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苦手な方はご注意ください。

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『ポーションは自然に湧いてくるものだ』と本気で思っていた勇者パーティを追放されたので、補給線を全て遮断しました

作者: じょな

ダンジョンの夜は、腐った土とカビの臭いが鼻腔にこびりついて離れない。


地下四十階層。分厚い岩盤に閉ざされたこの空間では、時間の感覚すら曖昧になる。頼りになるのは、目の前で爆ぜる焚き火の頼りない朱色と、私の体内時計だけだ。


チリ、と焚き火が鳴った。


私は手元の帳簿から顔を上げ、周囲を見渡す。

勇者のアレクセイ、聖女のミリア、重戦士のガンツ。

彼らは高級な毛布にくるまり、健やかな寝息を立てている。その無防備な寝顔は、明日世界を救う英雄のそれだ。


美しい光景だと思う。

私が、あと三時間寝ずに働けば、だが。


焚き火の明かりを頼りに、私は手元の作業に戻った。

膝の上には、泥と脂にまみれた彼らの装備品が山積みになっている。


まずはアレクセイの聖剣だ。

刃こぼれを確認する。今日だけで六箇所。ゴブリンの頭蓋を力任せに叩き割った痕跡だ。あいつは剣を鈍器か何かだと勘違いしている節がある。

私は『無限収納』から砥石と研磨油を取り出し、音を立てないように慎重に刃を滑らせた。シュッ、シュッという微かな摩擦音が、静寂な闇に吸い込まれていく。


指先が黒い油で汚れる。爪の間に入り込んだ汚れは、もう三日も取れていない。


剣を磨き終えると、次はポーションの補充だ。

彼らは知らない。ポーションという液体が、最初から小瓶に入って湧いてくるわけではないことを。

安価な大樽で購入した回復薬を、一つ一つ、戦闘中に使いやすいガラス瓶に移し替える。空気が入らないように、酸化しないように、慎重に。

これをやっておかないと、明日のボス戦で彼らが死ぬ。


「……ふぅ」


重たい息が漏れた。

肩が軋む。眼球の裏側を熱い針で刺されるような鈍痛がある。

ここ一週間、まともに眠った記憶がない。


Sランクパーティ『暁の剣』。

王都で最も称賛され、吟遊詩人に歌われる英雄たち。

その華々しい戦果の裏側には、常に私のこの薄汚れた手作業があった。

経理、資材管理、装備メンテナンス、野営の設営、魔物図鑑の暗記、そして対外折衝。


私の職業は『荷物持ち』だが、実際に運んでいるのは荷物だけではない。

このパーティの命運そのものを、私は一人で背負っている。


だが、それも今日で終わりかもしれない。

予感はあった。

ここ数日、アレクセイが私に向ける視線には、明らかな侮蔑の色が混じっていたからだ。


ガサリ、と音がした。

アレクセイが毛布を押しのけ、上半身を起こしたのだ。

金色の髪が焚き火に照らされ、整った顔立ちが浮かび上がる。彼は大きなあくびを噛み殺しながら、眠そうな目を私に向けた。


「レオ。まだ起きてたのか」


「明日の決算処理と、君の剣のメンテナンスがあるからな」


私は手元の作業を止めずに答えた。

アレクセイはふんと鼻を鳴らし、焚き火のそばにドカっと腰を下ろした。

彼は水筒を手に取り、中身を煽る。そこに入っているのが、私が昨晩煮沸してろ過した清潔な水だということには、きっと気づいていない。


「なあ、レオ」


「なんだ」


「お前さ、このダンジョンが終わったら、国に帰れよ」


手が止まった。

砥石が剣の刃を滑り、嫌な音が響く。


私はゆっくりと顔を上げた。

アレクセイは、焚き火を見つめたまま、まるで明日の天気を話題にするような軽さで続けた。


「ぶっちゃけさ、お前のお守りをするの、俺たち全員限界なんだわ」


心臓が早鐘を打つ。

血液が逆流し、こめかみの血管が脈打つのがわかった。

お守り。

今、この男はなんと言った。


「……お守り、か。具体的には?」


「見ろよ、その地味な作業」


アレクセイは私の手元にある砥石と帳簿を指差して笑った。


「俺たちが命がけで魔物と戦ってる間、お前はずっと後ろでコソコソなんか書いてるだけだろ? ガンツが言ってたぜ。『レオがいると気を使う』って。戦闘中にポーション投げてもらわなきゃ死ぬような雑魚がいると、士気が下がるんだよ」


違う。

私がポーションを投げているのではない。

君たちが無茶な突撃をして被弾するたびに、私が計算し尽くされたタイミングで回復支援を行っているのだ。

君が『俺、無敵かも!』と叫びながら突っ込めるのは、私の支援が完璧だからだ。


喉元まで出かかった言葉を、私は奥歯を噛み締めて飲み込んだ。

言っても無駄だ。

彼の目を見ればわかる。

その瞳には、私という人間への関心が欠片もない。彼が見ているのは、自分たちの栄光と、それを阻害する(と思い込んでいる)異物としての私だけだ。


「それにさ、金の問題もある」


アレクセイは焚き火に小枝を放り込みながら言った。


「お前、報酬の二割を持っていくだろ? 何もしてないのに。おかしいと思わないか? その分を新しい魔導師の雇用費に回したいんだよ。もっと派手な魔法が使えるやつにな。お前の地味な収納スキルなんて、でかい鞄を買えば済む話だしな」


何もしてない。

その言葉が、私の胸の中で何かが切れる音と重なった。


帳簿の数字が脳裏を駆け巡る。

武器の修繕費、宿代の交渉値引き、税金の申告、ギルドへの賄賂、ポーションの原価計算。

それら全てを私が一人で処理し、無駄な出費を削りに削った結果、君たちは豪遊できているのだ。

報酬の二割?

