別れを告げるのは、君のほう。
「近づいてきたのは、君のほう。―過保護すぎる幼馴染は溺愛中―」シリーズ第41弾です。(短編シリーズ)
王都防衛騎士団所属のノインと、村娘オルガ。
二人の人生に寄り添う形で進んでいく恋の物語を描いています。
※本編の時間軸は「やり遂げたいのは、君のほう。」の後の話です。
きらい。
自分が、きらい。
たった少しのことも、まともにできない。
欲張ったら、いけないんだってことを思い知る。
おかしいな、って昨日ちょっと思ってた。
「……っう」
欲張ったらダメだって、わかってたのに。
私はお話のお姫様でも、特別な女の子でもない。
どこにでもいて、ふつうの村の、ふつうの……。
なんにも持ってない……ただの、ただの……なんにもない、人間なんだ。
***
「……オルガ」
背を丸めて、肩を震わせて座っていた。
声に、反応できない。
「どうしたんですか!? なにがあったんです!?」
膝をついて、こっちを覗き込んでくる。
いけない。
慌てて袖で目元をこすった。
(……どうしよう、止まらない……)
困らせちゃう……。
でも。
もう……。
「ごめんなさい……」
細い声で、言う。
「ごめんね、ノイン……」
ノインが困惑する。
「……なんの話です」
視線が上げられない。
「……月のものが、来ちゃった」
大丈夫だろうって、思い込んでた。
昔からそう。
思い込みが激しい。
「こ、子ども……できてなかった」
失望される。
迷惑に思われる。
この結婚は失敗だったって……後悔するかな。
声が震えた。
「ちゃんとできなくて……」
両手を握り込む。
「ごめんなさい」
「…………」
ノインはしばらくしてから、深く息を吐いた。
(出来損ないの奥さんなんて……いらないよね)
立ち上がったノインが、暖炉のそばに置いてあった燭台を探して、火打石を打つ。
小さな火が生まれ、やがて室内に灯りが広がる。
部屋に柔らかな光が満ちてから、オルガはやっとそこで、灯りをつけることもせずに居間に座り込んでいたことにうっすらと気づいた。
動けない。座ってる椅子から……一歩も。
怖い。
(落胆される……こわい……こわい……)
お嫁さんにして良かったって、思われたかったのに。
ノインが、座っている自分の前に膝をついた。
「顔をあげてください」
無理……。
動けない。
「大丈夫ですから」
むり……!
静かな声に従おうとするけど、できなくて息が乱れた。
何度も深呼吸をしてから、やっと、顔を上げた。
「まず、謝る必要はありません」
「あるよ」
「ありません」
言い切られて、言葉を失う。
謝らせてもくれないの? ひどいよ……。
「子どもは、一度でできるものではありません」
「…………」
「初夜などの一度きりでできることもありますが、できないほうが普通です」
できない?
確かに、ノインは「必ずできるとは限らない」って……言ってた。
ノインは続けた。
「女性の身体には、時期があるんです」
「時期……?」
前は、周期と条件って言ってなかった?
「子どもが宿るための時期です」
「?」
なに……? どういうこと……?
「それは毎月必ず同じではありませんし、君の身体はまだ若く、周期も安定していない」
優しい微笑みと、声で言ってくる。
「だから、一度でできなくても何もおかしくないんです」
「でも……」
でもね。
「できないのは、妻が悪いからでしょ……?」
即座にノインが首を振る。
「違います」
違う?
「そんなものは迷信です」
……迷信?
(そんなわけない……。まだできないって、村の中で責められてる人はいた……そういう話をしてる井戸での、みんな)
授かりものだと言いながら。
できないことを、心配したり、同情したりしていたけど。
(できないほうがおかしいって目で、いたよ)
みんな。
「まだ一度目です。たった一度なんです」
「……」
「お願いがあります」
「おねがい……?」
「一年」
言ってから、ノインは少し間を置いた。
「……できれば二年」
「二年……」
「子どもができるかどうかの確認のためには、それくらい時間が必要なんです」
……二年。
「君の周期で考えるなら、一年間でチャンスは八度。二年あれば、最大十六回のチャンスが巡ってきます」
「……?」
よくわからないけど、ゆるく首を横に振る。
そんな時間をかけても。
「でも……もし、それでも、できなかったら……」
それこそ、取り返しがつかない。
今なら。
今ならまだ。
ノインはもっといい相手を選べる。
もっと健康で、もっとかわいくて、お似合いのお嬢さんを選べる。
今なら――!
「できなかったら」
ノインが静かに、言う。
「その時に考えましょう」
「……は?」
なに言ってるの?
「二年で授からなければ、二人で生きればいいんです」
そんなの。
(無理……)
そんな私は、ノインを幸せにできるとは…………思えない。
*
ノインは静かに立ち上がって、腰の剣帯を外した。
金具が小さく鳴る。
「?」
なに……?
