鎖と向き合う
「役を演じるにあたって、“目を気にする”と言うのはとても大切なことなんだ。」
正確には、演じるにあたっても、かな。と兄貴はいうが、俺は一度聞いただけではあまり理解できなかった。
「まずは、琥珀自身の内面の話からしよう。」
いまいちピンとこない俺に対して兄貴は説明を続けた。
「あの出来事によって琥珀は、極端に、だけど何かをする時周りの目を気にするようになっただろ?それはいい意味で言えば周りからどう見えているのか、自分を客観視できているということでもある。自分が置かれたその状況下でどのように行動するのが得策か、そう言ったものを考えるのは得意なんじゃないか?」
「別に、得意なんかじゃ……。」
「お前がそう思ってなくても、少なくとも俺はそう思うよ。いわゆる気遣い屋さんってやつだな。」
兄貴はそう言いながら俺の隣へ腰掛ける。
「まあこの性質はいいことだらけではないな。周りの様子を伺ってもどう思われるかどうかを怖がって、何も行動を起こせなければ鋭い推察力も意味がない。」
今までの少しおちゃらけた雰囲気はどこへやら、兄貴の声のトーンは優しく、真面目で、こちらにきちんと届くように一つ一つ丁寧に言葉を紡ぐ。
いつもなら何真面目ぶってるんだ、と跳ね除けるところだけど、そんな気はかけらも起きなかった。
「琥珀は困ってる人は放って置けないし、人の役に立てるなら自分のできることで何かしてあげたいっていう性格だっていうのを俺は知ってる。気遣いができて、行動力があって、鋭い推察力を持つ。大抵のことはそれらがあれば力になれる。けど……。」
「けど、なんだよ?」
兄貴はそこで言葉を一度切った。その続きが気になり促すと、目を伏せて少し言いにくそうに告げた。
「それ故に失敗をした経験があまりにも少ない。大抵のことはうまく器用にこなしてしまえるからこそ、いざという時のリカバリーの方法も知らないし、その“失敗してしまった”という事実を重く受け止めてしまう。真面目だからこその欠点なんだ。」
「……でも、失敗なんて何回もするものじゃないし、しないほうがいいだろ。」
「本番ではな。けど芝居というのはトライアンドエラーを繰り返すもの。いろんなパターンを試した上で、失敗から学ぶことのほうが多いくらい。失敗を恐れる心がどこかにあったお前は、無意識に失敗しないものを選んでいた。どこかで意外と自分に向いてるかもって思ったことあるだろ?」
そう言われて、俺は言葉を発せなかった。
「正直に言うと、今のお前は演技には向かないところがある。失敗することを“悪いこと”としか捉えられず、それを長い間引きずった上で解決しようとせずに“次は失敗しないように”とその時とった行動を完全に悪手として考える。またそう言った失敗を恐れることと経験の少なさからアドリブで返す術も持たない。」
全くその通りだ。当時練習している時にはセリフを飛ばしたり、移動を間違えたりすることはあまりなかった。思っている以上にするするとうまくいっていたので何も心配はしていなかったし、むしろ向いているとも思っていた節がある。
兄貴の言っていることは、正しかった。けれど全てわかったようにいうのが気に食わない。
悔しさから俯き、しばらく無言の時間が続く。すると突然、兄貴は俺の頭をわしゃわしゃと撫で回してきた。
「〜〜〜っ!いきなりなにすんだよ!?」
当然俺はすぐさま頭の上の手を振り払う。
「ごめんごめん。そんな顔をさせるつもりはなかったんだって。」
兄貴はそんな俺を少し困ったような表情で見ていた。そして改めて切り出す。
「別に楽観的になれと言うわけじゃない、失敗に慣れろと言うわけでもない。向かないとは言ったけどそれはあくまで俺の主観だ。役者をするならその琥珀が備えてる3点はとても役に立つモノでもある。けど、まずは成功=お客さんにウケる、失敗=お客さんにウケない、みたいな、お前の中の概念を壊すことが必要だ。」
それと似たようなことをつい数日前、氷室にも言われた気がする。
『常に正しい答えを目指すと、間違えた時にダメージがくる。だから琥珀くんには、正誤じゃない、その先を目指して欲しいんだ。』
『だから、失敗を恐れないで。君が何をやっても、その先を見据える力があれば乗り越えられるよ。』
あの時分かったつもりで、乗り越えられたつもりでいたけれど実際は違った。まだ俺は無意識に無難という選択肢を選び、枠を超えることもなく”失敗しないように“という鎖に囚われている。