本来なら五割もらっても割に合わない業務量を、私は幼馴染という情だけで請け負っていた。


だが、もういい。

目の前の男は、私が知っているかつてのアレクセイではない。

名声と力に溺れ、自分を支える土台が見えなくなった、哀れな裸の王様だ。


熱くなりかけた頭が、急速に冷えていくのを感じた。

感情のスイッチが切り替わる。

怒りではない。呆れと、そして諦めだ。


ビジネスライクにいこう。

ここからは、私情を挟む余地のない契約の話だ。


「わかった。パーティを抜ければいいんだな」


私の声があまりに冷静だったせいか、アレクセイは拍子抜けしたような顔をした。


「……おう。わかってんじゃん。明日、ボス部屋の前までは連れてってやるよ。そのあと、俺たちの転移結晶で帰還する。お前は自力で帰れ」


「いや、今すぐ出て行く」


私は立ち上がった。

研ぎ終わった剣を鞘に納め、アレクセイの足元に置く。


「ま、待てよ。こんな夜中に一人で? 死ぬぞ?」


「心配には及ばない。君こそ、明日の朝食はどうするつもりだ?」


「は? お前が出すんだろ?」


「私はもうパーティの一員ではない。当然、私の『無限収納』に入っている食料も、君たちに提供する義理はない」


アレクセイは呆気に取られたように口を開けたが、すぐに嘲るような笑みを浮かべた。


「けち臭い奴だなあ。まあいいよ、非常食くらい持ってるし。それに、お前がいなくなっても、このマジックバッグがある」


彼は自分の腰につけた革袋を叩いた。

確かにそれは、以前私が彼に買い与えた簡易的な魔法の鞄だ。

だが、彼は知らない。

その鞄の容量が私の『無限収納』の百分の一にも満たないことや、中に入れたものが時間の経過とともに腐っていく仕様であることを。


「そうか。なら問題ないな」


私は自分の荷物をまとめた。

と言っても、私の持ち物は身につけている衣服と、腰のベルトポーチだけだ。

全ての重要物資は、私の亜空間スキルの中に格納されている。


金庫番としての印鑑。

商会との契約書。

帳簿の控え。

そして何より、彼らが湯水のように使っていた予備のポーションと、替えの武具一式。


これらは全て、私個人の資産と名義で管理しているものだ。

パーティ共有の財産ではない。彼らが「面倒だから」と私に全権を委任した瞬間に、所有権の所在は明確になっている。


背を向けて歩き出す。

足元の砂利がジャリ、と鳴った。


「おい、レオ」


背後から声がかかる。

引き留める言葉かと思ったが、違った。


「今までご苦労さん。ま、王都に帰ったら田舎で畑でも耕してろよ。お前にはそっちの方が似合ってる」


ククク、と忍び笑いが聞こえる。

私は振り返らなかった。

振り返れば、憐憫の情が湧いてしまうかもしれないからだ。

これから地獄を見るかつての友への、せめてもの情けだ。


ダンジョンの暗闇へと足を踏み入れる。

冷たい風が頬を撫でる。

だが不思議と、寒さは感じない。

むしろ、肩に乗っていた鉛のような重圧が消え失せ、体が羽のように軽い。


ああ、そうだ。

