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ご近所付き合いはしないでください  作者: 竹間単


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8/9

●第8話


 屋上からまた階段を下りた私たちは、吉岡の部屋がある二階へとやって来た。

 「201」という部屋番号の横には「野々木」と書かれた表札が入っている。表札は紙に名前を書いて入れるタイプのようだ。

 こういったマンションで名前を表示する人は少ないように思う。実際、二階で表札を入れているのは吉岡の部屋だけだ。なぜか「吉岡」ではなく「野々木」の表札が入っているが。もしかしてこの部屋を野々木が使っていた頃の表札が入っていることに、吉岡は気付いていないのだろうか。

「あの、吉岡さん。表札が『野々木』のままになってますよ。取った方が良いんじゃないですか?」

「ああ、これは気にしないでください。なぜか外しても外しても『野々木』の紙が入ってるんです。幽霊が入れてたりして。なんちゃって」

 そんなことがあるだろうか!?

 もう一度表札を見る。どう見てもパソコンで出力された文字だ。人間が作ったとしか思えない。

「吉岡さん、マンションの住人に嫌がらせをされてるんですか?」

 私はズバリ聞いてみた。もし吉岡が友人だったならもう少し気を遣った言い回しをしたかもしれないが、吉岡は今日で会うのが二回目のSNSで知り合った他人だ。それどころか帰宅したらアカウントをブロックすることが決まっている仲なのだ。嫌われようと一向に構わない。だから好感度を気にするよりも、明確に事実確認がしたかった。

「嫌がらせじゃないと思いますけどね。挨拶をしてくれたり、食べ物をくれたり、優しい住人ばかりです。みんな仲良しですよ」

 吉岡が一方的にそう思っているだけで本当は嫌われている可能性は無きにしも非ずだが、雰囲気を見る限り吉岡はそういうタイプの人間ではない。基本的に礼儀正しいから、近所付き合い程度で嫌われることはなさそうだ。

「吉岡さんはこのマンションの住人全員のことを知ってるんですか?」

「全員ではないですね。コミュニティに属してない、新しく入って来た住人たちのことはあまり知りません」

 どうやらこのマンションには、マンション内コミュニティのようなものが存在するらしい。都会のマンションでそういったコミュニティがあるのは珍しい気がする。ちなみに私は自分の住むマンションにどんな人が住んでいるのかをまるで知らない。すれ違ったら挨拶くらいはするが、その人がマンションの住人なのか、それとも遊びに来ただけの人なのか、分からずに終わる。

 だから住人が新しくマンションに入って来た人か、昔からいる人かも、当然知らない。

「……ん? 新しく入って来た『住人たち』ですか? 『住人たち』ということは、何人も新しく入居してるんですか?」

「そうですね。と言っても僕が入居する前に入った人たちではあるんですけど。僕が一番最近、このマンションに入居したので」

「ここって、そんなに出入りの激しいマンションなんですか?」

 今は3月だから、新生活に向けて引っ越しの多い時期だとは思う。しかし前入居者が退去しなければ部屋は空かないわけで、十六部屋しかない小さなマンションでそんなにも多くの引っ越しが行なわれるものだろうか。

「前まではそうでもなかったらしいんですけど、飛び降りがあってからはマンションを出た人が多数いるらしくて。事故物件に住みたくないと思う人は多いですから」

 そうだった。このマンションを普通の基準で考えてはいけないのだった。ここは事故物件なのだから。

「言われてみると、私も自分の住んでるマンションで自殺騒動があったら、引っ越しちゃうかもしれません」

「しかも二件も連続してますからね」

「不吉すぎますよね……あっ、すみません。ここは吉岡さんの自宅なのに」

「いえいえ、僕は事故物件だと知ってて入居しましたから、お気になさらず。もとから住んでた方は可哀想ですけど」

 自分の住んでいるマンションが事故物件になってしまったら、どんな気分がするのだろう。

 一番安心できるはずの家が、ぞわぞわする不気味な場所になってしまうのは、ものすごく辛い気がする。

「まあ、そういうわけで新しく来た住人のことには詳しくないですけど、知ってる住人たちは嫌がらせをするような感じではありません。親切な良い人たちですよ」

 話が逸れてしまったが、私たちは吉岡が嫌がらせを受けているか否かを話していたのだった。

 しかし吉岡が嫌がらせをされていないのなら、取っても取っても「野々木」の表札が入っている現象は一体何なのだろう。


「あっ! 野々木さん、こんばんは。こんな時間にお客さんですか?」

 そのとき、ハツラツとしたサラリーマン風の男が私たちに声をかけた。

 これに吉岡が応える。

「こんばんは。そうなんですよ。でもうるさくはしないので安心してください」

「あははっ。俺、どうせテレビ見てるんで、あんま気にしなくていいですよ!」

「ありがとうございます」

 男は笑いながらそう言うと、202号室のカギを開けて中に入って行った。


「あの。今、お隣さんが吉岡さんのことを『野々木さん』って呼んでましたよね?」

 男が202号室の中に入ってドアを閉めるところまでを見守ってから、吉岡に尋ねた。

 確実に男は吉岡のことを「野々木」と呼んでいた。一瞬私の聞き間違いかと思ったものの「ノノギ」と「ヨシオカ」を聞き間違えるはずはない。聞き間違えるにしては、あまりにも別の単語だ。

「あー……これについては話すと長くなるんですけど、マンションに住んでるおばあさんが僕のことを野々木君と勘違いしていて。それでおばあさんが僕を『野々木君』と呼ぶものだから、他の住人は僕が前居住者と同じ『野々木』という苗字だと思い込んじゃったみたいなんです」

