ep.4.5 靄がかかった記憶の中で(ネイサン視点)
ネイサンの過去と前世の小話です。
ネイサン・ベッドフォード
この国一の公爵家長男
唯一の嫡子
産まれた頃からのぼんやりした記憶が、不思議と残っている
いつだか分からない赤ん坊らしくない記憶
目の前で顔を腫らした 血だらけの女性がいた
身体中傷だらけの彼女は 冷たかった
長い長い時間を経てやっと出会えた人
「叶汰!」
名を呼び笑いかけてくれた人
また間違えた
二度は手放さないと誓ったのに
本当に大切な人
自分の両親が揃う場面は殆ど見ない
別にそれ自体は何も思わない
母が自分に興味がないのも今に始まったことではない
所詮、母にとって“愛する人”の分身でしかなく、“愛する本人”ではないので興味はないのだ
公爵夫人がこの家の息子に興味を持たなければ当然、使用人の態度もそれまで。
父がつけたであろう家庭教師はとんでもない女で、年端もいかない子供に対して既成事実を作ろうとまでした
だから追い出した
邪魔だ
愛なんて知らない
そう思っていた
家庭教師がいなくとも地頭が良かったのだろう
私が困ることはなかった
ある日退屈な講義の合間、家庭教師が目を離した隙に屋敷を出た
自身で勉強し頭に全て入ってる
形だけの教師には全く興味を持てない
あちらも家庭教師として給金が出れば問題ない
教える対象がいなくなろうが、興味はないのだ
そんな屑の代表の様な家庭教師だったから良かったのかもしれない
(何処へ行こうか。)
ぶらりと街を散策も良いだろうと歩きだす
ある程度の護身術も教わっているし、この予定が入っていたから、質素な服装で身を包んでいるし大きな問題はないだろう
賑わう町中をぶらりと歩く
なるほど。今日は確か“収穫祭”なるものだった
すっかり忘れてたし、もとから興味を持てない
先ほどから露店が沢山並んでおり、自分の店の勧誘とばかりに店主や店員の威勢の良い声がいくつも聞こえた
「ママ!もうすぐ舞、始まるよ!」
そう言って母親の手を引いてすれ違う女の子が居た
(舞かぁー…)
そういえば、以前収穫祭の話を使用人がしていたのを思い出した
夫人の前では私語はないのに対し私に対しては随分と生意気な使用人が
隣で聞いてもいないのような話を上から目線でペチャクチャと喋られると不快だ
興味はないはずだが何となく女の子の後をついていくことにした
ふわりふわりと色とりどりの衣装を身にまとった女達が舞台の上でクルクルと楽しそうに音楽に合わせて踊っている
子供や若い女性が多いように感じた
笑い声と音楽、普段不快に感じるはずの女性の声
賑やかなこの場面ではより華やかに感じたが特段不快な感情は感じずにいることが出来た
ふと一人の少女に目が止まる
薄紫の髪色
目元の黒子
その少女を見た途端 ふわりと風が舞う
暖かな空気が自分自身を包んだ
ネイサン・ベッドフォードに生まれ落ちて初めて感じた感情だ
昔見た記憶に繋がる
当時の彼女はあんな派手な髪色も目元の黒子もない
顔の作りが似ているわけでもない
でも同じだ
魂が同じだ
直感でそう感じた
「茉優…」
愛しいあの人の名を呟いた
ネイサンとして今を生きる前、彼女と過ごした思い出が溢れてくる
「ごめんね…また休日出勤…」
何度目かのデートをキャンセルされ今日こそは!
と思っていたが、またか…。
ため息が出るが、そこは彼女を責めるところではない
彼女と同棲する様になって余裕ができたのだ
朝早く、帰りは夜中を回る時があるー所謂社畜
身体の心配をして辞めさせたいが、彼女自身が頷こうとしない
だから早く
早く一緒になって彼女をあの会社から解放してやりたかった
自分がどんなに忙しくても彼女への愛は変わらなくて
同時に彼女から感じられる自分への愛は心地よくて
愛し愛される喜びに満たされた日々
仕事の合間に宝石店へ寄り
彼女のサイズをオーダーし、彼女らしいデザインを
オーダーした
出来上がった 婚約指輪
今度のデートでは 小さく光るそれを彼女に渡す
“傍にいて”
“一生を生きよう”
そう言うつもりだった
スマホに入った電話を聞くまでは
慌てて駆けつけた病院
彼女の家族が居た
通された部屋で横たわる彼女
重い瞼はあいてはくれない
冷たくなった手は握り返してはくれない
もとよりあった表情はなく 赤く腫れぼったい顔面
ダレ?