一つだけ、彼に伝え忘れたことがあった。


私は歩きながら、脳内のタスクリストを呼び出す。

『至急対応事項』の欄に、赤字で点滅する項目がある。


【王都アリアンロッド商会との・装備レンタル契約更新期限:明日正午】


彼らが身につけている最高級のミスリル・プレートや、耐火のマント。

あれは買い取ったものではない。私が商会の会頭に土下座をして、月額払いのレンタル契約で借り受けているものだ。

その更新手続きには、私の魔力署名と、更新料の支払いが必須となる。


私がここにいるということは、明日の正午、更新は行われないということだ。


契約によれば、更新がなされない場合、レンタル品には強力な『強制回収魔法』が発動する。

つまり、装備が自動的にロックされるか、最悪の場合、その場で分解されて商会へと転送される。


「……明日の正午か」


彼らがちょうど、階層主ボスであるヒュドラと対峙している頃だろうか。

全身の守りを失った状態で、毒のブレスを吐く三つ首の竜と戦う。

想像するだけで、胃の腑が縮むような光景だ。


だが、それはもう私の知ったことではない。

私はポケットから羊皮紙の束を取り出した。

彼らと交わした『パーティ加入契約書』だ。

そこには小さい文字で、『一方的な解雇の場合、会計責任者は一切の債務及び実務責任を負わない』と明記してある。


ビリ、と乾いた音がした。

私は羊皮紙を破り捨て、その紙片を宙に放った。

紙吹雪のように舞う契約書の残骸を置き去りにして、私は出口へと続く闇の中を、迷いのない足取りで進んでいった。


その背中で、アレクセイたちの高笑いが聞こえた気がしたが、それはすぐに遠い闇の彼方へと消えていった。

ダンジョンの闇を背に、私は迷路のような通路を慣れた足取りで進んでいた。


「さて、ここらでいいか」


行き止まりの小部屋。一見すると袋小路だが、壁の隠しレンガを押し込むと、狭い空洞が現れる。私が以前、こっそりと整備しておいた緊急避難所セーフハウスだ。

中に入り、魔道具のランタンを灯す。

暖かなオレンジ色の光が、無機質な石壁を照らし出した。


私は腰を下ろし、『無限収納』から携帯用の魔道コンロと、挽きたての豆が入った袋を取り出す。

お湯が沸く静かな音。立ち昇る湯気とともに、香ばしいコーヒーの香りが充満する。


昨日までは、この時間は戦場のような忙しさだった。

全員分の朝食を作り、寝起きの悪いアレクセイを叩き起こし、ミリアの髪を整え、ガンツの筋肉痛をマッサージでほぐす。

だが今は、自分のためだけにコーヒーを淹れればいい。


「……美味い」


一口啜ると、身体の芯から毒が抜けていくようだった。

私は懐から通信用の魔道具『双方向通信石』を取り出した。高価な品だが、商売道具としては欠かせない。

魔力を流すと、すぐに相手が出た。


『はいはい、こちらアリアンロッド商会、特別対応窓口ですがー?』


眠たげな、しかし聞き覚えのある商会長の声だ。


「私だ、レオナルドだ。夜分にすまない」


『げっ、レオさん!? 珍しいですね、あなたがこんな時間に……いや、まさか』


