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前半:武田信玄横浜侵略伝説(中編)

2、「片倉(かたくら)神大寺(かんだいじ)云山(いうやま)真違(まちがい)二カタビラト云所(いうところ)ニ出勢ス」編


 綱島から南西へおよそ五キロ、岸根(きしね)公園の上の小道に着く。目の前に"7"のつくコンビニがある。空架橋、新治英々子、寺家育美は、何処かで見た景色だと感じた。

 舞岡市治は薄型ノートパソコンをだし、史料のPDF画像を見せて解説をはじめる。


「この小道が、軍記物『北条盛衰記』国書データベースに公開されている写真の128枚目が記す、武田軍の、恐らく、武田勝頼(かつより)さんと武田逍遥軒(しょうようけん)さんが率いた、別働隊の行軍ルートでもあります」


「昇竜拳?」英々子はボケる。


「しょーよーけんだぞ」育美が正した。


「ソースまで細かいね!」架橋は関心する。


 市治は続ける。


「大まかに訳しますと、信玄さんの部隊は先ほどの説明で動いたのですが、恐らく別働隊もいて、八王子(はちおうじ)筋といいますからイメージ的には国道十六号沿いに横浜に入っています。途中で何処かの脇道に逸れて小机城にプレッシャーをかけながらも攻めず、鎌倉道に入って、片倉(かたくら)神大寺という山をはすかいに進み、帷子(かたびら)という所に出撃したとあります。恐らくは鎌倉街道の下の道と同じルートが、戦国時代にも残ってたと思われます。で、それが今でも道の殆どが現存されてますので、実際に同じ道を歩いて、武田軍の気分に浸りたいと思います」


 架橋と育美は「おお!」と興味深く拍手する。


 市治は続ける。


「信玄さんも入間や綱島にに来たのなら、その"下の道"を利用した可能性が高いので、片倉か帷子で別働隊と合流したのでしょうか? 北条盛衰記もそこまで記されてないので分かりませんが……」


 英々子はすこし不安になった。


「しかし、軍記もんってネットの歴史警察が発狂しそう」


 市治は自信満々に答えた。


「あら、私が皆様にお話してるものは”歴史”ではありませんよ。”伝承”ですよ」


「あ、逃げた」でも、おかしかった。


 この道は今、神奈川区片倉と神大寺の境であり、江戸時代当時も同じ同名の村と村の境だったはずだ。そして恐らく、戦国時代のある時期に境界線となったと思われる。

 四人は歩く。少し歩けばなだらかな下り坂となり、住宅街から一面キャベツ畑へ変わった。


挿絵(By みてみん)


 これで三人は思い出した。架橋がいう。


「あ、ここ先月見た太田ドカンの処刑原だねー!」


「どうかんだぞ」育美が訂正に突っ込む。


 市治は軽く頷いて言った。


「あの時は車内で軽く流しただけでしたね」


 青々とした出荷直前のキャベツに、架橋は美味しそうだと思い、テンションをあげる。


「武田軍、キャベツでほうとう煮たかな?」


「え?」市治も英々子も育美も、耳を疑う。


 キャベツが西洋野菜の中にある以上、横浜での本格的な西洋野菜栽培は明治時代の最初期である。この辺りは羽沢も含めてキャベツがメインとなり、現在に続いてる。横浜市のキャベツ生産高は全国第十位を誇る。その半分以上が神奈川区産なのだ。

