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【連載版】「お前の代わりはいくらでもいる」と追放された聖女補佐官が、実は国の結界を一人で維持していたと判明するまであと七日  作者: 秋月 もみじ
第1章

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第2話 招聘状が届く前に来たか


寒い。


王都とは比べものにならない冷気が、馬車を降りた瞬間に頬を刺した。吐く息が白い。雪がちらちらと舞っている。


(北方ってこんなに寒いの……? まだ秋なのに?)


薄手の外套を掻き合わせて身を縮めていると、騎士服姿の男性が近づいてきた。


「ヴァレンヌ嬢ですか。アッシュフォード辺境伯がお待ちです」


……え?


「お待ち、と仰いましたか? 私、どなたにもこちらに来るとは──」


「伯より伝言です。『招聘状が届く前に来たか』と」


意味がわからない。


招聘状? 私はただ、北方に知人がいるという父のつてを頼って──いや、正直に言えば、行くあてもないまま馬車に乗っただけだ。招聘状など受け取った覚えはない。


困惑したまま、辺境伯の館に案内された。


質素な建物だった。王都の貴族邸のような華美な装飾はどこにもない。けれど廊下の石壁に罅ひとつなく、窓枠の木は丁寧に磨かれている。隅々まで手入れが行き届いているのが、歩いているだけでわかった。


暖炉の火がぱちぱちと爆ぜている。


廊下の空気がほんのりと温かくて──冷えきった身体に、じわりと染みた。



執務室の扉が開く。


大きな背中が見えた。窓辺に立っていた人が振り向く。


──削ぎ落とされている、と思った。


無駄のない輪郭。灰色の瞳が、まっすぐにこちらを見た。整っている、と言えばそうなのだろうが、それよりも「余計なものが何もない」という印象のほうが強い。表情が乏しいぶん、瞳の色だけが妙に鮮やかだった。


アッシュフォード辺境伯、ギルベルト閣下。


辺境を守る騎士団長でもある方だ。社交界にはほとんど顔を出さないと聞いていた。


「……座れ」


短い。


けれど声には不思議と角がなかった。低くて、素っ気なくて、でもどこか──乱暴さがない。命令というより、椅子を勧めている声だった。


促されるまま腰かけると、ギルベルト閣下は一通の書状を差し出した。


蝋印つきの正式な招聘状。


宛名──リゼット・クレール・ヴァレンヌ。


役職──アッシュフォード辺境伯領、術式技官長。


俸給──。


目を疑った。


倍。


補佐官時代の、倍だ。さらに研究費の支給、官舎の個室完備、結界管理に関する裁量権の付与。


裁量権。結界の管理方針を、自分の判断で決めていい。七年間、一度もなかったものが──紙の上に、当然のように書いてある。


「閣下、この待遇は……辺境の結界管理だけでは、到底釣り合いません」


「釣り合う」


灰色の瞳が、微動だにしなかった。


間。


「──三年前に見た」


三年前。


(……あの視察の時だ)


思い出した。三年前、各地の領主が神殿の視察に訪れたことがある。フローレンス様が華やかに式典を取り仕切った日だ。壇上には聖女と神殿長と、きらびやかな来賓たち。


私はその裏で──いつも通り、結界の維持儀式を行っていた。


式典の音楽が遠くに聞こえる術式陣で、両手を冷たい石につけて、魔力を注いでいた。いつもと同じように。


ふと視線を感じて顔を上げたら、回廊の向こうに一人、こちらを見ている人がいた。灰色の瞳。目が合って、私は慌てて視線を戻した。


──あれが、この方だったのか。


「聖女が式典の壇上にいた。貴女は一人で、あの術式陣に立っていた」


ギルベルト閣下の声は淡々としている。事実を述べているだけの、感情の薄い声。


なのに、次の一言は──。


「──どちらがあの結界を維持しているか、見ればわかる」


(三年、前から──)


不意に、喉の奥が熱くなった。


七年間、誰にも見られていないと思っていた。誰にも気づかれず、誰にも評価されず、それでいいと思い込んでいた。


なのにこの人は、見ていた。


たった一度の視察で。壇上の聖女ではなく、裏の術式陣に立つ私を。


「……ありがたく、お受けいたします」


声が少し震えたことに、自分で気づいた。


ギルベルト閣下は何も指摘しなかった。ただ小さく──本当に小さく、


「……よかった」


と、呟いた。


視線はもう窓の外に戻っている。表情は相変わらず読めない。


(……今の、聞き間違いじゃないですよね?)


いや、聞き間違いではない。確かに聞こえた。よかった、と。


人材が確保できてよかった、という意味だろう。辺境は結界術師が不足していると聞く。この待遇も、裏を返せばそれだけ人材が足りないということだ。


──うん。そういうことだ。それ以上の意味はない。



翌朝。


官舎の部屋で目を覚ますと、覚えのない荷物が扉の前に置かれていた。


厚手の毛布。裏起毛の防寒着。それから、小さな木箱に入った茶葉のセット。


蓋を開けると、蜂蜜入りのジンジャーティーの甘い香りがした。


送り主の名前は、どこにも書かれていない。


……昨日、私が寒がりだと知ったのは──。


馬車から降りた時に身を縮めていたのを見た人間は、案内の騎士と、ギルベルト閣下だけだ。


(……まさか、ね)


いやいや。辺境伯ともあろう方が、赴任初日の技官にわざわざ茶葉を届けるなんて。ないない。きっと事務方が新任者向けに用意してくれたのだろう。北方は寒いから、防寒具の支給は標準なのかもしれない。


毛布に顔を埋めてみる。


ふかふかだ。


ちょっと、いや、かなり上等な品だ。事務方の備品にしては──良すぎないだろうか。


……考えるのはやめよう。


薬缶に水を汲んで、蜂蜜入りの茶を淹れた。


温かい。甘い。


生姜の香りが湯気と一緒にふわりと立ち上って、冷えた指先に、少しずつ血が通い始める。


窓の外は白い景色だった。雪をかぶった針葉樹が、どこまでも続いている。王都とは何もかもが違う。空気も、光の色も、静けさも。


三日前まで私がいた場所では、誰も私の仕事を見ていなかった。


ここでは──少なくとも一人、見ていた人がいた。


三年も前から。


茶碗を両手で包み込む。陶器越しに伝わる熱が、掌にじんと広がった。


──なんだか、泣きそうになったのは内緒だ。

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