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2nd episode : “Heiligtum”

   ■2nd episode : “Heiligtum”


 【It is not true that life is one damn thing after another – it is one damn thing over and over.(『人生が悲惨なことの連続だというのは嘘。人生は最初から最後まで悲惨なのだ』)】――Edna St.V. Millay


   /0

 話し声が聞こえる。

 男の声だ。数は二つ。低く渋いのと、威厳のある声。

「―――……、……」

「……――。……――………」

 言葉が認識できない。鼓膜に届いていながら、脳がそれを正しく情報として変換できていない。頭の中はシェイクされたカクテルのように茫洋としていて、男の声は脳に纏わりつくように感じられる。

 詩人的に表せば、『耳の奥で鐘が鳴り響いているようだ』とでも描写するのが妥当だろうか。寝起きの胡乱な状態と少しだけ似ている。

 しばらくすると、脳が正常に言語を捉え始めた。先よりもはっきりと会話を理解できる。未だ声が粘るような錯覚は消えないが、認識できなくはない。靄の掛かったような視界の中で首を巡らせてみるものの、声の主は発見できなかった。仕方ないので、懸命に耳をそばだてる。

「素晴らしい素体です。彼らほどの数値を示した素体は、今までにありませんでした」

「私が手塩を掛けて育てたからな。戦闘技術に関しては当然のことだ」

 威厳のある声が、感情の希薄な調子で問う。

「それで? スペックの方はどうなっている。報告では、オプションの拡張に成功したとあったが」

「はい。適合率の上昇に伴い、各感覚野に干渉可能な容量を確保できました。四体それぞれ、違った感覚器官の鋭敏化に成功。例の〝計画〟も、より円滑に運ぶかと」

 低く渋い声が、冷静な声音で情報を音読していく。

「素体No.04は嗅覚を拡張。工兵だった経歴を活かし、破壊工作時においての隠密性向上を図りました。匂いに敏感になったことで、接近する敵の察知や標的の探知が可能です。

 No.03は聴覚を拡張。スカウト・スナイパーとしての能力を発揮可能なよう、調整しました。周囲の音の反響や発信源を聞き分け、捉えた情報を視覚に反映することができます。

 No.02は視覚を拡張。明順応と暗順応の変化速度の高速化を実現しました。夜間作戦においても、暗視装置を必要としません」

 一端説明を切り、「そして、」と続ける。

「素体No.01ですが……、彼は別格です。感覚野における性能の拡張は認められませんでしたが、脳内のアドレナリン分泌量を制御可能になったという検査結果を確認しました」

「ほう……。つまり、どういった恩恵を得たのだ」

 威厳のある声が、詳細を要求する。低く渋い声が、やや力説するように答える。

「簡略化して言えば、自身の体感時間を引き延ばすことが可能になったということです。彼の集中力が一定値を超えた際、脳内に常人には計り知れない量のアドレナリンが分泌され、反射神経を筆頭とした動体認知や対応速度が飛躍的に向上します。条件が揃えば、弾丸の軌道を目視し瞬間的に即応、あまつさえ撃ち落とすことさえ可能でしょう」

「なるほど……。近接戦闘のエキスパートには打ってつけのスキルだな。ふむ、悪くない」

「彼らは、【鉄の神兵】における最強の暗殺者と評して問題ありません。少なくとも、傭兵が束になったところで、敵うことはないと断言できます」

「上出来だ。……どれくらいの時間で実戦投入ができる?」

「記憶凍結と精神状態のリセットが必要ですが、遅くとも明後日以降には確実に」

「良かろう。では、始めろ」

 了解、と低く渋い声が応答して、二人の会話が終了した。二つの足音が立ち去る気配を感じる。どちらの声の主も、ここを退出したようだ。

 未だ視界はぼやけていて、周囲に配置されている物を識別できない。聴覚も完全には回復しておらず、二人の会話も途切れ途切れにしか聞き取れなかった。まあ、たとえ聞き取れていたとしても理解に及ばなかっただろうが。

 ベルトのような物で拘束されているのか、身体は動かせない。仰向けに寝かされての視界に映るのは、煌々と白い光を生み出す電灯のみである。それも五つほどのライトが密集しているため、光量が凄まじい。ぼやけた視界でなければ、目を傷めるほどだ。

 白く塗り潰された視界の中に、薄い水色の衣服を着用した人物が数人現れた。声を発しようと試みるが、上手く舌が回らない。代わりに、呻くような声が出る。

 呻きに気づいた一人の人物が、顔を覗き込むようにして身を屈めた。マスクをしているせいで表情は窺えない。

「意識が回復し始めているのかっ。おいレズモンド、麻酔を増やせ。……まったく、常人なら昏睡から目覚めないほどの量だぞ――」

 声質からして男だ。

 増量された麻酔の効き目によって意識が薄れる中、鼓膜に届いたのは侮蔑を込めた言葉だった。

「――化物め」

 吐き捨てるように大気へ放られた声を最後に、意識は遥か下へと沈んでいった。

 それ以前の記憶は、存在しない。



   /1

 教会管理下の信徒巡礼区画――〝聖域〟。

 機械神信仰の布教に日夜勤しむビショップら聖職者が勤務する場であり、彼らの居住施設でもある。豪奢な意匠の施された外見とは異なり、内装は質素な趣を呈するが、天蓋一面に描かれた機械神にまつわる美しい絵や歴史的な建築様式が醸し出す独特の空気は、〝聖域〟の名に恥じない荘厳な空間を創造している。

 礼拝堂には長椅子が幾つも設けられ、日曜日のミサには約三○○人の信徒が祈りを捧げに訪れる。大人数を一度に一ヶ所に収容可能なことから、その巨大さが窺えよう。

そんな礼拝堂に複数の執務室や食堂、厨房、居住区などが合わさるのだから、〝聖域〟の建造には富豪の豪邸すら及ばない広大な面積が必要となる。ゆえに街の中でなく、敷地の融通が利く郊外に建てられている。

「……はあ」

 だからなのか、私室の窓から外を俯瞰する少女の顔色は退屈そのものだった。見下ろした先にある景色には、心躍るようなものがなに一つとしてない。日曜ともなれば信徒で長蛇の列ができる石畳の道も、今では閑古鳥が鳴く売れない居酒屋の如く人っ子一人として見当たらなかった。

 まだ昼前だというのに、この静けさはなんなのか。振り返る部屋の扉の向こう側さえ、人の気配がしない。〝聖域〟には聖職者が住んでいるのに、彼らは一度としてこの部屋を訪れたことがなかった。そして、恐らくそれは今日も同じだろう。

「……はあ」

 少女はもう一度溜息をつくと、窓辺から踵を返した。身を翻した際に、清楚な白いワンピースから花の香りが漂う。舞い上がった空気に載った匂いに、少しだけ少女の鬱屈とした気分は晴れた。

 暇を持て余した彼女は、少し散歩することにした。扉を押し開き、人気のない廊下へ出る。特に明確な目的地を考えず、爪先の向くままに足を運ぶ。

 ビショップたちは、少女のことを名前で呼ばない。むしろ、彼女自身も名前を知らなかった。物心ついた頃には両親などいなかったし、写真はおろか全ての痕跡が無かった。いくらビショップたちに訊いても返答はなく、親捜しは早々に諦めるしかなかった記憶がある。当時は落胆に暮れたが、今では吹っ切れてしまった。

 名前のない少女は、聖職関係者に〝シェキナー〟と呼ばれている。無論それは名前ではなく、〝女神〟になる運命を背負った次期女帝候補に与えられる飾りの名称だ。女帝は世襲制ではないため、候補者は少女のみではない。直接的に対面したことはないが、各〝聖域〟に一人ずついるらしい。そして、その全員が〝シェキナー〟と呼称されているのだ。

 女帝は〝女神〟しかなれないので、彼女を含めた数人の候補者の誰かは必ず未来の女帝になる。親から受け継がないということは、継承するに値する能力を戴冠するまでに磨かねばならないということである。

 ゆえに、〝シェキナー〟の名を冠する少女は〝聖域〟内から一歩たりとも外へ出ることを許されず、石造りの古風な狭き世界の中で半生を過ごすのを義務づけられていた。

 籠の鳥とも言うべき被監視生活は、ビショップによる学問と社会情勢の勉学、食事、睡眠で構成される。日々はその循環でしか巡らず、〝シェキナー〟の生活に娯楽はない。勿論、合間にはちゃんと休憩時間はあるし、週末は勉学から解き放たれて〝聖域〟内を自由に出歩くことができる。しかしながら、十代後半に差し掛かる頃合いの多感な時期を迎えた若人にとっては、些か窮屈過ぎる環境と言えた。

 だから、彼女にとって唯一の楽しみは、〝聖域〟内に設けられたこの美しい庭園を飽くまで観覧することだけだった。色鮮やかな目に楽しい幾つもの花々、優雅に宙を舞う蝶々、花で埋め尽くされた庭園の中央にある大きな噴水――。春夏秋冬、各季節を代表する草花が茂るこの場所のみが、少女の心を洗ってくれる唯一の癒し。

(結局、ここに来ちゃったか)

 どんなに違う場所へ行ってみようと思っても、最後には必ずこの庭園へと来てしまうのだった。逆に言えば、敷地の広い〝聖域〟の中には自分の居場所はここしかないとも言える。ゆえにこそ、庭園は彼女の縄張りであり、『お気に入り』の空間だった。

 周囲には、春から夏に掛けて咲く綺麗な花が花弁を開いている。春の穏やかな気温は夏の陽射しに追い立てられ、石壁の窓から射す光には緑の匂いが感じられる。美しい黄色い翅を羽ばたかせる蝶々は複数で遊覧飛行を演じ、地面に茂る青々とした植物と透き通る蒼色をした噴水の水を賑わせていた。

 自然が嬉しそうに笑っている――。

そんな風に比喩するのは、詩人が過ぎるだろうか。けれども、長い間を庭園と過ごしてきた少女には、草花や蝶々の声が聞こえる気がした。

 後数十分もすれば、また退屈な勉学の授業が始まる。いかにも学識に富んでいるといった容姿のビショップと部屋に閉じ込められ、女帝になるのに必要な素養を叩き込まれるのだ。そんな時間が、楽しいはずがない。

 正直のところ、少女には女帝になりたいという願望は無かった。むしろ、皆無と言って差し支えない。この世に生誕した時から、〝女神〟になるべくして産まれたのだとビショップたちに言われて育ったものの、少女の心に浮かんだ最初の感情は〝違和感〟だった。

 なぜ、自分が女帝にならねばならぬのか――。

 その問いに対する明確な答えが欲しい。自身が心底から納得のできる理由があるのなら、その運命を受け入れるのにやぶさかではない。

 しかし、現実に少女は答えを提示されていなかった。どのビショップも『運命だから』と一言で済ませるだけで、詳細を話してはくれなかった。

 自分が納得できる理由がないのなら――。

 他人に押しつけられる強制された運命なんて、享受したくない。心に未だ強く残る〝違和感〟に従い、偽りの将来から脱却してやる。

 そこまで心意を考えて、少女はふとなにかの本に載っていた台詞を思い出し、小さく呟いた。

「未来は、自らの手で切り拓くもの――」

 言葉はすぐに大気に呑まれる。自分で紡いだ声の響きが、少女には叶わぬ希望のように感じられた。耳に届く噴水の水が落ちる音が、少しだけ悲しい響きを奏でた気がした。

 初夏の陽光が射し込む庭園にて、〝女神〟の少女は一人佇む。


   †


 人殺しは、人間を破壊する。

 物理的な意味においてもそうだが、精神的な意味でも同義だ。被害者の肉体は粉砕し、殺人者の心も砕ける。他人の人生を一瞬で終わらせるという実に容易な行為こそ、この世で一番の凶器だろう。傷害欲求を根絶しない限り、人間は壊れ続ける。

