前半:郷土史最大の謎(中)
四人は昼食を終えて店をでると、架橋が、道路の向かい側にある神社を指して提案した。
「みんな、あそこに歴史っぽいのあるぞいね〜。寄ってみんが?」
人見知りする架橋は、安心してるとつい金沢弁がでる。市治も育美も英々子も気まぐれ散策が好きだから、乗った。
そこは、鶴見神社。
鳥居のすぐ横に、鶴見神社と彫られた石柱がある。見どころはここからあった。
架橋が注目した。
「小笠原なまなま……?」
「ビールかい……」英々子はツッコんだ。
石柱を奉納した人物である。市治が教えた。
「長生と読みます」
育美がタブレットをだし、検索して、解説を見せた。
「おお、やっぱし貞慶が先祖にいた」
小笠原と名乗るセレブならたどれると想像したら、当たった。流行りの歴史漫画『貞慶〜息子たちの戦国〜』の主人公と縁がある。この物語、戦国武将小笠原貞慶の一代記を基礎にしながら、同い年の武田勝頼と村上国清とも絡ませている。三人の父親の生き様を見せながら……。
英々子が架橋に教えた?
「そらちゃん。来月、新刊でるからね。出戸の孫娘さんが描いてるやつだから、買わなきゃだよ」
「い、一から集めます……」
架橋のみ、まだ集めていなかった。
四人は鳥居をくぐる。すぐ横に説明板があった。架橋が読んで感心する。
「へえ、元々は杉山大明神って言ってたのね」
育美と英々子は聞き流す程度の関心しかない。だが市治にとっては、クールな態度を抑えられなくなるほどワクワクの対象だった。
「杉山神社は鶴見川水系を中心に、帷子川、大岡川の流域にしか鎮座されていない、ローカルでニッチな信仰文化圏なのです」
「へえ、知らなかったわ」育美も英々子も興味をひいた。
架橋はワクワクする。
「なんか私たち向きぞいねー」
鶴見神社の創建は不明ながらも、推古天皇の時代と伝えられているため、横浜市最古の神社説がある。そのためか、毎年四月に開催される杉山祭(鶴見の田祭り)も市内最古の祭りとされる。神社名変更は大正九(一九二〇)年だ。祭神は素戔嗚尊命と五十猛命で、杉山社ではお馴染みの神様である。鎌倉時代の仁治二(一二四一)年には鎌倉四代将軍藤原頼経が参拝した伝承を持つ。境内の端には貝塚が発見され、説明看板もある。神社のお守りも多種あり、とくに〝富士(無事とかけている)かえる〟の旅行安全お守りは有名らしい。四人は社務所で授かった。立派な社殿の後ろに富士塚がある。登っても富士山は見えなかった。社殿の脇には七つの境内末社がある。このなかでも一番新しい清明社の所以が、面白い。
架橋が指摘した。
「へえ、祭神三島由紀夫って、名前なら知ってる。小説家の人だよねー。てか、神社で祀られる神様って、神話の時代に頑張った神様ばかりかと思ったねー」
市治は同情した。
「確かにそういう印象ありますね。ですがその気になれば、空架橋命として祀られるかもしれませんよ」
市治は冗談で、架橋に手を合わせた。育美と英々子も調子に乗って、市治に続いて架橋に手を合わせた。架橋は両手を振って拒んだ。
「え? わたし? むりむりむり……」
市治たちは笑った。英々子は話を戻す。
「森田必勝って誰?」
これは市治が教えた。
「〝ひっしょう〟じゃなくて〝まさかつ〟ね。活動家の人だったかな? でも、なんで鶴見だろ?」
答えは解説板にあった。森田ではなく、三島が若い頃によく通っていたバーが鶴見駅前にあった。その所縁からだという。
架橋は鶴見神社を楽しめた。
「神社って以外とテーマパークだぞいねー」
英々子は架橋の喩えに苦笑いするも、否定はしない。
「ま、縄文から平成まで、たしかに豊富ね……」
架橋は英々子に「でしょ!」とはしゃきながら、ふと思った。
ーーそういえば白山神社って全国にあるねー……。
だから市治に問う。
「ちーちゃん、杉山大明神ってどれくらいあるんけ?」
