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第B-1話・翼

新しいアナザーストーリーです。前回を引き継ぐわけではありませんのでご注意ください。

 ――翼を失った鳥は、大地に落ちて一体何をなすのだろう。



 大空を自由に飛び回り、飛ぶことの出来ない他者を悠々と見下ろしていたときには、ついぞ抱くことの無かった思考。

 両翼を広げ、風に乗り、誰よりも高く、早く飛ぶことの出来た者が大地に落ちたとき、彼の者は一体何を糧として生きるのだろう。

 飛び立てず、大空を見上げ、過ぎた夢を見るだけだろうか。過去に思いをはせるだけだろうか。

 傷ついた翼はただの足かせに過ぎない。

 翼をいやすこともままならない今、大地をはいずり回るしかないのだろうか。




「……先輩」




 私は傍らで眠る先輩の額をタオルで拭う。

 先輩の長い髪の毛が、苦しそうに寝返りを打つ度、真っ白な額に執拗に張り付く。私がそれを丁寧に取り除いてあげると、再び先輩の苦痛に歪む美顔を見ることが出来た。


「苦しいんですね」


 こんなにも美しく、此の世に永劫称えられるべき芸術品である先輩が、どうして苦しまなければいけないのか。

 考えるだけで、やるせない思いに支配されていく。


「どうすれば、先輩を救うことが出来ますか? 痛みを取り除いてあげることが出来ますか?」


 先輩の耳元でささやいてみる。こういうのも睡眠学習というのだろうか。


「もしも、取り除くことが私に出来たなら、先輩は私を心の中に加えてくれますか?」


 先輩がどうして苦しみ、どうして私の前で泣いたのか。


「加えていただけたら、私はきっと欲張りになってしまう」


 涙を流す姿など、誰にも見せたことなどないのに。


「先輩、私はきっと先輩の全てが欲しいんですね」


 圧倒的な強者である先輩が、私に対して弱みを見せてくれたことはとても嬉しかった。

 心の奥が締め付けられるような愛しさに襲われ、その場で卒倒してしまいそうだった。

 でも、そうならなかったのは、先輩の弱さを知ってしまったという、幻滅の心もあったから。

 幻想が壊れ、裸の先輩を見ることが出来たことへの嬉しさと、自分が思っていた以上に幻想にすがっていた私の揺らぎ。


「ねぇ、先輩……?」


 幻想か、それとも、真実か。


 そのせめぎ合いの中で生まれたのは、私がかつて持ち得ていた愛しさを上回る、狂おしい感情の本流。

 異常とも思える感情だった。


「もし先輩が私のものになって、私に表情の全てをくださるのなら、心の全てを、体の全てをくださるのなら……」


 想像しただけで心臓が高鳴り、真っ赤な溶岩が私の心を埋め尽くす。

 他の感情を全て溶かし、灼熱で上書きしていくどろどろとした流れ。

 何物をも溶かす絶対的な熱量を持った心。


「……いいえ、違う。先輩は誰のものにもならない。孤高で、絶世で、それでいて誰よりも美しい輝きを持った人だから、きっと誰も先輩を手にすることなんか出来ない。でも、ならせめて……」


