後半:横浜と能登、ハダカのおつきあい
新横浜駅ビル八階の大型書店、山椒堂。舞岡市治は空架橋に声をかけられ、反応する。
「あら、お早いのですね」
「私、四時あがりだよ」
「ああ、そういえば、そうおっしゃていましたね」
「いやあ、意外と力仕事が多くてひどいわねー」
「え? キノシタフーズさんブラック企業なのですか?」
市治は架橋を心配した。
架橋は慌てて訂正する。
「あ、あ、違う違う。叔父さんの会社は超ホワイト。ひどいってのは金沢弁で"すっごく疲れた"って意味なの……」
「そうなのですか。なら、今から一緒にお風呂に行きませんか? 私、いま、スパ銭へ行く寄り道でしたので」
市治は当たり前のように淡々と誘う。だから、架橋は驚いた。
「え、え、いいの?」
「はい」
「やったー! じゃ、しゃあ、着替えもってくるからここで待ってて!」
横浜市西区、藤棚商店街より角五つ手前の細道。その住宅街のなかの銭湯にきた。
架橋はすこし、呆然とした。
「こ、これ、スーパー? どこをどう見ても、えーこさんが喜びそうなほど昭和感丸出しなんだけど……」
「はい。急にスーパーな気分になれなくなりました」
「え、どゆこと?」
「入れば分かります」
市治は微笑んで入場した。市治は手慣れているので下駄箱に靴を入れ、木札錠をとりだし、女湯の扉を開け、予め用意した入浴料を置く。架橋は銭湯初体験。緊張して不器用に続く。
「こんばんわ」市治は番台のお婆ちゃんに挨拶する。
番台のお婆ちゃんは、陽気に市治を歓迎した。
「あら舞岡のお嬢ちゃん、久しぶりね。熱いの苦手じゃなかったっけ?」
「薬湯ならなんとか大丈夫ですよ」
「四十一度が限界だったかな?」
「今日は人を紹介したかったので。こちらの方、空架橋さん。加州の出身なんですよ」
「へえ、メリケンさんかい?」
「いやそちらの加州ではありませんよ」
市治は口を隠して笑う。冗談だと分かってるから返事も軽くてよい。市治は架橋にも番台のお婆ちゃんを紹介した。架橋は緊張するも、お婆ちゃんは初対面でも気軽に、架橋へ話しかけた。
「へえ、お姉ちゃん、どこなんだい?」
架橋は緊張するも、答えた。
「あ、はい、津幡ですけど……」
「あら、加賀の国境かい。私は能登輪島の名舟町、この店を開けた叔父も名舟。知ってる?」
「太鼓が有名ですよね。演奏、聴いたことあります」
架橋の緊張が早くも溶けてる。同郷相手だと早いのか? いや、お婆ちゃんの人柄だろう。市治は連れてきて良かったと思った。
お婆ちゃんは会話が乗ってくる。
「叔父さん、戦前に親戚の紹介で横浜きて、生麦の銭湯で三助やって、戦争中は徴兵されたけど、なんとか戻って三助続けて、で、認められてこの銭湯を開業したの。あ、そうだ。お姉ちゃん、あれ、知ってる?」
お婆ちゃんが指でさしたものを架橋は見覚えある。
「あ、御陣乗太鼓だ」
架橋は、脱衣室の壁際にある太鼓の目の前まで近寄って眺めた。市治も後ろから付いてくる。架橋は市治に言う。
「そうだ。ちーちゃん、この太鼓の由来、知ってる?」
「……いいえ」
市治はなにげに答えるも、お婆ちゃんの目が呆れてる。
ーーお嬢ちゃんがおチビの頃に、ちゃんと教えたはずなんだけどね。ま、今もおチビさんだけどさ。
そんなことも知らない架橋は、得意げになって市治に教えた。
「上杉謙信が絡んでるんだよ。武田信玄のライバルだよ。上杉の水軍が珠洲に上陸したとき、名舟の軍勢が侵略を防ぐために奇襲を仕掛けたの。でも、単なる奇襲じゃつまらないから、鬼のお面とか亡霊のお面を使って、海藻の髪を振り乱しながら太鼓を打ち鳴らす作戦を立てたら大成功。これで上杉軍を怖がらせて追い払ったんだって!」
これは天正五(一五七七)年の話と伝わっている。
「へえ、伝統芸能ですか。詳しいですね」
市治が欲しいのは他人様の充実感だ。お婆ちゃんもそこは分かっている。実際、架橋はそんな顔をしていた。
「県民なら結構知ってると思うよねー」
「このような所で戦国時代の逸話に出会えるとは、驚きでした。そらさんを連れてきたのは正解ですね。じつは他にも見せたいものがあの中にあります」