「そのまさかだ。パーティを抜けた。これより『暁の剣』に関する全契約の凍結を申請する」


通信石の向こうで、何かが倒れる音がした。ガタガタと慌ただしい気配の後、商会長の声が真剣なものに変わる。


『……本気ですか? 勇者パーティへの支援打ち切りとなると、王宮からも文句が来ますが』


「構わない。契約書には『会計責任者の署名なき場合、即時契約破棄』と明記してある。君も不良債権は抱えたくないだろう?」


『そりゃあね。あのバカ勇者……失礼、アレクセイ様の金払いの悪さは有名ですから。あなたが財布の紐を握っているから信用取引していただけで』


「話が早くて助かる。レンタル装備の回収コードも起動しておいてくれ。期限は今日の正午だ」


『了解しました。……レオさん、お疲れ様でした。うちとしては、あなたがフリーになってくれた方が商売がしやすい。戻ったら美味い酒でも飲みましょう』


「ああ、期待している」


通信を切る。

これで、賽は投げられた。

私はコーヒーを飲み干すと、ゆっくりと壁にもたれかかった。

遠くの岩盤越しに、微かな振動が伝わってくる。

彼らが動き出したのだろう。


          ◇


「痛ってぇ……」


アレクセイは最悪の気分で目を覚ました。

背中が痛い。首が回らない。

いつもなら目が覚めると同時に、ふかふかの高級羽毛布団の感触と、温かいスープの匂いがあるはずだった。

だが今、彼の下にあるのはゴツゴツした岩肌と、薄っぺらい毛布一枚だけだ。


「おいレオ! 朝飯まだかよ!」


怒鳴ってから、アレクセイは舌打ちをした。

そうだった。あの便利な家政夫は、昨夜追い出したのだった。


「ちっ、あいつがいねえと静かでいいな。おいミリア、ガンツ、起きろ! 出発するぞ!」


聖女ミリアが不機嫌そうに起き上がる。その自慢の金髪は寝癖で爆発し、肌は乾燥でカサついていた。

重戦士ガンツに至っては、腰を押さえて唸っている。


「うう……なんだか鎧が重いな。油が切れてんのか?」


「知るかよ。さっさと行くぞ。腹減った」


アレクセイは腰の魔法鞄から、非常食の干し肉を取り出した。

齧り付く。

ガリッ、という嫌な音がして、歯が欠けそうになった。


「硬っ!? なんだこれ、石かよ!」


「勇者様、水も……なんだか変な味がしますわ」


ミリアが水筒の中身を地面に捨てた。緑色の藻が混じっている。

レオナルドがいれば、干し肉はスープで柔らかく煮込まれ、水は常に浄化されていた。

だが彼らは、それが「当たり前」の現象だと思い込んでいたのだ。

魔法の鞄に入れておけば、時間は止まると信じていたからだ。


「くそっ、あいつ、腐ったもん置いていきやがって! 帰ったらギルドに訴えてやる!」


アレクセイは干し肉を投げ捨てた。

空腹だが、ボスを倒せば街で豪華なランチが食える。そう自分に言い聞かせ、彼らは歩き出した。


道中も最悪だった。

現れる雑魚敵。スケルトンやスライム。

いつもならアレクセイが一振りすれば塵になる相手だ。


「オラァ!」


アレクセイが聖剣を振るう。

ガキンッ!

