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6『願い』

「竜の騎士くん、聖女の罪はわかったかな?」


 背後からかけられた声にユーリは振り向き様に剣を抜き、その首を刎ねる。ぽろりと男の首が落ちて、男の両の手がその首を支えた。


「チッ化け物が」

「おやおや、せっかく趣向を変えてみたのに。しかし、キミがそれを言うのかい? 面白い冗談だね」

「テメェなんざ化け物で十分だろうが、フレディア」


 両の手の上で男はまばたいた。それから口の端を愉しげに吊り上げる。


「いいね、面白いよ。キミがボクの正体を素直に認めるとは思わなかったな」

「ただの消去法だよ、クソ野郎」


 警備の手厚い大聖堂にどうやって誰にも気づかれずに侵入できたのか。どうやってユーリの目の前から煙のように消えたのか。その答えは一つだけだった。

 男は元からこの大聖堂にいて、自由にその身を消すといったまさに神の御業を使うことができ、聖女以外に白銀の髪を持つ存在――そんな存在フレディア神以外になかった。


 そうして愉しそうに手の上で笑っていたフレディアは自分の首を元の位置に戻すと、ユーリを見た。そして拍手をする。


「素直になれたご褒美にボクが聖女の罪について教えてあげよう」


 フレディアの空色の瞳がきゅうっと細められ、口の端が意地悪く吊り上がっている。

 そうしてフレディアは両手を広げた。白く大きな布がはためく。


「聖女は邪竜を愛し、邪竜に愛された。それが聖女の罪。そして、その咎の代償を今も支払い続けているのさ」


 フレディアの言葉にユーリが息を呑む。

 なんだそれは、おかしい。そんな話は、間違っている。ではないとこの国の成り立ちでさえ間違っていることになる。


「テメェの話はおかしい。聖女は邪竜を討ち滅ぼしたんじゃないのか」

「そうだよ。聖女は間違いなく黒き鱗と金の眼をした邪竜を聖剣で貫いた」

「じゃあどうして邪竜を愛したなんて話になる? フレディア、テメェの話には信じられるところが一つもねぇ」


 神聖フレディア王国の国旗には、黒き鱗と金の眼をした邪竜を聖剣が貫いている様子が描かれている。それは、この国の成り立ちを表していた。


 黒き鱗に金の眼の邪竜は村を焼き、民を屠り、悪逆非道の限りを尽くしていた。それを打ち滅ぼさんと立ち上がったのが初代聖女だった。

 そうして聖女はフレディア神より賜った聖剣で邪竜を貫き、民を救い、フレディア神を王に戴く国を作った。それがこの神聖フレディア王国の成り立ちである。


「いいや、ボクは間違えない。神だからね。正しく聖女は討ち滅ぼすべき邪竜を愛し、邪竜に愛され、そうして己ごと邪竜を聖剣で貫いたのさ。次の世こそは結ばれんとね……理解できたかな? 竜の騎士、いや邪竜くん」


 フレディアの空色の瞳がユーリを見つめる。その何の感情も浮かばない瞳を見て、ユーリは眉根を寄せる。

 そうして苦々しく言葉を吐き出した。


「俺は邪竜じゃねぇ。邪竜の色をしてるだけだ」


 黒い髪に金の眼。邪竜と同じ色をしたユーリは、それだけで人々から嫌われてきた。

 竜の騎士となった今でさえ、ユーリと目を合わせて話すのはフレディアを除けばシュニーだけだ。


「あれ、言わなかったかな? ボクは、間違えない」


 不思議そうな面持ちでフレディアが言う。

 カッと頭に血が上ったユーリはフレディアに詰め寄った。その首元を締め上げるようにして掴む。


「俺は、邪竜なんかじゃねぇ」

「相変わらずキミは乱暴だなぁ」

「おい、聞いてんのか」

「……不思議には思わなかったかい?」


 ユーリを冷たく見下ろしてフレディアは口を開いた。


「ひと目見てボクの愛し子を愛したことを」

「……やめろ」

「愛し子のためならあんなにも忌み嫌っていた竜の騎士になることさえ厭わなかったことを」

「やめろ!」

「不思議ではなかったかい? 邪竜と同じ色を宿し、世界から嫌われているキミがすんなり竜の騎士として認められたことは」

「やめろって言ってるだろうが!」


 それはユーリが目を逸らし続けてきたことだった。目を逸らせば何も考えずにシュニーの傍にいられたから。そうすれば、自分が不自然に抱いた思いも本当の気持ちだとそう思えたから。

