第5章 ー未来への約束ー
第5章 ー未来への約束ー
夜。宿舎に戻った航一は、眠ることができなかった。
暗闇の中で、航太の涙に濡れた顔が何度も脳裏に浮かんでくる。
――未来に孫がいる。
――自分は確かに「生きていた」。
その事実が、胸を締めつけていた。
死にたくない。まだ、生きていたい。
だが、命令は明日だ。
外に出ると、月明かりの下にスズが立っていた。
薄い羽織をまとい、静かにこちらを見ている。
「……眠れなかったの?」
「……ああ」
二人はしばらく無言で並んだ。
遠くで、赤とんぼが格納庫に並ぶ影が見える。
やがて、スズが口を開いた。
「航一さん……怖いんでしょう?」
その問いに、航一は思わず俯いた。
「……怖いさ。正直に言えば、死ぬのが怖い。お前を残すのも、腹の子を残すのも……全部怖い」
スズは小さくうなずき、彼の手を握った。
その手は震えていた。
だが、握る力は確かだった。
「私だって、怖いわ。……あなたがいなくなることが、何よりも」
航一の喉が詰まる。
「じゃあ……逃げたいと思わないのか?」
スズは少しだけ笑った。
「思うわ。でも……逃げたら、きっと一生、あなたを責めることになる。
行ってほしくない。でも、行くあなたを誇りに思う気持ちもある。
矛盾してるでしょう? ……女って、そういうものよ」
航一の胸に、熱いものが広がる。
涙がこぼれそうになるのを必死でこらえ、彼は言った。
「スズ……俺は、ずっと後悔してきたんだ。
本当は……野球をして、生きたかった。
仲間と笑って、ボールを追いかけて……お前と子供と、一緒に未来を見たかった」
スズは彼の胸に顔を埋めた。
「……その気持ちだけでいいの。あなたがそう思ってくれただけで、私は生きていける」
しばらく二人は抱き合ったまま、時を止めていた。
月が雲に隠れ、世界が静けさに沈む。
やがて、スズが小さく囁いた。
「航一さん……お願い。約束して。もし空の上で、怖くてたまらなくなったら――私と子供のことを思い出して。
きっとそれが、あなたを支えてくれるから」
航一は彼女を強く抱きしめ、頷いた。
「……ああ。必ず思い出す。お前と、子供と、未来にいる孫を」
その言葉に、スズは涙をこぼしながら微笑んだ。
外では、赤とんぼの影が月光を浴びて揺れている。
明日は、もう戻れない空へ――。