だから意識しても、無難な自分という枠を壊すことができていない。リミッターを外すことができない。
できるようになりたい。ここまで来たのなら俺としてではなく役として、その時を生きてみたい。
「……どうすれば。」
「ん?どうした?」
「……どうすれば、失敗が怖く無くなる?」
俺が決意を込めた声でそう聞くと、兄貴は待ってましたと言わんばかりに口を開いた。
「どうすればいいか、知りたい?」
「あぁ。このまま終わるなんてことはしたくないからな。」
「なら、あらかじめ言っておきたいのは、この手の悩みにおいて速攻性のある特効薬は存在しないことだ。」
今日は兄貴の意外な一面ばかり見ている気がする。何度この真面目で尚且つ見透かすような目に見られただろう。
「失敗に対する恐怖心を全て拭うことはできない。それでも失敗が必ずしも悪いものではないと、考えを変えることはできる。けれどそれまでにあっているのかどうかひたすら試して、いい方向性に変わるかどうかに賭け続けることになる。変わらなくて、時間を無駄にしてしまうこともあるかもしれない。たとえ時間がかかっても、いつか変われることを信じて、自分と向き合い続ける覚悟はあるか?」
俺はそう覚悟を問う兄貴に向かって告げる。
「やれる限りのことはやる。それだけだ。」
「……琥珀も立派になったねぇ。お兄ちゃん感動だよ〜。」
「うるせぇ、いいから早く教えろ。」
ぐすんぐすんと泣き真似(兄貴のことだからもしかしたら本当に泣いているかもしれない)する兄貴を横目に俺は立ち上がる。
「それで、まずはなにをすればいい?」
「そうだな〜、じゃあまずは、人の目を見ることから始めようか。」
「人の目を、見る?」
そう俺が聞き返すと、兄貴も立ち上がり俺の目線に合わせて屈んだ。そのまま数秒まじまじと見つめられて戸惑う俺に対して、にこっとふんわり笑う兄貴。居た堪れなくなった俺はふいっと目を逸らす。
「……ふざけてないで早く進めろ。」
そうぼやくと兄貴ははーい、と返事をして説明を始めた。
「琥珀は役として喋る時、どんなことを意識してる?なんとなくでいいから教えてくれ。」
「ちゃんと声に抑揚とか感情を乗せる、相手の芝居をしっかり聞く、演じてる時の状況を浮かべて、目の前にちゃんとその話しかけている人がいることを想像するとか……。」
「ふんふん、基本的なことは大丈夫そうだな。それが実践できているかどうかは別として。」
「……。」
最後の一言にぐうの音も出ない。他の人たちからは特になにも言われていない分、自分自身でできているかどうか、常に疑いの晴れない日々だ。
そう考えて目を伏せると、兄貴は「だけどそれでいいよ。」と続ける。
「俺もいまだに自分で意識してることができているか、なーんてわからないんだ。」
「そう、なのか?」
てっきり器用に物事をこなす兄貴のことだから、そう言った苦労などなく出来ているのかと思っていた俺は目を見張る。こうして向かい合って話す機会など今までなかったから、新鮮さを感じるとともに新たに知る事実もたくさんあって驚きの連続だ。
そしてどうやら俺は、兄貴のことをよく知っているようで知らなかったらしい。
「出来てなくてもちゃんと意識してやっているかどうか、それをずっと諦めずに続けられるかどうか、やる気があるかどうかとかの方が重要だと俺は思う。」
「でも、それで結局いつまでも出来なかったら意味がないだろ。」
「初めてもいないのにそうやって否定から入るのは良くないね〜。とにかく、一旦出来る出来ないは置いておいて、騙されたと思ってまずはやってみよう!」
確かに、後ろばかり向いているのは良くないなと自分でも思い直す。その言葉を皮切りに、兄貴による特別訓練が始まった。
「実際に台本を使って練習する前に、ちょっとした実験、してみようか。」
「実験?」
そういうとなんの説明もなく兄貴は俺にずんずんと近づいてくる。
最初は距離があったため特になにも思わなかったが、よくよく見ると兄貴は微笑みを湛えたまま目線を逸らすことなくこちらに近づいてきていた。戸惑っていると兄貴は悠々と俺自身のパーソナルスペースに立ち入り、互いの鼻がぶつかりそうなところまで距離を詰めた。
「い、いきなりなんだよ……?」
あまりない距離に兄貴が来たことで後退りつつも、俺は恥ずかしくなって笑う。