そういえば、外から帰ってきた格好のままだ、彼は。
剣を机の上に置いて、次に外套を外す。
オルガの前に戻ってくる。
一歩。
また一歩。
椅子の前で止まる。
そして――片膝をついた。
「??」
なに。
「なに、してるの……?」
慌てるけど、ノインは答えてくれない。
ただ、こちらの手をそっと取った。
手を胸の高さまで持ち上げられた。
本能的な恐怖がせり上がり、オルガは手を払いたくなる。
彼は静かに……額にその手を、押し当てた。
(な……)
低く、落ち着いた声が、部屋の中に響く。
「我が名はノイン。王都防衛騎士団に列する騎士の一人」
オルガは凍りつく。
聞いたことのない、声。
「我は剣を執る者として、王国の法を敬い、主君の命に従い」
なに……なにを……。
「弱き者を庇い、不義を退け、騎士の名誉を穢さぬことを誓いし者」
(なにして……待って、ノイン、なにし……)
「我が命は剣と共にあり」
うそ……うそ……!
「我が名誉は誓いと共にある」
静かに……ノインは続けた。
「ゆえに今ここに」
いや……いや……聞きたくない……!
「我が命、我が剣、我が名誉のすべてを懸け、新たなる誓いを立てる」
手を。
(手を離して……!)
「王への忠誠と同じく、騎士の名誉と同じく」
ゆっくりと。
はっきりと。
「あなたを守ることを、私は第一の義務とする」
オルガの瞳が大きく開く。
「あなたを裏切らず、あなたを見捨てず、あなたが望まぬ限り……私はあなたの手を離さない」
「…………」
静かに。
「俺の剣は、君のために抜かれる」
その、言葉は。
「王への忠誠と同じく、騎士の名誉と同じく、私はこの誓いを違えない」
ノインがゆっくりと顔を上げた。
まっすぐに、こちらを見てくる。
薄桃色の瞳。
……あわい、薄められたあかの、瞳。
「我が主は――――君ですよ、オルガ」
「……………………」
知らない言葉。
でも。
これは騎士の宣誓。
王様や、主君、そして国に対しての忠義の言葉。
誓約のことば。
お姫様でも、王様でも、従うべき主君でもない…………なんにもない、なんにも持ってない私に誓ってどうするの。
動けないままでいると、ノインがそっと手を離して立ち上がった。
外套の内側から小さな包みを取り出すと、それを持ってまた、目の前で片膝をついた。
「できたと連絡があったので、今日取りに行ってきました」
「……?」
粗い麻布に包まれたそれは、華やかさなど一切ないものだ。
紐をほどくと、中から現れたのは小さな木箱だった。
「……これを」
差し出された箱を、オルガは両手で受け取る。
「……なに?」
「開けてください」
蓋を持ち上げると、やわらかな布の上にペンダントが並んでいた。
細い銀の鎖。
その先に、小さな石。
透き通る青が、燭台の光を受けてかすかに揺れた。
海の浅瀬を閉じ込めたような色だった。
澄んだ水色の奥に、ほんの少しだけ白い筋が走っている。
完全な透明ではない。けれど、それがかえって石の奥行きを感じさせていた。
「きれい……」
オルガが小さく息を洩らす。
石は指先ほどの大きさで、雫のように滑らかな形に削られている。
よく見ると、二つの石の片側は少し平らになっていた。
「なに、これ」
なにこれ。
「結婚の証です」
「あかし?」
「貴族は指輪を使うそうですが、平民にはありませんから」
……は?
「世界に二つしかない、同じ石から作ったものです」
「…………」
呆然としたまま、どう反応していいかわからず……小さく首を傾げる。
「同じ……石」
ノインがうなずく。
「アクアマリンです」
「アクア……?」
「誕生月の石です。君と、俺の」
オルガは目を丸くした。
「誕生石?」
「はい」
ノインは、少しだけ視線を落とす。
「元々は、一つの原石でした。半分に割ってもらったんです」
石の断面は、丁寧に磨かれている。
完全に同じ形ではない、けれど、確かに一つの石だったのだとわかる。
二つを並べると、まるで元の形を思い出すようだった。
「……同じ石、なんだ」
オルガがそっと呟く。
「はい」
オルガは、箱の中の片方を取り上げた。
銀の鎖は細く、光を受けると静かにきらめく。
鎖の長さは胸元に石が落ちるくらいで、服の下につけていても邪魔にならないように短すぎず長すぎず調整されていた。
石を留めているのは小さな銀の爪だ。
装飾はほとんどない。
ただ、石が落ちないように、しっかりと支えるだけの簡素な作り。
ノインらしい、無駄のない形だった。
「高価なものではありません」
少しだけ言いづらそうに、ノインが続ける。
「原石だったので……」
「でも」
でも。
「すごく……きれい……」
手のひらの上で、青い石が光を受けて揺れる。
水の中の光のように、静かにきらめいた。
箱の中を見つめる。
同じ石。
半分ずつ。
「ノインと、半分ずつ……?」
「はい」
「同じ石を、はんぶんこ?」
「そうです」
窓の外で、風が木の葉を揺らす音がした。
「つけても、いい?」
「もちろんです」
