表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【連載版】「お前の代わりはいくらでもいる」と追放された聖女補佐官が、実は国の結界を一人で維持していたと判明するまであと七日  作者: 秋月 もみじ
第1章

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

3/20

第3話 結界は、生きている


結界は、生きている。


──セシル様の言葉を、この手が覚えていた。


赴任の翌朝。防寒着に身を包んで辺境の結界術式陣に向かうと、雪を被った石の台座が、白い平原の真ん中にぽつんと立っていた。


王都の術式陣は神殿の地下にある。薄暗くて、冷たくて、人の気配がない場所だ。ここは正反対だった。風が吹きっさらしで、空が広くて、陽の光がまっすぐに落ちてくる。


「……ずいぶん、開けた場所ですね」


案内してくれた騎士──副官のマルクと名乗った人が、苦笑した。


「辺境は平地が多いので。屋内に入れると建物の維持費がかかりますし、先代の術式師は『空の下のほうが結界が喜ぶ』と仰って」


先代の術式師。ギルベルト閣下の先代が雇っていた方だろうか。


(結界が喜ぶ、か。……セシル様と同じことを言う)


石の台座に近づいて、手袋を外した。


素手で触れないと、術式の状態はわからない。昨日届いていた防寒着のおかげで身体は温かいが、指先だけは冷気に晒されてすぐに赤くなった。


両手を、台座の上にそっと置く。


──来た。


微かな振動。脈を打つように、弱々しく、けれど確かに。


先代の結界が、まだ生きている。


息を呑んだ。


老朽化しているとは聞いていた。術式を維持する術者がいなくなってから、もう何年も経つのだろう。魔力の流れは細く、所々で途切れかけている。人間で言えば──高熱を出して、ぐったりしている状態だ。


でも、死んではいない。


「……がんばったね」


無意識に、そう呟いていた。


セシル様がそうしていたように。結界に話しかけるように。掌から、少しだけ魔力を流し込む。


術式陣が、淡く光った。


ほんの微かな──赤ちゃんの寝息みたいな光。けれど先代の結界は確かに応えて、私の魔力を受け入れた。魔力署名が違うから拒絶されるかもしれないと思っていたのに。


(……弱っているから、かえって受け入れやすかったのかもしれない)


警戒する体力すら残っていない。そう思うと、少し切なかった。


「ヴァレンヌ殿! 光って……今、光りましたよね?」


背後で、マルクと騎士たちがざわめいている。


振り返ると、数人の騎士が目を丸くしていた。辺境の騎士たちだ。ギルベルト閣下の部下。結界の管理にも携わっているのだろう、術式陣の周囲に配置されていた。


「結界が応答しました。先代の術式は老朽化していますが、芯はまだ生きています。修復できます」


「修復……本当ですか?」


「ええ。ただし時間がかかります。毎日少しずつ、私の魔力署名を馴染ませていく必要があるので」


騎士の一人が、隣の男の腕を肘で突いた。


「おい。聞いたか。触っただけで光ったぞ」


「……王都の結界を七年間、この方が守っていたのか」


小声だったが、冬の空気は音をよく通す。


聞こえてしまって、少し困った。そんな大したことではない。七年間、毎日同じことを繰り返していただけだ。


──でも。


王都では一度も、そんなふうに言われたことがなかった。



修復作業に没頭した。


結界に魔力を注ぐのは、七年間やってきたことの延長だ。ただ、弱りきった術式を立て直すのは維持よりずっと負担が大きい。衰弱した結界は魔力の吸収が不安定で、注ぎすぎれば術式が暴走するし、足りなければ応答が途切れる。


加減を探りながら、少しずつ、少しずつ。


気づいたら日が傾いていた。


(……あれ。なんだか、視界が)


立ち上がろうとした瞬間、膝が折れた。


──魔力切れだ。


王都にいた頃はこんなことなかった。毎日の維持儀式は身体が覚えているから、魔力の配分も自動的に調整できた。けれど新しい結界への注入は、勝手が違う。無意識に、必要以上の魔力を注いでしまったらしい。