 先輩の唇が開かれ、苦しそうに呼吸をする様は、嗜虐心を刺激させられる。

 苦しむ姿でさえ艶やか。

 細い眉の根元に刻まれるしわも、歪む頬の筋肉も、鎖骨に流れ込む汗の水滴も。

 その全てが欲情をかき立てる。


「先輩の……睦月先輩の心のそばに、私を置いてください」


 先輩が苦しそうにうめいた。

 汗はいつの間にか噴き出していて、私は慌ててそれを拭う。

 閉め切られたカーテンから差し込む月の光が、先輩のまぶたを切り裂いた。どうやら、覆われていた月が、雲の中から逃げ出したらしい。

 私は先輩の眠りを妨げてはと、静かにカーテンを閉める。

 右手に持った、先輩の汗を吸収してぐっしょりと濡れたタオル。

 鼻元に持っていくと、女らしい香りの中に、わずかに野性的な香りが混じっているように感じられた。フレグランスの内側に隠された先輩自身の香り。

 名残惜しく思う自分を封印して、新しいものと交換しようと先輩に背中を向ける。



「……真由?」


「先輩、目が覚めたのですか?」


「ええ、そうみたいね。ひどく気分が悪いわ」


 忌々しそうに歯を食いしばる先輩。


「何かお食べになりますか?」


「いらないわ、何も」


「では、飲み物は……?」


「いらないって言ってるじゃない」


 口調が強くなるのが分かったから、私は静かに引き下がる。


「……申し訳ありません」


 深く頭を垂れて、先輩の汗がしみたタオルを握りしめる。


「真由」


「はい」


 謝罪に曲げた腰を真っ直ぐに戻すと、先輩の顔は険を減らしていた。


「八つ当たりだから気にしないで。水が飲みたいわ」


「すぐにお持ちしますね」


 タオルを握りしめた握力をゆるめ、私は小走りにキッチンへ向かう。

 心が晴れていくのが足取りで分かった。

 八つ当たりされれば誰でもむっとするはずなのに、私はそれが嬉しかった。鼻歌が飛び出しそうなくらい。

 単純な思考だと人は馬鹿にするかもしれないけれど、きっと私のように思い入れが強ければ強いほど、簡単に揺れ動いてしまうのだと思う。

 まるでショックを吸収するバネが私と先輩を隔てているよう。

 衝撃を与える者に近づけば近づくほど、バネは縮んでしまい、吸収する余力を失ってしまう。 結果、私は直接衝撃を受け、揺れ動く。

 思い入れが強い私を例えればそう。

 でも、もし思い入れが強くなければ、距離は離れているのだからバネは衝撃を吸収する余地を多大に持つことになる。

 その分、衝撃を簡単に吸収し、結果私も揺れ動くことはない。

 風変わりなたとえかもしれないけれど、心躍る今の私には十分適合するたとえだと思った。

 そんな発想を胸に秘めながら、綺麗に磨かれたコップに氷を二個投下し、冷蔵庫に買いだめしているミネラルウォーターを注いでいく。


「先輩、お持ちしました」

「ありがと」


 コップを受け取ると、元気よくのどを動かして一気に飲み干した。

 のど元があらわになり、カーテンから透ける月光を浴びて淡く光る。

 余った氷のうち一つを指でつまみ、口の中に入れる。濡れた指の先を軽く口に含んで水分を拭う様は、妖艶さすら感じられて、あまりにも絵になりすぎている。

 月光に光る唇の隙間から指を抜き出したとき、先輩の瞳が私をとらえた。


「私がそんなに可笑しい?」


「違います! 睦月先輩が……あ、あまりにも綺麗なものですから……」


「知ってるわ。腐るほど言われてきたから」


 呆れたようにため息をついて、乱れた髪を手で整えていく。


「申し訳ありません。でも……」


 両手に力が加わる。


「そんな睦月先輩が、どうして苦しまなければならないのですか?」


 私の問いに答えるための熟考なのか、それとも単に答えるのが面倒なためなのか、先輩は自らの汗で濡れたベッドから立ち上がり、カーテンを開くまで、言葉を発することはなかった。