 そのおばあさんは若者の顔を見分けることが苦手な人なのだろうか。だって野々木と吉岡は似ても似つかない外見をしているから。

 いわゆるウェイ系の野々木がチャラそうな見た目だったのに対して、吉岡はやつれていることもあって陰鬱な雰囲気を漂わせている。やつれておらず陰鬱な雰囲気が薄かった前回も、いかにも真面目そうで、野々木と似ているところなんて見つからなかった。

「訂正しなくていいんですか?」

 私なら、野々木と一緒にされるなんて死んでもごめんだ。私は野々木のように軽薄な人間ではないし、マルチだってやっていない。野々木と間違われたら、必死になって自分と野々木の違いを説明することだろう。

「実は何回か訂正しようとしたんですけど、タイミングが悪いのか上手くいかなくて。そのうちにまあいいやって。ニックネームみたいなものだと思うことにしたんです」

「ニックネームって……吉岡さんって、変なところでポジティブですね」

「そうですか? まあそんなこんなで他の住人たちにも『野々木』で広まっちゃって、訂正するのが面倒くさくなったっていうのもあるんですけどね」

 力なく笑う吉岡を眺めていた私は、ふと幸子おばさんが先程から一言も発していないことに気付いた。

「幸子おばさん、どうかした?」

「……いいえ。それより早く中に入りましょう。もたもたしていたら電車が無くなっちゃうわ」

 幸子おばさんの言葉を聞いた吉岡が、部屋のカギを開け、ドアを開いた。




「これは……」

 吉岡の部屋には、紙が散乱していた。足の踏み場も無いほどに。

 散乱しているのが紙のため、汚いとか臭いとかそういう感じではないが、それにしても足の踏み場が無い。

「散らかっててすみません。片付けてもすぐに散らかっちゃうんですよね」

 吉岡は慣れた様子で部屋を歩きながら紙を拾っていった。

「散らかっちゃう? 吉岡さんって、もしかして片付けられない人ですか?」

「そうではなくて。寝てたり留守にしてる間にめちゃくちゃにされちゃうんです。カギは掛かったままだし、何かが盗まれてるわけでもないから、人間の仕業じゃないと思うんですけど……」

 心霊現象の一つとして、紙が散乱するということだろうか。

 ……意外と心にダメージの入る心霊現象だ。片付けても片付けても散らかされるのは、なかなかにキツイ。

 人間は自身の行動が無駄だったと判明した瞬間に、心が折れると言う。一所懸命に片付けたのに寝ている間に片付ける前と同じように散らかされたら、片付ける気力が無くなってしまう。そしてそのうちに片付けることを諦めてしまう。すると汚部屋に住むことを余儀なくされる。汚部屋に住むことは、それを気にしない人間でもない限り、気持ちの良いものではないはずだ。

「失礼ですが、吉岡さんはどうしてこの部屋に住み続けてるんですか? 悪夢を見たり、部屋を荒らされたり、そんな明確な心霊現象が起こったら普通は出て行くと思いますが」

「実は僕、漫画家になりたくて。事故物件に住んでみた!みたいな漫画を描こうと思ってるんです」

 言われて見てみると、吉岡が拾っている紙には文字とイラストが描かれている。実物は初めて見たが、これが漫画原稿なのだろう。

 吉岡が事故物件に住み続けている理由も分かった。事故物件はホラー漫画の題材としては、定番かつ安定して面白い。私個人の見解だが。

 しかし。

「確かに事故物件に住む当事者の描いたホラー漫画なら話題性があるかもしれませんが……自分の健康と引き換えにするのはどうなんでしょうね」

 私は吉岡のやつれにやつれた姿を見ながら言った。

 喫茶店で吉岡と会ったのは二週間前くらいだろうか。今日会った瞬間も思ったが、人は二週間でここまでやつれるものなのかと驚くほどに、今の吉岡はやつれている。

「夢を叶えた漫画家は、命を削って創造してたと聞きますから」

 それは寝る間も惜しんで漫画を描いたという意味だろう。幽霊に翻弄されている今の吉岡とは明らかに状況が違う。

「これは無駄に命を削ってるだけだと思いますよ。吉岡さんはこの部屋を出た方が……」

「もう十分だわ。千奈津ちゃん、帰るわよ」

 私が言い終わる前に、幸子おばさんが私の腕を引いた。

「えっ!? 結局、幽霊は居たんですか!?」

 急な展開に驚きながら吉岡が質問をした。

 これに幸子おばさんが首を横に振る。

「申し訳ないけれど、あたしには視えないわ。さあ、行くわよ」

「あっ、えっと!?」

 吉岡が困惑した様子で目をぱちくりとさせる。

 同じく困惑している私の頭に手を置いた幸子おばさんは、私の頭を下げさせながら自身も吉岡に向かって頭を下げた。

「せっかくお時間を取ってもらったのに、何も力になれなくてごめんなさいね」

「い、いえ。お忙しい中、本日はお越しいただきありがとうございました」

「こちらこそ家を見せてくださってありがとうございました。それではお元気で……きちんと寝てくださいね?」

 私はそう言い残すと、幸子おばさんとともにマンションをあとにした。




 マンションを出てからも、幸子おばさんは私の腕を引いたままグイグイと進んでいく。

「ねえ、どうしたの!? 幸子おばさん!」

「話は家に帰ってからするわ。今日は千奈津ちゃんの家に泊まって行ってもいいのよね?」

「それはいいけど……」

 私は幸子おばさんの様子が気になったものの、何を聞いても幸子おばさんは教えてくれなかった。

 その代わりのつもりなのか何なのか、駅に着くまで幸子おばさんは最近気に入っているスイーツの話をしてくれた。そのスイーツを今度私にもご馳走してくれるらしい。

 そういった幽霊とはまったく関係のない話をしながら私の自宅までやってきた幸子おばさんは、周囲を気にしながら私の部屋へと上がった。



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