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【連載版】「お前の代わりはいくらでもいる」と追放された聖女補佐官が、実は国の結界を一人で維持していたと判明するまであと七日  作者: 秋月 もみじ
第1章

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第7話 あの光がほしいと思った


辺境の夜空に、淡い光が揺れていた。


──私の、光だ。


風邪が治って結界修復を再開してから三日。辺境の結界は目に見えて回復していた。先代の弱々しい脈動に私の魔力署名が重なり、術式陣が新しいリズムを刻み始めている。


完成が、近い。


朝の術式陣に手を置くと、結界のほうから魔力を引き込んでくる。お腹が空いたと訴えてくるような、元気な吸い上げ方だ。修復を始めた頃の弱々しさが嘘のようで、思わず笑ってしまった。


「……もうちょっとだよ。もう少しで安定するから」


話しかけながら魔力を注ぐ。セシル様に教わった通りに。赤ちゃんを育てるみたいに。


術式陣が光った。朝日を受けて、淡い燐光が雪原に広がる。


騎士たちが「おお」と声を上げた。もう何度も見ているはずなのに、毎回驚いてくれる。この人たちは──素直でいい人たちだ。



昼過ぎ。執務室に戻ると、マルクが待っていた。


二つの報告がある、と言った。


「まず王都の状況です。結界の綻びがさらに拡大し、貴族街にも小型の魔物が侵入したそうです」


貴族街。


市場だけでなく、貴族街にまで。


「……死者は」


「まだ出ていません。騎士団が対処に当たっています。ただ──」


マルクが言葉を選ぶように間を置いた。


「社交界で噂が立ち始めているようです。『聖女は結界を守れていないのではないか』と。それから──『七年間、結界を維持していたのは聖女ではなく補佐官だったのでは』という話も」


噂。


王都の社交界は、噂が広まるのが早い。夜会で一晩もあれば、翌朝には街中に知れ渡る。


私が何もしなくても──結界の崩壊という事実が、勝手に真実を語り始めている。


奇妙な気分だった。嬉しいとは思えない。あの結界が壊れていくことが嬉しいはずがない。けれど──七年間、誰にも知られなかったことが、こんな形で知られていくのか。


「もう一つ」


マルクの声が低くなった。


「ルヴェール殿の件です。フローレンス様の私信の内容が確認できました」


私信。あの日マルクが「お伝えしたいことが」と言いかけた件だ。


「内容は──『リゼットが持っている引き継ぎ書類の控えを手に入れてほしい』というものでした」


密命。


エドモンは──「戻ってきてほしい」と言いながら、書類を奪う指示を受けていた。


「……そう、ですか」


声は平静を保てた。と思う。


(フローレンス様がようやく気づいたのだ。あの書類がなければ、結界を立て直せないと)


七年間、中身を一度も見ようとしなかった書類。追放の日に「不要だ」と突き返した書類。今になって──それが必要だと。


怒りよりも、呆れに近い感情が胸を占めた。


「書類は安全な場所にあります。官舎の部屋の──」


「金庫に入れる」


ギルベルト閣下の声が割り込んだ。


振り返ると、閣下が執務机から立ち上がっていた。灰色の瞳が、一瞬だけ鋭い光を帯びている。普段は感情の薄いあの目に──怒り、とは少し違う。硬い、何かが走ったのが見えた。


「辺境伯家の金庫なら、王都から手は出せない。明日持ってこい」


短い。けれど有無を言わせない。


「……ありがとうございます、閣下」


ギルベルト閣下は頷いただけで、すぐに視線を書類に戻した。


(怒って、くれたのだろうか)


わからない。あの硬い目が何に向けられたものだったのか。エドモンの行為に対してか、フローレンスの指示に対してか、それとも──私の書類を狙った、ということ自体に。


考えても答えは出ない。この方の感情は、いつも短い言葉の奥に沈んでいる。



その夜。


結界の夜間チェックを済ませて術式陣から離れると、ギルベルト閣下がいた。


「……また見回りですか」


「ああ」


少し離れた場所に並んで立つ。以前もこうした夜があった。あの時は星が綺麗で──閣下が「綺麗だ」と呟いて、私は星のことだと思った。


今夜は曇りで、星はほとんど見えない。


けれど、雲の下に結界の光が帯のように伸びている。私の魔力が紡いだ光。日を追うごとに強くなる、淡い燐光。


ギルベルト閣下が、その光を見ていた。


沈黙が流れる。いつもの、角のない沈黙。


「……あの視察の時」


不意に、ギルベルト閣下が口を開いた。


「三年前の?」


「ああ。──壇上にいた聖女は、光っていた。華やかで、目を引いた。周りも皆、聖女を見ていた」


私は黙って聞いていた。ギルベルト閣下がこんなに長く喋ることは珍しい。


「だが俺は、式典の途中で回廊を歩いた。人混みが苦手でな」


少しだけ、口の端が動いた。自嘲に近い何かだった。


「回廊の奥に、術式陣があった。貴女がいた。一人で。冷たい石に手をついて、魔力を注いでいた」


覚えている。あの時、視線を感じて顔を上げたら、灰色の瞳があった。目が合って、慌てて視線を戻した。


「貴女の手から光が生まれるのを、見た」


ギルベルト閣下の声が、少しだけ低くなった。


「三年前、あの術式陣で一人で立っていた貴女を見た時──」


間。


風が、雪原を渡っていく。


「──この辺境にも、あの光がほしいと思った」


心臓が、跳ねた。


あの光。


(……結界の光。結界の技術が、辺境にもほしかった。そういう意味だ)


そういう意味だ。辺境は結界術師が不足している。三年前にリゼットの技術を見て、辺境にも同じ結界がほしいと思った。だから招聘を準備した。


それだけのこと。


──なのに。


「貴女を見た時」と、確かに言った。「光を見た時」ではなく。


(……聞き間違い、だろうか)


暗くて、ギルベルト閣下の表情は見えない。声の温度だけが耳に残っている。あの低い声が、いつもより少しだけ──柔らかかった気がするのは、きっと夜のせいだ。


「……閣下は」


何か言おうとした。何を言おうとしたのか自分でもわからないまま、口が動いた。


「辺境の結界、もうすぐ完成します。あの光と同じかはわかりませんが──精一杯、良いものにします」


精一杯。技官長として。それが私にできる、一番誠実な返答だ。


ギルベルト閣下は答えなかった。


ただ、小さく息を吐いた。白い靄がふわりと広がって、すぐに闇に溶けた。


(……何か、もう一つ言いたかったことがあった気がするのに)


思い出せなかった。



足音が近づいてきた。


マルクだ。走っている。この穏やかな副官が走るのは、よほどのことだ。


「閣下。ヴァレンヌ殿」


息を切らしたマルクが、通信石を握りしめていた。


「たった今、通信が入りました。──宰相ルシアン・ド・モンティニー公爵閣下が、辺境に向かわれているそうです」


宰相。


この国の、実質的な最高権力者。


ギルベルト閣下が僅かに目を細めた。驚いてはいない。むしろ──待っていた、という表情に近い。


(……閣下が使者の件を「宰相閣下に直接伝える」と仰っていた。あれが、動いたのだろうか)


「到着は三日後の見込みです」


マルクの声が、冬の夜気に白く溶けた。


三日後。


何かが、動き始めている。


王都で。社交界で。宰相府で。私の知らないところで──七年分の歯車が、ようやく噛み合おうとしている。


結界の光が、足元を淡く照らしている。


私の光。ここで紡いだ、新しい光。


それを見つめながら、ぎゅっと拳を握った。

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