兄貴はそんな俺の反応を見ると満足そうに頷いて、一旦俺から離れた。
「今、なんで笑ったか、自分でわかる?」
「それは、兄貴が急に近づいてきたから、びっくりして恥ずかしくなって……。」
「うーん、本当にそう思う?」
兄貴はそういうと、くるっと振り向いて、元いた位置まで離れる。
今度はなにをさせる気なのか。俺が訝しんでいると次なる指示が飛んでくる。
「じゃあ次も同じように近づくけど、琥珀は俺がいいっていうまで目を閉じてて。」
「……?わかった。」
指示された通りに目を閉じる。だんだん兄貴の気配が近づいてくるのがわかるものの、見えない分警戒して少しずつ後ろに下がろうとする。
やがて目の前の空気の動きが止まる。おそらく先ほどと同じくらいの距離で兄貴が止まっただろうと推測した。
無言の時間は30秒ほどだったはずだが、無性に長く感じる。しばらくして目の前の気配が遠ざかり、やがて兄貴は口を開いた。
「はい、実験終わり。目を開けていいよ。」
「はあ、なんなんだよ全く……。」
「今勝手に体が反応してたの分かった?」
「どういう、ことだ?」
そう言われて、先ほどの自分の行動を思い出す。確かに兄貴が近づいてきた時、あまりにも近すぎて恥ずかしくなって笑ったり、後ずさったりしたけれど、それは勝手に、ではなくてそういう理由があってした行動だから、いまいちピンとこない。
よほど難しい顔をしていたらしく、何が面白かったのか兄貴がクスッと笑う。
「意外と人間、考えよりも行動が先になることが多いんだよ。」
「でも、さっきのはちゃんと理由があったぞ。兄貴が急に近づいてきて、気持ち悪いなと思って。」
「そんな言い方なくない!?流石にお兄ちゃん傷つくよ!?」
「う、嘘だよ、流石に冗談だ……。」
流石に言いすぎたので急いでフォローを入れる。話を戻して、行動が先とはどういうことだろうか。
「恥ずかしい、だとか、まあ、その、気持ち悪い?とかっていう思考は自分がした行動に対する理由づけだ。例えば、俺が近づいた時恥ずかしいな〜と思ってから後ろに下がったわけじゃないだろ?あくまで、体が勝手に反射的に動いた、その理由を説明するために感情が後付けされたにすぎない。」
「う、うん?わかるようなわからないような……?」
「要するに人間、感じたことに対して思考が先ではなく運動神経が先に働くってこと。聞いたことはないか?ついカッとなって手を上げてしまった、とか、気がつけば考えるよりも先に体が動いた、とか。」
ふと思い返してみれば、そう言った行動は多々見る気がする。だとすると反射で動くというのは人間の仕組みとしてはおかしくないのだと納得する。
なら2回目の時、あえて目を瞑らせた理由はなんだったんだろうか?
「2回目に目を閉じさせたのは、反応の遅さを体感してもらうためだ。目が合っているという事象がなかっただけで、笑ったりという反応はなかった。まあ、琥珀は俺に対する警戒心があったから恐る恐る後ろの方に下がっていっていたけどな。」
「……目が見れないだけで、結構動きって鈍くなるんだな。」
「だからこそ役を演じる時に目を見て何かを感じ取る、と言うことは大事だし、この役がこう言ったから今自分はこう考えて行動を起こした、なんてやっていたら人間として不自然だろう?もちろん考察も大事だけど、相手の反応に対して自然と体が動くようにそう言ったことも含めて訓練していく必要がある。」
「けど、俺がやるべきことって声の芝居だろ?そこまで意識しなくてもいいんじゃ……。」
そう言いかけて慌てて口をつぐむ。恐る恐る兄貴の方を見ると予想通り、口角がどこへいったかわからないぐらいニコニコ笑顔だった。ただ、怖い。
こう言ったことを以前、白鷺か誰かに言ってかなり絞られた記憶がある。となると、この先の展開は予測できてしまう。
「役に立つか立たないかは、琥珀が決めることじゃないね。やるんだろ?」
どこか既視感のあるスパルタな笑みを浮かべる兄貴。俺に対して甘いと思っていたが、今回に限ってはそうじゃないかもしれない。
目は口ほどに物を言う、とはこういうことなのかもしれない。
俺が怯える中、本題に入ろうか、と兄貴は仕切り直す。
「じゃあまずはこのシーンからだな。俺がコウキと、一文だけどマイのセリフを読むから、お前はユウトのセリフを読んでくれ。」
そう言って指定されたシーンはここだ。
コウキ:なぁ、お前とマイってどんな関係なの?
