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試練と鍵



 とうとう観晴ヶ丘祭まで1週間を切った。


 これまで基礎やらなんやらを中心に取り組んでいたものの、ここ最近は台本の読み合わせはもちろんのこと、当日のタイムテーブルの確認や、マイク前での台本の持ち方など色々と実践的なことに取り組んでいた。


 マイク前で演じる時の注意点、例えば台本を捲る時には音を立てないようにそれぞれ工夫をしていることだとか、マイクと口の距離感とか、そう言ったことはすぐに意識はできたのでさほど難しいことではなかった。


 やっていることが声優さんのアニメのアフレコ現場で見るような光景で少し面白いとも思う。


 しかし、俺はあることが原因で不安と焦りを抱えていた。ここ最近練習を重ねていく中で、俺にはキャストとしての致命的な欠陥が見つかってしまったからだ。


 今日もブースで読み合わせに取り組む中、監督の有栖川先輩によって一旦カットがかかる。



「うーん、やっぱり、役に話しかけられてないんだよなぁ〜。」


「……すみません、なかなか、難しくて。」



 有栖川先輩曰く、俺は“その役に話しかけている”のではなく”その役を演じている本人に話している“ように聞こえるらしいのだ。


 例えば茜が演じるコウキなら、俺が演じるユウトの親友という設定なので俺がいつも通りの態度だとしても違和感はないだろう。

 

 けれどこれが黒木や白鷺が相手だと、いくらユウトが自分に近い設定の役とはいえ、今とは状況が全く違う。


 詳しく説明できていなかった(ep.1で俺が茜の熱弁を見事に右から左へすっ飛ばしていたためである)が、この観晴ヶ丘祭用の台本は高校生の恋愛模様を描いた青春群像劇だ。台本の内容を大まかに説明するとこうだ。




 俺が演じるユウトにとって、黒木が演じる幼馴染のマイが隣にいるのがいつもと変わらない日常だった。けれどマイは親の仕事の都合で遠くの地への引越しが決まり、転校することになってしまう。


 マイに対する気持ちを茜が演じるコウキはユウトに問うが、わからないユウト。さらにユウトとマイのクラスメイトである白鷺が演じるカノンは、ユウトのことが入学して以来気になっていて、これをきっかけに2人の仲を割いてしまおうとしていた。もちろんマイも複雑な気持ちを抱えていて……、果たして2人の関係はどう変化していくのか。




 と言った内容だ。ネタバレをすると最終的には2人はお互いに抱えていた想いを告白しあい、幼馴染から恋人になる。もちろん告白シーンもある。


 なので、この部活上での関係性が作中で見えてはいけないのだ。俺としてはきちんと役に入り、ちゃんと役として話しているつもりなのだが、周りから見ると違うらしい。


 有栖川先輩は改めて説明してくれる。



「ユウトはマイに対して最初は幼馴染で気のおけない仲で、そこからお互いを異性として意識し始めたりだとかが見えてこなきゃいけない。一方カノンに対しては、自分に対して話しかけてくれる優しい子って印象がないといけないんだけど、なーんかさ、良くも悪くも普段通りなんだよね〜。」


「良くも、悪くも……。」


「そう。自然体で大変よろしいんだけど、茜くん以外には琥珀くんは遠慮がちっていうか、いつもと同じで一線を引いているところが見えているんだよー。もう少し糸音ちゃんも強気な姿勢は抑えていいとは思うんだけど、今のままじゃ、ただいつも通りに糸音ちゃんとくるみちゃんと話してるみたいになっちゃって、少し関係性がおかしくなっちゃう。」



 どうしたら、と真剣に悩む有栖川先輩。


 読み合わせが始まって気がついたことだが、有栖川先輩は普段ふわふわとしているのにこう言った指導の時には人のことをよく見てくれていて、印象が全く違う。


 俺は意識しているわけではない、むしろちゃんと役に向かって話しているつもりなのだ。だからこそ俺としてはむず痒いというか、悔しくてたまらない。



(こんなに意識して役に話しかけているのに、何が足りないっていうんだよ……!?)