市治は目線を浴場にむけた。架橋も浴場へ目を合わせると、奥の壁面に描かれた銭湯絵に、身震いするほど感動した。
「わあ、軍艦島だ。小島もある。嬉しい!」
通称軍艦島、正しくは見附島という。架橋と家族が幼い頃から見慣れていた姿が、この絵にある。この島は珠洲市にある小さな無人島で、付近の海岸も含めて能登地方を代表する観光名所になっている。見た目通り、軍鑑のような形をしている。ただ、令和元(二〇一九)年の台風十九号が起こした高波で小島は消滅し、昨年と一昨年の地震で見附島は崖の一部が崩落した。なので今は、この壁絵と少し違うかんじになってしまっている。
二人は脱ぎ、年寄りばかりの浴場へ入り、体を洗い流し、薬湯に入って絵を眺める。架橋がとても幸せそうだ。市治は架橋の微笑みを見てるだけでも満足で、幸福感をいただける。
満喫する架橋に、市治は頼んでみる。
「お背中、くっつけあいませんか? 気持ち良いお風呂がもっと気持ち良くなりますから」
「え?」
市治は架橋が"うん"という前に後ろへ移動し、架橋の背中に自分の小さい背中をくっつけた。
架橋は驚き、市治はいう。
「幼い頃、お母様から教えてもらいました」
「へえ、そうなんだ」
架橋は納得した。たしかに心地よかった。はじめてなのか、気持ちよすぎるほどだった。
市治にとっては、幼い頃から数多くの同性とやった。だから半ば当たり前のような感覚でいた。市治も心地よかったが、急に架橋の背中が重たくなった。
ーーあらま、仕事疲れでしょうか?
市治の細くて小さな肩は、居眠りをはじめた架橋の枕にされてしまった。
これはさすがに、起こさないといけない。
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「あれ、ここ、露天風呂だったっけ?」
架橋が辺りを見渡すと、青空はよいのだが、浴場を薄汚いトタンの壁が囲み、床や浴槽のタイルも所々傷んでる。まるで廃墟だ。壁の向こうは、何ヶ所か細い黒煙や白煙がみえる。外は焼け野原だろうか?
でも、客が多い。賑やかだ。女児からお婆さんまであらゆる世代が揃っていた。そこには三助もいるのに、裸を見られて誰も怒らないどころか、ここにいて当たり前のように背中洗いを任されていた。
恥ずかしがってるのは架橋のみだった。三助がいるせいで薬湯から出られない。
とりあえず、飛び交う会話を聞き取ってみた。
「よくここに爆弾も焼夷弾も落ちなかったね」
ーーば、爆弾って、戦争中なの?
架橋はビビった。でも、聞き耳はたてる。
「飛び火で全焼しただけだからね。それが不幸中の幸いかな? だから床面や浴槽、煙突も残ったんだ。焦げた跡ばかりだけどね」
「震災のときもこんなんだったね。せっかく復興して、全盛期は四百件もゆうに越えてたのにもったいない……」
「いやこの空襲は、震災よりも酷いよ」
「そうよ。私なんか旦那も息子もみんな死んだばかりだよ……」
「私も、涙を隠しに風呂を浴びてるようなものよ」
「みんなそう。あの空襲で誰かを失ってる……」
「今はくじけてもいいけど、いつか、立ち直ろう。てかこの店、あれからたった三日で営業再会してるんだよね」
「店主が雪国出身だからかな? 凄いというのか、商魂たくましいというか。ここ来ると、これからの復興、頑張るしかない気持ちになれるわ」
「ああ、そうかも。生き残った人たちが、スッポンポンで生きてるみんなを確認してるからかな?」
「私も頑張ったわよ。銭湯探すのに一時間もかかったからね。震災のときは五分もかからなかったのに」
「頑張ったのそっちかい? ま、いいけど」
「私も」「私も」「私なんか二時間」「帰ったときはまた汗まみれじゃん……」「どんだけの丘を越えてきたの?」
「それでもまた立ち直るしかないよ。ここはお風呂の国、大日本だよ。どんなに疲れても癒してくれる場所がある。たとえ今はここしかなくてもね」
「うん!」みんな力強く頷いた。
名も知らない者たち。初めて顔をあわせた人たち。悲しくてもいい顔してる。架橋は少し、羨ましいと思えた。
ーーそっか。そういえば津幡にも金沢にも空襲ってなかったよな……。あ!?
