プロローグ 失意の夏、1章、2章
この物語は、ある1冊の特攻隊の資料集から始まりました、当時この資料集を受け取って10年が過ぎ改めて目を通してみて、特攻隊の話を書きたいと思いました、戦争は、現実にあったことで、今の若い人に特攻隊のことをもっと知ってもらいたいと思いこの物語を書き初めました、福島県矢吹町に特攻隊の飛行場があったことや特攻に行く若者の苦悩や葛藤を知って貰えれば幸いです。
プロローグ ―失意の夏―
夏の夕暮れ、アルプススタンドにこだまする応援歌が、今も耳に焼き付いていた。
十八歳の杉浦航太は、グラウンドにうずくまったまま動けなかった。白球を握りしめた右手は汗と涙で濡れ、土にまみれたユニフォームの背番号「1」が夕陽に照らされて赤く染まっていた。高校最後の夏、県大会決勝。九回裏、二死満塁。自分の投げた渾身のストレートを、相手の四番打者に打ち砕かれ、白球は左翼のフェンスを越えていった。
歓声と悲鳴が入り混じる中、航太はただ、マウンドに立ち尽くすしかなかった。
試合後、整列して礼をし、スタンドへ深々と頭を下げた。泣きじゃくる仲間たち、声を枯らした監督の肩。握手を交わしながらも、胸の奥には「自分のせいで負けた」という思いが焼き付いて離れなかった。
その夜、自宅に戻ると祖母・スズが静かに待っていた。九十近いはずの祖母は、背筋をまっすぐに伸ばし、若いころの面影を残した眼差しで航太を迎えた。
「……航太。おかえり」
その声はどこか懐かしい響きを帯びていて、敗北で沈む心に少しだけ温もりをもたらした。
夕食後、祖母は航太を縁側に呼び、静かに語り始めた。
「航太。あんたのおじいちゃんもね、野球が好きだったのよ。若い頃はキャッチャーでね。とても頼れる人だった」
航太は驚いて祖母を見つめた。これまで祖父の話をほとんど聞いたことがなかった。
「でも、戦争がね……野球を奪ってしまった。おじいちゃんは戦地へ行き、そして帰っては来なかった」
祖母の目には、遠い記憶をなぞるような光が宿っていた。
スズは続けた。
「矢吹にね、飛行場があったの。今は野球のグラウンドになっているけど、昔は特攻隊の基地だったのよ。おじいちゃんも、そこから……」
言葉は途切れ、代わりに風鈴の音だけが夏の夜に響いた。
航太の胸に、重い疑問が湧き上がる。
野球を愛した祖父が、なぜ戦争に奪われなければならなかったのか。
祖母は最後にぽつりと言った。
「航太、あんたに似てるの。マウンドに立つ姿、若い頃のおじいちゃんにそっくりだった」
航太は眠れぬ夜を過ごし、翌日、ふらりと自転車にまたがった。向かった先は、祖母の語った「矢吹飛行場跡地」の野球グラウンドだった――。
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第1章 ―矢吹飛行場跡地のグラウンド―
真夏の陽射しの下、航太はペダルをこぎながら息を切らしていた。蝉の声が耳を圧し、アスファルトの照り返しが体力を奪う。やがて田んぼの緑の向こうに、ひろびろとした野球場が見えてきた。
それが「矢吹飛行場跡地」に作られたグラウンドだった。
金属バットの音や歓声が聞こえると思ったが、そこは静まり返っていた。休日でも試合は入っていないのだろう。航太はゆっくりと中に入った。誰もいないダイヤモンド。整えられた土の香り。アルプススタンド代わりの芝生の斜面。
彼はマウンドに立ち、空を見上げた。雲ひとつない青空に、赤とんぼが舞っている。
(じいちゃんも、この景色を見たのかな……)
航太は無意識にボールを取り出し、ピッチングフォームを作った。汗で滑る白球を握り直し、振りかぶる。
「――っ!」
全力で投げ込むと、乾いた音を立ててバックネットに当たった。もう一度、もう一度。気付けば息を荒げながら、何度も何度も投げ込んでいた。
やがて足元に影が伸びた。西日に照らされたその瞬間、空気が一変した。蝉の声が消え、風の音が鋭くなった。周囲の景色が揺らぎ、視界が歪んでいく。
「え……なに、これ……?」
次の瞬間、航太の体は光に包まれた。
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第2章 ―祖父との出会い、赤とんぼの影―
眩しい光の後、航太は土の匂いで目を覚ました。見慣れたグラウンドのはずが、周囲には見知らぬ木造の建物が立ち並び、空にはプロペラ機が旋回していた。
「……飛行機?」
見たことのない塗装を施された小さな機体。そのフォルムはまるで赤とんぼのように美しく、しかしどこか物悲しさを湛えていた。
「おい、君! 誰だ、ここで何をしている!」
鋭い声が飛ぶ。振り返ると、軍服を着た若者たちが数人、こちらを睨んでいた。年齢は自分とさほど変わらない。
「す、すみません……俺は、その……」
言葉を探す航太の前に、一人の青年が歩み出てきた。凛とした姿勢、鋭い瞳。それでいてどこか温かさを感じさせる笑み。
「君、名前は?」
「……杉浦、航太です」
「杉浦……? 奇遇だな。俺も杉浦だ。杉浦航一」
航太の心臓が跳ねた。
(……じいちゃん!?)
だが、目の前にいるのは二十歳の青年。聞かされていた祖父の名と同じ。しかし信じがたい現実だった。
航一は航太をじっと見つめ、不思議そうに笑った。
「ずいぶん不思議な目をするな。まあいい。俺たちはこれから夜の野球をやるんだ。君もどうだ?」
その時、背後でエンジン音が響いた。
赤茶けた機体が夕陽に染まりながら滑走路を走り、空へ舞い上がる。兵士たちはそれを「赤とんぼ」と呼び、まるで友人に声をかけるように見送っていた。
航太は息を呑んだ。祖父が戦った時代に、自分は来てしまったのだ。
そして――ここから彼の物語が始まるのだった。