 人殺しは被害者と加害者両方の身心を蹂躙するが、麻薬は〝こちら側〟には干渉を持たない。常に被害を被るのは、買い手だけだ。売人は利益のみを獲得する。

 麻薬は人を惑わし、魅了する。長い歴史の中で、これほどまでに人間を虜にしたのは麻薬くらいではなかろうか。どの時代においても麻薬は法によって排他されてきたが、こうして現代にも〝売る側〟と〝買う側〟が存在していることがなによりの証拠である。

 麻薬を服用した人間は、現実の不可視の束縛から解放される。天にも昇る気分を体験し、自らが選ばれた存在だと信じ込む。だからこそ、効果が切れるとまた欲しくなる。再購入したくなる起因は麻薬にあるのだが、買い手はその端的な事実を知るに至らない。そもそも、簡単な事実を知っている人間は麻薬に手を出さない。自分が抜け出せない泥沼に落ちることを熟知しているからだ。

 同じ理由で、売人も麻薬を使用しない。商品の性能は情報として記憶しておけばいいのであって、自ら実体験する必要は皆無だ。もし、商品を自分で試している売人がいるとしたら、そいつは底抜けの阿呆だろう。麻薬は人を破壊する。〝売る側〟が〝買い手〟に堕落するようじゃあ、業界で生き残っていけない。このビジネスの鉄則だ。

 麻薬を売る商人は、他人の人生を操作できる。まずは低いレートで餌を撒き、食いついたら順々にレートを上げていく。そうやって、他人の人生を崩壊へと導く。挙句に中毒となった買い手は、麻薬欲しさになんでも言うことを聞くようになる。即席の駒の出来上がりというわけだ。忠誠心こそないが、捨て駒として使う分には申し分ない。

 神が人類を操る存在だと定義するのなら、麻薬の売人は間違いなく神に近しいと言えよう。そして、その売人の中でより有力な実権を握る者は――最早、神に等しい。

 壁一面を窓にしたような一室、分厚い防弾ガラスの内側から外を俯瞰する男の老身が朝日を受けていた。昨日の初夏らしい気温とは打って変わり、今日の気温は過ごしやすい春のそれである。清々しい晴れ模様ではないものの、雨が降りそうな空でもない。

 鼠色の曇天は鬱陶しい陽射しを隠し、下界に心地良い温度を提供している。男はこの空模様が好きだった。表社会に顔を出さず、しかしながら確かな影響力を有する裏社会の重鎮たる自分の印象に最も似合った天気。人を底なしの沼へと誘う悪魔のような自分に、晴れやかな蒼穹が似合うはずもない。

 男は自らの在り方を弁えていた。だからこそ、業界随一と称されるほどの売人と成り得たのである。権力を乱用せず、組織の頂点という立場にも驕らない。ただ麻薬を効率よく捌くことにのみ尽力し、過剰な勢力拡大を図ったりもしなかった。組織など、順当な成果が為せるようになれば自然と形成されるものだからだ。

 自分は犯罪者である。その在り方を忘れたり捏造したりしてはならない。力を得た者はよく自らを頂上の存在だと見誤るが、それはただの幻想でしかない。麻薬は人を惑わし、売人は麻薬によって人の人生を操作できるが、だからと言って己の在り方が肯定されるわけではないのだ。

 今日は、名立たる麻薬カルテルの大物が一ヶ所に集う大規模な集会が行われる。そして、その多くの売人たちが自らを神と呼んで憚らない〝小物〟である。権力に溺れ、金で信頼を買う愚かな者たち。

 ――辟易する集会になりそうだ。

 静かに外を眺めながら、男は小さな嘆息を漏らした。

 裏社会を絶対的なカリスマ性と権力を以て制御する男の名は、マルコ・ボナーロ。麻薬密売人からマフィアのトップにまで登り詰めた本当の〝大物〟。裏社会のみならず、表社会の情報にすら精通する彼の影響力は政界にすら及ぶと言われ、現在の組織犯罪は彼が統制しているとも噂される。

 人々は彼のことを――〝ギャングスター〟と呼んだ。



   /2

 飛行音が空気を振動させて全身を揺さぶる。今までの輸送ヘリに比べ、このオスプレイ輸送機は幾分かは静かと言えるが、無音とは程遠い。

 向かっている先は、人里離れた熱帯雨林の茂る孤島である。シーズン真っ盛りだと、全国から白砂に覆われた美しいビーチを見に観光客が訪れるリゾート地として有名だ。まだ季節的には夏に入っていないため、客足はない。公的にも海開きはされていないので、立ち入りは禁じられている。自然の景観を損なわない措置らしい。

「夜の海ってのも、乙なもんですね」

「そうだな。あーあ、せっかくリゾートに来たってのに泳げないのかよ」

 窓から下を見下ろして、対面の二人が悔しそうに文句を垂れる。

「職務放棄してダイビングでもしますか、二等軍曹」

「できることならな。ったく、なにが悲しくて犯罪者を救出なんか」

「仕方ないですよ。命令に従うのが軍人の責務です」

「言われなくても分かってるさ。……あー、ちくしょう。マジで勿体ねえ。やっぱり泳ぎに行きてえよなあ」

 心から嘆く二人に苦笑して、精悍な顔立ちの男が会話に混ざった。

「休暇届けは受け取らないぞ、ベルニッツ。だが、確かになにもしないで帰るのは口惜しいな。……よし、任務を早く終わらせて臨時休暇といこう。許可は俺が取ってやる」

 男の提案に、二人の兵士――アラン・《シャドウ》・ベルニッツ二等軍曹とゲイリー・《ラントヴィルト》・ケラーマン伍長が歓声を上げた。

「本当にっ? それなら気合いが入りますよ!」

「流石はチーフ! 話が分かる人だぜ」

「だから任務に集中しろ。死んだら元も子もないんだからな」

「「イエッサー」」

 敬礼で返答して、二人は口を閉ざした。機内は再び、飛行音に支配される。メインエンジンの駆動音を聞きながら、各々装備の最終チェックを行う。ベルニッツもケラーマンも銃器の点検に取り掛かり、しっかりと作動するかを確認中だった。

 男は部下が兵士の貌になる様子を一瞥して、自身も集中を高めた。分隊のリーダーとして、必ず任務を完遂し全員を無事に帰還させてみせる。それが彼が自身に課した絶対の使命であり、自分たちを駒程度にしか認識していない上層部の見解を変えさせる唯一の手段だった。

 国家に雇われた傭兵は憲兵と呼ばれ、武力否定思想の外から第三者を真っ向から攻撃できる存在である。傭兵には人権がないが、報酬次第で如何なる軍事行動をも起こせる彼らには公的に生活権なるものが与えられていた。生活権とは、人権を持たない傭兵が〝人間と同じ生活を送ることが可能になる〟権利のことを言う。一般的に人権を有する人間に適用される社会保障などの各種保障が受けられない代わりに、せめて生活だけは人権欲保有者と同じに――というわけだ。

 ゆえに、傭兵は〝人でありながらヒトであることを放棄した人間〟であり、それに志願して成る憲兵は思想を拡大解釈したことで生まれたイレギュラーなのである。だから、憲兵は傭兵と同一視され、昔から多くの住民に忌み嫌われてきた。そしてそれは、指令を下す上層部も同じだった。

 傭兵と憲兵は、似たようで本質は異なるというのに――。

 傭兵とは、金を受け取って私欲のために動く存在だ。しかし、憲兵は志願しなければ成れない。志願するということは、なにかしらの志を抱いているのと同義である。つまり、『国を守りたい』『大切な誰かを守りたい』など、人として崇高な決意の元に成り立つ職業なのだ。傭兵とは違い、憲兵は自分でない〝誰か〟のためにヒトでなくなった存在と言える。

 だが、その違いを明確に認識している人間は少ないだろう。憲兵が他国からの軍事侵略を防ぎ、人殺しを厭わないテロリストから国民を守っていることすら、誰も知らない。上層部さえ、世間体を気にして活躍を大々的に公表しないのだ。

 憲兵を肯定するのは武力否定思想を否定することに繋がり兼ねない――その言い分は理解できる。しかし、命を賭して軍務に就く勇敢な〝人間〟の存在を、男は世間に知って欲しかった。

「チーフ? 大丈夫ですか」

 思考に耽っていたら、隣から声を掛けられた。視線を向ければ、そこには副官の端正な顔があった。彼女の双眸は心配そうにこちらを覗き込んでいる。

「いや、なんでもない。少し考え事をしていただけだ」

「任務のことですか? 確かに異例ですからね」

 男の返答に彼女――エレア・《ハーゼ》・ベケット曹長が思案顔になる。彼女は入隊当時から面倒を見てきた下士官で、現在は優秀な副官である。男が最も信頼を置く部下でもあり、幾多の戦地を共に潜り抜けてきた戦友だ。

 彼女が言う異例とは、今回下された任務の内容のことだろう。通常、憲兵は国民の平和を守るために犯罪者と戦ったり、同盟国の内紛を調停したりするのが仕事である。しかし、今回の任務はそれらには当て嵌まらないものだった。

 ――裏社会の大物〝ギャングスター〟の確保。

 それが、男の分隊に課せられた指令。

 悪を駆逐する側の憲兵が犯罪者の命を保護し、あまつさえ敵対者から守らねばならない。詳細な理由は知らされていないが、察するに頻発している暗殺事件との繋がりがあるのだろう、と男は推測している。

 有能な副官も同じ見解に行き着いたようで、

「暗殺者の意図はなんなのでしょうか。一年前の政治家ジャン・ピエッタ殺害に始まり、フリージャーナリスト、軍情報部長官、新聞記者、私立探偵、出版社社長――標的に関連性が見当たりません」

 眉間に皺を寄せて疑問を口にした。彼女の問いに、男は肩を竦める。

「俺にも分からん。だが、上はなにかしらの共通項を見出した。今回の任務で、もしかしたら一連の暗殺者と鉢合わせるかもな」

 上層部の読みが正しければ、次のターゲットは〝ギャングスター〟に違いない。特殊部隊を投入するほどの任務であることからも、その信憑性は高いだろう。となれば、暗殺者との回合は必然的となる。

「会うにしろ会わないにしろ、気を引き締めて行け。暗殺者は傭兵を物ともしない高度な訓練を受けたプロの可能性が高い。同業者を殺るぐらいの気概で臨んだ方がいい」

「了解です、チーフ」

 男の言葉に頷いて、曹長は手元のスナイパーライフル――RSASSのマガジンに弾薬を詰めていく。銃身上部の高倍率スコープとは別に、側面に設けられたレイルシステムには短距離用のドットサイトが設けてある。八メートルから一○メートル圏内での銃撃戦に対応させるためである。それ以上間合いが縮まった際には、サブウェポンとして携行するMP7A1の出番だ。予備兵装として、弾薬の互換性がある拳銃――P46も所持している。

 彼女に倣って、男も装備の最終確認をする。膝に置いたアサルトライフル――ACRを手に取る。ACRは、既存のライフルの長所を集めた高性能の突撃銃だ。過酷な状況下でも確実に作動し、評価が高い。男の物はフルレイルシステムに改造され、銃身上部にホログラフィックサイトと低倍率スコープが装着されている。ワンタッチで近距離戦と準中距離戦の切り替えが可能だ。