 育美は直感する。架橋のこの天然は、突っ込まずに乗ったほうがいいようだ。


「ウチもお味噌汁にキャベツ入れるから、ほうとうの具材にしたら、意外と美味いと思う」


「でしょ!」架橋は慢心の笑みを見せた。


 英々子もキャベツほうとう作ってみたい。


「ならば、軍勢の皆様に振る舞いましょう」


 市治は三人の冗談に付き合った。




ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 妄想召喚、諏訪法性の兜をかぶる総大将は、


「我が名は()()()信玄じゃあ」


 副将市治は「あら、語呂が良いですね」と、吹きそうな笑いを堪える。


「あ、やっぱしそうけ? 結構気に入ってるんだわ」


「で、どうなさるのですか?」


「うん。じゃあね、ここには収穫出来そうなキャベツがいっぱいあるから、農家さんから全部買い取って、ほうとうパーティーしようじゃないか!」


 重臣の育美は、質問する。


「乱取りしないのですか?」


 ()()()信玄は、冷や汗を出しながら答える。


「だ、ダメよ。それじゃお百姓さんが一生懸命作った苦労が台無しになるよ。困らせちゃダメ。ちゃんと感謝して買い取らないと、ご飯は美味しく味わえないんだよ!」


「はーい」育美と英々子は従い、地元農民たちに甲州金を払い、足軽たちに収穫させながら、思った。


ーーなんちゅう律儀な侵略者なんだ……。


 侵略しに来たはずだった武田常勝軍団の、荒くれなイメージが崩れそうになった。

 武田菱の幟旗をひるがえす新治英々子隊と、六文銭の寺家育美隊が、収穫と調理に奔走した。

 一時間ほど経ち、キャベツほうとうが、()()()信玄の前に陳列された。

 具材のメインはたしかにキャベツだが、カボチャやゴボウ、鶏肉なども入ってる。何故かシウマイまで入れられていた。

 それでも、()()()信玄は満足し、頬を抑えた。


「では、いただきま……」


 ほうとう麺を箸で挟んだその刹那、


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー




 ピッピ!


 軽トラックの軽いクラクションで、四人は一気に現実へ帰還されてしまった。


 片倉台団地に入ると鎌倉道は一端途切れるが、少し歩けば尾根道に入れるので、それが鎌倉道の続きとなる。少し歩けば、三ツ沢(みつざわ)への下り坂に入る。

 ここで架橋が、市治に提案してきた。


「ちーちゃんさ。私、昨日ググったんだけど、横浜のキャベツって取れ高ベストテンなのに、知名度がマイナーだってね」


「ああ、はい……」


「で、思ったの。横浜キャベツのメジャー化作戦を」


「?」


「キャベツのゆるキャラを作るのよ。キャベツ星から横浜キャベツを日本一にするためにやってきた、キャベツ顔のキャベツ星人!」


「はぁ……」


「略して、キャベジン!」


 架橋は力を込めて提案した。市治は乗り気になれなかったが、考えてくれたことには感謝した。


「成る程、元気な胃が取り戻せそうですね」


 英々子と育美は背後に建つ営業所ビルを眺め、訴えられないかと冷汗をかいた。


挿絵(By みてみん)


 大通りに入り、三ツ沢公園入口の交差点で歩道橋を渡る。ここで英々子が架橋を茶化す。


「そらちゃん知ってる? ここが武田信玄生誕の地よ」


 架橋は笑った。


「えー、いやだなあ。冗談でしょ?」


 育美は英々子の意味を察知した。


「あ、確かに信玄本人も昔、言ってたわ」


 市治は冗談に乗らなかったが、意味は理解したので、クスクスと下を向いて笑う。

 架橋は二人の歴史通に肯定されたので、信じるべきか、理解に困った。


「え、え、どういうこと? 信玄って山梨の人でしょ? ()()()()()()の生まれじゃなかったの?」


 英々子と育美が声を揃えて強調した。


「横浜生まれよ!」


「えー! 聞いてないよそんな歴史……」


 歴史は覆っていたのか? さすがの歴史無知な架橋でも頭を抱える。しゃがむほどに。

 市治はここで始めて、種明かしを言った。


「じつは、大河ドラマで信玄さん演じられている方の生まれ故郷が、ここなのですよ」


 これで架橋のムヤムヤが、一気に晴れた。


「も、もう、その理屈だったらローマ人も(つくだ)航平(こうへい)も、ここで生まれてるやんねー!」


 架橋は頬を膨らませるも、結局、笑った。


 歩道橋を降り、岡沢(おかざわ)の坂を登り、市民病院跡地を過ぎ、サッカー場を横切り、一方通行の細い尾根道に入る。三ツ沢からの鎌倉道は、西区と保土ケ谷(ほどがや)区の境目でもあった。現在の帷子はまだ先だが、中近世の帷子は保土ケ谷区のこの辺りも含まれていたらしい。