ダレだ?
目の前に居る彼女は確かに“茉優”なはず
でも違う
マタ 失った
目の前が真っ暗になった
茉優をこんなにした奴は誰だ?
どす黒い感情が湧き上がる
警察から説明された
茉優の母が 私の傍で一言言う
「ありがとうね。叶汰くん。茉優を愛してくれて。」
終わりじゃない
これからだってあったはずなのに
ずっと一緒にって誓うはずだったのに
気付けば目の前にアスファルト
ヌルっとする生暖かい感触が指に伝う
「茉…優…」
渡すはずだった指輪を握りしめて
「見つけた。」
苦い苦すぎる以前の記憶
靄がかかったそれは彼女を見た今この瞬間、はっきりと思い出した
もう二度とヘマはしない
彼女を守る
ずっと傍にいる
自分の存在に気付いていない彼女は楽しそうに誰よりも美しく舞っている
彼女の名前なら知っている
「アヴァ」
平民の彼女は公爵夫人となるには障害が多すぎる
「……イノチェンテ家か…。」
イノチェンテ伯爵家は子供に恵まれない
だからこそ以前、跡取りとなる養子を孤児院から取ったと聞いた
初老夫婦だが仲良く人柄も良い
今度こそ彼女にとって恵まれた環境を
あわよくば自分とまた共に…
生きる目的がはっきりすれば人間やることも自ずと見えてくるらしい
なぜ彼女は 死んだのか?
自分自身の “彼女” の記憶を完全に引き出すために
どうすれば引き出せるのか
“よく調べなくては…”
そうして長い年月を過ごした
前世27年生きてきた記憶
考え方等で色々なことが変わった
母と父の不仲も大人の視線で冷静に見ればわかった
父の仕事の手伝いをしながら少しずつ自身ができることを増やし父の負担を減らした
そうして父の仕事の半分を担えるほどになった頃、余裕ができた父が自宅に戻る機会が増えた
元々は政略結婚だった2人だが父は本当に母のことを愛していたと後になってしった
必然的に両親の不仲も改善
翌年には弟まで出来た
それでも“彼女”への記憶は変わらず朧気なまま
愛していた彼女
名前と顔は思い出すことができているものの
彼女が亡くなったあと、自身がどう過ごしてきたのか
どうして自分は死んだのか
何故この記憶を保ったまま生まれ変わることができたのか
彼女自身も同じ時に生まれ変わることができたのか
偶然なのだろうか
そんな悶々とした思いを抱えたまま過ごしていたある日執務室にいる父に呼ばれた
「失礼致します。父上、お呼びでしょうか。」
傍には書類を持った執事が立っており私の姿を確認すると礼をとる
父は視線を執事に送る
承知したかのように執事は父に礼を取り執務室を後にした
「お前も既に成人を迎えた。先延ばしにしてきた婚約者を選ぶ必要がある」
その言葉に感情を隠すのは得意なはずなのにわかりやすく表情に出してしまった
「…決めた相手が?」
その表情を見た父に問われた
「…たとえ家の存続のために妻を娶ったとしても、私の心にいるのは一人だけです。」
しっかりと目を見て答えた私に父はため息を一つついた
「その相手は、どこの家だ?」
「孤児です。」
その言葉に目を丸くする父
ついで深紅の瞳を吊り上げ椅子から立ち上がる
「…わかっているのか?孤児など…。」
何処の貴族も孤児を娶るなどまず考えないだろう
「伯爵家に養子として入れる予定です。それであれば良いでしょう。」
途端に父は語気を強めた
「養子といえど元は孤児。素性も知れない者をベッドフォード家に入れるなどあり得ん!」
目頭を摘み、ため息をつく