鈍い音が響き、剣がスケルトンの肋骨に弾かれた。


「は……? 斬れねえ!?」


刃を見る。ボロボロに刃こぼれし、赤錆さえ浮いている。

昨夜、レオナルドが研ぎ澄ませた切れ味は、一晩の湿気と、手入れ不足によって急速に劣化していた。

「魔法剣」といえど、メンテナンスフリーではない。むしろ繊細な芸術品なのだ。


「ガンツ、お前がやれ!」


「任せろ! ふんぬっ……!」


ガンツが斧を振り上げるが、動きが遅い。鎧の関節部分に泥が詰まり、ギギギと不快な音を立てて動きを阻害しているのだ。

結局、ミリアが貴重な攻撃魔法を使って一掃する羽目になった。


「ハァ、ハァ……魔力が、もう半分しかありませんわ」


「なんだよ、だらしねえな。まあいい、次がボス部屋だ。ヒュドラさえ倒せば終わりだ」


アレクセイは焦りを打ち消すように大声を張り上げた。

何かがおかしい。

リズムが狂っている。

いつもなら、戦闘が終わると同時にレオがタオルと水を渡し、減った魔力を補うポーションを口に含ませてくれた。

武器の汚れはいつの間にか拭き取られ、次の戦闘への準備が整っていた。


その「いつの間にか」がなくなった今、疲労と汚れは蓄積する一方だ。


「へっ、でもまあ、ここまで来れたんだ。レオなんていなくても余裕だろ」


目の前に巨大な扉が現れる。

ボス部屋だ。


「行くぞ! 開幕で俺が聖剣技グランドクロスを叩き込む! ミリアは防御バフ! ガンツはタゲ取りだ!」


重厚な扉が開く。

広大なドーム状の空間。その中央に、鎌首をもたげる三つの巨大な影があった。

階層主、ヒュドラ。

紫色の毒ガスを纏い、六つの眼がギラリと侵入者を睨みつける。


「グルルルルゥ……!」


地響きのような咆哮。

だが、アレクセイは不敵に笑った。

自身の身体を覆う、白銀の輝き。アリアンロッド商会から借りている、最高級のミスリル・フルプレート。

これさえあれば、ヒュドラの毒牙も、酸のブレスも通じない。


「死ねェェェ!!」


アレクセイが跳躍する。

聖剣に光を纏わせ、ヒュドラの首めがけて突っ込む。

必勝のパターン。

この一撃が決まれば、あとは消化試合だ。


その時だった。


空中に浮かぶアレクセイの視界に、奇妙な赤いウィンドウが出現した。

敵の攻撃ではない。

彼の装備している鎧の胸元から、ホログラムのように浮かび上がった文字だ。


【警告:レンタル契約有効期限が終了しました】

【契約者:レオナルド氏による更新手続きが確認できません】


「は……?」


アレクセイの思考が停止する。

文字は無慈悲に点滅を続け、次のメッセージを表示した。


【強制回収プロトコル起動】

【装備の全機能を凍結し、強制転送を開始します】


「な、なにを──」


ガシュンッ!!


金属が噛み合う音が響いた。

アレクセイの身体が、空中で硬直する。

鎧の関節が完全にロックされたのだ。

振り上げた剣を下ろすことも、着地姿勢を取ることもできない。

彼はそのまま、無様な姿勢でヒュドラの目の前に落下した。


ドサッ!


