後半:武田信玄横浜侵略伝説(前編)
夜、帰路のF31レパード車内、舞岡市治は新治英々子と寺家育美を家まで送る。後部座席の寺家育美はほろ酔いながら、運転する舞岡市治に相談があった。
「ねえねえ、そらちんの事だけど、私、沼にはめたいんよね。歴女って、私が物心ついた頃にはブームになったっていうのに、身の周りに誰もいないんだもん」
相席の新治英々子は「確かにそうかもね」と頷く。
育美はいう。
「それがこの二日でいきなり三人だぜ。こんな奇跡、二度とこないよ。ならば四人目として、そらちゃんを歴女に改造するってどうよ?」
英々子は育美の提案に乗った。
「改造か、いいね。風車ベルトで変身すると、パワー百倍出る子にしちゃいましょう!」
「こらこら、キミは何処の悪の組織の親玉だい?」
市治は微笑んで、二人の意見に賛成した。
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四月の連休初日、快晴。東急新横浜線新綱島駅、朝九時丁度、市治が改札口を降りると既に三人が待っていた。
「あ、遅くなって申し訳ございません……」
架橋は気にしないでと励ました。
「なぁーん、ええよー」
英々子も育美も「大丈夫よ」と許す。九時集合で九時着は気にするほどでもない。
市治は一安心し、ガイドをはじめた。
「あ、有難うございます。では早速いきましょうか。近いので」
育美は、まだ違和感があるようだ。
「武田信玄と横浜って、伝承レベルじゃなぁ……」
普通に考えたらそうだが、市治には調べる価値はあると思ってる。
「伝承や寺伝の一つや二つなら、私も見て見ぬふりはするのですが、これ、十を越えてあるのでる。そこまであったら見逃す訳にはいかないでしょう」
「え、そんなに!」育美は驚いた。
市治は大まかな解説をしながら先導を始めた。
武田信玄の横浜侵略は、小田原攻めの中にある。とはいえ小田原城からの帰路で起きた三増峠合戦が、戦国史ファンの間ではあまりにも有名だ。
だが、彼女たちの目的は、そこではない。
小机城合戦のおよそ九十年後、永禄十二(一五六九)年八月二十四日、武田信玄は二万の兵を率いて甲斐国(山梨県)府中(いわゆる甲府)を出陣。越後国(新潟県)の上杉輝虎と戦うために川中島(長野市)へ行くと見せかけ、実は信濃国(長野県)佐久郡から碓氷峠を下って上野国(群馬県)の北条領に侵入する。十月一日、廿里(八王子市)合戦で勝利し、滝山城(同市)も攻めた。次に信玄は、相模国(神奈川県)寒川神社(寒川町)で戦勝祈願を行い、兜を奉納。十月一日に小田原城を包囲し、五日に退却した。これを北条氏政ら追撃戦積極派がその戦いを行うために出陣。八日、三増峠(愛川町側の)と周辺にて激しい合戦か行われ、武田軍が勝利し、そのまま甲斐国に帰った。
そんな武田軍の行程、滝山城から寒川神社までの道のりは、そのまま南下してると思われがちである。実際そのほうが近道であり、そのように紹介している書籍も多い。
しかし異説がある。それは滝山城から大きく東に進み、都心の文京、品川、太田区に入って、乱取りを重ねた。そして多摩川を越えて川崎の入間、横浜、藤沢を経由して寒川神社へ向かったというものだ。
ただし情報源は、戦国時代当時の生々しいものではなく、江戸時代後期に編纂されたものや、虚実入り乱れた軍記物語だった。
それでも市治は、知り合ったばかりのこの三人に、横浜市内の伝承地を見せたかった。
英々子は日付の不自然に反応した。
「え、同じ日に八王子と小田原で合戦?」
「……なぜかそうあるのです……」
「なにそのワープ感覚? デスラー戦法?」
「え、何ですか? それ」
「知らないの?」
「え、は、はい……」
「な、なんと。時代遅れさんだね」
「申し訳ございません……」
「あ、ごめん。そこツッコむとこだから」
英々子は冗談で言ってるのに、市治は真顔で謝る。育美は下手な大阪弁で返した。ツッコミの一例として。
「いやいや、時代遅れはえーこちゃんや。平成二桁生まれの若者がそんな昭和のオッサンアニメ知るかいや」
「ううう、最近リメイクしたのに……」
と談笑する。架橋はリメイク版を知っていて話に乗りたかったが、言う前に目的地に着いた。
1、綱島編
綱島諏訪神社の創建は、少し変わった由緒や伝承を持っている。綱島十八騎と名乗る甲州武田武士団が、綱島から架橋の住む篠原までの十二ヶ村を”支配”したという。
重ねるが”支配”である。
敵地でよくやる強奪や拉致、つまり”乱取り”ではないのだ。
武田領横浜、この飛び地感は違和感すぎる。
