ」
彼と正臣はとても仲がいい。
何をやるにもいつも一緒で、なおかつ阿吽の呼吸。羨ましいぐらいの友情がそこにはある。
彼ら二人の笑いが教室に響かない日はない、ってぐらいに。
「あんたたち、いつもうるさいんだよね。何がそんなに面白いのよ」
私がそう言うと和輝は腕を組んで考え込む。
「布団が吹っ飛んだ」
和輝、ご乱心。
私は戦国武将さながらに、大声を上げようかと思った。
「面白くないだろ?」
「……良かった。正常だったのね」
和輝の肩に手を置いて、知らず安堵の息を漏らした。
「当たり前だろ。でもさ、普通面白くないネタでも、正臣が言うとすごく面白く聞こえるんだ。アルミ缶の上にある蜜柑、東京特許許可局、いい国つくろう鎌倉幕府……なんでもないことが面白くなるんだ。色がついたみたいに」
「なんで?」
右にかしげた首を、今度は左にかしげて考える和輝。
「さぁ、なんでだろうな。俺も面白くなる理由は良く分かんないけど、ただ、正臣といると世の中を好きになれる気がするんだ。上手くいえないけど、あったかくなれるっていうかさ。ほら、あいつ誰にでも優しくしようとするくせに、人一倍優しくされたい奴だから。放っておけないんだよ。……あ〜、でもなんか違うかな、こう……もっとしっくり来る言葉があるはずなんだけどな」
「なにそれ。正臣が女に思えてくるような大胆発言。ひょっとして……」
私が和輝の横腹をひじでつつくと、和輝は面白いように狼狽する。
「お、おい! 俺はそういうつもりで言ったんじゃないぞ。これは親友としての――」
「えー、ご町内の皆様! 永沢和輝は、同性愛者でございます!」
私はマイクで演説するように周囲にいる生徒に触れ回る。通学路を歩いている生徒たちが、そんな私たちを振り返っては、くすくすと笑っている。
「加藤! お前!」
和輝は真っ赤になって腕を振り上げる。
「暴力? へぇ、和輝は女の子に暴力を振るうんだ?」
「悪いけどな、俺はお前を女だと思ったことは一度もない」
鼻息荒く、腕を腰に当てて宣言する。
なぜだか、その言葉に私の胸が痛んだ。
「あれ……」
私は痛んだ胸を押さえて、また痛みが来るのではないかと待っていた。
しかし、苦痛は和輝が言葉を発した瞬間だけで、それ以降はまったく苦痛は訪れない。
瞬間的な、あの痛みは何だろうか。
「どうした? 具合でも悪いのか?」
「眠いだけで、そんなことはないはずだけど……なんでだろ」
私は首を傾ける。
昨日、放課後の部活練習で素振りをやりすぎたからかな。最近のソフトボール部は成績が悪いから、練習量を増やしたのが原因に違いない。加えて、週末には試合もあるし、怪我が発覚するのは非常に困る。
ピッチャー、それも二本柱の内の一本である私が、怪我をするわけにはいかないのだ。
「あ! あったぞ、正臣を表すのに一番適当な言葉が!」
和輝の顔は子供のように無邪気だ。
親友のことで、こんなに一生懸命になれる人間を、私は見たことがない。
「愛、だ」
太陽は反対側で輝いているのに、目の前にももうひとつ太陽がある。
本当に朝から眩しい。
「えー、ご町内の皆様! 永沢和輝は、完全な同性愛者でございます!」
私の声は気持ちのいいほど朗らかだ。苦手な朝なのに、なぜか今は清々しい。
「いや、待て! 前言撤回する! それに全国の同性愛者に謝れ!」
さっきとは打って変わって気持ちがいい。地獄坂も気にならない。
「男に二言はないでしょ、普通」
和輝が参ったな、と言いたそうに頭を掻いている。
朝がこんなに楽しいと思えたことはない。
毎日がこんな朝ならいいのに。
「……和輝のおかげかな」