 側面にはレーザーポインタとフラッシュライトが取りつけられ、有視界とサイティングの高速化を確保。銃身下部にはタクティカルグリップと特注の銃剣が装備され、濃紺とオリーブドラブ色で塗装された銃身と相まって兵器じみた外観を有している。

 銃剣は刃渡り三○センチほどで、峰の部分には鋸状の加工が施されており、他のアクセサリを搭載する場合も考慮し脱着が可能。無論のこと、ナイフとして使用することもできる。刀身は分厚いものの、材質に軽量かつ高硬度の合金を使用しているため、重量は想定内に収まっている。CQBにも適応可能な重量だ。

 次に、サイドアームのハンドガン――M93Rをチェックする。こちらもACR同様、濃紺とオリーブドラブ色で塗装され、洗練された形状が美しい。マガジンには九ミリ弾が二○発も装填でき、豊富な火力を実現。三点バースト機構を持つM93Rは、高い制圧力を発揮できる非常に頼もしいサイドアームだ。

 ちなみに、アラン・ベルニッツ二等軍曹のメインアームはHK416、サイドアームはMk23である。彼はポイントマンなので、前方全域警戒を担当。そのため、状況に万能なアサルトライフルを装備。彼の持つHK416は、突撃銃の定番とも言えるM4カービンを近代化改良したエンハンスドモデルであり、より高性能に仕上がっている。

 ゲイリー・ケラーマン伍長は、五○発マガジンを装着したIARを主武装とし、サブとしてUSP.45を携行。彼のポジションは、分隊支援火器射手――SAWだ。敵との銃撃戦になった時、相手を釘づけにすることを役割とする。チームに不可欠な存在だ。

 エレア・ベケット曹長はテールガンと呼ばれる後方警戒を兼ねた狙撃手、分隊を率いる男――ミハイル・《アドラー》・シュミッド中尉はセカンドアタッカーというポイントマンを補助しつつ指示を下すポジションであり、本作戦では四人一組のチーム編成で行動する。本来は八人編成であり、他に三名の下士官と一名の尉官が加わるのだが、作戦の性質からして機動性を重視したため今回は不参加となった。代わりに、別の作戦を遂行中らしい。

『目標まで三分です、チーフ』

 パイロットの通信がインカムを通じて耳に届く。シュミッドは了解を返答し、部下に降下準備を促す。彼の指示に従い、部下は一同に起立。パラシュートを背負うと、ゴムボートをタラップ入口付近に運んだ。

 作戦目標の〝ギャングスター〟は、南のリゾート地から離れた密林の先に邸宅を構えている。その場所へ隠密に接近するには、ゴムボートで西側にビーチを迂回して接岸、密林を東に向かい踏破しなければならない。

 ゆえに、島の南西に位置する海上に降下し、そのまま側面へと回るのが妥当な侵入経路と言える。言わずもがな、オスプレイ輸送機で近づき過ぎると感づかれる可能性があるので、降下地点は島から充分に距離のあるポイントだ。

 作戦は〝ギャングスター〟の確保だが、その旨を向こうは知らない。つまり、秘密作戦である。恐らく、上層部は一連の暗殺者に関する情報を入手しようと企んでいるのだろう。犯罪者と交渉するわけにもいかないから、秘密裏に捕まえてネタを吐かせよう――という算段か。

 全員が出撃準備を終えたのと同時に、オスプレイの推進力が減衰し停止する。どうやら降下地点に到着したようだ。

『ポイントに到着、降下開始。チーフ、御武運を』

 報告を合図に、タラップが開放。身を乗り出せば、眼下の海面は遥か遠い。滞空する輸送機の推力を受けて、海面には激しい波紋が生じていた。

 ミハイル・シュミッド中尉が、ゴーサインを出す。ゴムボートの両脇に立つベルニッツ二等軍曹とケラーマン伍長が、まず最初にボートを海面に落とす。次いで、追いかけるように二人もタラップから飛び出した。その五秒後にベケット曹長が続き、最後にシュミッド中尉が降下する。

 パラシュート展開、一時の落下の後、着水。先に降下していたベルニッツとケラーマンがゴムボートによじ登り、ベケットとシュミッドに手を貸す。

 ボートに引き上げられ、上を仰ぐ。自分たちを運んだオスプレイ輸送機が旋回して飛び去っていくところだった。輸送機は、推定作戦終了時刻になるまでは戻ってこない。

 シュミッドは腕時計を見下ろした。

 ――現在時刻、一八時○○分ジャスト。

 国家憲兵陸軍が誇る特殊作戦連隊(SOR:Special Operation Regiment)の作戦が開始された。ミハイル・シュミッド中尉率いる分隊が、〝ギャングスター〟の邸宅を目指す。軍部切っての任務完遂率と戦闘能力を有するこの空挺コマンド部隊(ACG:Airborne Commando Group)が、過去の作戦において致命的な失敗を犯したことはない。

 鷲の名を持つ男が従える精鋭が、夕闇に暮れつつある海を静かに進んでいく。

 海上からの侵入に対して警戒をしていないのか、サーチライトの類はない。ボートが接岸する予定の切り立った崖に、三人の哨兵がいるくらいだ。黒いゴムボートは上手く薄闇に紛れているようで、哨兵がこちらに気がついた様子はない。

 限界まで接近し、シュミッドは曹長に指示を飛ばす。彼女の短い返答の後、構えられたスナイパーライフル――RSASSの銃口から二発の弾丸が射出された。消音器によって抑制された発射音は波音に呑まれ、哨兵の元には届かない。

 放たれた七.六二ミリの高速徹甲弾は哨兵二人の脳髄を軽々と貫通し、一度に二つの死体を生成する。同僚の脳漿が吹き飛んだ光景に意識忘失となった残りの一人も、豪快に脳内をシェイクされて絶命した。

 侵入経路の安全を確保、接岸。手近の岩礁の先端にロープを固定し、ゴムボートを繋ぎ止める。次いでバックパックから少量の爆薬を取り出し、ボートの底に設置した。軍介入の痕跡を残さないためである。時限式爆弾のタイマーは、五分にセット。

 ボートから岩場へ移動し、崖を登る。大した高さではないので、一分強ほどで登頂完了。各自銃口を油断なく構えて、周囲索敵――クリア。

 シュミッド中尉が移動指示、部下が了承。ポジションに従い、戦術隊形を組む。ポイントマンのベルニッツ二等軍曹とSAWのケラーマン伍長が前方警戒しつつ先導。次に分隊統制を執るシュミッド中尉が続いて側面警戒を担当し、殿はベケット曹長が担う隊形を形成する。全員が三六○度警戒しながら進むのは、フォーメーションの基本だ。通常なら分隊支援火器射手は側面警戒を担うのだが、今回は四人編成での戦術隊形なので伍長はポイントマンを担当している。

 二等軍曹と伍長が、先導と支援を繰り返し交互に前進していく。随時進路の安全を確認しながら、インターバルを保ちつつ中尉と曹長が後続。密林の中を迅速に移動。

 密林は使用人の出入りが多いとブリーフィングで聞かされていた通り、トラップの類は皆無だった。ここまで無警戒にも等しい状況を鑑みるに、〝ギャングスター〟を襲撃しようと目論む敵は過去にいなかったのかもしれない。

 崖から一○○メートルほど進んだところで、ベルニッツが左手の拳を顔の横に掲げた。停止のハンドシグナルである。段になっている地形に隠れるように移動し、インターバルの間隔を詰めて密集、進路先の状況を探る。

「――……ッ、――――!」

 前方に、無線機を持った哨兵と彼を取り巻く八人の歩哨が確認できる。共用語でない言語で通信しているため、内容は聞き取れない。〝ギャングスター〟のカリスマ性は国境を越えていると耳にしたことがあるし、恐らく密林の警備に当たっている哨兵は移民なのだろう。所持している銃も、AK-74やAKS-74Uと比較的入手し易いライフルで統一されている。

「――……、………――ッ」

 通信を行っていた哨兵が周囲に指示を出す。その声音には焦りのようなものが混じっているように聞こえた。

「なにかあったようだな……」

 シュミッドが呟いた直後、慌ただしく哨兵ら全員が一直線に密林を抜けていった。彼の言の通り、邸宅で良くないことが起きたらしい。

 すぐに行動せず、しばし待機して歩哨が戻ってこないことを確認してから、身体を物陰から引き離す。段を上って索敵するも、やはり人の気配は感じられない。

「なにがあったんですかね。奴ら、慌てて走っていきましたよ」

「おう、あの様子は普通じゃなかったな。チーフ、心当たりは?」

 振り返るベルニッツの問いに、シュミッドは少しの思案の後、一つの見解を述べた。

「現状況下で一番推測し易いのは、〝ギャングスター〟の元に危険が迫っているということだろう。密林の警備の薄さはカルテルの集会の警備に割かれているからだが、島の西側が無防備になるのを承知で巡回を放棄してまで向かうほどだ。余程の事態が発生したのは間違いない」

 彼の推測に、ベケットが言葉を返す。

「危険……。もしかして、例の暗殺者が現れたとか」

 副官の危惧に、しかしシュミッドは首を横に振った。

「さあな、そこまでは分からん」

 一端言葉を切って、「しかし、」と続ける。

「もし仮に暗殺者が現れたとするなら、俺たちの任務の重要性は格段に上昇する。失敗は許されないぞ。各員、気を引き締めろ」

「「「イエッサー」」」

 分隊は移動を再開する。警戒は怠らずに前進するも、敵の姿は見当たらない。いよいよ、推測が真実味を帯びてきた。

 密林の地面を踏みながら、シュミッドは心中で最悪の状況も考慮する必要があることを悟った。最悪の状況――つまり、任務を失敗する可能性があるかもしれない。

 一連の暗殺者が単独犯でないことは、過去における手際から容易に想像できる。そして、現在の自分たちのように最低でも四人編成のチームで行動しているということも。彼にとって嬉しくないのは、件の暗殺者が特殊部隊レベルの技量を持っている可能性があるということだった。

 推測が真実となれば、その時は十中八九相見えることになる。楽な状況にならないのは明白だ。運が悪ければ、部下に死傷者が出る可能性だってあり得る。

(願わくば、対面する前に〝ギャングスター〟を確保したいものだな)

 シュミッドはそう思いつつも、現実に裏切られる予感が胸中に渦巻くのを感じていた。

 現実は、いつだって優しくない。


   †


 ――二○分前。

 〝ギャングスター〟邸宅上空から、三○○メートルの空域。夕闇に暮れゆく藍色の空に紛れるようにして、一機のブラックホークが飛行していた。ヘリの外部装甲にはステルス加工が施され、側面ドアの銃架にはM134Dミニガンを搭載。隠密性を上げるべく騒音対策のための特別仕様回転翼を採用した、鋭角なシルエットを持つ戦闘型輸送ヘリである。

 特殊作戦用に改修されたブラックホークの中には、完全武装の暗殺者が四人。会話もなく、ただ淡々と銃器類のチェックと装備品の確認に専念している。鼻から下顎までを覆うガスマスク(半面マスク)を装着し、シャープなデザインのシューティンググラスを掛けた一人以外は、顔面を全て覆う形状のガスマスク(全面マスク)を装着している。

 その半面マスクを付けた暗殺者――アーテムの鼓膜に、無線機を通した男声が届いた。低くも渋い、いつもの作戦指揮官のものだ。

『準備はいいか。作戦を説明する』

 通信を聞きながら、アーテムはHEC-68RASの銃口に消音器を取りつける。今回は周囲に襲撃が露見する可能性が低い密林地帯での作戦だが、木立が並ぶ視界の悪い地形だからこそ、銃声を抑制するサプレッサーが有意となる。