「ぐっ、うご、動けねえ!?」


まるで全身を鉄の棺桶に閉じ込められたようだ。

指一本動かせない。

そこへ、ヒュドラの巨大な顔が近づいてくる。

鼻孔から漏れ出る酸の臭いが、鼻をつく。


「アレクセイ様!?」


ミリアの悲鳴が聞こえた。

彼女が杖を構える。だが、彼女のマントにも同様の赤いウィンドウが浮かんでいた。


【警告:耐魔力結界マント・期限切れ】

【防御効果を無効化します】


シュウゥゥ……と音を立てて、マントの輝きが消える。ただの重い布切れになったそれを纏い、彼女は無防備な姿を晒した。


「な、なんで……? どうして!?」


パニックに陥る彼らの耳に、最後にガンツの絶叫が響いた。


「盾が! 盾が消えたぞ!?」


彼の手から、巨大なタワーシールドが粒子となって消滅していく。

商会への転送が始まったのだ。


「ふざけんな! レオ! レオオオオオッ!!」


アレクセイは叫んだ。

これがレオナルドの仕業だと気づいたからだ。

だが、遅い。

あまりにも遅すぎる。


ヒュドラの喉元が赤く膨れ上がった。

ブレスが来る。

防御不能。

回避不能。

回復薬ポーションの在庫はゼロ。


「いやだ、死にたく──」


視界が真っ赤な炎と、紫色の毒に染まった。

私のいない「普通の戦闘」が、いかに過酷で、理不尽で、金のかかるものか。

彼らはその身をもって知ることになる。


          ◇


同時刻。

セーフハウスにて。


私は懐中時計の針が、正午を回るのを確認した。

カチリ、と音が鳴る。


「……時間だ」


私は飲み終えたコーヒーカップを置いた。

商会長との話では、装備の回収時に「着用者の安全」までは保証しない契約になっているらしい。

まあ、Sランク冒険者だ。

装備がなくなった程度で死にはしないだろう。

命からがら逃げ帰ってくれば御の字。

五体満足なら奇跡。


どちらにせよ、彼らがこれから味わうのは、魔物の恐怖よりも恐ろしい「借金」と「信用失墜」という現実の地獄だ。


「さて、私も行くか」


私は荷物をまとめ、セーフハウスを出た。

目指すは地上。

そしてその先にある、新しい人生だ。

足取りは軽かった。

もう、誰の荷物を持つ必要もないのだから。


王都アリアンロッドの中心街。

その一等地に、真新しい看板を掲げたビルがある。

『レオナルド商会・総合物流コンサルティング』。


ガラス張りのオフィスからは、活気あふれる大通りが見下ろせる。

私は執務室の革張りの椅子に深く腰掛け、淹れたての紅茶の香りを愉しんでいた。


「社長、冒険者ギルドとの提携契約、無事に締結されました。これで全ダンジョンの補給ルートは、うちの独占です」


優秀な秘書官であるエルフの女性、シルヴィが書類を差し出す。

彼女の目は尊敬と信頼に満ちており、書類の不備も一切ない。

修正ペンのいらない決裁書。

それを読むのが、これほど快適だとは知らなかった。


「ご苦労、シルヴィ。君の調整能力にはいつも助けられる」


「いえ、社長の考案された『ダンジョン内ドローン配送システム』のおかげですわ。あれで冒険者の生存率は三割も上がりましたもの」


そう、私はあの後、ただの荷物持ちから経営者へと転身した。

『無限収納』と『状態保存』のスキルは、個人で使うより、物流インフラとしてシステム化した方が遥かに利益を生む。

私は複数の亜空間倉庫を連結し、契約した冒険者が必要な時に、必要な物資を即座に取り出せる定額制サービス(サブスクリプション)を開始したのだ。


これが爆発的にヒットした。

今や私は、王都の経済を裏で回すフィクサーの一人だ。


「……平和だな」


窓の外を見る。

かつては泥水を啜りながら節約していた私が、今はこうして街を見下ろしている。

あの地獄のような日々が、まるで前世の記憶のようだ。


「社長、次の予定ですが……アリアンロッド商会の会頭が、下のカフェでお待ちです。例の『不良債権回収』の件でご相談があるとか」


