悪魔、囁く
王子から追放宣言をされる聖女ルカ。
その耳元で、悪魔が言った。
(この馬鹿王子の顔面をぶん殴ってやれ)
別の方の耳元で、女神が言った。
(暴力はいけません。ここは我慢するのです)
悪魔と女神の存在は、聖女ルカにしか認識できない。
(お前は魔王を倒し、世界を救ったんだぞ。本来なら、人類の英雄として祭り上げられて当然だ。それなのに、この馬鹿王子は、お前が王家を特別扱いせず、民に聖女の力を平等に使っていくことを不満に思いおまえを追放しようとしている。そんな奴は殴って当然だ)
(悪魔の言葉に耳を貸してはいけません。あなたに人を殴らせて堕落の一歩にするつもりです)
聖女ルカは、悪魔と女神の言葉を聞き、しばし考えた後に言った。
「私は女神様の言うことに従います。暴力はいけません」
悪魔は舌打ちし、女神はにっこり笑う。
「ふん。追放を受け入れるわけだな。新聖女には、お前の妹を指名する。お前も妹の可愛さを見習うべきだったな」
「ルカお姉さまを侮辱するな!」
聖女ルカの妹が、王子の顔面をぶん殴る。
女神と聖女ルカそして悪魔が、望まぬ展開に同じ声を上げる。
「あっ」
王子が追放宣言した場所は、聖女ルカの実家である伯爵家。単身乗り込んできた王子に対して、聖女ルカの妹の伯爵令嬢は、王子をぶん殴り、さらにぶん殴ろうとする。
あわてて妹を止める聖女ルカ。
「私の大事な娘に何をするのよ」
聖女ルカの母親の伯爵夫人が、王子をぶん殴る。
「止めてください、お父様」
父親である伯爵は、娘の聖女ルカの言葉に頷いたあとで、王子をぶん殴る。
メイドが王子を殴り、料理人も殴る。
犬が王子にかみつく。
「ポチ、王子を噛んじゃだめ。ミケもひっかかないの」
「おまえの家族も、おまえの領地の領民もみんな極刑にしてやる」
牢獄の外で、全身に包帯を巻いた王子が言った。
王子は聖女ルカを慕う領民達にぶん殴られていた。
牢獄の中の聖女ルカは、王子に哀願する。
「私はどうなってもいいです。でも、家族と領民達は許してください」
王子はあざ笑う。
「駄目だ。おまえが大切におもっている人間は、みんな死んでもらう」
よろめく聖女ルカに、王子には見えない悪魔が言った。
(おまえの力なら、この鉄格子を壊し、目の前の王子を殺すことが可能だ。さあ、家族を救うために王子を殺せ)
女神が聖女ルカに言う。
(いけません。人を殺すのは絶対にしてはいけないことです)
悪魔と女神が言い合う。
(王子を殺さないと、おまえの大切な人は守れないんだぞ)
(それでも、我慢しなくてはいけないのです)
聖女ルカは女神に謝罪する。
「私は家族を見捨てることはできません」
(よし。さあ、すぐに王子を殺せ)
「それも、嫌です」
聖女ルカは指を鳴らす。
その合図に、牢獄の中に突如として現れるメイド姿の忍び。
「お呼びですか、ルカお嬢様」
「相談があるんだけど」
鍵がかかっているはずの牢獄の中に現れたのは、メイド長。
代々、伯爵家に仕え、裏の部分を引き受けていた一族。
聖女ルカにとっては、魔王を倒す技術を仕込んでくれた師匠であり、頼りになるお姉さんだった。
現在の状況を説明する聖女ルカ。
自分にしか見えない悪魔と女神が取り憑いていること。
悪魔は、倒した魔王に取り憑いていたものであり、次の魔王に自分を仕立て上げようと堕落の道に誘惑していること。悪魔のことを察知した女神様が、悪魔の誘惑から守るために取り憑いてくれていること。
家族を守るためには、王子を殺さなければいけないこと。
全ての説明を聞き終えたメイド長は、聖女ルカに言った。
「まず、はじめに言えることは、その女神、そうとうポンコツですね」
ポンコツと言われた女神は唖然とした表情になる。
「悪魔は意図的に、王子を殺すかルカお嬢様の家族を見捨てるかの二択しかないように、ルカお嬢様の考えを誘導してますが、少し冷静になればそんなことはないことに気がつくはずです。ルカお嬢様の家族を助ける方法は、王子を殺す以外にもいろいろあります。そもそも、王子を殺す選択肢などイレギュラーすぎます。それなのに、その女神は悪魔の手管に完全に乗ってしまっています。ポンコツ以外の何物でもないですね」