『今回の標的は、マルコ・ボナーロという老人だ。各自、ブリーフィングの通りに行動しろ。対象の情報をPDAに送信する』

 言葉の直後、左前腕の個人情報端末が該当データの着信を感知。アーテムはディスプレイに指先を走らせ、受信した情報を開いた。

『標的は今日の裏社会の秩序を確立した大物であり、人望が厚い。奴が従えるボナーロファミリーは、構成員一万にも上る大規模組織として有名だ。加えて、本日一七三○時より麻薬カルテルの集会が開かれており、邸宅の警備人数は一○○人を超えている。暗殺するには不向きの人数だが、護衛の大半は素人だ。お前たちならば、問題ないだろう』

 PDAの画面上に、『Marco Bonnaro』と表示された名前と共に皺の多い老人の顔写真が映った。目つきは多少鋭いものの、紳士のような口髭が柔和な印象を与える顔だ。

『今回は襲撃任務のため、大々的な戦闘を許可する。必要であれば、皆殺しにしても構わないが、標的を見逃すようなヘマは許さん。分かっているな?』

「了解」

 返答して、アーテムはレッグホルスターから愛用のリボルバーを抜き取った。銃身をスイングし、マグナム弾が六発入るシリンダーを振り出す。膝の脇に置いた.三五七マグナム弾の弾薬箱から一発ずつ弾丸を摘まみ上げ、丁寧にシリンダーへと装填していく。

 大口径の弾を込める度に、アーテムの心は無色透明の殺意に染まっていった。六発を装填し終え、シリンダーを戻す。確かな質量を持った愛銃の重みと、〝ロイヤルブルーフィニッシュ〟と称される深みのある青を帯びた黒色の銃身の側面に刻まれた〝A.S.A.P〟の刻印とが、彼の精神状態を限りなく〝無〟へと導く。

 自分の集中力が高まっていくのを客観的に感じつつ、リボルバーをホルスターへと収納。腰の弾丸ポーチの中から複数のスピードローダーを取り出し、先程と同様にマグナム弾を詰める。スピードローダーとは、装填速度の遅い回転式拳銃の欠点を補うために使用される専用の装填器具のことである。これを用いると、かなりの時間短縮を図れる。

 黙々とタクティカルベストにHEC-68RASの三○発マガジンを装備するアーテムの無線機が、パイロットの声を彼に伝えた。

『降下一分前』

 その報告を待っていたように、指揮官の声が後に続く。

『先述したように、マルコ・ボナーロは大物の犯罪者だ。奴はファミリーの総力を挙げて、現政治体制からの武力革命を計画している。つまり、女帝を殺そうと画策しているということだ。これは、許されない愚行である』

 感情の感じられない口調で、暗殺理由が語られる。そして、決まり文句。

『我らが忌む敵に、人権はない。背信の咎人に断罪をくれてやれ』

 言葉を合図に、四人の暗殺者が一斉に起立。フックを床面に固定し、滞空するヘリの外にロープを放る。

『ゴー、ゴー、ゴー』

 パイロットに急かされ、順次降下を開始。一○秒強で、ガスマスクを被った暗殺者の展開が完了する。油断なくカービンの銃口を巡らせて索敵――クリア。

 ブラックホークが飛び去っていく気配を頭上に感じながら、四人は西に向かって移動を始めた。邸宅から大分離れた地点に降下したため、目的地までは徒歩で移動することになる。

 四人が降下したのは、人の立ち入りが禁止されているビーチから三○メートル付近の地点――密林の入口近くだった。木々の開けた空き地のような場所である。ここから五○○メートル西に歩けば、目的の邸宅へと到達可能だ。

 前進する。今のところ、敵の気配は窺えない。恐らく、現在地が巡回ルートに含まれていないからだろう。拠点防衛の配置として、邸宅に近くなれば近くなるほど警備の数は増える――ということは、警備の数で目的地との距離が目視できるということだ。

 アーテムは、全ての神経を総動員して警戒に努める。襲撃が漏れて〝待ち伏せ〟を食らう可能性はゼロに等しいが、視界の悪い密林において警戒は有り余るくらいが丁度いい。

 今回は襲撃作戦なので、アーテムが持つHEC-68RASの銃身には戦闘補助用のアクセサリが装備されていた。側面のレーザーポインタ、上部のリフレックスサイト、下部のUGL36グレネードランチャーなどレイルシステムには攻撃的なアタッチメントが組まれ、携行弾数も通常より多めである。

 邸宅に到着するまでは隠密行動を徹底し、到着後は正面突破を敢行。標的に脱出の暇を与えずに拘束、粛清を下す運びを予定している。無論のこと、あらかじめ相手の脱出手段を封じておくことも忘れない。

 アーテムやその他前衛担当のメンバーに爆破知識はないため、爆破は戦闘工兵のジャックフロストが主に担当することが多い。彼は部隊の中で最も幼い顔立ちを残した優男風の容姿を持つが、四人の中では担う役割のせいか、人一倍作戦中に人命を奪う兵士である。外見とは裏腹に、殺しに対しては四人の内で一番淡白な認識を持っている。

 出発から三分後、先頭を歩いていたラオディが立ち止まった。敵を目視したらしい。四人は、即座に木陰に隠れた。ラオディが振り返り、ハンドシグナルを伝達。

<敵兵三人>

 彼の合図を受け、アーテムが滑るように移動、ラオディの傍へ。位置についたアーテムに、ラオディが問う。

「どうするよ、相棒。避けては通れなさそうだぜ」

「そうだな……。隠密に事を運びたかったけど、仕方ない。始末しよう」

「そうこなくっちゃな」

 相棒の言にニヤリと嬉しそうに口角を吊り上げ、ラオディは銃撃し易い場所へ移動。アーテムは彼がいた木陰にカッツェを呼び、彼女に索敵を依頼する。

 数秒後、カッツェは首を横に振った。

「あの三人以外に、心音はしない。少なくとも、私が感知できる距離内には他の哨兵はいないようだ」

 彼女の拡張知覚たる聴覚の有効可聴範囲は、直線で最大半径二五○メートルにも及ぶ。その彼女が感知しなかったということは、現時点において進路上――つまり四人の直線上には敵がいないということを意味している。

 だが、密林の警備が手薄なはずがない。ということは、偶然的に彼女の可聴範囲内に別の哨兵がいなかった――即ち、巡回ルートが感知直線上と重なっていない、或いは邸宅周辺の警備に大人数を割いているかのどちらかである。恐らく、可能性としては後者が有力だろう。まあ、可聴範囲を直線に絞っての結果なので、放射状に感知範囲を広げれば、もしかすれば結果が違うかもしれない。油断は禁物だ。

 とにかく、今は前方の哨兵三名を始末することが先決である。

 ラオディは既に射撃位置についており、カービンの照準を一人に定めていた。アーテムはカッツェに指示を出し、横一文字に並立してる哨兵の中央に狙いを定めさせ、自分は一番左の歩哨に銃口を向ける。

 囁き声を拾うスロートマイクのスイッチを押して、通信。

「スリーカウント……」

 三から二、二から一。時間にして数瞬が、それ以上に感じる。

「……撃て!」

 刹那、三人の暗殺者が必殺の銃弾を見舞う。消音器に抑制された発射ガスの音が、哨兵に鼓膜に届くことはない。引き金を絞った瞬間に吐き出された二発の六.八ミリ弾と一発の七.六二ミリ弾が、寸分違わず三名の歩哨の脳髄を吹き飛ばし、湿った密林の地面に赤黒い水を散らした。その粘り気のある水溜りの上に、ドシャリと濡れた音を伴って三つの死体が転がる。声を上げるどころか、吐息すら許さない鮮やかな手際だった。

 死体を跨ぎ、前進する。

 青々と茂った木々の葉は薄暗い時間帯も相まって、ひどく視界を不明瞭にしている。しかしそれは相手も同じであり、けれども同様にハンデを負っているという意味ではない。ハイブリッドとして感覚を拡張された四人にとって、この程度の夕闇は不利に成り得ない。

 従って、邸宅との距離が近くなる度に増す警備の厚さも、半人半機械の暗殺者の足を止めるには至らなかった。

 先頭を行くラオディの肩越しに、邸宅が見えた。大富豪の別荘が霞むほどの敷地面積を誇り、巨大な母屋を中心に四棟の離れ家が〝回〟字型に建設されている。人里離れた場所ゆえの広さだ。PDAの設計図によれば、母屋の地下にはプールやダーツなどが完備され、まさにVIP御用達の一流ホテルのように設備は整っているらしい。

「流石は、裏社会の大物。いいトコに住んでやがるぜ」

 巨石の陰から前方を窺うラオディが、恨めしそうに呟いた。彼の言う通り、この邸宅なら不自由のない生活が満喫できることだろう。少しだけ、羨ましい。

 四人の後方には、ナイフによって斬殺された四つの死体が横たわっていた。邸宅との距離は一○メートルほどしかないので、より確実な手段を行使したのだ。

 今回携行している消音器は市販のものであり、教団の兵器部門によって開発されたものではないので、銃声を一○○パーセント完全に殺すことはできない。通常の消音器は、発射ガスを抑制し拡散させる装備であり、漫画や映画のような完全消音性能を持たないのである。間合いが近く、発見される危険性があるのなら、音の出ないナイフによる暗殺が最も安全かつ妥当な殺害方法と言える。

 よって、死体の喉元は一息に掻き斬られたり、胸元を幾度にも亘って刺されたりと、一様に苦悶の表情を浮かべて絶命していた。力いっぱい開かれた目の瞳孔は虚無を映し、亡骸の体温は流出する血液と共に低下していく。しかし、人が物へと変わる過程に目を向ける〝人間〟など、ここにはいなかった。

 アーテムは、岩陰から邸宅を観察する。母屋を囲む四棟の離れ家は繋がっていないため、〝回〟の四隅に当たる部分には車一台が優に通れるほどの隙間がある。歩哨はその隙間にすら立っており、如何なる者の侵入も許さない強固な警備体制を敷いていた。まあ、名立たる麻薬カルテルのトップが一様に円卓を囲んで会合中なのだから、当然と言えば当然である。母屋の屋上にも二名の警備が配され、警備は厳重。

 問題は、どのようにして内部へ侵入するかだ。

 今回は襲撃任務のため、標的の〝ギャングスター〟のみならず、遭遇する全ての敵を殺害しても構わない。しかし、計画もなく堂々と襲撃しようものなら、間違いなく標的は逃亡してしまうだろう。

 まずは、足を潰すのが先決――。

 戦術を思案して、アーテムは振り返った。三人の同僚の視線が、一斉に彼へと集まる。

「ブリーフィングの通り、最初に全ての逃走経路を破壊する。カッツェとジャックフロストは各離れの地下にある駐車場へ潜入し、対象車輌に爆弾を仕掛けてくれ。僕とラオディが保安室から車輌の情報を送る。分かっているとは思うけど、できるだけ殺傷は控えてほしい。面倒は起こしたくない。工作が完了次第、二人は母屋裏口から侵入。Bルートを経由して僕らと合流し、標的がいるセーフルームまで強行突破する」

 アーテムの作戦に、三人は首肯して了承の意を伝える。

「状況開始」

 言葉を合図に、暗殺者は二手に別れた。爆破工作を担当する二人は左方へ移動、保安室を襲撃する二人は右方から回り込む。

 アーテムとラオディは、〝回〟の字の向かって右下角の隙間から侵入することにした。この隙間にも哨兵が四人、短機関銃――UZIやMP5Kを装備して警備に当たっている。しかし、傭兵や憲兵のような戦闘経験者ではなく素人のようで、玄人特有の張り詰めたような空気は感じられなかった。