 しばらく歩くと、ランドマークタワーが一瞬、見えた。

 しかし、下り坂はそちらを向いてない。

 少し歩くと、架橋は面白い看板を見つけた。


「あ! 武田軍がここを通過した証拠発見!」


 育美も英々子も、悪ノリする。


「ホントだ、すげー。記念に写真とろう!」


 市治は呆れるも、みんな楽しんでるので付き合った。


挿絵(By みてみん)


 坂を降りきって平地についた。ここは宮田(みやた)二丁目交差点。眼前を走る国道十六号線は交通量が多い。鎌倉道はここで一端途切れるも、地形について英々子が指摘した。


「左側が微妙に下ってるね」


 市治が褒めた。


「よく分かりましたね。ここが戦国までの海岸線だと憶される所です。で、左側の向こう、洪福(こうふく)寺辺りを走る旧東海道(とうかいどう)が江戸時代の海岸線です」


 つまりこの辺りには、微妙な段差が二段あるのだ。

 英々子は感心する。


「散歩しながら盛り上がるっていいね。なんだか”夜はクネクネ”っぽいよね」


 皆、それが何か分からない。架橋が問う。


「なにそれ?」


「今流行ってるお散歩番組の先駆け。知らない?」


「いやいや普通、知らないよ。それに今はお昼だし、道はまっすぐだし」


 市治は雑談に微笑みながらも、話を戻す。


「この信号の先が東海道ですが、関ヶ原(せきがはら)合戦直後に作られた東海道の名残りです。でも、中世戦国でも道だった可能性はあるのですが、一次史料にも伝承にもないので、断定できません」


 ここの東海道は()東海道と呼ばれていて、保土ヶ谷駅西口の直前まで残ってる。松原(まつばら)商店街入口の追分(おいぶん)から保土ケ谷駅を越えて、国道一号線の保土ケ谷宿苅部(かりべ)本陣跡地まで直進する()東海道は、慶安(けいあん)年間(一六四八~一六五二)に整備されたものである。整備前の"古"と"旧"の間には、松林があったといわれている。

 市治たちは交差点を越え、古東海道にそって古町(ふるまち)橋を渡ると古町に入る。ここが保土ケ谷宿以前に栄えた町だと思われる。この道も武田軍が行軍したかもしれない。というのも、利用してくれないと、この先にある伝承地に行きつけないからだ。

 四人は"古"から"旧"に入り、保土ケ谷駅西口に着くと、JR東海道本線と横須賀(よこすか)線を越えて東口へ。現東海道である国道一号線を西に少し歩いて左折すると、上り坂がある。これは”かなざわかまくら道”という歴史ある道路だ。そして、三方を崖に囲まれたこの坂の名を”いわな坂”という。

 市治はここに用があった。


「この坂で武田軍の先鋒が、北条軍と小競り合いをしています。つまり古戦場です。これは『新編武蔵風土記稿』が伝えてくれました」


「マジ?」三人は声を上げた。


挿絵(By みてみん)




ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 攻める武田軍、先鋒は、隅切(すみき)唐花(からはな)の幟旗を多数なびかせる空架橋隊が坂を登る。

 架橋は"あれれ?"と思った。


「え? 私が信玄じゃないの?」


 架橋は驚いた。さきほどは妄想とはいえ武田、いや、()()()信玄を演じていたのだ。

 重臣の英々子が教えた。


「今回は舞岡さんが演じるの。ローテだよ。ほら、駅の後ろの丘の上に本陣構えてるから、敵退治、よろしくね」


「う、うん。で、寺ちゃんは?」


「今回は敵将役」


「へえ。でもなんか崖の上でカッカしながら"らっしーらっしー"なんて叫ぶ何かがいる。ふなっしー?」


「名犬じゃない? らっしー、らっしー、らっしーらっしーバウ、ワウ、ワウ♪」


「いやいや全然ワンコじゃないけど……」


「嘘よ。吉良(きら)氏だから、()()()()()