彼ら綱島の武田武士団は、諏訪神社のあるこの丘で、富士山を眺めながら故郷信濃を想う。いざいくさがあると、この地に咲く桜の枝を折って、馬の鞭にして参じたという。
ちなみにこの諏訪神社の創建はの徳川家康治世、慶長十(一六〇五)年頃といわれている。
育美は架橋に、小芝居を求めた。
「キノシタ二等兵っ、この看板にある由緒を読みなさい!」
架橋はドキッとするも、嬉しくなる。
「ハッ、隊長どの!」
架橋は乗った。敬礼してから読む。
「……は……の……であり、……の… …は」
「こらー、漢字を読め!」育美は笑った。
架橋は、育美がウケてくれてホッとする。育美も、架橋は人見知りでも冗談が通じる子だと安心した。英々子は苦笑いしながら、この場には独特の世界があると感じていた。
「っていうか、ここ横浜なの? それ読んでる限りだと、全力で山梨か長野じゃん?」
架橋はまた乗った。
「じゃあ、桃とブドウとリンゴが自慢ね」
英々子は架橋に教えた。
「桃なら綱島でも名物だよ」
「え、ほんまなんけー?」架橋は感心する。
市治はここで、歌を口ずさんだ。
「綱島よいとこ 花咲く春は 土手の桜に
桃畠 綱島よいとこ 月ある秋は 虫の鳴く音の 諏訪の森~♪」
架橋は、市治の声色が子守唄みたいで心地よく、「なにそれ? かわええね」と興味を抱く。
市治は答えた。
「綱島小唄といいます。昭和の初めごろに作られました」
「へえ。じゃあさあ、夏と冬は?」
「夏は蛍、冬はラジウム温泉です」
「おんせん?」
「はい。ここは戦後の一時期まで、箱根に次ぐほど栄えたことがある温泉街でした」
「そんな雰囲気ないけど、なくなったの?」
「はい」
「な、なんで? 武田家の滅亡? それともバブル崩壊で団体客が減った? 個人客層の増加に対応できなかった?」
架橋は納得できない。英々子が「そらちゃん宿泊業詳しいね」というと、架橋は「お母ちゃん側の親戚が片山津温泉に住んでるんよ」と打ち明ける。
架橋が流暢になりだした。
市治は理由を教えた。
「いいえ。一番の理由は新幹線の開業で、お客が熱海や箱根に取られたことだといいます。新横浜に移転したお宿さんもあるくらいです」
英々子はここで白けるように言った。
「ああ、シンヨコラブホ街のきっかけだね」
「……そうともいいます」市治は赤面した。
架橋はふとひらめき、新説をだす。
「そうか、信玄がなんで綱島を占領したの分かった。隠し湯を増やすためだよ!」
市治は刹那に否定した。
「源泉が見つかったのは大正時代です」
「がーん!」
架橋はショックだった。英々子と育美は腹を抱えて笑う。でも、市治は架橋を励ます。
「あ、そうだ。富士山見ませんか?」
「うん。見よう!」架橋は秒で立ち直った。
見える場所は本殿の裏なので、四人はまず本堂でお参りする。それから裏手に入り、西側の開けた風景を確認する。でも、
「富士山みえないね……」架橋は落ち込む。
英々子がいう。
「ビルで遮られてるのかな?」
それならば仕方ない。妄想補正しかない。
架橋がしんみりと問う。
「武田信玄、なんでこんなとこ占領したんだろうねー?」
そこまでは誰も分からない。
史料にないから、歴史になれない。
見学は終わる。市治は綱島商店街にあるパン屋の名店、トキワパンに寄ろうと皆を連れた。
「史跡めぐりの醍醐味は、買い食いです」
「それって下校の醍醐味だよ」架橋は笑う。
新綱島駅から東急東横線の綱島駅へ。このパン屋は昭和四(一九二九)年に神奈川区の東急東横線新太田駅(昭和二十年五月二十九日の横浜大空襲で被害を受けて廃駅)前で創業し、戦争中の昭和十八(一五四三)年、綱島へ疎開してからずっと、綱島で営業を続けた歴史を持つ。
四人は着いたが、閉店していた。そこは焼鳥屋、フカワ鳥綱島駅前店に変わっていた。
市治はショックで落ち込む。
「カリ揚げチーズカレーパン、街のソウルフードでお薦めしったかったです……」
育美がタブレッドで調べ、教えた。
「あ、ここ去年、店じまいしたってよ」
「がーん!」
市治はショックだった。架橋はそんな市治を慰めた。
「ちーちゃん、残念なのは分かるわ。でもね、買い食いはしましょう。この焼き鳥はきっと、街の新たなソウルフードになれるかもだよ」
市治は、それもそうだと理解した。
「そ、そうですね。応援しなきゃです」
昼食に影響がでないよう一人一本、お手頃価格で焼鳥を頂いた。
英々子が思い出したように言う。
「新店さんに町の未来を託すのは荷が重いと思うよ。そういうのはむしろ、カトーナノカ堂に任せればいいのよ。ショッピングセンターは町の求心力でしょ」
「そ、そうですね」
市治は納得し、新しい焼鳥を満喫した。タレの甘さと優しさで、頬が幸せになった。