 アーテムは木陰から片目だけを覗かせて窺う。数々の暗殺をこなしてきた彼らにとって、素人四名を隠密に瞬殺することなど容易い所業である。しかし、母屋の屋上の巡回に当たる哨兵に発見されずに排除するのは、些か困難と言えた。仮に排除できたとしても、屋上の哨兵は忽然と消えた仲間について疑念を抱くことだろう。

「迂闊には手を出せないな……」

 そう零す一方で、しかしこんなところで油を売っている暇はないとも思う。地下駐車場へと向かった二人に、爆破対象車輌の情報を送らなければならないのだ。時間が掛かれば掛かるほど、二人の危険度は増してしまう。

 目的の保安室は、視線先の歩哨から一○メートル弱の位置に建っている。PDAの設計図によれば、内部に地下へと通ずる昇降機があるらしい。昇降機は地下駐車場とは別のフロアへと繋がっていて、どうやら母屋の地下娯楽施設に行けるようだ。

 別動する二人との合流地点への最短経路は、その地下道を進むのが妥当である。つまり、尚更目の前の哨兵を排除して保安室に到達しなければならないというわけだ。

「相棒、いつまでもこうしちゃいられねぇぜ」

 横でラオディが囁く。彼の言う通り、これ以上時間は掛けられない。発見される危険性覚悟で排除するしか、方法はないのか――。

 アーテムが決断を下そうとした直後、哨兵らに動きがあった。四人の内二人が、離れ家の方へ歩いていく。それは目の前の警備だけではない様子で、目を凝らせば屋上の警備も同様に一名が母屋の中へと入っていく。警備人員のシフトチェンジかもしれない。詳しい理由は不明だが、活路は開けた。

 アーテムは、ラオディと共に二名に減った歩哨に近づく。歩哨はこちらに背を向けているので、接近は簡単だ。歩み寄りつつも、ラオディが視神経に集中を注ぐ。彼の拡張知覚たる視覚は、明順応と暗順応の切り替えの高速化などを筆頭とした能力向上を体現していた。鳥のように、焦点を拡大する視力増強も可能だ。

 先導するラオディの背後から、アーテムは襲撃の機会を待つ。歩哨との距離は二メートルほどしかない。囁き声すら届く距離で、二人の暗殺者が息を潜める。

 ラオディが振り返り、頷いた。彼の視覚が、屋上の歩哨が背中を晒したのを視認したのだ。警備を見張る目がなくなれば、排除は赤子の手を捻じるようなものである。

 アーテムは左腰に差した大振りのナイフを右手で掴み取り、逆手に握る。摺り足で地面を滑るように移動し、一閃。左手で歩哨の口元を覆いながら、刃先を相手の胸元目掛けて振り下ろす。

 水分が豊富なフルーツを突き刺した時のような感触が、手に伝わる。呻いてもがく歩哨の息の根を止めるべく、一旦引き抜いてからもう一度――刺す、刺す、刺す。

 刃を刹那で三往復させられ、歩哨は息絶えた。胸元から流れ出る血液が地面の砂利を彩る前に、アーテムは死体を離れ家の陰に引きずり込んだ。屋上の哨兵に発見されぬようにするための措置である。

 死体を隠し終えて戻ると、ラオディが刺殺した歩哨の身体を建物の壁に背を預けるような形で座らせていた。次いで、死体の上着ポケットから煙草を取り出し、それを唇に捻じ込んで喫煙する様子を偽装する。確かにこれなら、万が一屋上の哨兵が死体を目にしても、すぐには襲撃に感づくまい。

 屋上の見張りがこちらに視線を向け直す前に、二人の暗殺者は俊敏な動きで移動を再開。進行方向右側の離れ家の石壁に沿うように前進、〝回〟の字の左下の哨兵に気取られないよう注意しながら進む。

 アーテムとラオディが侵入したのは母屋の裏側らしく、首を左に向ければ背丈のある草花が茂った広大な中庭が目に入る。中庭には幾つもの豪奢な噴水が設置され、水の演舞を見る者に楽しませていた。噴水が吹き上げる多量の水と草花のおかげで、哨兵には発見されずに済みそうだ。

 間もなく、保安室へ到達。〝回〟の右上の見張りとの間には、保安室脇に乱雑に積まれた木箱があるので、こちらが彼らの視界に映ることはない。

 保安室のドアの両脇で待機し、襲撃のタイミングを計る。向かって右側に控えるラオディが、レッグホルスターから消音器のついたハンドガン――AP45A1を抜き取った。銃把を右手で握りながら、左手でコンバットナイフを掴む。鞘から抜いたナイフの柄を逆手のまま握り込み、鉄製の扉を叩いた。

 多少、荒々しいノックではあったが、内部の人間は不審がらずにドアを開けてくれた。扉が僅かに引き開いた瞬間、ラオディは扉を思いっきり蹴り開け、唖然とする歩哨の頸部にナイフを突き立てる。そのまま歩哨を肉の盾とし、ハンドガンの銃口を襲撃を悟った二名の哨兵に定めた。

 立て続けに二度、引き金が絞られる。亜音速で放たれた四五口径の弾丸が、綺麗にターゲットの眼球を破壊して頭蓋を貫通し、柔らかい脳を派手に掻き混ぜてから後頭部を後にした。為す術もなく、二名の哨兵は死に至る。

 ラオディは左手のナイフを相手の頸部から引き抜き、地面に蹴り倒す。彼は、致命傷を負って痙攣する歩哨の頭部に静かに弾丸を見舞った。

 アーテムは閉めた鉄製の扉から離れて、死体を跨ぎコンソールの前へ。キーボードを連続して叩き、ゲートの通過記録を探す。程なくして、該当データを見つけ閲覧、その情報から爆破対象車輌を検索する。爆弾を仕掛けるのは、各麻薬カルテルの長の車だけでいい。護衛の車に仕掛けても、殺せるのは雑魚だけだ。無駄な爆薬は持ち合わせていない。

「……これだな」

 該当データをPDAにコピーするため、アーテムはUSBケーブルを双方に連結。数秒で完了し、データを別動の同僚に送信。ケーブルを閉まって、アーテムは昇降機の呼び出しボタンを押した。上がってきた昇降機内部の安全をラオディが確認し、乗り込む。

 下降ボタンを弾いて、昇降機が地下フロアへと下りていく。

 二人の暗殺者を乗せて――。



   /3

 密林を抜けた先、邸宅の全容が視界に飛び込んできた。豪邸と称するには表現が足りないほど、大きな建造物である。これで地下にもフロアを持つというのだから、〝ギャングスター〟の威光は相当なものなのだろう。シュミッドには、邸宅の広さが彼の権力と威信の象徴に見えた。

 密林での哨兵らの行動に危惧を覚えて急行したACG一行は、鋭く響く連続した銃声を鼓膜に捉えていた。サブマシンガンの連射音とアサルトライフルの短射音。素人の耳には同等に聞こえるかもしれないが、戦闘のプロたる彼らにはその違いが明らかだった。

「この音……。やはり、例の暗殺者でしょうか」

「そうらしいな。俺の勘違いであって欲しいと思ったが、既に襲撃は敢行されているか」

 呟くシュミッドの表情が、悔しそうに歪む。こと戦場において、自分の悪い予感はどうしてこうも的中するのか。その鋭敏な嗅覚は数多の死線にて獲得したものであったが、彼には戦火によって研鑽されたこの動物的本能が、度々恨めしく思える。

 とにかく、ここで地団太を踏んでいても仕方がない。

「全員、状況開始だ。これより邸宅内へと突入し、暗殺者よりも先に〝ギャングスター〟を確保する。抜かるなよ、奴らは爪牙を備えた亡霊だ」

 中尉の言葉に、ベルニッツ二等軍曹がジョークを飛ばす。

「ゴーストバスターズでも呼びますか、チーフ?」

「いいですね! それなら我々の仕事も軽減されて、休暇が早まります」

 便乗したケラーマン伍長を、ベケット曹長が窘める。

「くだらないことを喋る前に、準備をしなさい。あなたたちは軍で軽口を学んだの?」

「申し訳ありません、〝氷の女傑〟」

 ベルニッツが簡易的な敬礼つきで謝罪する。〝クール・ビューティ〟とは、小隊内での彼女の渾名だ。冷たい美貌と男勝りな性格を言い得た通称だが、面と面向かって言える隊員は少ない。つまり、それほどに現分隊のメンバーの親交は深いと言えた。

 上官に倣って、ケラーマンも軽い調子で謝罪する。

「以後、気をつけてジョークを言うようにします」

「お利口さんね。後でお姉さんがお菓子を買ってあげるわ」

 やれやれと首を振りつつ答えて、ベケットはスナイパーライフルをスリングで背中に回した。代わりに、MP7A1の伸縮式ストックを引き伸ばして装備する。これからは接近戦になる。長物のRSASSは、狭い室内や短い間合いでは邪魔になるだけだ。

「良かったな、ゲイリー坊や。アイスキャンディーはソーダ味がいいかい?」

「軍曹、自分を子ども扱いしないでください。自分の好みは氷砂糖です」

「奇遇ね、私も好きよ。どうしてかしら」

 〝キャンディー(candy)〟とベケットの渾名を掛けたジョークの言い合いは、シュミッドの一声で終わりを告げた。

「そこまでにしろ、諸君。続きは帰りの機内でするように。返事は?」

「「「イエッサー」」」

「よし、いい子だ」

 言外に集中しろと命じられて、部下の顔から緩んだ気配が消え失せる。一斉に精鋭の空気を纏い、各自が担当するポジションに就いた。

 戦術隊形を組んで移動する。目標は母屋にいる可能性が高いが、暗殺者の襲撃を受けた今となっては、正確な居所が予想しにくかった。セーフルームへ避難している可能性もあるし、各離れの地下駐車場に停まっているいずれかの車で脱出しようとしている可能性もある。

 どのように行動するかで、作戦の成否が大きく左右される局面である。慎重に判断せねば、事は高確率で失敗となってしまうだろう。それは防ぎたい。

 考えた挙句、シュミッド中尉は地下駐車場を目指すことにした。敵対組織の襲撃程度ならばセーフルームに避難し、部下に迎撃を命じるだけで事足りる。しかし、相手が腕の立つ暗殺者ともなれば、話は大いに異なってくる。最初はセーフルームへ隠れるだろうが、やがて劣勢を感じて脱出を試みるはずだ――と、シュミッドは踏んだのだった。

 唯一の不安要素は、この戦闘がいつほどから開始されたのかという点である。開始時刻から時間が経過していれば、彼の推測の通りに事態が動く確率が高い。だが、もしもそう経過していないのであれば、シュミッドの推測とは裏腹になる確率が高くなる。むしろ、暗殺者との遭遇が遅れるので妨害がない分、彼らに優位に事態は運んでしまうだろう。

 賭けに勝つか、負けるか――。

 中尉が思案していると、前を行く二等軍曹と伍長が正面の離れ家――〝回〟の左辺に当たる――の地下駐車場から飛び出てきた哨兵数名と接敵した。

「コンタクトッ!」

 叫びつつ、銃撃。HK416とIARから吐き出された五.五六ミリの弾幕が、哨兵数名を瞬時に穴だらけにする。突然現れた別の襲撃者に反応できず、哨兵らは全身から鮮血を吹き上げて地面に伏した。

