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第A-3話・日和見主義者

「その無粋な声は……睦月だな?」

「む、睦月って、あの睦月ですか?」


 暗闇に閉ざされ、視界ゼロとなっている暗闇から、二人の人間がゆっくりと現れた。剣の切っ先のように鋭い視線が、階段の上でふんぞり返る睦月を切り上げる。

 長身痩躯にまとった制服には、一筋のしわも見当たらない。どれだけあらを探しても、校則に抵触することはないだろうと思える、完璧な御姿。

 その姿は、百戦錬磨の弁護士を思わせる。


「他にどの睦月がいる」


 一人目の男は、毅然とした態度で全校をまとめる生徒会長、後藤俊史だった。

 一方、後ろからそろそろと出てきた人間の視線は、一点に定まっていない。危険がないか探し続けるあまり、疑心暗鬼に陥っている。

 一見すれば、不審者だ。

 もみ上げまでしっかりと刈り上げられた短髪は清潔な印象を受けるが、同年代の若者から見れば流行遅れを感じさせた。制服はほこりまみれで、所々が白く変色している。

 状況が状況でなければ、いじめられた生徒に間違えられてもおかしくない。生徒会長に比べ背も格段に小さく、少しぽっちゃりした体形も、そういった印象を助ける要因のひとつだった。


「で、でも……い、いえ、あの、すみません」


 二人目の男は、放送部の機械マニア、佐藤達也だった。

 ゆっくりと地下室から上がってくる二人を満足げに見下ろして、睦月は鼻を鳴らす。


「ふん、睦月、睦月って、そんなに私が珍しい?」


 眼鏡のブリッジを持ち上げる生徒会長の目が、さらに細められた。


「珍しくはないさ。テレビでも拝見させてもらっているからな。まったく、たいした演技力だと感心している。どうやったら、あれほどうまく猫をかぶれるのか……ひとつご教授願いたいほどだよ」


 口の端を持ち上げたまま笑ってみせる。

 のどの奥が、声に出ることのない笑いでうごめく。


「猫をかぶっているのはお互い様だと思うわよ。でも、アンタの場合は虎の威を借る狐ってところかしら」


 鋭い、剣のような視線でつばぜり合う睦月と生徒会長。

 生徒会長の背後で控える佐藤の視線は、おどおどと二人を行ったり来たり。


「どうせ地下室にいたのだって、誰よりも先に逃げ込んだからじゃないの?」


 睦月の声の先を追って、佐藤の視線も動く。


「その後ろに連れている目障りなハエは、一応放送部だから、放送部の倉庫である地下室にも入れるわけだし」

「僕は、い、一応じゃな――」

「羽音が耳障りね」


 睦月の容赦ない言葉の雷が、佐藤を生徒会長の後ろに隠れさせる。


「……な、なんなんだ……自分を、自分を……何様だと思っているんだ。僕はれっきとした放送部員だぞ……」


 弾除けとして使った生徒会長の背中で、ぶつぶつと文句をたれる佐藤。


「そこの弱虫。聞こえないわよ。言いたいことがあるなら、聞こえるようにはっきり言えば?」

「う……」


 睦月の地獄耳は、佐藤のつぶやきを逃さない。

 睦月の剣幕に圧倒されて、佐藤は言葉を失う。

 跳ね上がった肩は、いたずらが露見した子供のようだ。


「ぼ、僕は……」

「聞こえない」


 腕を組む睦月。


「ぼ、僕は!」

「全然聞こえないわね」


 半笑いで、佐藤を見下す。


「僕はれっきとした放送部員だ!」


 裏返った声で、腹から振り絞る。

 息の荒い佐藤は、今にも呼吸困難に陥りそうだった。


「ところで、いつまでここにいるわけ?」


 佐藤の叫びには取り合おうとせずに、睦月は和輝を振り返る。佐藤は目を丸めて痴態をさらした後、睦月のあまりの傍若無人さに、地下室にあったバケツを蹴り飛ばす。

 きれいに芯でとらえられなかったバケツは、佐藤の意思には従わず、階段に当たって跳ね上がる。

 跳ねたバケツは、生徒会長のズボンの裾をかすめて転がった。

 地下室を静寂が覆う。


「……す、すみません」


 冷酷な視線が、階下ですくむ佐藤を射抜いた。

 眼鏡の奥で凍てついていく瞳は、佐藤の謝罪を受け入れようとはしない。

 軽蔑ではない。嫌悪でもない。それは、明らかな拒絶。

 人を見る目ではない、汚物を見る目。


「……気がつかなかったが、いつの間にか制服が汚れているな」


 佐藤を目で射殺した生徒会長が、何気ない風を装って、自らのズボンの裾に視線を落とす。

 バケツがかすっただけで、ズボンが汚れるわけがない。

 それでも生徒会長は、さも大きな汚れを見つけたかのように、わざとらしくつぶやいて見せた。

 佐藤は生徒会長に走り寄ると、震える唇をかみ締めた。

 あわてて生徒会長の足元にすがりつき、バケツがかすった箇所を丹念に払い始める。

 ポケットからハンカチを取り出し、それを叩き代わりにして、ありもしない汚れを取り除いていく。

 見るからに手馴れた作業。


「……まるで下僕ね」

「佐藤君……どうして」


 水野が自分の手でふさいだ口から、憐憫を漏らす。

 命乞いをする奴隷。和輝は脳内でそう例えた。


「フン」


 生徒会長はしばらくの間、佐藤に裾を掃除させると、興味がなくなったように睦月の横を通り過ぎる。

 佐藤は震える手でハンカチを握り締め、睦月をにらみつけた。

 睦月はそんな佐藤の怒りなど知る由もない。

 その怒りがお門違いであることも、佐藤は気がついていなかった。

 生徒会長の怒りを買ってしまった原因は、すべて睦月にある。

 佐藤は、自分と生徒会長を棚に上げて、物事を判断していた。


「僕を……馬鹿にした報いは……」


 恨み言を地下室に溜め込む。

 もちろん、そんな佐藤にはまったく気がつかず、睦月はただひとつの出口である施錠されたスライドドアを動かそうとする。


「このドアを開けるわ。見ていないで、手伝いなさいよ。そこのナイト。彼女に手を貸すことはできても、私には手を貸さないって言うわけ? ただでさえ、役にたたないのが多いんだから、アンタぐらいしっかりしなさいよ」