架橋は、名もなき彼女たちのたくましさの原因が空襲だと気づいたら、すぐに青ざめた。
ここで震災といえば大正十二(一九二三)年九月一日におきた関東大震災を指し、空襲といえば昭和二十(一九四五)年五月二十九日の横浜大空襲を指す。大震災の年、現横浜市域にあった銭湯の営業件数は二〇三件だった。前年の統計はないので二年前は三八五件あった。終戦の年は六二件で、前年は三六五件だった。ただしこの数字はどちらも十二月のものだから、震災も戦災も当日はもっと少ないと見るべきだろう。震災前の最盛期は明治二十八(一八九五)年の三九八件で、震災後のそれは昭和九(一九三四)年の四九五件だ。ちなみに戦後高度成長期の全盛は、昭和四十(一九六五)年の三八六件である。
復興を始める際、どちらも元気回復の源に銭湯の存在は大きかった。この空襲で一万人前後もの人が死んだといわれているのに、ここから見えない場所では、まだ悲しみにふける人が何十万人もいるだろう。それでもここは、雰囲気が明るかった。
臆病な架橋でさえこの雰囲気に呑まれ、みんなの会話に入りくなる。
でも、男がいる。仕事だから変な目で見てないのは分かってるつもりだ。だが、それでも見られたくない。
架橋は恥ずかしさと長湯で、顔が真っ赤になってクラクラする。
こうなったら腕で胸を隠し、走って逃げるしかない。
ーーあれ、そういえばちーちゃんは何処? 何処にいるのよ? た、助けてよ……。
今更気がついた。背中合わせしたはずなのに、いない。
このとき、
「そらさん。そらさん……」
と、市治の声が、何処かから聞こえた。
市治は思わず立ち上がり、
「ちーちゃんどこ?」
と見まわした。
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「わ!」
市治は、急に立ち上がった架橋に驚いた。架橋も我に返って、赤面して縮まった。
「わ、私、どんだけ寝てた?」
「一分ほどだと思いますけど」
「……にしては情報量すんごい夢を見たような?」
「どのような夢ですか?」
「…………、わすれた」
「あらま」市治はクスクス笑った。
架橋も苦笑いした。
銭湯はとても楽しめた。市治はレパードのエンジンをかける。架橋は市治に礼をいった。
「ちーちゃん有難うね。私、同郷の銭湯なら、これから応援しなきゃね。月一に入りにいくとかね」
市治は微笑んで頷いた。
「それは良いことです」
と同時に、一番大事なことを思い出した。
「言い忘れていました」
「なに?」
「実はここだけではないのです。石川県出身者がはじめた銭湯は」
「え?」
「ここを含めて二十六件あります」
「え、えーっ!?」
「戦後の全盛期は二百五十件以上の銭湯が石川県の、とくに能登地方出身者が営業されていました」
「がーん……。な、な、な、なんでそんなに多いの?」
「明治の初め頃、東京で三助修行した能登の人が横浜で銭湯を始めてから、同郷の同業者や縁故者やその知り合いを山ほど呼んで発展させたからといわれてます。明治の後半からバブルの終わりまでずっと、石川県出身者の銭湯の数は三桁を維持していました。比率は、横浜市の銭湯全体の、およそ五割弱にも及んでいます」
「そ、そ、そこ忘れるなんて、ひどい!」
「え、まだお疲れですか? ならば梯子しましょうか?」
市治はわざととぼけた。架橋は慌ててツッコんだ。
「そっちのひどいじゃないよー」
市治のレパードは井土ヶ谷を目指す。
横浜市にある銭湯の数、今年(二〇二三)四月の時点で五十六件まで減っている。