 純白の月光が先輩を包み込む。


「真由……確か言ったわよね。昔好きだった人がいたって」


「……言いました」


 光を背負いながら、先輩が自分を抱く。

 自嘲するように口を笑みの形に曲げると、ちょうど背負う月の形に似ていることに気がつく。美しい二つの月はなおも輝き続けようとするが、やがてどちらも雲に隠れてしまう。





「――私にもいたわ」




「聞きたくありません」


 即答していた。

 反応したのは脳ではない。脊髄が反射的に返答していたようだった。文字通り骨の髄まで、私の感情が染みこんでいるに違いない。

 だからこそ、これほどまでに即座に答えることが出来たのだろう。


「いたのよ。たった一人だけ」


 小さな雲を払いのけ、月が再び顔を出す。

 つぶやいた先輩が窓を開けて外気を取り入れた。

 月からの使者を思わせる外気は、そっと先輩に寄り添い、汗で濡れた長い髪と遊び始める。

 右に揺らし、左に揺らし。

 まるで、つかの間のチークダンスを踊っているようだった。


「先輩、止めてください」


 幻想的な光景には無粋な私の声。




「好き……違うわね、愛していたわ」




 過去形でつづられた言葉だとしても、終わっているのだとしても。

 先輩の口から紡がれる、愛、という言葉に、私は体をかきむしりたくなる。


「睦月先輩!」


 先輩がそこまで心を許してしまえる、傾けてしまえる人間が存在していることが悔しかった。

 一度耳に入り込んだその言葉は、もうきっと私の心からは出て行ってくれない。


「愛していると、初めて口にも出したわ。手で、体で、心で、結びついた。何度も……それこそ、すり切れるくらい。痛むくらい……確かめ合った」


 海馬が、シナプスが、四方から鎖でつなぎ止めて、一生記憶の牢獄に閉じこめておくに違いない。先輩の一言一句を。そして、私は忘れることが出来ずに、ずっと苦しみ続ける。

 先輩には、愛を注いだ者が存在していたという事実に。


「……でも、違った。理解したのよ」


 開け放った窓から、先輩が手をのばす。自分の手を月にかざし、手のひらを眺める。

 表、裏。

 手のひら、手の甲。



「ぬくもりを抱いた日々はもう終わり。そして、新しく始める……過去の私に戻って、そこから始める」



 月を握りつぶし、私に向き直る。

 帰る場所を無くした――自ら退路を断った――かぐや姫は、不敵な笑みを浮かべながら、冷徹なまでの意志で私に問う。


「真由……アンタはどうするの?」


 決まっている。改めて自問自答などしなくとも。


「私は睦月先輩のおそばにいます。いさせてください、最後まで」


 窓のそばにたたずむ先輩の足下で膝をつき、ゆっくりと抱きしめる。

 先輩の腰は高く、膝をついて抱きしめても顔は腹部には届かない。それでも私は先輩の臀部の綺麗な形を感じ、太もものなめらかさを感じた。




「本当に馬鹿な子」




 かしずく私の頭に先輩は手を置いてくれた。


「はい、私は本当に馬鹿な子です」


 馬鹿でも構わない。愚か者でも構わない。

 異常者とののしられても、常軌を逸しているとさげすまれても。



「大馬鹿」


「はい……」



 それでも先輩のそばにいたい。

 彼女の右腕の代わりになりたい。右足の代わりになりたいと思える。



「馬鹿」


「はい……」


 私の頭に置かれた手は、撫でてくれるためにそこにあるのではない。慰め合うために触れるのではない。

 優しさを与えないと明言しているから、撫でずにただそこにあるのだ。


「馬鹿」


「はい……」


 先輩を苦しませた元凶を、涙を流した原因を私は知らない。

 力強く、天空へ羽ばたくことの出来る先輩から、翼をもぎ取り、大地にたたき落とした者がいる。

 それだけならまだしも、愛を注いだ先輩を悲しみの奈落へ突き落とした者がいる。

 私はそれから先輩を守る。身をていして、人間の盾になって守りたい。

 たとえ先輩に愛されることはなくても、私を瞳の中に納めてくれなくてもいい。



 そう、私は愛されなくてもいい。



 ただ私が愛した人に限りなく尽くすことさえ出来れば。

 先輩が高く羽ばたくための踏み台になれれば。


 私は愛されなくても本望。


「馬鹿」


「はい……」


 千日手のように繰り返された同じ言葉の応酬。

 うざったそうに私を引き離した先輩が、バスルームに吸い込まれるのを見届けて、私は遙か高空で輝く月を仰いだ。

 兎が餅をつく、というファンタジーはとうの昔に捨て去った。同じように、夢や希望も。



「由美お姉ちゃん、だい君……私、三年前のように、もう何も失いたくないの」



 二人も、きっとどこかであの月を見上げているのだろうか。



「最後までそばにいたいから、二人なら私のわがままを許してくれる?」



 闇夜に流れた一条の星は、二人の返答が肯定であるような、そんな気がした。

 窓から吹き込む風の冷たさに、気がついたように身を震わせる。

 しっかりと窓の鍵を閉め、少し離れたクローゼットの引き出し開けると、そこから大きめのバスタオルを取り出した。

 先輩の整った肢体に勢いよくぶつかる水の音。

 私は先輩の体を包むだろうバスタオルを抱きしめながら、足早にバスルームに向かう。


興味を持ってくださった方、読んでくださった方、ありがとうございます。

この一話のみですが「スクール・オブ・ザ・デッド」から二作目をつなぐエピソードです。また、ちらほら出たりします。続編のちょい出しと思っていただけると嬉しいです。……といいますか、解説している時点で不手際が多すぎる作者です。

次回から、ある姉妹とある幼馴染みの「スクール・オブ・ザ・デッド」を始めます。よろしくお願いします。

評価、感想、栄養になります。

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