ユウト:どんな関係って……、ただの幼馴染だけど。
コウキ:本当にぃ?いつも一緒に帰ってるから結構噂になってるぞ?
ユウト:え、そう、なのか……?
コウキ:そうそう。付き合ってるんじゃないのか〜って。
ユウト:は、はぁ?んなわけないだろーーーー。
(ト書き:ここでマイが教室に入ってきて言葉を遮られる)
マイ:ユウトー!お待たせ、帰ろー!
コウキ:ほら、噂をすれば……、お呼びだぞ。
ユウト:〜〜〜っ、分かってるよ。今行くー!
マイとの関係性についてコウキに若干詰められるシーン。この時点ではユウトは自身の思いを自覚しておらず、ここからマイとの関係性を考えるようになる。マイもユウトのことを恋愛対象として捉えてはいない。
ひとまず今までの通しで受けたディレクションを思い出しつつ、兄貴と交互にセリフを言っていく形になる。
「そうそう。付き合ってるんじゃないのか〜って。」
「は、はぁ?んなわけないだろ……」
読んでいくうちに疑問が湧く。
(いくら大学で演劇を専攻していたとはいえ、うますぎじゃないか?)
俺はここまで普段の部活で練習しているから、詰まったり、噛んだりすることは少なくなってきていた。
その一方で兄貴は、この台本は初見のはずなのにスラスラと、しかも滑舌良くいい発声で、いい声で読んでいる。演技に含まれている感情表現も自然で、違和感がない。まるで声の演技を生業としている人のようだった。
それこそ、俺が部内で一番上手だと思っている氷室よりもさらに上。桁違いだと思うほどに、兄貴の声には底知れない秘められた実力がある気がした。
一旦一区切り付いたところでなんの気も無しに聞いてみる。
「兄貴、読むの上手いな。」
「そりゃあ、4年間みっちり鍛えられてるからさ。これぐらいはできてないと。にしても琥珀とこうやって台本を読み合わせる時が来るとは……、お兄ちゃん感動だよ〜。」
「いちいち感動してたら話進まねえだろうが。」
自分の実力に関して驕ることなくさらりと言う兄貴。なんだかうまくかわされた気がしたので、追求してみてもよかったのだが、ここで聞いて訓練を脱線させるわけにもいかないと思い、またの機会にする。
「次は……、ここと、あと、ここもちょっと読んでみてくれ。」
次に指定されたのはユウトが同じ委員会であるカノンと作業をしている時に話しているシーンだ。
カノン:ユウトくんは、文化祭の日って予定決まってる?
ユウト:今のところ、特に決まってないよ。
ユウト:(一応マイとコウキに一緒に回ろうかって声をかけようとは、考えてるんだけど……。)
カノン:そーなの??じゃあ、もしよければ私と一緒に文化祭見て回らない?
ユウト:いいけど……、でも、なんで俺と?
カノン:なんでって、私がユウトくんと一緒に過ごしたいからだけど……、ダメかな?
ユウト:いや全然、ダメとかじゃない。俺でよければ付き合うよ。
カノン:やったぁ、じゃあ当日楽しみにしてるね!
それからマイと話しているシーンも聞きたいらしく、指定されたシーンは一緒に帰っている中、マイがユウトに転校することを伝えようとして伝えられずに終わるところだった。
マイ:ねぇ、ユウト。
ユウト:何?
マイ:こうやって大好きな人たちと楽しく過ごせる時間って、あとどれくらい続くのかな。
ユウト:何を言い出すかと思えば、どうした急に。
マイ:最近思うんだ。当たり前って、当たり前じゃなかったんだなって。
ユウト:……マイ?なんかあったのか?
マイ:あのね、ユウトーーーー。
ユウト:(マイの言葉に被せる)さてはお前、推しが活動休止するから落ち込んでんのか!?
マイ:は、はぁ!?んなわけないでしょ!ちゃんと再開するまで待つって決めてるし!てかなんで知ってるの!?