「ああ、あれか。わかった、すぐに行こう」


私はジャケットを羽織り、オフィスを出た。

不良債権。

その言葉の響きに、懐かしくも苦々しい顔が脳裏をよぎる。


          ◇


商会ビルの一階にあるオープンテラスのカフェ。

貴族や豪商たちが談笑する優雅な空間に、似つかわしくない騒ぎが起きていた。


「だーかーら! 俺は勇者アレクセイだぞ! ツケでいいって言ってんだろ!」


「お客様、困ります。当店は会員制でして……それに、その汚れた格好では」


入り口で、薄汚れた男たちがウェイターに食ってかかっていた。

ボロボロの革鎧。伸び放題の髭。かつての輝きを失った金髪。

アレクセイだ。

後ろには、虚ろな目をしたミリアと、痩せ細ったガンツもいる。

ミリアの聖女の法衣は泥で黒ずみ、ガンツの自慢の筋肉は見る影もなく萎んでいた。


数ヶ月前まで英雄と持て囃された彼らは今、ただの迷惑なクレーマーに成り下がっていた。


「あ、レオ!?」


私に気づいたアレクセイが、大声を上げた。

周囲の客が眉をひそめる中、彼はズカズカと私の方へ歩み寄ってくる。

異臭が鼻をついた。

風呂に入っていない獣のような臭い。


「おいレオ! 探したぞ! お前、こんな良いとこに住んでやがったのか!」


「……久しぶりだな、アレクセイ。元気そうで何よりだ」


私はハンカチで口元を覆いながら、努めて冷静に言った。


「元気なわけあるかよ! あの後、大変だったんだぞ! ヒュドラに殺されかけて、装備は全部消えるし、命からがら逃げ帰ったら、商会からとんでもない額の請求書が届くし!」


アレクセイは私の胸倉を掴もうとしたが、すぐに駆けつけた警備員に取り押さえられた。

地面に組み伏せられながら、彼は叫ぶ。


「全部お前のせいだ! お前が勝手に契約解除なんてするから!」


「契約書に書いてあったはずだ。『会計責任者の不在時は自動解約となる』と。君はサインする時、読みもしなかったのか?」


「読むわけねえだろ! お前が『ここにサインしてくれればいい』って言ったんだろ! 説明しなかったお前が悪い! 詐欺だ! 裏切り者!」


相変わらずだ。

彼は自分の無能さを、他人の悪意に変換することでしか精神を保てない。

私は憐れみすら感じながら、シルヴィから一枚の羊皮紙を受け取った。


「アレクセイ。君に渡すものがある」


「……なんだよ。慰謝料か? 金ならいくらでも受け取ってやるぞ」


「請求書だ」


私は羊皮紙を彼の目の前に落とした。

そこに記された数字を見て、アレクセイの目が飛び出るほど見開かれた。


「は……? じゅ、十五億ゴールド!? なんだこれ!」


「君たちが紛失した国宝級ミスリル装備一式の弁済金。それに伴う違約金。さらに、数ヶ月分の延滞利息だ。私はアリアンロッド商会から、この債権回収を委託されている」


「ふ、ふざけんな! 払えるわけねえだろ!」


「だろうな。だから、差し押さえの手続きを済ませた」


「……え?」


「君の実家の領地。ミリアの教会への寄付金口座。ガンツの実家の鍛冶屋。全て、この借金の担保として競売にかけられる。法的な手続きは昨日、全て完了した」


アレクセイの顔から、完全に血の気が引いた。

ミリアがその場に崩れ落ち、ガンツが泡を吹いて倒れる。

彼らは知らなかったのだ。

私がどれほど緻密に、彼らの資産背景を把握し、担保設定を行っていたか。


「待て……待ってくれ、レオ」


アレクセイの声が震える。

先ほどの怒号は消え、情けない懇願の声に変わっていた。


「悪かった。俺が悪かったよ。謝る。土下座でもなんでもする」


彼は警備員の手を振りほどき、私の靴に縋り付いた。

かつて魔王を倒すと豪語した勇者が、今は元・荷物持ちの革靴に額を擦り付けている。

額が割れ、血が滲む。


「なぁ、戻ってきてくれよ。お前がいなきゃダメなんだ。俺たち、パーティとして機能しないんだよ。お前が管理してくれれば、またSランクに戻れる。そうしたら、借金だって返せるだろ?」


