後半:散策、小机城合戦(前編)
桜花びらが春風に舞う土曜日、透き通った空。寺家育美、新治英々子、空架橋は地下鉄新横浜駅改札前で、朝九時に待ち合わせた。
架橋にとって友達との外出は何年ぶりだろう? とはいえ昨日、無理やり誘われたのだが。
ーーミナトのオシャレカフェは、また今度でいっか。
英々子は自分で持ってる太田道灌の本を片手に、史跡巡りを行程を考えていた。
「横浜一有名な合戦、太田ドカンの小机城合戦史跡巡りへレッツらごー!」
「ドッカンですか」架橋が笑う。
英々子は頷き、歌った。
「何処から来たのかご苦労さんね♪」
育美が「おーたドッカーン!」と歌う。
替え歌だが、ノリとしてはこれで正解である。
「な、何なのそれ?」架橋は笑った。
先ずは、北新横浜駅から徒歩十五分ほどにある、亀の子山陣地跡だ。太田道灌の大軍勢が、小机城合戦のとき最初に陣を張った丘陵である。
低い丘とはいえ、東西南方面の景色が良いはずだ。
しかし、架橋は目が点となった。
「あ、あの、なにも見えませんけど……」
小机城方面の視界が完全に、木々と薮で遮られていた。
「あれ……?」英々子は戸惑った。
リサーチ不足である。
育美は提案した。
「これは麓まで降りるしかないかな?」
英々子は仕方なしと賛成し、三人は坂を降りた。その麓は、架橋も知る亀甲橋の入口だった。送迎バスや路上販売へ向かうルートだった。
ここからなら小机城跡の緑地がよく見えたので、三人は喜んだ。
架橋は英々子に「あれが小机の城跡だよ」と言われて初めて知る。入社して一週間、よく見ていた景色だった。
でも、じっくり眺めたのは初めてだ。だから、
「あ、城跡の上に富士山がある!」と気づけた。
「ホントだ、すげー!」育美はスマホをとり写真を撮る。
架橋も英々子も、写真を撮った。
英々子は太田道灌気分になって「城攻めじゃ!」と叫び、育美は「おう!」と雑兵気分になって堤防を降りるも、河原に入ったら汚れそうなのですぐ戻った。
架橋は「足軽メシってどんなんだろ?」と気になった。
さて次は小机城……、ではなかった。
育美が嘆く。
「なんで? 城攻めさせてよ!」
英々子はその理由を語った。
「一番最後に回ろうと思うの。だってこのお城、北条時代に魔改造されたせいで、メイドバイ矢野の名残が何一つないんだもん」
「そりゃそうだけどさ……」
育美は残念そうにぼやいた。
架橋が、あらん限りの知識で反応した。
「ほ、北条なら、昨年の大河ドラマ見……」
「いや、そっちじゃねえ!」
育美は直ぐ突っ込み、架橋は肩を縮めた。
小机城合戦は戦国時代でもかなり初期の戦いで、そこに後北条氏は存在しない。だからこれを語るとき、架橋のような初心者に、いきなり当時のものではない遺構を見せたら、訳がわからなくなる恐れがある。だから城跡以外のゆかりの地から一通り見聞きさせて、知識をつけてから城跡を見せようと考えたのだ。
育美はため息交じりに言った。
「矢野時代の小机城は全力で妄想するしかないよ。ま、参考書はあるけどね」
と、あのイラスト本をだし、該当ページを開く。三人は想像した。育美はイラストに忠実に、英々子は昭和の時代劇のようにド派手に、架橋はよく分からないので金沢城っぽく。
小机城の戦いとは文明十(一四七八)年二月六日にはじまり、四月十一日に終わった合戦である。勝者は攻め手、扇谷上杉定正家宰(副社長みたいなもの)職の太田道灌だ。敗者は籠城側、地元神奈川湊周辺を支配する矢野兵庫だった。
この戦いは、文明八(一四七六)年から十二(一四八〇)年まで繰り広げられた長尾景春の乱のなかにある、主要な合戦のひとつである。
大乱の発端は景春の処遇不満にあった。文明五(一四七三)年、景春の父、長尾景信が死去し、景春が家督を継いだ。しかし時の直属上官、関東管領山内上杉顕定は家宰職を、当主になったばかりの景春ではなく、叔父の忠景に与えた。祖父と父には与えられたのに自分は何故与えられないのか? と、景春は激怒したのである。
そのため景春は、関東管領の仇敵古河公方足利成氏側に寝返って反旗をあげた。これに矢野兵庫など多くの勢力が賛同している。
もとあれ小机城は落城後、廃城となった。
それから四十六年後の大永四(一五二四)年、小机城は北条氏綱の命令で復活したが、テーマの範囲外になるので、ここでは解説しない。
「あれ? 硯松、この辺なんだけど……」
英々子は戸惑った。