眉間に皺を寄せ、乱暴に椅子に腰掛けた
「……相手はなんと?」
「彼女は私の存在すら知りません」
その言葉に更に驚いたように視線を向けた
「お前…」
本日1番のため息をついた
「子供の頃、収穫祭で彼女を見かけました。」
頭がオカシイと思われても良い
素直に伝えることにした
何故そう思ったのかは自分でもわからない
仮に気が触れたと公爵家の跡取りとして外されたとしても幼い弟がいる
その頃まで何事もなければ父も存命だろう
私は公爵家を勘当されたとしても平民として彼女の傍で生きていくのも良い
彼女を見た瞬間に感じたこと
前世で起きたこと
父は驚いたような表情で終始聞いていた
暫く考え込み
「お前は何故死んだ?」
夢物語を好まない父にしては珍しく会話を続けてくれていると思いながら応えた
「…正直そこまでの記憶は覚えておりません。ただ、それが只の夢物語ではない確信はあります。そしてそれが偶然ではないような気がしています。なので、この事態に気付いた頃から理由を探っています。」
その言葉に父は椅子から立ち上がる
「こちらへ。」
小さな声で言い、私に手を差し出した
良い大人の男二人が手を取り合うことに半ば疑問を生じながらも言われる通りにした。
パチン
父が指を鳴らしたと同時に視界がぐにゃりと揺らいだ
「っ!?」
身体の平衡感覚ガ無くなり、ふわりと浮いたような気さえした
その感覚は一瞬で気付けば見知らぬ部屋に居た
古ぼけた部屋の中は長年使っていないだろう埃をかぶっている
窓ガラスは曇っており外の様子は伺えない
人の住まない家独特のジトリと何となく湿っぽい雰囲気
勝手知ってるかの様に父は歩きだす
「父上?」
テーブルの前まで来ると、テーブルの上に置かれた古臭い銀食器類の上に手をかざし何かを唱えた
聞こえない呟きほどの小さな言葉に反応し父の手の甲に印が浮かび上がった
眩い光が一瞬広がり、次いで地鳴りと大きな音がした
「…っ!?」
驚きで声が出ず、地鳴りで足元が覚束ない中
テーブルが一瞬にして消え去り地下へと続く階段が現れた
「テーブルは視覚的なまやかしだ。お前に伝えなければならないことがある。ついて来い。」
そう言うと、地下へ続く階段を降りる父
現状が把握出来ないまま言われた通り後を追う
長い階段を下ると開けた空間が現れた
空間の中央に宝箱があった
父は傍まで行き、胸元から小さな短剣を取り出した
指先を少しだけ傷つけその宝箱の鍵に触る
迷路のような模様の鍵は父の血液を吸い込み少しずつ「朱」が鍵の上部に進んでいく
最後まで進んだあと、カチャリと外れる音がした
父が開けた宝箱を覗き込む
見る角度により色合いが違う
なんとも見事な短剣が収められていた
光に反射してキラキラと光っているようにさえ思える
「これは、レナセールと呼ばれる短剣だ」
父はそれを手に取ることなく話を続けた
「この剣に対象の血液を吸わせる。そうすれば“記憶を持って生まれ変わる”事ができる。」
「!?」
「私自身、試したことはないがわからない。ベッドフォード家に代々続くものだ。私の持つこの剣…モリールと呼ばれるものと対になっている。ベッドフォード家当主に両方とも引き継がれてきたものだ。」
腰に差したままの剣の柄を撫でながら続ける
「モリールは“死を持つ”ものと言う意味だ。この剣で狩れば確実に死を贈る。ベッドフォード家の武力が他家より秀でているのはこれも関係しているのかもしれん。」
この剣の記憶は?