「私はどうしたらいいの?」
「ルカお嬢様は最良の選択をしました。私に相談してくれたことです。私は今から諸外国にこの国の王子が世界を救った聖女を不当に監禁している事実を伝えます。もし、王子がルカお嬢様およびその家族に手を出したら、こんなちっぽけな王国など踏みつぶされるでしょう」
「待て、そんなこと許すわけがないだろう」
喚く王子にかまわず、メイド長は聖女ルカに一礼する。
「では、いってまいります」
あたりまえのように、鍵のかかっているはずの鉄格子の扉を開け出ていくメイド長。
そして、当然のように王子をぶん殴った。
諸外国からの圧力により、王子は王族の身分を剥奪、聖女ルカは辺境地に追放で手打ちになった。
(ひどい話だな。王族の面子を保つために追放だとは。そんな王国、ぶっ潰した方がいいだろ)
(悪魔の言うことに耳を貸してはいけませんよ)
(ポンコツが何か言っているな)
(私はポンコツじゃありませんよ!)
口喧嘩をする悪魔と女神の言葉を、聖女ルカは聞いていなかった。
勇敢に魔王と戦い倒した聖女ルカは、恐怖で震えていた。
(おい、どうした?お前には次の魔王になってもらうつもりだから、健康には気をつけろ)
「辺境領主が怖くて」
(おいおい。おまえ、前の魔王を倒したんだろ。なんで辺境領主ごときに怯えるんだ?)
「噂で、辺境領主は若い女なら手当たりしだいだと。私は男性といままでお付き合いをしたことがないので」
(はははは。なら、辺境領主に襲われたら、殺してやれ。って、言いたいところだか、乙女にとっちゃあ、一大事か。まあ、そうなったら逃げればいいだろ)
「アドバイスありがとうございます」
(逃亡生活も楽しそうだ)
「確かに」
(一緒に羽目を外そうぜ)
「はい」
(悪魔の誘惑に乗ってはいけません)
「女神様も逃亡しながら温泉巡りしましょう」
(それもいいですね)
辺境領に着き領主の挨拶もない初日の夜。
聖女ルカは、辺境領主の寝室に呼び出される。
(さっそく、夜のお相手の指名だな。さっさとぶん殴って、逃げようぜ)
(殴ってはいけませんよ。殴らないで、温泉へ直行しましょう)
寝室にいたのは小さな十才ぐらいの男の子だった。
野獣のような男が待ち構えていると身構えていた聖女ルカはびっくりする。
「辺境領主は?」
「僕です」
「あなたが?でも、話ではもっと大人だと」
「だまして、すみません。周辺国に侮られないために、偽りの情報を流していました。お願いがあります。このことを黙っていてほしいのです」
(かわいいじゃない。何この子、めちゃ、かわいいじゃない)
「わかりました。そのかわり、私からもお願いがあります。私の中には悪魔と女神様が・・・」
(さあ子作りをするのです。やるのです。やってしまうのです)
「ええっと、その私の中の悪魔は・・・」
(脱がせ!押したおせ!)
「女神様、うるさいです」
日があけて、明るい場所であらためて話をする聖女ルカと辺境領主。
聖女ルカは、辺境領主に自分のメイド長を紹介する。
「私が悪に染まった時、この者に命じてほしいのです。命令があれば、この者は私を殺すことを実行します」
「どうして、そんなことを?」
「今、私の中に、悪魔が二人います」
(私、女神なんですけど?)
「一人の悪魔は、私を次の魔王にしようと堕落の道へさそってます。もう一人の悪魔は、あなたにひどいことをさせようと私をたきつけてます」
(子作りは神聖な行為なんですけど!)
「お願いできますか?」
真剣な表情で頷く幼い辺境領主。
女神が、聖女ルカの耳元で囁く。
(さあ、感謝するふりをしてさりげなく手をとるのです。肉体接触を少しずつ増やすのです)
悪魔はあきれた声を出す。
(こいつ、絶対に邪神だぞ)
おわり