 だから、ずっと目を逸らし続けてきた。


「キミが竜の騎士に選ばれたのは必然だよ」

「……は?」

「二人目の聖女の騎士を選ぶときにボクがそう神託を下したんだ。邪竜の色を宿したものを聖女の騎士として選び、竜の騎士と呼称するようにね」


 思えばユーリはずっと疑問だったのだ。竜の騎士という呼称が。

 しかし、邪竜を忌み嫌うこの国で、大事な聖女様の騎士が竜の騎士と呼ばれる意味をユーリはずっと勘違いしていたらしい。

 竜の騎士の一番のお役目は、聖女の力を失い、徒人となった元聖女の魂がすぐに生まれ変われるように、力を失う十八になった瞬間にその首を刎ねて転生の廻廊へと送り出すことだ。だから忌み嫌う竜の名を付けているのだとばかり思っていた。

 実際、竜の騎士は元聖女の首を刎ねた後、聖女の命を奪った咎人として斬首刑に処される。しかし、それも全てフレディアの神託だったのだろうか。


「それなら孤児から選ぶのもテメェの神託なのかよ」

「そうだよ。邪竜と同じ色をした子どもなら、孤児になっている確率が高いだろう?」

「……俺が邪竜だって言うなら、なんで人の姿になってるんだよ」


 フレディアの首元から手を放したユーリは項垂れる。フレディアの言うことは全く理解ができない。できないけれど、目を逸らし続きてきたことを指摘されて、ユーリはもう俯くことしかできなかった。


「キミと結ばれたいと愛し子が最後に願ったからだよ」

「は?」

「キミと結ばれたいと最初の愛し子が最後に願った。だからそれを叶えるべくキミを人として転生させた。そうして、ボクはくるくると愛し子とキミの魂を転生させ続けているのさ」

「だったら、だったらどうして首なんか刎ねさせるんだよ……愛し子なんだろ? そんな残酷なことして、テメェは何がしたいんだよ!」


 フレディアは聖女のことを愛し子と呼んだ。ユーリには、やはりフレディアの考えていることが何一つわからない。神の考えなど人間には到底理解できないのだと、そう言われているようだった。


「それはキミたちが咎人だからだよ」

「……またそれかよ」

「当然の帰結さ。キミに焼かれた村の民はキミを許さない。父を母を子を、愛しき人を、同胞を奪われた彼らはキミを許さない。キミを愛した聖女を許さない。だから愛した者の首を刎ね、愛した者に首を刎ねられるキミたちの姿を見て、彼らの魂はその傷を癒やしているのさ」