「無理だな」


私は即答した。


「なぜなら、君たちにはもう『信用』がない。どのギルドも、どの商会も、君たちとは取引しない。ブラックリスト入りだ。Sランクどころか、Fランクの依頼すら受けられないだろう」


「そんな……お前が口添えしてくれれば……俺たち、友達だろ……?」


上目遣いで私を見る瞳。

そこにあるのは友情ではない。

ただの依存だ。

自分を養ってくれる便利な宿主を探す、寄生虫の目だ。


私は冷ややかに笑った。


「友達? ああ、そういえば昔はそうだったな。だが今は違う」


私は彼の顔の横にしゃがみ込み、耳元で囁いた。


「私は商人だ。損をする取引はしない。君という人間は、コストパフォーマンスが悪すぎるんだよ」


立ち上がり、私は警備員に目配せをした。

アレクセイが引きずられていく。


「レオ! レオオオオオッ! 俺を見捨てるのか! 幼馴染だろオオオッ!!」


断末魔のような叫びが遠ざかっていく。

カフェの客たちは「あれが噂の落ちぶれ勇者か」「自業自得ね」と冷淡に囁き合い、すぐに興味を失って優雅なティータイムに戻った。


これが現実だ。

世界は残酷なまでに、結果と信用だけで回っている。


「……行こうか」


「はい、社長」


私はシルヴィを連れて、商会長の待つテーブルへと歩き出した。

胸の奥にあった、黒い澱のようなものが完全に消え失せているのを感じた。


復讐などという大層なものではない。

ただ、不要な在庫ゴミを処分し、帳簿を綺麗にしただけだ。


「社長、午後の予定ですが、王立騎士団からの講演依頼が入っています。『組織における補給の重要性』について語ってほしいと」


「面白い。受けよう。『ポーションは湧いてこない』という話から始めようか」


「ふふ、きっと皆様、耳が痛いでしょうね」


シルヴィが軽やかに笑う。

青い空。心地よい風。

私の前には、無限の可能性と、自分の力で切り拓ける未来が広がっている。


もう、後ろを振り返る必要はない。

私の人生という物語の主人公は、勇者アレクセイではなく、私自身なのだから。



最後までお読みいただき、ありがとうございます!


「ざまぁ」はこれで終わり……ではありません。

実は、これはレオナルドの快進撃の「ほんの序章」に過ぎません。


この続きとなる【連載版】を別ページにて公開中です!

連載版では、物語のスケールが桁違いに加速します。


▼連載版で描かれる「続き」の展開

・勇者の末路:借金奴隷として日雇い現場で泥にまみれるアレクセイ(本編未収録の悲惨な生活描写あり)。

・国家への制裁:レオを追放した王国が兵糧攻めで詰み、国王が土下座しに来るのを「見積書」で殴り返す。

・魔王との商談:勇者がいないなら、魔王とビジネス提携して戦争を終わらせればいいじゃない。


「国が傾いたので、王位ごと買い取りました」

そんな、商魂たくましいレオの【国家規模の大逆転劇】を楽しみたい方は、ぜひ以下のリンクから連載版へお越しください!

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― 新着の感想 ―
え?責任を負わないための証拠である契約書破り捨てちゃうの?
日本だと裁判で無効になりそうな契約で笑った 流石に手入れ1日サボってここまでダメになる武器は不良品だと思うよ 使用環境考えていない信用できない商品
追放されなかったら自分も参加してるボス戦中に契約切れるんでは?用意周到っぽい主人公がそんな適当な契約する? それとも遠隔で契約更新出来るとか? ゴブリンごときで刃こぼれしたり一晩で駄目になる剣やら防具…
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