場所は移り、神奈川区羽沢町。硯松とは、太田道灌の有名な一句「小机の まずは手習いの はじめにて いろはにほへと ちりじりになる」を詠んだ場所を示す。句の意味は「小机城を攻め落とすなど、平仮名を覚えるくらい簡単だ!」と、余裕綽々である。
とはいえこの羽沢は、見渡す限りのキャベツ畑。あと、古い小学校と江戸時代の富士塚がポツンと立つ。
架橋は思わず、口に出た。
「ねえ、ここホントに横浜? 津幡より田舎やねー」
育美は苦笑い。
「ウチも近くにも似たような場所はあるけど、地平線まで徹底した畑じゃないな」
地平線までは膨らませて言ってるが、英々子が道灌本を確認しながら、育美に感心する。
「へえ、寺ちゃんって、何処?」
「岡津。泉区の戸塚寄り。えーこはんは?」
「東永谷だよ」
「東永谷か。上大岡界隈とは、キミはブルジョアだな」
「あはははは。じゃあ、寺ちゃんはお代官様じゃん。岡津って、城跡よりも江戸時代の陣屋が有名じゃん」
等と二人で盛り上がってる。架橋は話題に入れない。孤独感にビビると、小学校から、子供たちの歌声が漏れ聞こえた。
「はるかに遠く、富士を見て♪」
架橋は”何の曲?”と思って耳を傾けると、校歌だった。
その、のびのびとした歌唱は聞き心地がよい。
架橋は、話題を変えられると直感した。
「校歌っていいよね。ほら、な、なんというか? あ、そうだ。故郷ソングみたいよねー」
同情を求めた。否定されたらどうしようと不安になったが、英々子が納得した。
「なるほど、言われたら故郷ソングかもね」
育美も同じだった。
「確かに。地元民しか歌えないし」
架橋は出身小学校の校歌を口ずさんだ。
「古城址に~♪」
と、出だしを歌うと、育美が敏感に反応した。
「え、そらちゃんとこ、歌詞にお城があるの? いいなあ。岡津は小学校も中学校も城跡の上にあるのに、歌詞にはないんだよ。富士山ならあるけど」
ここで英々子も乗る。
「私んとこも、小中共に富士山あったわ!」
「おお、ハマの校歌ってもしかして、富士山を背にして育てる系、多いとか? で、そらちゃんとこは?」
「あ、あ、ありませんよ。だって石川県だし。でも、大西山なら」
「なにそれ?」
「津幡の城跡にある山の通称」
「おお。そらちゃんって実は城跡の中で大きくなった系なんだ。私と仲間じゃん!」
「あ、いいえ。お隣が城跡で……」
「いいのいいの!」
育美は盛り上がり、架橋にじゃれつく。架橋は嬉しくてホッとした。ここで英々子がハッと気づき、脱線する話題を元に戻す。
「ああそうだ。硯松の場所が分からないなら。そこに第一村人がいるので、尋ねてみましょう」
少し離れた場所の農道沿いで、座って休む少女がいた。英々子と育美は、無言のジェスチャーで”そらちゃんがやって”と促す。
「え、私?」架橋は縮こまるも、了解した。
架橋は恐る恐る近づいて、深呼吸してから、勇気を振り絞って尋ねた。
「あ、あ、あの、すみませんお嬢さん。道をおたずねしますが、硯松って何処ですか?」
言えた。怖かったけど、ホッとした。
少女が架橋のほうを振り向くと、お互いが「あ」と驚いた。この少女は幸ヶ谷公園で出会った舞岡市治だった。三つ編みではなくポニーテールで、ポンチョではなく農作業着だけど。
架橋はこの偶然に大喜びし、飛び跳ねてから、市治の手を引っ張って、英々子と育美の下へ駆けた。
架橋は二人に紹介したかった。その声も、らしくないほどハキハキした。
「ねえねえみんな聞いて。この子だよこの子。前に言った、ちっこくてキレイなかわええ子!」
市治は状況が理解できないまま、とりあえず、先にお辞儀しておく。
しかし育美も英々子も、架橋から市治のことなど何も聞いてないので、頭の中が「?」だった。
架橋はハッと気づいた。
「あ、そうだ。まだ言ってませんでした……」
ついつい興奮してしまった。恥ずかしい……。
育美も英々子も"やっぱしこの子は天然だ"と思い、逆に可愛さが膨らんだ。市治を実際に見て架橋がはしゃぐのも、なんとなく分かる気がする。
英々子は初対面ながらも、小心者の架橋のためにはおだてるのも必要だ。だからノリで市治を褒めちぎった。
「わあ、ホントこの子、小さいのに美人さんだわ。ドラマの子役さんになれるんじゃね?」
市治はいきなり初対面の人に言われ、頬を赤くする。
「あ、ありがとうございます……」
架橋は市治に安心しきったのか、市治の出身も聞きたかった。