「見てって、どこから」

「転生の廻廊だよ。憎しみに染まった彼らの魂は次の生に行けず、ただそこからキミたちを見ているのさ」


 ユーリは口元を手で覆った。もし、フレディアの言うことが本当なのだとしたら、それはなんと醜悪な復讐なのだろう。

 シュニーは二十七代目の聖女だ。つまり五百年近くその様子を見ていることになる。


「なんで、」

「キミたちが咎人だからさ」

「そんなの狂ってる……どうして、そんなことが許されるんだ」

「狂わせたのはキミたちで、キミたちの魂に刻まれた咎が醜悪だからさ」

「なんで、俺は……俺の、おれから奪ったのは、アイツらが先だろうが!」


 自分の口から飛び出した言葉にユーリがまばたく。今の言葉はユーリの言葉ではなかった。

 フレディアが愉しそうに笑う。


「出たね。キミの中にある邪竜の魂の片鱗が」


 今のがそうなのだとしたら、ユーリの魂は本当に邪竜のものなのだろうか。ユーリがシュニーを愛したのも魂のせいなのだろうか。それなら、俺は、おれは――。


「……あまりユーリに意地悪をしないでくださいませ」


 鈴の音のような声が響いた。俯き、座り込んでいたユーリの頭が優しく温かな胸に抱かれる。トクトクと鼓動の音がした。


「大丈夫ですよ、ユーリ。魂の記憶に飲まれないでください。あなたはユーリ、わたしの騎士」

「……シュニー」

「はい、シュニーですよ」


 ユーリが顔を上げるとシュニーが微笑んでいた。そうして、シュニーは視線をフレディアに向けて眉を下げる。


「フレディア様、わたしのユーリに意地悪をしないでくださいませ」

「おや、ボクの愛し子にそう言わせるなんて妬けてしまうね」

「もう、フレディア様は嘘ばっかり」


 二人は随分と気安い関係に思えた。そう思える会話をしながらシュニーがユーリの頭を一度撫でると立ち上がる。そしてフレディアをまっすぐに見た。


「フレディア様、賭けはわたしの勝ちにございます」

「そうだね、約束は約束だ。潔く負けを認めようとも」

「……おい、待て。賭けってなんだ」


 妙な胸騒ぎがした。見上げた先にいるシュニーは困ったような顔で笑っている。


「簡単な話さ。キミがボクの正体を認めるかどうか、愛し子と賭けていたのさ」

「待て、シュニーが勝ったらどうなる? シュニーは何を賭けたんだ」

「聞きたいのかい? いいとも、答えよう。ボクの愛し子はキミの魂の解放を願ったのさ」

「……どういう意味だ」

「愛し子はキミの咎を引き受けて、転生の廻廊で未来永劫憎しみに染まった魂に赦しを乞い続けるんだよ」


 にこり、とフレディアが笑う。シュニーは眉を下げていた。はくり、とユーリの口から息が漏れる。

 なんだ、それは。そんなこと、認められるはずがない!


「……シュニー!」

「ずっと考えていたことなのです」


 シュニーが瞳を閉じる。長い睫毛が頬に影を落とした。そして胸に手を当てたシュニーは優しく語り始める。


「ユーリと初めて会った日から、わたしは思い出し始めました。これまでの聖女の記憶、私の中にある魂の記憶を」


 ぱちり、空色の瞳が開かれる。空を切り取ったような美しい瞳にユーリが映っていた。


「幸せな記憶、楽しい記憶、そして悲しい記憶。いつも最後の日は聖女と騎士の二人ともが泣いているのです……そんな辛いこと、わたしで最後にしたいと思いました」


 シュニーが笑う。花がほころぶように美しく、儚く笑う。ユーリは何も言えずに唇を噛み締めた。口の中に鉄錆の味が広がる。


「だから、わたしで終わりにするのです。ユーリの分もたくさん謝って赦してもらえるように、たくさんの時間を使って憎しみに囚われ、悲しみに沈んでいる魂たちを解放してあげたいのです」

「それなら、俺も」

「だめですよ、ユーリ」


 ユーリの提案はすぐさま却下された。ゆるく首を横に振るシュニーにユーリは考えられるだけの言葉をかけ続けるが、決して頷かれることはなかった。

 やがてかける言葉も尽きたユーリにシュニーは笑って胸を張る。


「ユーリ、フレディアの民の幸福を願うのは聖女のお役目なのです。囚われた魂たちの幸福もユーリの幸福も、わたしが祈ります。だから大丈夫ですからね」


 そう言ったシュニーはフレディアに歩み寄った。

 嫌な予感がしたユーリはシュニーに手を伸ばすが、その手は届かなかった。


「フレディア様、お願いします」

「おや、いいのかい? 十八まではあと一年あるだろう」

「いいのです。決心が鈍ってはいけませんから」

「シュニー!」


 手を伸ばし、叫ぶ。シュニーに駆け寄りたいのにユーリの足はピクリとも動かなかった。そんなユーリを見てシュニーは笑った。


「ユーリ、いつか……いえ、さようなら」


 フレディアがシュニーの頬に手を添えて口づける。その瞬間くたりとシュニーの体から力が抜けて、フレディアによって床にそうっと寝かされた。


「シュニー!」


 ユーリがようやく動くようになった足で横たわったシュニーに駆け寄る。

 まるで眠っているようなのにその中身は空っぽだと、なぜかわかった。わかって、しまった。


「あ、ああ……シュニー、なんで! お前は俺が殺すって言っただろうが!」


 ユーリの慟哭が大聖堂の廊下に響く。そうすると、どこからともなく拍手の音がした。フレディアだ。

 ユーリはフレディアを睨みつける。


「……テメェ」

「良い、実に良かったよ。愛し子とキミの愛の物語の終わりは大変に美しかった! 愛の神たるボクはとても感動したよ」

「テメェは自分が何を言ってるのかわかってんのか!」

「わかっているとも。それがあの子の願いだったからね……さて、それではキミは何を願う?」


 フレディアが目を細めてユーリに手を差し伸べた。ユーリは戸惑ったようにフレディアが差し伸べる手を見た。


「感動の対価さ。キミはボクに、神に何を願う? 何を叶えて欲しいのかな?」


 唇を舌で湿らせる。切れたところにチリッとした痛みが走った。そしてユーリは、そろりと口を開いた。


「俺は……俺の願いは――」

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