「なるほどねー。でも敵さん、崖の三方に兵隊を置いて私らを挟んだつもりでも、数はこっちが圧倒的に上だから余裕で勝てるね。よし、一気にやっつけちゃおん!」


 架橋は敵を舐めた。吉良衆の中には、居城青木(あおき)城を捨ててまで護衛に来てくれた多目(ため)周防(すおう)の部隊が含まれる。しかしそれでも百人いるだろうか?

 この地域の兵の大半は、去年から駿河(するが)国(静岡(しずおか)県)や小田原に出払って、無防備になっていた。だから北条領の軍事防衛に関して大穴となっている。

『北条盛衰記』の多目周防も「兵がいねーよ!(要約)」と嘆いた記述があるほどである。

 これでは、攻めてくださいと言ってるようなものだ。

 現に攻められた。

 臆病な架橋でさえ得意げになるほどで、悩む必要もなく軍配を前にかざし、自軍を前へ突っ込ませた。


 崖の上の敵陣。大将吉良氏朝(うじとも)演じる育美は焦っていた。


「ここを越えられたら私の本領、蒔田(まいた)が奪い取られるらっしー。この坂が最終防衛戦らっしー。江戸城も小机城も玉縄(たまなわ)城も貝のように閉じこもってるし、寺尾(てらお)城などは応答すらしてくれん。私は足利(あしかが)の血筋らっしー。北条氏康(うじやす)の養女を嫁にしてるらっしー。だから自分より私を守れらっしー。ったく、周りはみんな役に立たんらっしーね。とにかく皆の者、私らだけで火事場の馬鹿力を出して守りきらないと、金山奴隷にされて終わりだらっしー!」


 育美は長い説明セリフに息を切らす。深呼吸して息を落ち着けてから、十数人しかいない鉄砲衆に号令した。


「鉄砲放てらっしー!」


 吉良鉄砲隊が火蓋を切る。崖の下の武田先鋒架橋隊に銃弾の雨をあびせた。次いで無数の矢も放たれ、武田先鋒架橋隊を狙う。更に石や木片や土まで投げられ、銅鑼や太鼓や大声も五月蝿くした。

 これらは三方の崖からこだまし、少ないはずの蒔田衆が嘘のように何倍も多くいるように錯覚する。

 架橋はこの反響音に呑まれると、怯え、憶した。


「わあーん……。なにこれ? 寺ちゃん、実は兵隊隠してる? これまずくない? 逃げたほうがいいよね……」


 怯える架橋は、部隊を下がらせると決めた。でもそれでは市治に叱られないか? と、架橋は本陣がある丘を確かめると、さっきまであったはずの御旗、諏訪法性の旗、風林火山の旗が、なかった。


「え? え? ちーちゃんどこ行ったの?」


 キョロキョロ捜すと、現実方面から市治の声がする。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー




「皆さま、ごはん、行きましょう」


 市治は愛車、F31レパードに乗るよう促した。

 架橋はやっと理解した。


「ちーちゃん、武田信玄が横浜に来た意味分かった。だってここ、フルボッコし放題だよねー!」


 市治は頷かないも、理屈だったので微笑んだ。


ーーそれでも武田軍は、深入りしすぎてる感があるのですよね。それに小机城は小机衆、寺尾城は江戸衆、神奈川湊は玉縄衆、多目周防さんは氏康さん直属、で、吉良さんは保護名家。同じ北条家の組織でも所属がバラバラなんですよね。だから足並みが悪かったのでしょうか? とはいえ武田信玄さん、もし本当に、横浜に足を踏み入れたのならば、怖いくらい見事な戦略を立てましたね……。


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