 俺は悔しさから拳をぐっと握りしめる。その仕草に気づいているのかいないのか、有栖川先輩は続ける。



「でも、最初よりかはぐっと良くなってるよー?あとちょっと、粘り強くいきましょ〜。」


「……はい、ありがとうございます。」



 有栖川先輩はそう言って、次の人へディレクションを進めていく。


 初心者の俺には、できることとできないことがある。それは痛いほどこれまでの怒涛の日々で理解した。


 以前、迷惑とか考えなくてもいい、というようなことを聞いたけれど、たとえそのようなことが大前提だとしても、他の人の視線が怖い。どんな目で見てるのか、怖くて見れない。


 だからひたすら台本を読んで、状況を想像してを繰り返す。



(早く、なんとかしなくては……。)



 焦りに駆られずっと台本と睨めっこしていたせいで気が付かなかった。


 茜が、俺を心配そうな目で見つめていたことに。





 そんなこんなで帰路に着く。


 茜は「俺、ちょっと用事あるから!」と先にダッシュで帰ってしまった。さすがは中学時代陸上部だった男。追いつけるはずもなく、追いかけることは早々に諦めた。


 家までの坂道を登り切ると、珍しく家の電気がついていることに気がついた。


 両親が共働きなので、基本的に家に一番早く帰ってくる人間は俺なのだが、例外な日がある。


 カバンからごそごそと家の鍵を取り出して鍵穴に差し込み回すと、その音で気がついたのか家の中からドタドタと玄関へ向かう足音がした。



「はあ、入るしかないか……。」



 俺はため息をついたあと、覚悟を決め扉を開けた。その途端に俺より少し背の高い人物に抱きつかれる。



「う、うわあぁぁっとと!?」


「おかえりー!琥珀ー!」


「暑苦しっ、離れろこのブラコン兄貴!」



 そう強い口調で言ってもその人物は「えー、久しぶりだからいいじゃーん!」と離す気がない。


 俺の兄である藤倉空(ふじくらそら)。現在26歳。目が悪く普段はシームレスなメガネをかけている。本人曰く仕事は“フリーターのようなもの”だそうで、こうして家に帰っていることもあれば、数日顔を合わせないこともザラにある。


 そして一番厄介な点がブラコンだということ。玄関を開けて早々抱きついてくるのはやめてほしい。


 離れる気のない兄貴をなんとかひっぺがして家の中に入る。早々に手洗いうがいを済ませて自室へ逃げ込むべきだと判断し、洗面所へ早足で向かっていると、後ろから兄貴の声がかかった。



「そーいえば琥珀、お前文化祭でラジオドラマの主役やるんだって?」



 その言葉に、俺は足を止めざるを得なかった。


 恐る恐る、自分でも動きがかくついているとわかるぐらいに振り返る。兄貴は気持ち悪いほど満面のニコニコ笑顔だった。


 

「な、なんで、それを……。」


「いやー、君の親友の遠山茜くん?って子がさっき来て教えてくれたんだよねぇ。」


「まさかあいつ……!」



 さっき、という言葉に全て納得がいった。茜が今日走って帰ったのは、俺より先に俺の家に辿り着き、家に押しかけるためだったのだ。



「いやぁ、放送部には素晴らしい情報提供者がいるもんだね〜。」


「茜……、明日覚えておけよ。」



 機嫌のいい兄貴とは反対に、俺はますます茜に対しての怒りが増す。


 それにしても俺としてはこの話を聞いて疑問が浮かんだ。


 兄貴は物腰柔らかでいるようで、実は周りの人間に対しては割り切っているところがある。自分にとって必要だと判断しない限り人の名前もあまり覚えない。


 茜と兄貴は家に遊びに来た時など、俺を介して会ったことがあるとはいえ、その回数は片手で数えられるほどのはずだ。それが茜と連絡先を交換するぐらいの仲だっただろうか?