地面が近づいてくる。膝をつく、と思った瞬間──。


腕を、掴まれた。


大きな手だった。


「……休め」


低い声。一言だけ。


ギルベルト閣下が、いつの間にか隣に立っていた。私の腕を掴んだまま、もう片方の手で肩を支えている。剣だこのある、硬い掌の感触が、外套越しに伝わった。


「す、すみません。少し魔力を使いすぎたようで──」


「わかっている」


短い。けれど「わかっている」という言葉の選び方に、微かな──責めるのではない、何かがあった。


(……見ていたのだろうか。作業中、ずっと)


ギルベルト閣下は私を支えたまま、ちらりと私の手元に視線を落とした。


素手だった。術式に触れるために手袋を外したまま、何時間も冷気の中にいた。指先が赤いを通り越して、白くなりかけている。


無言で、ギルベルト閣下が自分の手袋を外した。


革の手袋。使い込まれて柔らかくなった、大きな手袋。


それを、私の手に──押しつけるようにして、渡した。


「閣下、これは──」


「明日も作業するなら、指を凍らせるな」


それだけ言って、踵を返した。


大きな背中が遠ざかっていく。外套の裾が風に煽られて、ばさりと翻った。


(……予備をお持ちなのだろう)


そう思いながら、受け取った手袋に指を通す。ぶかぶかだ。私の手には大きすぎて、指先が余る。


革の内側に、まだ温もりが残っていた。



官舎に戻ると、マルクが廊下で待っていた。


「お疲れ様です、ヴァレンヌ殿。今朝お出しいただいた結界修復の報告書、閣下からもう返答が来ていますよ」


「もう? 今朝出したばかりですが」


マルクが肩をすくめた。四十がらみの、穏やかな顔つきの男性だ。ギルベルト閣下の無愛想を補って余りある柔和さがある。


「閣下の報告書の返事、ヴァレンヌ殿の分だけ異様に早いんですよ。他の連中のは翌日まで放置されるのに」


……え?


「几帳面な方なのですね」


「いえ、几帳面なのは全員に対してならそう言えるんですが──まあ、いいです。とにかく返答は『承認、計画通りに進めよ』でした」


マルクが何か含みのある笑みを浮かべた気がしたが、追及する間もなく、執務室の魔法通信石が甲高い音を立てた。



通信の内容を聞いたギルベルト閣下の表情が、僅かに変わった。


「王都の結界、北東区画に綻びが出た。小型の魔物が市場に侵入、負傷者三名」


胸の奥が、きゅっと締まった。


五日目。


(──予想より少し、早い)


北東区画は元々結界の薄い場所だった。維持儀式の際、あそこだけは他の区画より多めに魔力を注いでいた。私がいなくなって、それが途絶えた。


だから、あそこから綻びが出る。


知っていた。わかっていた。引き継ぎ書類に、そう書いた。


受け取ってもらえなかったけれど。


「……ヴァレンヌ」


ギルベルト閣下がこちらを見ている。


灰色の瞳。あの瞳は、余計なことを言わない。慰めも、同情も、正論も──何も足さない目だ。


ただ一言だけ。


「貴女のせいではない」


簡潔な、短い一言だった。


それなのに──胸の奥に刺さっていた棘が、少しだけ抜けた気がした。


私のせいではない。


(……そう、だろうか)


まだ、完全にはそう思えない。あの結界を七年間育てた私が去ったことで、街の人が怪我をした。その事実は消えない。


でも──。


手袋の中で、指先がじんわりと温かい。ぶかぶかの革の手袋の中で、さっきまで白くなりかけていた指に、少しずつ血の色が戻ってきている。


あの人たちは、この手を「形式的」と呼んだ。


この人は、この手に手袋をくれた。


──七日目まで、あと二日。


王都の結界が、どうなるのか。


私には、もうわからない。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