ユウト:お前のことだからなんでもわかるよ。
マイ:……ユウト。
ユウト:だって幼馴染だし。らしくねーよ、お前がそうやってしおらしくなってんの。
マイ:そう、だよね。
ユウト:(この時茶化さずにマイの話をちゃんと聞いておけば良かったと、俺は後悔することになる。)
「やっぱり琥珀は基本的なことはできてる。ちゃんと仲間から言われたことを意識して、努力しているのが伝わってるよ。」
「でも、これじゃまだ足りないみたいなんだ。俺はちゃんと意識して役に話しかけているのに……。」
「それは役を見ているようで見ていないからだな。」
「役を、見ていない……?」
そう言うと兄貴はダイニングテーブルの上に台本を置く。
「その監督をしてくれている先輩が言っていることは間違っていない。その役をしっかり想像してみることはできているんだけど、役を通り越して、その先にいる役者に話しかけてしまっている。今おそらく琥珀にとっては声と演技が分離してしまっている状態なんだ。」
いつも通りに聞こえるのは、その演者=声である状態に引っ張られて無意識に普段の態度で喋ってしまっているからだと兄貴はいう。
「コウキとユウトのやりとりに関しては良かった。コウキの役が親友の遠山茜くんやお兄ちゃんに似ているところがあったからね。けれどマイやカノンに対してはどうだったか。まあ演者の性別が違うから経験があまりない琥珀にとってはやりづらいところもあっただろうけど、普段の俺と接するような感じだったな。」
「だっていくらなんでも兄貴がマイとかカノンを演じるのは無理があるだろ……。」
「本番ではないかも知れないけど練習ではいくらでも起こり得ることだ。そこは是非とも関係ないと割り切って演じて欲しいところだね。」
話を聞いているうちに、俺の中でもしや、と思ったことがある。
「兄貴はさっき、役を見れているようで見れていないって言ったよな。」
「うん、言ったね。」
「それって、俺の想像する役と、相手の想像している役に差があるから……、だったりするのか?」
即興演技で確か意思疎通がうまくいかないパターンとして演者の実力不足か、それとも芝居を受け取る側の知識不足かの二つの要因があったはずだ。
黒木や白鷺の演技力は十分あると即興演技で実感している。つまり考えられる要因はその芝居を受け取る側である俺の知識不足になる。一度台本を使った練習に入る前にそれぞれの役の説明は受けているが、俺の想像する役の性格やイメージを、理解しているようで理解しきれていなかったのかもしれない。
それ故に知っているもので埋めようとした結果、無意識に普段の黒木や白鷺に接しているような態度になったのだ。足りないものをあるもので埋めようとするのは、ある意味人間の素晴らしい機能だけれど、ここでは活躍しないで欲しいところだ。
考え込む俺を見て兄貴は満足げに頷いた。
「どうやら、納得のいく仮説を見つけたようだね。ただ、ここで勘違いしちゃいけないのは、こうかもしれない、と思った考えをすぐさま“答え”として固定してしまうことだ。琥珀の場合はそれらを正誤で捉えやすい性格をしているから、一旦は仮説として、あくまで数ある引き出しの棚にしまっておける知識が増えた、と思っておくことをお勧めするよ。」
さて、と兄貴は一息入れて話を続ける。
「とはいえ、その一つの役に対して全ての役者の認識を揃えるなど無理に等しい。揃えることは大事だけどその役者の個性も潰しかねない。」
「でも、できるならそうした方がいいんじゃないのか。」
「できるなら、ね。けど、この世の中には演技や芝居のコンテンツが無数に溢れている。たくさんの作品を扱う中で、流石に細かなところまですり合わせていたら、それこそ時間の無駄だ。」
「む、無駄って……、それなりに意味があることだよな?」
「あぁ、琥珀が考えてる無駄じゃないから安心しろ。監督や演出家、そう言った人たちのディレクションに少ない時間で迅速に応えるために、役者は常に数パターン手数を用意して現場に臨む。そんな当たり前のこと、役者は当然自分で考えてやってのけるからそんな時間はいらないって話だ。」
「……。」
最後の有無を言わさない一言に、思わず押し黙る俺。さすがは4年間演劇についてだてに学んできただけのことはある、と納得する。
けど、明日以降役の詳しい認識を聞けたとして、認識をそろえるということは今の俺にはやってのける時間も実力もなく、方法も知らない。
どうしたらいいのか、と兄貴を見ると「俺が最初に言ったこと、覚えてるか?」と問われる。
「えっと、確か”目を気にする“のが大切だー、とか?」
「そう、それが一番、認識をすり合わせるのに手っ取り早い方法だ。」
「……どういうことだ?」
「具体的には、しっかりその役の”目“を見るってこと。こう言った実際の人物を見ることができない声の演技ではさらに重要なことで、役者の目じゃなくてその喋っている役の目を見ることが大切だ。目を見て喋る、人間の基本だろ?」
「それって結構難しいことでは……。」
「まー、難しいね。けどできるようになれば、どんな状況でもその声に乗った感情を受けて反応を返すことができる。」
何はともあれ、実践してみようじゃないか。そう兄貴は俺に向けてヘッタクソなウインクを飛ばした。