そう問われるも中々思い出せない
収められたままのレナセールにそっと手を差し出した
柄の部分をそっと撫でる
途端、温かい風が吹いた
自身の周りを一瞬包みすぐに消えた
流れてくる過去の記憶
茉優を看取って お別れをして
自暴自棄で過ごして 仕事も辞めて
茉優と一緒にいた空間を離れたくなくて
この先の人生なんて考えられなくて
引きこもった生活をしていたそんな時
母からの連絡
祖母が亡くなった
家の整理を手伝って欲しい
形見分けをするので気になるものは持っていってと。
身内の不幸に愛した人の不幸
重なる不幸に心は壊れてしまいそうで
言われるがまま祖母の自宅の蔵を訪ねた
蔵の中を何となく見回すとふと一つの箱に目がいった
「宝箱?」
鍵のついた宝箱を見つけた
迷路模様の鍵を触ると
「痛っ!?」
ちくりと鋭い痛みがして思わず手を離した
見ると少量の血液が迷路を通り鍵の上部まで一人でに向かう
カチャリと音が鳴り宝箱の蓋が開いた
「剣?」
何となく輝いて見えた剣
吸い込まれるように手を取った
温かい風が自身を包み込む
記憶が蘇る
“1度目”のネイサンとしての記憶
たまたま見かけた孤児の彼女を娶った
夫婦としての最低限の関わりのつもりだった
彼女は何も望んでこなかった
優しい穏やかな時間
“愛”を知った
気付けば愛するようになっていた
自分がおかしくなった
愛しているはずなのに憎く感じた
“あの女”がそばにいる時には自分がぼんやりする
気付けば目の前に血だらけの彼女がいた
自分の手が生暖かい
ポタリポタリと朱が落ちているのが横目に見えた
「ネイサン様…」
誰かが自分を呼ぶ
歓喜を含んだねっとりした声色にぞわりとした
「こっ…こ…しゃ…」
横たわる虫の息の彼女が僅かに言葉を発する
口元からヒューヒューと呼吸にならない音がした
やがて彼女はピクリと動かなくなった
頬が冷たい
はらはらと頬を伝う涙
「…私を助けてくださったんですね…。」
そう言いながらしなだれかかる女が見えた
直後、淡い栗色の髪の毛を掴み顔を見た
びっくりした様な表情で、息を呑む女
持っていた剣を向けた
「…うぐぅ!?」
力のままに女の胸元に押し付けた
口角から血液を垂らしながら、女は不気味に笑った
「貴方が殺したのよ。」
ハッと意識が戻った
「なんだ…今の…」
ドキドキとする心臓の音がうるさい
両手が震えているのがわかる
白昼夢?
辺りを見回すが、そこは祖母の蔵
“お前に伝えておくべきことがある”
頭の中で突如響いた声
“ベッドフォード家に伝わる剣の話だ”
頭の中がうるさい
記憶が混乱しているのかガンガンと響く
その場に座り込んだ
頭を押さえ呼吸を整えようと息を吸う
“対になる剣、レナセールとモリールだ。”
その言葉と同時にぐにゃりと視界が揺らいだ
1度目のネイサンとしての人生
愛した女性を自ら殺した罪
憎い女を殺し、一縷の望みを託しレナセールを使った
2度目の叶汰としての人生
愛していた彼女の生まれ変わりを運よく見つけた
気恥ずかしくて中々素直になれなかったが恋人になることができた
幸せを噛み締め行きていくはずの彼女は死んだ
祖母の蔵で見つけたレナセール
何故そこにあるのかはわからないが
この剣の意味を思い出した
既に亡くなっている彼女の亡骸に小さく傷をつけ
“また共に”そう願った
自身もそうして人生を終えた
3度目のネイサンとしての人生
叶汰として生まれ死に、ネイサンとして再び時を遡った
今度こそ、彼女を死なせない
すべての記憶が繋がった
再び目を開けば 目の前には父親の姿
「3度目の人生です。今度こそ彼女を守り抜きたい。」
その言葉に息を呑む父親
息子と視線を合わせ何かを感じ取った
「愛する者が傍に居る幸せは必ずあるものではない。時を超えて3度も同じ女性を欲しているのならばいい加減、守り抜け。そして傍に置け。」
執着が凄い
でなければお前は4度目もありそうだからな
父親はそう言いため息をついた
貴族が血筋がと言っていたがこれは許されたと思って良いのだろうか
父親に問う
「…ベッドフォード家の男は昔から惚れた女に対する執着は強い方だ。お前は最早執念だ。引き離すのが難しく、効率が悪いと思っただけだ。」
そういう父親に少し意趣返ししたくなった
「父上、1度目の人生で母上と父上の中は冷え切っておりました。私が3度目を迎え、遡る事で2人の仲を取り持つことができたのてすよ。愛する人がそばにいる事は必ずあるものとは限らないと身を持って証明してくださいましたね」
その言葉に父はフンッと鼻を鳴らした