 俺がそう考えに耽っている最中、兄貴は嬉しそうに経緯を話す。



「さっき家でくつろいでたら急にピンポンがなってさ、琥珀の足音じゃないから誰だろうと思ってドアを開けたらその茜くんがいたんだよ〜。んで、ぜーんぶ説明してくれた!」


「全部って、まさか。」


「そう!公演会のことについて全部!もちろんお前の悩みも聞かせてもらったぞ!」


「……最悪だ。」



 面倒な展開になることが確定してしまった。


 ただでさえ都生などの友人に見られるのも緊張するというのに、日程やら内容やら、兄貴が詳しく知って仕舞えば黙ってはいない。何がなんでも予定を空けて見にくるに違いないのだ。


 茜は俺の悩みまで話したというが、今日のような現状を見て一体どこまで察していたのだろう。



「俺の悩みって、具体的には何か知ってんの?」 



 俺は手洗いうがいを終えると諦めてリビングへと向かい、カバンをソファに放りながら兄貴に聞く。


 ソファにぼすんと音を立てて体を沈めると、兄貴も追いかけるようにリビングへと入ってきた。



「あぁ、茜くん曰く、役として見てるはずなのに周りからそうは見えない〜ってやつだよな?」


「……茜は本当に全部喋ったんだな。」


「ん?琥珀、なんか言った?」


「何も。」



 俺は呆れてため息をつく。ここまできたら、隠し続けるのは難しそうだ。


 まあまあ、と言いながら兄貴はそれまで作業をしていたのであろうダイニングテーブルの方へ向かい、椅子へ腰掛けた。


 改めて兄貴は俺に向き合うと口を開く。



「琥珀は、その、あんまり身内である俺に相談したくないだろうけど、一応俺もそれなりにそう言った道通ってきてるからさ。」


「……そういえば、そうだったな。」 


「今思い出したの!?」



 そんなぁ、とショックを受ける兄貴。こういう反応の仕方は茜とどことなく似ている気がする。


 兄貴の発言の“そう言った道”というのは、兄貴は大学生の時、演劇を専門とする大学に通っていたからだ。卒業してしばらく経っているから今の今まで忘れていたけれど、家族で何回か兄貴の出る学内公演も見に行った記憶がある。


 演者としてもそうだし、裏方の仕事までそつなくこなしていた。少し形は違えど、何か経験者としてアドバイスをもらえるかもしれない。


 兄貴は咳払いを一つすると、仕切り直す。



「とにかく!何か力になれることもあるはずなんだよ。だからお兄ちゃんにぜひ、聞かせてくれ!」


「わかったよ。」



 ブラコンで言動も好きではないけれど、今はこの状況から抜け出す術を知りたい。そう思い、俺は腹を括って、兄貴に話すことにした。



「俺としてはセリフを言う時はしっかり役に入って、その役に話しかけているつもりなんだ。けど、周りからはそうは見えないらしくてさ。これ以上何をどうしたらいいのか俺にはもうわからないんだよ。」


「あー、まあ、あるあるだよなぁ。俺もそんな時期あったわー。」


「兄貴にも?」


「まあな。けど、根本的な問題として、琥珀と俺では決定的に違う点が一点ある。」



 兄貴はそこで言葉を切る。そして俺の目を見ながら真剣な様子で告げた。



「琥珀は人前に立つことに対して恐怖心があるだろ?あの時“失敗”を経験してから。」


「……そう、だな。」



 どうやらまずは、過去と向き合わないといけないらしい。俺はあまり思い出したくなくて目を伏せる。



「俺は琥珀にとってトラウマになっているあの時のことを、客観的にしか理解していない。だから琥珀、まずはお前の言葉で、あの時どう思っていたのか聞かせてくれないか。」



 苦しいかもしれないけれど、そう続けた兄貴の声は思っていたより優しかった。俺は心の奥底に眠っていた過去を一つ一つ、思い返す。






 簡単な話だ。いわゆる人前で大失敗して、そこから恐怖を感じるようになってしまった。


 当時は中学2年生。秋の学芸発表会の学年全体で発表する劇に、メインで出演していた同級生が足の骨を骨折してしまい、急遽出られなくなってしまった。そこで代役として出たのが俺だった。