 眼前の脅威の排除を確認して、ベルニッツとケラーマンが駆け足で地下駐車場入口付近の柱に向かう。今の銃撃で別勢力の来訪が知れた。激しい銃撃戦になるだろう。

 分隊支援火器を持つ伍長以外の面々の銃器には、皆一様に消音器が装着されていたが、今では全員がそれを外してウェビングへと収納していた。ウェビングとは、軍装のベルトと装具袋一式のことだ。個々のパーツがストラップで繋がっており、それに武器、弾薬、水筒、糧食などを装備できる。

 消音器を銃口から外すのは、襲撃が知れて隠密行動が意味を為さなくなったからではない。無論のこと、着脱すれば弾道性能は向上するが、それは四メートルから八メートル圏内の近距離戦ではあまり大差ない。本来の理由は、銃口先端部に設けられたフラッシュハイダー――銃口から噴出する発射炎による射手の幻惑を防ぐ部品――と取り付けた消音器が、連続した射撃による熱で溶着してしまうのを防ぐためである。

 短い連続した戦闘では問題ないが、〝ギャングスター〟のマフィア勢力、暗殺者、ACGという三つ巴の乱戦に発展する可能性の高い現状況下においては、長い連続した戦闘になる確率が高いだろう。

 サプレッサーを取り外した銃口で、中尉は地下駐車場奥から走り出てきた哨兵に照準を定めた。身を隠すコンクリート製の柱から右半身を覗かせて、引き金を絞る。銃床を通して肩に伝わる確かな破壊の衝撃が、視界に映る標的の身体から吹いた血飛沫を以て、彼に威力のほどを告げる。

 床に跳ねる薬莢の金属音と重く耳朶に触れる銃声が、場内を支配する。飛び交うのは銃弾と怒号のみ。戦闘に不慣れであろう相手の哨兵たちにとっては、一度に多方面から腕の立つ襲撃者が攻めてくるなど、混乱に極みに違いない。

 恐らく、MP5KやUZIを手に必死の抵抗を示す彼らの全てが、『今日自分が死ぬかもしれない』という思いに駆られることはなかっただろう。今日もいつも通りの一日になると思い込んでいたことだろう。

 しかし、《アドラー》・シュミッド中尉率いる空挺コマンド部隊の精鋭は、無慈悲に――けれども平等に死を振り撒いていく。誰一人として残すことなく、対する哨兵を死神の元へと送り届ける。

 五分と経たない内に、地下駐車場内は静寂となった。駐車する車の陰には、幾人もの哨兵の射殺体が転がっていた。

 その光景に感慨も抱く間もなく、中尉は部下を従えて奥へと進む。遠い銃声は、まだ鳴り止んでいない。つまり、暗殺者は未だ〝ギャングスター〟の元へ辿り着いていないということだ。

 シュミッドは離れ家内部へと通じる扉の前まで来ると、小窓から中を窺った。慌ただしい様子は見て取れるが、人の気配は然して感じられない。どうやら、今自分たちがいる地下駐車場には〝ギャングスター〟の車はないらしい。

 シュミッドは、再び思案する。

 このまま各離れ家の地下駐車場を虱潰しにしても、作戦目標たる老人を確保することは難しいように思える。そもそも、自分が眼前の駐車場を制圧したのも、脱出を試みる〝ギャングスター〟と遭遇できればという賭けでもあったのだ。

 それに、各駐車場を捜索したとして、〝ギャングスター〟が乗車する車が分からねばどうしようもない。戦場において、作戦を成功へと導くのは第一に情報である。正確な情報を持っている側だけが、確実な戦術を展開することができる。

 しばしの思案の後、シュミッドは基本に立ち返ることにした。

「よし、このまま無駄に動いても埒が明かない。母屋の脇にある保安室へ向かおう。そこで情報を入手する。監視カメラの映像も確認できるだろうから、暗殺者が我々の目標にどれだけ近づいているのかも確認するとしよう」

 彼の言葉に、三人の部下は首肯を返した。命令受諾、行動開始。

 前衛の二人――ベルニッツとケラーマンが先行する。扉を開き、右側に進路を取る。通路は人が慌ただしく動いた形跡が残っており、家具や壁に掛けられていた絵画などが乱雑になっていたり、床に敷かれた絨毯がたわんだりしていた。しかし、件の暗殺者はこの離れ家を通っていないのか、銃撃戦の跡は見当たらなかった。

 二人の部下に後続する形で、シュミッドは離れ家内部を隈なく観察する。ここは既に敵陣地の中なのだ。いつどのタイミングで攻撃されるかは、分からない。不意を打たれて全滅などという情けない死に様は避けたい。

 人が宿泊できる部屋を持つからか、離れ家の内部は明るく清潔だった。構造も入り組んでないが簡素ではなく、白い壁には絵画や意匠のある電灯が掛けられ、ベージュ色の天井には小さなシャンデリアのような電灯まで吊るされている。こうしたインテリア各種を見るからに、〝ギャングスター〟は詳細に妥協しない人間のようだ。

 一同が壁脇に置かれた古時計の傍を通り抜けた時、前方に接敵。

「敵だ、一二時方向に三名!」

 ケラーマンが叫び、後ろのシュミッドとベケットに知らせる。彼の報告を耳にした瞬間、各自は急いで物陰へと隠れる。二等軍曹と伍長は廊下両側にある柱、中尉は家具の後ろ、曹長は古時計の陰といった具合だ。それぞれ大した強度は望めない遮蔽物だが、三名程度との撃ち合い程度なら充分である。

 敵もこちらに気がつき、銃を乱射してきた。発砲音が、先の哨兵とは違う。MP5KやUZIよりも重いこの銃声は、AK-74だ。恐らく、密林で見かけた警備だろう。怒声を上げているが、やはり聞き取れなかった。

 相手の銃撃の合間を縫って、反撃する。廊下内に、銃声が鳴り響く。しかし、時間はそう長くはない。

 《シャドウ》・ベルニッツ二等軍曹のHK416から飛び出した五.五六ミリ弾が、突撃銃をデタラメに撃つ歩哨の頸部を貫いた。僅か右に逸れた弾道は、首を切り裂くような銃創をもたらす。爆発したように避けた頸部から、太い血管と肉が飛散。鮮血を散らす。

 次いで、《ラントヴィルト》・ケラーマン伍長のIARが吐き出した大量の銃弾が、ガラス製の棚に隠れていた哨兵二名に殺到した。遮蔽物諸共、破壊。二名は蜂の巣となる。

「クリア!」

 制圧確認を報告、二人が前進。警戒を維持しつつ、シュミッドとベケットが続く。周囲に神経を巡らせてはいるものの、進行速度は速い。数分と待たずして、離れ家の外に出た。

 建物から出たことで、銃撃戦の様子が音として鮮明に伝わってくる。発砲音が密集している場所は、無論のこと母屋である。広大な面積を有する母屋だ、暗殺者も未だ〝ギャングスター〟へと至っていないらしい。

 シュミッドは、離れ家同士を繋ぐ通路の端から前方を見やった。このまま前進して、もう一つの離れ家を制圧するのは時間が掛かる。自分たちが遭遇した敵の数が少ないことから推測するに、大半の哨兵は暗殺者の迎撃に向かっているのは想像に難くない。だが、悠長に構えていられるほどに事は甘くないだろう。

「ここからは、中庭を抜けていく。《シャドウ》、《ラントヴィルト》、先導しろ。警戒を怠るなよ」

 指示を下して、油断なくACRを握り締める。前方は二人に任せ、自分は側面警戒に務める。後方はベケットの担当だ。彼女なら、敵に背後から撃たせるようなチャンスを与えまい。優秀なスナイパーは、野生の勘も研ぎ澄まされているものだ。

 豪奢な噴水や背丈の高い草花が茂る中庭は、視界を不明瞭にする。どうして金持ちという生き物は、何事にも壮大さを求めるのだろうか。理解に苦しむ。

 しかし、視界が悪いのは相手も同じだ。ならば、より戦闘経験のある側の方が索敵に優位である。そういった面で言えば、中尉のチームは敵よりも遥かに優れている。

 中庭に茂っているのは、全長二メートルに達する向日葵だった。トウモロコシ畑のように密集して植えられた向日葵は、視界の八割を埋め尽くす。開けているのは、黄色い花弁の咲く高さ――要するに空しか見えない。

 前を行く前衛二人の背中を見失わぬよう注意しつつ、シュミッドは全神経を研ぎ澄ます。敵の大半が〝ギャングスター〟の護衛に回っているとはいえ、当にこちらの存在は知れていることだろう。離れ家内部で接敵した三名の哨兵らは、第三勢力の偵察と足止めが目的で差し向けられた可能性が高い。

 だとするならば、数で勝る相手側はこちらの足取りを血眼になって捜している――そう考えた方が妥当か。自分が向こう側の現場指揮官だったら、暗殺者の迎撃チームから人数を割いて母屋周辺へと哨兵を巡回させる――と、シュミッドは脳内で相手の出方を探っていると、鋭敏化した彼の皮膚感覚がなにかを直感的に感じ取った。

 方向は、左。

「――ッ!」

 視線をそちらに向けた刹那、林立する向日葵を掻き分けるようにして一名の歩哨が飛び掛かってきた。手にしているのは、大振りの鉈。

 しかし、伏兵の出現に対し、《アドラー》・シュミッド中尉は冷静だった。歩哨が振り上げる鉈が振り下ろされるより早く、彼はACRの銃口を相手に向ける。けれども、引き金が引かれることはない。その代わりに、中尉は突撃銃を両手でしっかりと保持しながら直線的に突き出した。

 銃身の右側面を上にして突き出されたACRのハンドガード下には、鋭利な銃剣が取りつけられている。峰に鋸状の刃を持つその刃先が、今にも鉈を中尉の首筋へと叩きつけようとしていた歩哨の喉元に突き刺さった。

 気道を貫かれた歩哨は、口から鮮血を溢れされる。そして、濡れた呻き声を上げ、鉈を振りかぶったままの形で跪いた。シュミッドの突撃銃を引き戻す動作に連れて、銃剣が敵の喉から赤黒い刀身を覗かせる。

 喉を紅で染めた歩哨の双眸が虚空を映し、仰向けに倒れた。数本の向日葵がその下敷きとなり、群生する緑の視界に少しの余白を形成したところで、前を歩いていた二人の部下が傍まで引き返してきた。

「チーフ、御無事ですか?」

 声に若干の焦燥を滲ませて、ベルニッツが問う。恐らく、伏兵の存在に気がつかなかったことに負い目を抱いているのだろう。

 彼のそんな心の内を否定するようにして、シュミッドは頷く。

「ああ、心配ない。……しかし、ここは危険だな。早く抜けて保安室へ行こう」

 再度、警戒を怠るなと告げてから、前進のハンドシグナルを追加する。この場で立ち往生するのは危険だ。今ので、周囲に哨兵が潜んでいる可能性が生じた。そんな所に長居はしたくない。

 それから数分して、無事に一行は保安室へと到達した。閉じられた鉄製の扉は、内部の音を完全に遮断しており、様子を窺い知れることはできない。

 中尉は、伍長と二等軍曹に無言の指示を飛ばす。二人の優秀な部下は、彼が指し示した位置で待機し、突入準備。後方の安全を確認した曹長が中尉の肩を叩き、二等軍曹に合図する。

 直後、扉を蹴り開いて一斉に突入。各々が銃口を室内に巡らせるも、そこに生者の姿はない。あるのは、床に横たわった二つの射殺体と一つの刺殺体だけだ。特に激しく争った形跡も見当たらない。

