↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR

忍ぶる恋、雨上がり

作者: 葉月
掲載日:2026/07/09

 今日の古典の授業は百人一首だった。先生が黒板に和歌を一つ書く。

 百人一首は知っていた。小さい頃、お正月になると家族で札を並べたし、中学では好きな歌を選んで覚えさせられたこともある。

 だから、この歌だって見たことはあった。でも、今まで歌の意味なんかに興味はなくて、こんなにも自分の気持ちに近い歌があるなんて知らなかった。


 黒板に書かれた文字を見つめる。


 玉の緒よ

 絶えなば絶えね

 ながらへば

 忍ぶることの

 弱りもぞする


「これは忍ぶる恋をテーマに詠まれた歌と言われています」


 先生が黒板を指しながら説明する。


「この恋が知られるくらいなら、いっそ命が絶えてしまった方がいい。そのくらい切実な気持ちですね」


 先生の説明に、教室のあちこちから笑い声が上がった。


「ちょっと大袈裟じゃない?」

「好きなら言えばいいじゃんね」


 笑いながら、周りの子たちも頷く。


「この時代、そう簡単な話じゃなかったんですよ」


 私は笑えなかった。だって、その気持ちが少し分かってしまったから。

 ……時代なんて、関係ないじゃん。



 私には好きな人がいる。でも、その気持ちは誰にも言えない。理由は簡単だった。


 親友が好きになった人だから。


「聞いて聞いて!」


 春。親友は少し恥ずかしそうにしながら、私に打ち明けた。


「私、佐藤くんのこと好きになっちゃった」


 内緒だよ、と言って笑う彼女は、恋する女の子の顔をしていた。


「そうなんだ」


 本当は、私も少し前から好きだった。でも言えなかった。


「……応援するね」


 そうして、私は恋心をそっと心の奥底にしまい込んだ。



 それから、親友はよく恋愛相談をしてきた。今日は話せたとか、目が合ったとか。そんな話。

 私は相槌を打つ。「よかったね」とか「やったじゃん」とか。応援すると言いながら、アドバイスなんてしたことなかった。ずるいやつだ。

 


 六月の雨の日だった。外は土砂降りの雨で、雨粒が教室の窓を激しく叩いている。今日は古典の宿題が出ていたのでノートを回収する。

 前に座る友達に渡そうとした時、ノートが落ちた。たまたま開いたページには『玉の緒よ』の文字。


 ――好きなら言えばいいじゃんね。


 そう言っていたのは誰だったか。そんな簡単な話じゃない。それが出来たら、どんなに良いだろう。

 言ったら今の関係が終わってしまうかもしれない。親友との友情も、あの人との何気ない会話も。全部、壊れてしまうのが怖い。


「どしたー?」

「あ、ごめん」


 私が短歌から目を離せないでいると、友達がこちらに手を差し出したまま、首を傾げていた。どうやらずっと呼んでいたらしい。


「……雨の音でよく聞こえなかった」

「あはっ、そんなうるさくねーし」


 友達は笑いながらノートを受け取ると、また前に回していく。

 土砂降りの雨が、私の恋心も洗い流してくれれば楽なのに。



 梅雨が明けた頃、いつの間にか親友が恋愛相談をして来ないことに気が付いた。毎日目で追っていた彼と話している様子もない。そう思っていた時。


「ね、私さ」


 親友が話しかけて来た。数ヶ月前と同じ顔をしながら。


「好きな人できちゃった」

「え?」

「部活の先輩なんだけどね」


 そう言って、親友は数週間後にその先輩と付き合いだした。幸せそうだった。

 これで良かったんだ。もう私はこの恋心をしまい込まなくても良い。忍ぶる恋は終わった。


 でも――


 私は何も言えなかった。理由がなくなっても、私は恋心を明かせない。ただの臆病者だった。



 夏休みの前だった。いつかと同じように、土砂降りの雨が降っている。昇降口で親友と並んで雨を見ていた。


「ねえ」


 不意に親友が真面目な顔をして口を開く。


「いつになったら打ち明けてくれるの?」

「なにを?」

「好きなんでしょ?」


 その言葉に、心臓が跳ねる。


「……なにが」

「佐藤くんのこと。ずっと」


 私は何も言えなかった。忍ぶる恋。この恋が知られるくらいならいっそ――


「なんて。言えなかったの、私のせいだね」

「ち、ちがう! 私が、臆病なだけ……」


 私がそう言うと、親友は苦笑した。


「私、結構励まされてたんだよ。だから、今度は私が背中押す番」


 そう言って、親友は私の隠していた恋を全部聞いてくれた。それだけで、この数ヶ月ずっと心に燻っていた思いがすっと軽くなる。


「早く伝えてきな」

「でも」

「応援してる」


 その言葉はとても温かくて、今なら何でも出来る気がした。



 数日後、私は古典のノートを開く。そこには、授業でやった百人一首の短歌。


 玉の緒よ

 絶えなば絶えね

 ながらへば

 忍ぶることの

 弱りもぞする


 しばらく眺めてから、私はペンを取った。そして、歌の横に小さく書き足す。


『伝えちゃった』


 窓の外には、雨上がりのきれいな虹がかかっていた。

伝えた結果どうなったのかはご想像にお任せします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。