地獄坂だけに、地獄に仏、もとい、地獄坂に和輝。
「なにが?」
疑問符を頭に浮かべる和輝。
目の前に迫った校門を背に、私は和輝と向かい合う。
「和輝、明日もこのくらいの時間に登校しなよ」
和輝といると朝が楽しいから。足取りが軽いから。
だから、明日も一緒にいられたら。
それはきっと素敵なことかもしれない。
「……ん〜、俺は遠慮するよ。正臣がいれば別だけどな」
また、胸が痛んだ。さっきよりも痛みが大きい。
「それに、香奈もいないしな」
さらに大きな痛みが私を襲う。今度は連続だ。
「加藤、本当に大丈夫なのか? さっきより苦しそうだぞ」
「あはは、何でかな。今日は朝から調子がいいのに……」
鋭い針に串刺しにされるような痛みだ。
部活でいくら練習しても、こんな痛みに見舞われたことはないのに。
和輝が言葉を発すると、決まって胸が痛くなる。
でも、普段の会話では、そんなことがなかったはず。
もしかしたら、特定の言葉に反応しているのかも。
仮にそうだとしても、私にはなぜ反応するのかが分からない。
靴を履き替えて、教室へと向かう。
「おはよ〜」
松葉杖をついた夏美に並んでから挨拶する。
「加藤さん、おはよう」
さすがに夏美は朝が早い。
でも、本来はもっと早く教室にいて、自習でもしているはずなのだ。
それが出来ないのは、右足の怪我のせい。
「おはよう、水野さん」
「か、和輝君? どうしたの今日は」
和輝が、驚いた夏美に早起きの説明をしている。
私はそれを一歩離れた位置で見つめながら、考えを巡らせる。
和輝といると楽しくなれた朝の登校。
ある特定の言葉にだけ痛みを発する私の胸。
考えれば考えるほど、エスパーな方向に想像が飛んでいってしまう。
体育会系の頭はこんなものか。
私は大きなため息をつく。
「ま、今日出さなければいけない答えではないし、明日また考えればいっか」
私は楽観的だ。
今日出来ることを躊躇いなく明日に回す。
テスト勉強だって、短期集中型だ。前日の夜に徹夜すればいい。これで赤点は回避できる。
「加藤さん、さっき聞いたんだけど、今日これから集会なんだって」
「え、それって授業つぶれるの?」
私の嬉々とした表情に、夏美は困っている。
「授業がつぶれるのを喜んじゃ駄目だよ。次の授業で遅れを取り戻すの大変なんだから。先生も生徒も……」
「ま、それが加藤らしいよな」
笑って私の肩を叩いた。和輝に触れられたところから、温かいものが私に入り込んでくる。
まるで、最高級の毛布に頬擦りするような、眠くなるような感覚。
すごく心地いい。
「正臣早く来ないかな〜、驚かせてやりたいよ」
「そうだね、私も楽しみ。正臣君の驚く顔……本当に楽しみだな」
二人が楽しそうに話している後ろで、私はやっぱり考え込んでしまう。
明日に回していいことなのか。早く答えを出さなければいけない問題なのではないか。
私をせかす、もう一人の私。
私は頬を両手で勢いよく挟みこんで邪念を払う。
パン、という子気味のよい音が二人を振り向かせた。
「よし! 加藤優理子は、今日も元気です!」
夏美はそんな私を見て笑っている。
「おかしな奴だな」
和輝もつられて笑い出す。
今日一番の和輝の笑顔。目が離せなくなる笑顔。ずっと見ていたいと思わせる笑顔。独り占めしたいと思わせる笑顔。私を温かくしてくれる笑顔……。
集会が始まってから、最後まで、その和輝の笑顔が、私の脳裏から離れることはなかった。
興味を持ってくださった方、読んでくださった方、ありがとうございます。次回は、また三人称に戻ります。読みにくくてすみません。
評価、感想、栄養になります。