「クリア!」

 部下の声を聞きながら、シュミッドは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。この手際、一瞬にして三人の相手を反撃の隙を与えずに殺している。こんなことは、まず素人には為し得ない。

 ――暗殺者の仕業だ。

「……三名の死体、即死ですね」

 ベケットが死体を見下ろして言う。彼女の言葉に、シュミッドは「ああ」と短く答える。その顔は渋いままだ。

 チーフ? と振り返るベケットに対して、シュミッドは静かに事実を告げる。

「悪い予感がまた的中したらしい。奴らの実力は、間違いなく我々と同等だ。そして、保安室が既に制圧されている状況を鑑みるに、暗殺者は〝ギャングスター〟に迫りつつある」

「それじゃあ、時間がないんじゃ――」

 その時、ケラーマンの声を遮るようにして轟音が保安室を揺らした。

「なんだッ?」

「爆発か……?」

 辺りを見回すベルニッツとシュミッドに、ベケットの声。

「チーフ! これを見てください!」

 彼女がコンソールを操作して、監視カメラの映像をディスプレイに映し出す。そこには、濛々と立ち昇る黒煙で暗くなった地下駐車場の光景があった。薄暗い中で、黄色と橙色を内包した赤い炎が燃えている。炎上しているのは、黒の高級車のようだ。

 ベケットに命じて他の駐車場の映像も見てみれば、どれも同じく車が炎上している。

「これは……」

 呟いて、シュミッドは珍しく舌打ちを漏らした。常に冷静なこの男が、今は心中を激しい情動に支配されていた。

 車の爆破が示唆するのは、つまり暗殺者が敵の逃げ足を封じたということだ。襲撃を円滑にし、〝ギャングスター〟殺害を確実にするために、奴らは保安室のゲート記録から大物が乗車する車種を選定し、爆弾を仕掛けたのである。

 この組織立った戦略と実力。やはり、暗殺者は複数で構成されるチームであり、そしてその個々人が玄人の技術を有しているのは疑いようがなかった。

 シュミッドは、心を落ち着ける。情のままに行動すれば、勝てる戦いも勝てないのは然り。現場指揮官たる自分には、常時適切な判断が要求される。

 ――急がねばなるまい。

「皆、聞いてくれ。これより、我々は母屋への突撃を敢行する。行く手を塞ぐ一切の障害を排除し、迅速に〝ギャングスター〟を確保する。各員、気を引き締めろ。暗殺者に辛酸を舐めさせてやれ!」

 国家憲兵陸軍特殊作戦連隊、空挺コマンドー部隊。

 鋭兵が今、動き出す。


   †


 幾人目か分からない歩哨を撃ち殺して、アーテムは直感にも似た本能的感覚に僅かの引っ掛かりを覚えていた。

 合流を果たし、四人は着実に〝ギャングスター〟との距離を縮めつつある。事実、目標のセーフルームまで残り数十メートルほどだった。守りを固める警備の数は凄まじく、自分たちがハイブリッドのような人外でなければ死んでいたかもしれない。

 しかし、その厚さがここにきて薄くなった気がするのだ。最初は錯覚かとも思ったが、やはり警備の数が交戦当初より減っている。襲撃者が主人の元へと迫りつつある状況で、他方へ人員を割く余裕などないはずである。

 アーテムは、直感した。

 ――他の勢力が動いている。

「なあ、アーテム」

 そんな彼の思考を裏付けるようにして、傍らで無骨なバトルライフルを操るカッツェがこちらを振り向いた。七.六二ミリの銃弾が二○発入った弾倉をバトルスーツのポケットから取り出し、装填されていたものと交換する。銃身から抜き取ったマガジンは捨てずに、先のと入れ替わるようにして弾薬ポーチへと収納された。

「敵兵が遠ざかる音が聞こえるんだが……」

 近くで跳ねる九ミリ弾が、甲高い音を立てる。銃声と銃弾が奏でる無機質なメロディの中、彼女の言葉に反応してジャックフロストも会話に混ざる。

「あ、それ。ボクもさっきから感じてるんだけどさ、一体なんだろう。アイツらみたいな軽い匂いじゃなくて、どっちかって言うとボクらに近い重い匂いがするんだ」

「……ってぇと、第三勢力がいるってか?」

 通路を挟んだ壁際からHEC-68RASを撃つラオディが、首を後ろに捻ってジャックフロストを見やる。彼がそれに首肯を返すのを見届けてから、アーテムは溜息をついた。

「どうやら、僕の勘違いじゃないみたいだな。……ジャック、そいつらとの距離は分かるかい?」

 彼の問いに、けれども戦闘工兵は首を横に振る。

「ダメだね。匂いは感じ取れるけど、正確な位置までは割り出せそうにないや」

 次いで、カッツェも同様に肩を竦める。

「私もだ。足音が多過ぎて、区別がつかない。少なくとも、私たちの近くにはいないようだが」

 彼女の報告に、ラオディが弾倉交換しつつ問う。

「どうするよ、相棒。皆殺しついでに、そいつらも殺っちまうか?」

 全面マスクを通してそう言葉を発する口角は吊り上げられているだろうことは、想像に難くない。いかにも『そうなって欲しい』という心情が窺える声音だった。彼はとても優秀な人材だが、少々破壊的かつ攻撃的なのが玉に瑕である。まさに、名は体を表す典型と言えよう。

 アーテムは、相棒の言葉に否定を返す。

「いや、このまま正面突破しよう。迎撃の壁が薄くなったのは、好機だ。位置不特定の勢力を相手取るより、任務遂行を優先する」

 熟慮の余地はなかった。今回は襲撃任務ではあったが、殲滅作戦ではないのだ。現状において、これ以上の戦闘は利益を生まない。わざわざ排除する必要もないだろう。

 チームを率いる男の判断に、ラオディは少しの落胆を見せたが、指示に従わないつもりはないらしい。彼は粗雑で乱暴者の雰囲気を持つが、しかし聞き分けがないわけではないのだ。この相棒が、作戦行動中に私情を挟んだことは今までにない。

「邪魔が入る前に、一気に突破するぞ!」

 言って、アーテムはHEC-68RASの銃身下部――レイルシステムに装備されたUGL36グレネードランチャーの銃把を握った。そして、物陰から半身を晒し、狙いを定めて引き金を引く。ワインボトルからコルク栓を抜いた時のような音を立てて、銃口から四○ミリグレネード弾が飛び出した。それは放物線を描いて宙を飛翔し、狙い通りの位置に着弾する。

 アーテムが狙ったのは、連絡通路先に見える家具が密集したポイントだ。そこには、四名ほどの哨兵が姿を隠しており、遮蔽物から銃身のみを出して射撃していた。彼らが遮蔽としている家具はどれも堅く、カービンが放つ六.八ミリ弾をも防いでいる。相手は素人なので、ばら撒かれる銃弾がこちらに被害を及ぼすことはないが、際限なく射撃してくるので鬱陶しい。

 グレネード弾が敵の背後に着弾した瞬間、火薬重量三二グラムのコンポジションB爆薬が炸裂。小規模の爆音を周囲に轟かせ、熱と炎と物理的な衝撃を以て四人の哨兵を死体へと変える。着弾地点は抉れ、爆発の際に生じた破片や衝撃波が周辺の敵に二次被害をもたらす。

 怯む相手の姿を目にしつつ、アーテムはUGL36の銃尾を左側にスイング。薬室を開放して再装填。銃口付近のヒンジを支点に振り出された銃尾を元に戻す。

「ドカンと行くぜッ」

 哨兵らの隙を見逃さず、ラオディが破片手榴弾を放り投げる。林檎のような形状の球体は、信管に点火後――五秒で爆発。内部の硬質鉄線を四方に凄まじい勢いで飛ばした。放射状に弾け飛んだ小さな鉄片の散弾は、容赦なく近くにいた哨兵を殺し尽くす。

「前進!」

 すぐさま、四人の暗殺者は連絡通路を駆け抜ける。爆破の余波で致命傷を負った敵には目もくれず、一目散にセーフルームを目指す。

 曲がり角を左折、前方八メートル先に目的地。警備は五名。

 走りながら、四人の暗殺者が銃弾を放つ。銃口から吐き出された各種銃弾は、迎撃の暇を許さない。瞬く間に、セーフルーム前を制圧する。

「ジャック、頼む」

 アーテムに命じられた戦闘工兵が、頑強な扉に必要分の爆薬を適切な箇所に仕掛けていく。その手際に迷いはなく、設置は一分ほどで完了。

徹甲弾や手榴弾には強固さを発揮できたその扉も、熟達した技術を持つプロが施した爆薬には対抗し得なかったようだ。爆音と振動の後、セーフルームの入口は吹き飛び、侵入した四人の暗殺者によって内部は制圧された。

 中には、目標の〝ギャングスター〟と彼を警護する三名の護衛がいたが、ドアブリーチの衝撃に怯んでいたところを容赦なく射殺。任を全うすることなく、床に伏す。

 室内の安全を確認したアーテムは、三人の同僚に後方警戒を任せ、ゆっくりと立ち竦む老人に歩み寄った。口髭を生やした紳士的な面持ちの〝ギャングスター〟は、しかし後退ることなく、近寄る暗殺者を正面から見据えた。

「お前が、マルコ・ボナーロだな?」

「いかにも。そういう君は一体誰かね? 記憶にないので、初対面だと思うが」

 両手を後ろ手に組んで悠然と尋ね返す老人に、アーテムは内心で驚いた。今までに、このような反応をした粛清対象はいなかった。皆一様に動揺し、錯乱し、眼前の不条理に喚き立てていた。引き金を引くアーテムを非難し、自らの死を不当だと主張するのが普通の反応だし、それは当然の対応だとも思っていた。

 けれども、この老人はどうだ。まるで自らの死を初めから予感していたような――どこか人生を達観した余裕とも言うべきものが、全身から滲み出ている。今日この日この時間、自分が暗殺者に消される運命に対し、なにも感じないのだろうか。

 アーテムは、心中の違和感を悟られないよう注意しながら、シューティンググラスを外し、それから半面マスクを脱いだ。凛々しく精悍な顔立ちが、血の匂い立ち込める空気に触れる。老人の碧い瞳は、未だアーテムの顔から逸らされない。

「ほう、若いな……。君のような若人が、暗殺者とは――世も末だな」

 憂うように呟いて、マルコ・ボナーロは視線に哀情を内包する。それはアーテムの人生を――存在自体を哀れむような視線だった。

 どうしてこの老人が自分にそんな感情を抱くのか、理解が痴れない。対面したことなど過去にないし、間接的な繋がりさえないはずだ。

 アーテムは、心の揺れが大きくなるのを必死で自制しつつ、無表情に告げる。

「マルコ・ボナーロ。お前はクーデターを画策し、女帝様の導きを危うくした。その事実は決して許されることのない愚行だ。よって、お前を粛清する」

 暗殺者の言に対し、〝ギャングスター〟は再び驚愕の反応をしてみせた。

 ニヤリ、と――笑ったのである。心底可笑しそうに、笑声を漏らしながら。

「クックック……、それが理由かね? ほう、なるほど。わしが革命を計画し、実行しようとしていると?」

「………」

「面妖な話よな、若造。考えてもみたまえ。大規模なクーデターを計画する人間が、このような場所にいると思うかね。事の実行前に、呑気に会合を開くと。本気でそう思うかね?」