「えっと、たしか……」
市治は気を取り戻して、バッグから超薄型PCを取り出して、ファイルを開く。それは平成二十八(二〇一六)年に行われた講演会のレジュメで、タイトルは〝郷土史最大の謎、杉山神社を探る〟とある。
「四十九社です。殆どが横浜市内ですね」
育美が「泉区はある?」と市治のPCを見ると、なかった。英々子が「港南区は?」と確かめたら、なかった。
英々子は、ふんわりと嘆く。
「なんで? 同じ横浜じゃん」
市治は教えた。
「問題は近代に生まれた横浜という自治体ではなく、太古からある流域だと思います」
英々子は悲しみながらも、理解した。
「そ、そうか。私と寺さんの家、山脈の向こう側だもんね……」
架橋は逆に、ニコニコしてた。
「じつはウチの近くにあるがよー」
市治は知っている。
「岸根杉山神社ですね」
「うん!」
「あそこは大永五(一五二五)年の創建ですから、扇谷朝興さんが江戸城を取られて、小机城まで再建されてしまった翌年で、朝興さんの嫡男朝定さんが生まれた年です」
「扇谷が主語かい」育美は市治の逆視点に笑う。
「岸根の杉山さん、伊豆の岩田五郎右エ門さんが作ったと言います。伊勢氏綱さんの家臣だともいわれてます」
市治はこれでもか、というほど得意げな表情で扇谷側を主語にした。育美は苦笑いするしかない。
「さ、さすがは歩くマイナー娘……」
英々子が杉山神社にひとつ不思議に思い、市治に質問した。
「で、杉山の総鎮守というか、総本宮は何処?」
「それが判明してないのです。説は四社か六社ほどあるのですが、どれも決め手がなくって。そもそも文献がなさすぎるのです……」
「杉山っていうから、林業系の神様だとか?」
「そういう推論はありますが、二次史料や状況証拠どころか、偽文書すらありません」
「ないないづくしだね」英々子はそう言いながら「やりきれなーいそれでも貴方は生きている♪」と口ずさんだ。
「なにそれ?」育美が問う。
「知らないの? 昭和で流行ったコミックソング」
「いや普通しらねーから」
英々子と育美は笑った。
市治は杉山神社の存在自体に憧れを抱いている。
「たとえ歴史はなくとも、大昔、確実にあったものが、時代の変化に伴って色々姿を変えながらも今にリレーされてきたのです。これはロマンです。それで良いと思います。ならば私たちは、ちゃんと未来にバトンしなきゃです」
「ロマンって、諦めてるんだね?」英々子は言う。
「いえいえ、そちらの歴史発掘なら他の方々がやってるので、お任せすればよいのです。私は、私のウェルビーイングを歩めばよいだけですから」
「ま、それもそっか。歴史の情報量なんて計り知れないもんね。人の脳みそに入りきらない。だから専門作って好きになる。それしかないよね」
英々子は納得し、市治は瞳を輝かせた。架橋は単純な発想で問う。
「ここが総鎮守でいいんじゃないんけ? 最古やし」
市治は、それはそれで理屈とは思えど、
「証明されるものが見つかるといいですね」
と、肯定も否定もしなかった。
架橋はふと思いつく。〝富士かえる〟のお守りを見せながら提案してみた。
「あ、あの、ちーちゃんのパソコンに分布図があるから、ダーツの旅みたいに気まぐれで行ってみませんか?」
(『杉山神社考』関連地図より)
育美はツッコむ。
「ダーツなげたらパソコン壊れちゃうよ」
「あ……」架橋は赤面した。
英々子が架橋の意見に乗る。
「じゃあ、そらちゃんが目をつむって適当な場所を指しなよ。川崎でも東京でも何処でも従うからさ」
「え、わたし……?」架橋はおどおどした。
市治がノートPCを持ち、育美が架橋の両目を掌で隠し、英々子の「れっつらごー」の合図のもと、架橋の人差し指は画面の適当な位置を指す。英々子が「二十五だよ」と確かめると、市治は答えた。
「川島杉山神社です」
市治も初訪問となる。
(英々子さんの鶴見土産)