 和輝は眉間にしわを寄せたまま、睦月を手伝い始める。

 二人はへこんでいる取っ手部に手を差し込んで、横に動かそうと踏ん張った。

 一センチにも及ばない隙間から外光が差し込み、和輝の顔を真っ二つに切り裂く。

 しかし、外側にかけられている錠は思いのほか堅固で、二人の力をもってしても外れる気配はない。


「手を抜いてるんじゃないわよ!」

「やってる!」

「罵り合う暇があったら、さっさと開けて欲しいものだがね」


 めがねを持ち上げながら、いらだたしげに腕を組む。大きなため息は、その場にいた全員の耳に届いた。


「口しか動かさない軟弱者にしては、少し言うことが大きすぎるわね」


 動きを止めた睦月の背中。煮えたぎる怒りが、水蒸気のように舞い上がる。


「ふむ、確かに。それは確かだぞ、睦月」


 生徒会長の白い歯が見えた。


「……だが、動きを止めて、口だけを動かすようならば、その人間も結局は同じではないか? 有言実行という言葉を学んだほうがいいな。睦月、お前は『開ける』と言ったんだ。公約通り開けてもらわないとな。……それとも、お前はあきらめるのか? 開けることができないと自分の非力さを認め、放棄するのか? ……まあ、それもいいだろう」


 肩をすくめて見せる。

 めがねの締め付けがゆるいのか、身振り手振りを交えるたびに、めがねが下にずれる。

 その作業を生徒会長は面倒だと思っていないのか、毎度毎度めがねを中指で持ち上げ、会話に妙な間を作った。

 その独特のリズムは、まるでクライマックス直前でCMを入れるバラエティー番組のように計画的で、狡猾だった。

 核心を遅らせ、沈黙を作る。

 じらす、という一番興味を引く手法。


『……』それが、めがねを持ち上げる合図。


「そして、残念ながら私はお前が言うように軟弱者だ。本当に残念だよ。私に、もう少しの力、あとほんの少しの力があったら……手伝うことができたのだが」


 大げさすぎる演技。

 素人演技というよりは、コメディー演技だった。

 明らかに皮肉と分かるように、残念そうな面を作る。

 最初から、手伝う気などありはしない。


「……さて、そこでだ。選択は二つほどある。あきらめるか、それとも、軟弱者であっても手を借りるかだ」


 生徒会長による、明らかな答えの誘導。


「そうそう……暴力に訴えて黙らせるというのも選択の一つだな。確かにそれで私のような軟弱者の、余計なおせっかいはなくなる。効果的かもしれないな。……だが、それではドアは開かないぞ。問題の解決には至っていない。そもそも……時間は限られているんだ。合理的かつ生産的な思考を期待するよ」


 握り締められていた睦月のこぶしに目を落として、先手を打つ。

 誰かの指図は受けない。

 そういう性格であることを、生徒会長は熟知している。


「……選択肢は三よ」


 ドアの取っ手から手を離して、生徒会長に向き直る。


「今すぐ、殺してやる。二度と立ち上がれないくらいに」


 殺したら、言うまでもなく二度と立ち上がることはできない。

 そんな矛盾を通り越した睦月の直情的な感情の放出が、その一言に凝縮されていた。


「……ば、馬鹿な。冷静になれ。そんなことをしても」


 選択するはずのない選択肢だったのだろうか。生徒会長の仮面が、めがね同様にずれ落ちた。

 睦月の手が生徒会長の胸倉をつかもうと伸びる。

 生徒会長は、なすすべなく睦月に殴られ、顔を腫らすだろう。

 佐藤もそれを察知してか、生徒会長から離れ、睦月の後ろのほうへ少しずつ移動し始めていた。

 強いほうの味方。日和見主義。

 プライドの高い睦月や、生徒会長に比べるまでもない、こんにゃくのような意思。

 風になびく力ない雑草。少しでも強い風が吹けば、茎は簡単に折れるだろう。

 和輝はそんな佐藤にいらだちを覚えるとともに、生徒会長に行われる制裁は自業自得だと思った。

 止める筋合いもない。

 和輝はもう一人の傍観者、水野の動向をうかがう。


「水――」


 口に出そうとした水野の名前よりも、先に視界に入ったのは。耳に入ったのは。

 水野が、真っ青になって全身をこわばらせる姿だった。

 水野が、震えた手から松葉杖を落とす音だった。


「水野さん?」


 和輝の声に驚いて落としたのではなかった。

 少し大きめの声で問いかけた先で、水野は先ほど放送機器でふさいだドアを見ていた。

 無言で、ゆっくりと和輝を振り返る。


「誰かいるの? ねぇ、誰かいるんでしょ?」


 ドアの向こうで聞こえた声は、悲痛に歪んでいた。


興味を持ってくださった方、読んでくださった方、ありがとうございます。

一週間家を空けたら、ほこりだらけになっていました。頑張って掃除します。小説は何とか書きためたので

、しばらくは連続更新できると思います。

評価、感想、栄養になります。

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