 その頃の、人の役に立てるなら、と軽い気持ちで受けてしまった事を後悔している。


 練習は至って順調だった。練習は、の話だけれど。


 いざ本番になって、体育館いっぱいの生徒たちを見渡した時、俺は固まってしまった。



 こんなにたくさんの人に見られている。失敗は許されない。



 とにかく覚えているセリフをそのタイミングに言うことに必死で、周りのことなど見えていなかった。


 綻びはいずれ大きな穴となる。言うべきセリフを一つ飛ばしてしまい、そこはなんとか仲間の機転でどうにかなったものの、そこから積み重ねていたものが一気に崩れた。


 セリフを忘れるたびに頭が真っ白になる。観客の視線が怖い。口を開くのが怖い。言葉が出ない。笑われている気がする。それでも仲間が繋いでくれて、なんとかエンディングまでたどり着いた。きっと最後のカーテンコールなんて、酷い顔をしていたに違いない。


 練習ではこんなことなかったのに、とそのあとどれだけ悔いたことか。もちろん助けてくれた仲間にも、元々出る予定だった同級生にも何度も何度も謝った。



 ーーーーー俺じゃなければ、絶対いい劇ができてただろうに。



 それ以来、俺は人前に立つのが怖くなった。月日が経って授業の発表や、教師からの質問に答えるなど、なんとかできるようになったけれど、今でもあの光景を思い出して夢に見ることがある。今だって人前で噛んだり、先生に質問に対して答えを間違ったりすると、頭が真っ白になる。そしてどう見られているのか周りからの視線も怖いのだ。


 だから、対策として基本的に目立つような事をやめた。高校に入ったら事なかれ主義で行こう。余計なこと、面倒なことには決して首を突っ込まず、静かに、おとなしく過ごすんだ、と。






 思い出したくない記憶をなんとか言葉にする。兄貴は黙って聞いてくれていた。



「なんで俺は、また代役なんて引き受けちゃったんだろうな。」



 そう俺はポツリと呟く。そもそもあの時引き受けなければこんな苦しい思いなんてせずに済んだのに。



「……うーんと、一個聞きたかったんだけどさ。」



 それまで話を聞いてきて疑問に思うことがあったのか、兄貴はやっと口を開く。



「失敗するのが怖いなら、昼放送とかも怖いんじゃないの?だってあれ、トークとかほぼほぼアドリブじゃん。」



 うちの昼放送は2人1組で曜日ごとの当番制。曲のリクエストや企画の募集など受け付けているものの、ほぼトークをしていることが多い。



「あれは別に怖くない。マイクに向かって話しているだけだし、たとえ万が一俺が何か変なことを言ったとしても、その聞いている人が目の前にいるわけじゃないから、人の反応を気にする必要がないから楽。」


「え、じゃあ琥珀はもしかして昼放送で、あんなことやこんなことまで言っちゃってるの!?」


「あんなことやこんなことってなんだよ!?誤解を招く言い方をするな!」


「あっははははっ!冗談だから!間に受けすぎだよ。」



 琥珀は真面目だなぁ、そう言いながら腹を抱えて笑う兄貴。本気で蹴り飛ばそうか考えたけれど体力的に動くのが勿体無いと思ってやめた。



「はー、笑った。ごめんごめん。」


「笑うなよ、こっちは真剣に悩んでるんだぞ。」


「ごめんって。けどさ、今の話を聞いて、俺は失敗の中にも琥珀の長所をしっかり見つけたよ。」


「……は?」



 こんな話したくもない、できれば心の奥底にしまっておきたい出来事の中に一体何があると言うのだろう。


 そう考えていると、いつの間にか兄貴はソファに座る俺の前まで来ていた。しゃがみ込み、俺としっかり目線を合わせると、自らの瞳を指さしてこう言った。



「役を演じるにあたって、“目を気にする”と言うのはとても大切なことなんだ。」




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