オルガは鎖を持ち上げる。
けれど慣れていない指は、留め具のところで止まってしまう。
手が、震える。
指が。
(うまく、動かない……)
何度も外れる。
留め具が、滑る。
オルガはだんだん焦り始めた。
息が荒くなる。
「ご、ごめん……」
意味のわからない謝罪をするけど、ノインは微笑むだけ。
手伝う素振りはない。
また、失敗した。
涙が、溜まる。
「……できない」
小さな言葉は、自分のできなさを表していて、情けないものだった。
もしかしてこれは、やはり自分は彼にとって不要な……。
「ゆっくりでいいです」
そんなこと言われても。
(できない……)
できない、けど。
もう一度、と指を動かす。
(きらい)
自分のことが、本当に、きらい。
涙がとうとう、落ちた。
「オルガ」
できない。
こんなことも、できない。
つけてくれればいいのに。
「落ち着いて」
やさしい、声。
なんで。
(なんで私にこんなことするの)
騎士の誓いなんてして。
二年の時間も私に費やさなくていいのに。
深呼吸をして。
もう一度。
カチリと小さな音がして、留まった。
(……でき、た)
細い銀の鎖が、首筋に沿って静かに落ちる。
石が胸元で、小さく揺れた。
「…………ど、う?」
ぎこちない言葉。
青い石が光を受けて、瞬く。
ノインは一瞬だけ言葉を探して、それから静かに微笑んだ。
「似合っています」
うまく笑えなくて、オルガはまた落ち込んだ。
「の、ノインのは」
「俺のですか」
もう一つのペンダントを手に取ると、首に鎖を簡単に通して彼は身に着けた。
「これでどうですか?」
同じ色の石が、彼の胸元にも落ちる。
う……。
(え……えっと)
?????
胸元の石をいじりながら、オルガは今の出来事を理解できなくて……混乱するしかない。
「き、騎士って」
こ……。
「こんなこと、するの……?」
奥さんにも、するの?
だから私にも、したの?
見上げてくるノインは、小さく笑う。
「ふつうはしません」
しないの!?
「え……えっと、で、でも……お、王様に、怒られたり……するんじゃない?」
「聞かれていないので問題ありません」
「…………」
そういうことじゃ、ないと思うけど……。
「あ、れ……ご主人様とかにするんじゃないの?」
「本来はそうですけど」
そうですけど?
「君は俺を選んだじゃないですか」
それは……そう、だけど。
「君は何も持ってないと思ってますけど、持っていますよ」
「? なにを……?」
「俺です」
はっきりと、ノインは笑みを浮かべて言う。
「君の手の中には、俺という剣がすでにあります。
それとも、俺という剣を手放すんですか」
オルガは目を見開く。
私が?
(私がノインを、手放す……?)
「俺は君の剣で……夫です」
彼が見つめてくる。
「君は俺の妻で……俺を選んだひと」
「……ノイン」
違う。
逆だよ。
ノインはオルガの胸元に視線を落とした。
銀の鎖に揺れる、青い石。
二人のために割られた一つの石。
ノインはそれを指で軽く持ち上げる。
そして、石に口づける。
「俺から君の手を離すことは、これから先も――――ない」
***
「すみません、門柱にグラナードを繋いでいるので、裏の厩舎に連れて行きますね」
「? そ、そうなの?」
「はい」
ノインは玄関から外へと出て行った。
それを見送り、オルガは椅子の背に体重を預けた。
胸元の石を持ち上げ、光によって揺れる輝きに目を細める。
「はんぶんこ……」
世界に、二つだけのペンダント。
(私も、一緒にいたい……)
「二年かぁ……」
でも。
「十六回……? それだけ頑張ったら、できるのかな……」
裏口からノインが戻ってきた。
オルガがそちらを肩越しに見つめる。
「ノイン」
「はい?」
「十六回すれば、大丈夫?」
「…………そ」
そ?
「そういうことじゃないんです……」
ノインがその場でがくぅ、と膝をついた。
オルガは立ち上がって、ノインの目の前でしゃがんだ。
「十六回のチャレンジに失敗したら……その時は、離縁しよう?」
「……」
ノインが悲鳴のような声を張り上げた。
「……少なすぎます!」
「え?」
「十六回で足りると思ってるんですか」
「……?」
「俺が」
ノインが睨んでくる。
「君を抱く回数が、それだけで済むわけないでしょう!」
驚いて瞬きを繰り返すオルガに、続けた。
「十六回で終わる夫婦なんて、聞いたことないです!」
そ、そうなの……?
気圧されたオルガはゆるく頷いた。
「わ、わかった。が、がんばる」
「はい。俺も頑張ります!」
そ、そっかぁ……。
(十六回じゃ、足りないんだ……)
ダメだ……笑っちゃいそう……。
離縁って言った時。
(ノイン、泣きそうだったのに……誤魔化そうとして睨んできた……)
でも。
(嘘、ついてないのは……わかってるよ)
わかってる。
ここまで読んでくださってありがとうございます。
楽しんでいただけたら嬉しいです。
続きを読みたいと思っていただけたら、さらに嬉しいです。




