忍ぶる恋、雨上がり
今日の古典の授業は百人一首だった。先生が黒板に和歌を一つ書く。
百人一首は知っていた。小さい頃、お正月になると家族で札を並べたし、中学では好きな歌を選んで覚えさせられたこともある。
だから、この歌だって見たことはあった。でも、今まで歌の意味なんかに興味はなくて、こんなにも自分の気持ちに近い歌があるなんて知らなかった。
黒板に書かれた文字を見つめる。
玉の緒よ
絶えなば絶えね
ながらへば
忍ぶることの
弱りもぞする
「これは忍ぶる恋をテーマに詠まれた歌と言われています」
先生が黒板を指しながら説明する。
「この恋が知られるくらいなら、いっそ命が絶えてしまった方がいい。そのくらい切実な気持ちですね」
先生の説明に、教室のあちこちから笑い声が上がった。
「ちょっと大袈裟じゃない?」
「好きなら言えばいいじゃんね」
笑いながら、周りの子たちも頷く。
「この時代、そう簡単な話じゃなかったんですよ」
私は笑えなかった。だって、その気持ちが少し分かってしまったから。
……時代なんて、関係ないじゃん。
私には好きな人がいる。でも、その気持ちは誰にも言えない。理由は簡単だった。
親友が好きになった人だから。
「聞いて聞いて!」
春。親友は少し恥ずかしそうにしながら、私に打ち明けた。
「私、佐藤くんのこと好きになっちゃった」
内緒だよ、と言って笑う彼女は、恋する女の子の顔をしていた。
「そうなんだ」
本当は、私も少し前から好きだった。でも言えなかった。
「……応援するね」
そうして、私は恋心をそっと心の奥底にしまい込んだ。
それから、親友はよく恋愛相談をしてきた。今日は話せたとか、目が合ったとか。そんな話。
私は相槌を打つ。「よかったね」とか「やったじゃん」とか。応援すると言いながら、アドバイスなんてしたことなかった。ずるいやつだ。
六月の雨の日だった。外は土砂降りの雨で、雨粒が教室の窓を激しく叩いている。今日は古典の宿題が出ていたのでノートを回収する。
前に座る友達に渡そうとした時、ノートが落ちた。たまたま開いたページには『玉の緒よ』の文字。
――好きなら言えばいいじゃんね。
そう言っていたのは誰だったか。そんな簡単な話じゃない。それが出来たら、どんなに良いだろう。
言ったら今の関係が終わってしまうかもしれない。親友との友情も、あの人との何気ない会話も。全部、壊れてしまうのが怖い。
「どしたー?」
「あ、ごめん」
私が短歌から目を離せないでいると、友達がこちらに手を差し出したまま、首を傾げていた。どうやらずっと呼んでいたらしい。
「……雨の音でよく聞こえなかった」
「あはっ、そんなうるさくねーし」
友達は笑いながらノートを受け取ると、また前に回していく。
土砂降りの雨が、私の恋心も洗い流してくれれば楽なのに。
梅雨が明けた頃、いつの間にか親友が恋愛相談をして来ないことに気が付いた。毎日目で追っていた彼と話している様子もない。そう思っていた時。
「ね、私さ」
親友が話しかけて来た。数ヶ月前と同じ顔をしながら。
「好きな人できちゃった」
「え?」
「部活の先輩なんだけどね」
そう言って、親友は数週間後にその先輩と付き合いだした。幸せそうだった。
これで良かったんだ。もう私はこの恋心をしまい込まなくても良い。忍ぶる恋は終わった。
でも――
私は何も言えなかった。理由がなくなっても、私は恋心を明かせない。ただの臆病者だった。
夏休みの前だった。いつかと同じように、土砂降りの雨が降っている。昇降口で親友と並んで雨を見ていた。
「ねえ」
不意に親友が真面目な顔をして口を開く。
「いつになったら打ち明けてくれるの?」
「なにを?」
「好きなんでしょ?」
その言葉に、心臓が跳ねる。
「……なにが」
「佐藤くんのこと。ずっと」
私は何も言えなかった。忍ぶる恋。この恋が知られるくらいならいっそ――
「なんて。言えなかったの、私のせいだね」
「ち、ちがう! 私が、臆病なだけ……」
私がそう言うと、親友は苦笑した。
「私、結構励まされてたんだよ。だから、今度は私が背中押す番」
そう言って、親友は私の隠していた恋を全部聞いてくれた。それだけで、この数ヶ月ずっと心に燻っていた思いがすっと軽くなる。
「早く伝えてきな」
「でも」
「応援してる」
その言葉はとても温かくて、今なら何でも出来る気がした。
数日後、私は古典のノートを開く。そこには、授業でやった百人一首の短歌。
玉の緒よ
絶えなば絶えね
ながらへば
忍ぶることの
弱りもぞする
しばらく眺めてから、私はペンを取った。そして、歌の横に小さく書き足す。
『伝えちゃった』
窓の外には、雨上がりのきれいな虹がかかっていた。
伝えた結果どうなったのかはご想像にお任せします。