 老人の言葉に、アーテムは混乱する。不快な違和感が、胸中を埋めていく。

「……なにが言いたい」

「真実というのは、いつ如何なる時でも生者にしか見えぬということだよ」

 眉を歪めるアーテムに背中を向けて、〝ギャングスター〟はゆったりとした動きで室内を闊歩すると、卓上に置かれていたガラス製の水差しを手に取った。透明の器を透かすようにして、琥珀色の液体が波打つ。中身は、ウイスキーのようだ。

 老人はグラスに蒸留酒を注ぐと、踵を返してアーテムの前に戻った。手には二つのグラスが持たれており、その内の片方をアーテムに差し出す。

「まあ、飲みたまえ。最後の晩酌くらい、付き合ってくれるのが君の責務というものだ」

 首を横に振ったアーテムに半ば無理矢理にグラスを握らせ、マルコ・ボナーロはウイスキーを呷った。

 酒を嚥下して、老人が続ける。

「生きるということは、〝考える〟ということだ。あらゆる物事に対して考えを巡らし、行動する。そして行動しながらも、思考は継続される」

 一旦言葉を切って、未だウイスキーを飲もうとしないアーテムを促す仕草をする。仕方なくといった様子で酒を口に含む若年の暗殺者を見やる老人の表情は、とても穏やかである――これから殺される人間とは思えないほどに。

「弛まない思考の循環――それが、生の本質だ。決して、受動的には起こり得ない事象とも言える。能動的でない思考は、思考ではない。それは、〝怠惰〟というものだ」

 老人はグラスを一気に呷り、ウイスキーを飲み干す。空になったグラスをアーテムを指すように突き出して、緩やかに問いを投げる。

「君は、果たして〝生きている〟かね?」

「………」

 その質問に、アーテムは答えることができなかった。理解に及ばなかったわけではない。老人が話した言葉の意味自体は、然程難しいものではなかった。

 ただ、答えに窮したのである。彼が語った〝生きることの本質〟を自分に当て嵌めた結果、アーテムの心の中に理解できない感情が生じていたのだ。それは、〝ギャングスター〟との会話で生まれた違和感が肥大化したもの。

 即ち、『自分は生きているのだろうか』という哲学的な疑問だった。

 生命的な生存であれば、アーテムは間違いなく生きている。しかし、老人の言う意味での〝生きること〟は、知的作用の連鎖を換言した心的過程を示している。

 あらゆる物事に対し、思案し対処する――。

 マルコ・ボナーロの言葉に自身を照らし合わせた時、アーテムには即答に値する確証が自分にないことを悟ったのだった。

「………」

 沈黙する暗殺者を見て、老人は再び笑みを漏らす。

「クックック……。まあ、尚早に答えを導く必要はなかろうよ。わしとは違って、君らには膨大な時間があるのだからな」

 含みを持たせて言う〝ギャングスター〟に、アーテムは怪訝な顔を浮かべる。しかし、老人は彼の表情を一瞥しただけで、

「わしは多くの情報に通じておる。そして、とある真実を知るに至った。その実態を君に明かすことは簡単なことだが、それでは面白くあるまいて。先の問いに対する答えと共に、真実を求めて存分に思考することだ、若造」

 と、婉曲的な言葉を並べるだけだった。

 一人疑問の中に取り残されたアーテムは、老人の顔になにかしらのヒントを探すが、その皺の刻まれた老顔は穏やかに笑むのみで、彼に明確なヒントを与えてはくれなかった。

 語るだけ語った老人は、声を発しない。自らが長きに亘る人生において培った見解を述べた後は、一切の言葉も口にしなかった。

 アーテムは初めて、粛清に戸惑った。義務感を奮ってレッグホルスターから巨大な回転式拳銃を取り出したものの、殺意の銃口を向けるには足らなかった。暗殺者として訓練された自分に湧き起こる感情の正体が掴めない苛立ちと、早く老人を殺さねばという焦燥が拮抗し、彼の行動を停止に追いやっているのだ。

 リボルバーを手に固まるアーテムの束縛を解いたのは、やはり老人の声だった。

「なにを迷うておる? 君は君の義務を果たせばいい。愚劣な叛徒を粛清するために、ここへ来たのだろう?」

 アーテムは、背中に突き刺さる同僚の視線を意識する。誰も声には出さないが、彼に起こった変化に少しの揺れが窺える。彼には、それらが『殺せないのか』と急かしているように感じられた。

 同僚の信頼を裏切るわけにはいかない。

 アーテムは全力で右腕を持ち上げて、リボルバーの照準を老人に眉間に定めた。〝ギャングスター〟の老顔が、『それでいい』と無言に告げる。

 親指を動かして、撃鉄を起こす。生まれて初めて、その重さを認識する。

「アグラの御名に誓い、背教の咎人に鉄の制裁を――」

 引き金が引かれた。銃声、マズルフラッシュ、硝煙の匂い――そして、床に死体が転がる音。つんざくような銃声の後、セーフルームに重い沈黙が下りる。

「汝、死を記憶せよ。――ただ神にのみ栄光あれ」

 祈りを捧げる四人の暗殺者の姿は、絵画のように美しい。空気を静謐なものへと浄化して、彼らは踵を返した。

「アーテムよりコマンド、粛清完了。被害なし。これより帰投する」


   †


「遅かったか……」

 ドアブリーチの痕跡を目にした時から予期していたものの、やはり既に襲撃された後だったようだ。護衛も皆殺しにされ、〝ギャングスター〟も仰向けに死んでいる。

 セーフルーム内部を見回したベケット曹長が、眉間に皺を寄せた。

「不自然ですね……」

「ああ。争った形跡が見当たらない」

 同じく、シュミッドも思案顔になる。

 セーフルームに転がっている死体の数は、〝ギャングスター〟を含めて四つ。爆薬による突入を図ったにしても、銃撃の痕跡が少な過ぎるのだ。むしろ、皆無と言っていい。つまり、〝ギャングスター〟は撃ち合いをせずに殺されたことになる。

 自ら喜んで死のうとする自殺志願者でもない限り、これはあり得ないことである。〝ギャングスター〟が死ぬ気だったのだとすれば、元よりセーフルームに引き籠もる必要がないだろう。

(死を予め受け入れていたとでも言うのか)

 自分がこの場所で暗殺者に殺される運命にあると知っていたとしか、シュミッドには思えなかった。けれども、合点はいかない。死を突きつけられて平然とそれを享受できる人間など、見たことがない。

(理由がどうであれ、結果的に作戦は失敗か)

 悔しい気持ちもあるが、それ以上に部下に死傷者が出なかったことに安堵した。正体不明の暗殺者がいる状況下での戦闘だったのだ、これは僥倖と言える。

 しかし、いつかは暗殺者にリベンジしなければなるまい。いつまでも後手に回るのは癪だし、面子もある。

「待っていろ、暗殺者」

 小さく呟いて、《アドラー》・シュミッド中尉は決意を静かに燃やした。

 ――次は、必ず。



   /4

 ――〝ギャングスター〟粛清から三日後。

 アーテムは、一人で〝聖域〟を訪れていた。休日にすることもなかったので、適当に街中をぶらついていたら〝聖域〟に辿り着いたのだった。それに考える時間も欲しかったし、静かな空気が漂うそこは打ってつけの場所だった。

 〝ギャングスター〟の問い掛けや彼が語った言葉の意味、そして自分の存在。あらゆる思考が、アーテムの頭で渦巻いている。ぐるぐると目まぐるしく巡る考えに、目を回しそうだ。それなのに結局、納得のいく答えが出せないのだから、辟易としてくる。

 思考の袋小路に迷い込んだ苛立ちを溜息と共に吐き出して、ふと鼻腔に感じた花の香りに視線を上げる。俯いて歩いていたせいで気づかなかったが、どうやらいつの間にか随分と奥へと来てしまったらしい。

 彼の眼前に広がっているのは、緑美しい庭園だった。鮮やかな花々が生を謳歌し、低空を飛ぶ蝶は優雅に舞いを演じている。中央には噴水が設けられ、噴き上がる水の演出が目に楽しい。石壁の窓から射す日の光が庭園を常に照らすよう設計されているらしく、そこには光が溢れていた。きっと、夜は月明かりで違った趣を見せることだろう。

 楽園と呼ぶに等しい庭園に、アーテムは思わず目を奪われた。――いや、正確にはそこに座して花を愛でる一人の少女に。

 近づけば、少女が気持ちよく鼻歌を奏でていることが分かる。音楽を聴かないアーテムにはそれが聖歌だと分からなかったが、ずっと聴いていたくなるほどに心地よいものなのは確かだった。

 アーテムが庭園に茂る草を踏みしめた音で、少女はハッとした風に振り向く。その動きに、アーテムの方がビクついた。暗殺者が少女の所作に怯えるとは、可笑しな話だが。

 しばし、互いの視線が交錯する。数瞬の後、少女の顔が焦ったような表情を浮かべた。

「あ、あわわわっ!」

 少女は瞳の大きい綺麗な小顔を左右に振って、周囲に人がいないことを確認する。焦る少女の態度に、アーテムは彼女が誰かと対面することを許されない存在なのかもしれないと推測を立てる。

「あの、ごめ――」

 謝罪して立ち去ろうとしたアーテムの言葉を、しかし少女の透き通る声が遮った。

「ごごご、ごめんなさいっ! 私、周りに誰もいないと思ってて! へ、変でしたよね、一人で鼻歌とか! は、恥ずかしい……」

 両手をバタバタと振ったと思ったら、今度は顔を手で覆うようにして俯く。僅かに隙間から覗く頬に朱が差していることから、赤面しているようだ。

「え、いや――」

「私、ビショップさん以外の人と会うの初めてで! ええっと、なにを話したらいいのかな……」

「あの――」

「ああ、まずは自己紹介からですよね! ホント気が利かなくてごめんなさいっ。私、シェキナーっていいます。あ、これは名前ではなくて、その呼称というか……」

 止まらぬ口調で、少女は自身を語った。自分に名前がなく、通称で呼ばれていること。親を知らないこと。一四歳だということ。そして、次期女帝候補であることなど――。

 連続して喋って、ようやくマシンガントークが治まる。どうしたらいいのか分からないアーテムは、困り顔のままに取り敢えず自己紹介することにした。

「僕は、アーテム。その……一応、聖職関係の仕事をしてるんだ」

「ああっ、だからここまで来られたんですね! ビショップさんたちが、『この庭園は教会関係者しか入れないんだよ』って言ってましたから」

 アーテムは、少女の嬉しそうな表情に曖昧な笑みを返した。さすがに、初対面の相手に向かって『僕は暗殺者です』などと言えるはずもない。最初は適当な職業をでっちあげようかとも思ったが、嘘をつくのが下手なのを以前にカッツェに指摘されたことを思い出し、結局あやふやな表現に止めたのだった。まあ、正体がバレていないのであれば、明かす必要もあるまい。

 考えに耽ったアーテムが沈黙したことで、少女は再びあたふたとし始める。本当に他人との会話に不慣れなようだ。

 しばらく「あ、えーと……その、うーん……」と呻って、少女――シェキナーは嬉しさ半分照れ半分といった顔で、アーテムの手を取った。それから満面の笑みで彼を見上げ、暗殺者の少年の鼓動を加速させた。

「一緒に、もう少しだけ――お話ししませんか……?」

 そう問い掛ける少女の姿は、太陽の光も手伝って、アーテムの瞳には天使のように映っていた。

 楽園が如く庭園の中で、一対の男女が話に花を咲かせゆく。それは最初だけぎこちない様子を呈していたものの、すぐに快談となる。

 その微笑ましい会話は、〝聖域〟の名に相応しい光景だった。


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