「ねーねー、どこ小なの?」
市治は出身校を尋ねられても、すぐ目の前にある。背の低さは宿命だが、三人とも市治のことを誤解してると思われるので、何より先にそれを解く必要があった。
「私、舞岡市治と申します。こんな背丈ですが、運転免許も選挙権も持っていますし、先月、大学から卒業証書も頂いております」
と、運転免許証を出して見せた。
「え、えーっ! 私とタメやん!」
架橋は驚くも、余計に嬉しくなった。
「ちなみに私も持ってまーす」
と、架橋も運転免許をだして、見せあった。育美と英々子は持ってない。
しかし、英々子と育美はすぐ冷静になれた。舞岡市治という名前に覚えがあるからだ。それは二人を結んだ「横浜に伝わる戦国時代のイラスト集」の本の、作者本人だったからだ。そこでは肩書きは大学生と共に郷土史家とある。
育美と英々子は、バッグから本をサインペンを取り出して、
「サイン下さい!」とお願いした。
「あらま!」
市治は嬉しさがこみ上げた。この本、実は全く売れなかった。地味な上にニッチだからだ。なのに、購買者が二人も眼前に立っている。その上、硯松を訪ねたということはこの本にも描いた小机城合戦の参考に持ち歩いてると想定できる。本望だった。ちょっと、感動した。
「お、お買い上げありがとうございます」
深々と礼をして、サインに応じた。芸能人やプロスポーツ選手のようなカッコいいサインは書けないから、名前を記すだけだった。それでも育美と英々子は、
「達筆だ!」と褒めた。
架橋はうらやましがった。
「あーん。私だけ持ってないよ……」
市治はならばと、薦めてみた。
「それなら買取分ありますので、おひとつあげます」
架橋は、市治がタダであげると言ってくれて喜んだ。
「ええ、いいの? わあああい、有難う……」
だが一転、謙虚となった。
「あ、いや買う。買います。印税払いたいです!」
「いや、そこまでお気遣いされなくても……」
「いやいや、買わないとなんだかみんなと同じ土俵に立てないと思うので!」
と、架橋は生真面目になった。
市治は冷静に思う。緊張が必死に映る架橋が、なにげにおちゃめだ。
ーーこれは断ってはいけない場面ですね。
市治は架橋の誠意から、そう直感した。
「ありがとうございます。ならば、お言葉に甘えてお売りまします。それでは、私の家までご案内いたしましょう」
市治は三人を招待した。畑から林の中へ。舗装されてない土の道の坂を下る。木漏れ日が心地よいうえ、ウグイスまでさえずってくれている。
「てか羽沢、田舎過ぎね?」英々子は問う。
それは市治が一番肌身に染みている。
「昭和五十年代まで茅葺き屋根のお宅があったみたいです」
「嘘まじ?」架橋は問う。
「昭和五十年代にはクマさん飼ってた方もいたようです」
「なにここクマ出るの!?」育美は驚き、青ざめた。
「出ませんよ。タヌキさんなら出たようですけど、この小さな谷戸にいない生き物は、もう出てこないと思います」
市治はクスクスと手で口を隠して笑う。育美はホッとした。架橋は市治の仕草をみて、上品さも可愛いとニヤニヤした。
林をぬけたら市治の自宅に着く。それは大正か昭和の初頭か? とてもモダンな和洋折衷建築の豪邸だった。
キャラクター紹介④新治英々子 (にいはる えいこ)
〜戦国武将と昭和ネタとお酒が大好き、ほんわか教え上手な元先生〜
あだ名:えーこさん、えーこちゃん、えーこはん
年齢:25
性別:女
誕生日:6月12日
血液型:-
身長:164
体重:-
人柄:おっとりほんわか系レディ。
昭和のギャグや映像ものが好き。父母や祖父母の影響。
歴史好きのきっかけはノブヤボ。
家庭は三人。住まいは港南区東永谷、住宅街の一軒家。
下永谷小学校(徒歩2分)→東永谷中学校(徒歩5分)→横浜市立南高校(徒歩2分)→横浜国立大学教育学部卒(ようやく町内脱出)。このパターンは市治と類似だが英々子のほうが範囲が狭い。
新横浜へはバスで上大岡から市営地下鉄。
親戚は滋賀県長浜市の朝日町。駅前の城下町。
教員免許持ち。学校の先生になるか塾の講師になるか悩んだ末に後者をとる。専門は日本史。
教え上手で成績上位者を多数輩出させる。人気もあった。でも、あまりのおっとりふわふわ口調で聞き心地がいいから、うたた寝する生徒が続出。会社も苦悩した末に異動させてる。
萌え要素は戦国武将で強い人。太田道灌みたいな頭脳強者も含む。