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闇夜の淵で兄妹は【おひさま】を希う  作者: 睦月稲荷
第四章 人間あれかしと
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4‐5 全ては自分と兄の為

「――たかだか兄、しかも下賤な人類の中でも最も無様で恥ずべき男の為に己の憎しみを棄てるとは。いやはや、私が言うのもなんですが中々に常軌を逸しておりますね」


 色を感じさせぬ、硝子の如き声がアンリの耳朶を打つ。

 唾棄を吐くかの様に侮蔑が込められたその言葉はリヴィへの憎悪が垣間見える。

 それもそう。弱者に救いを与える様なことは言っていても白・光を象徴している神を崇める【福音教】にとって真逆であるリヴィは許してはならない存在だ。どこにいってもリヴィは嫌悪の対象になる。

 そしてそれに寄り添うアンリも同様。言葉は怜悧なれどそこにはもう、先ほどまでアンリに向けていた慈愛の意はない。

 冷徹。完全にその意志はモノ扱いへと変わっていた。

 しかし、今のアンリはそんなアルフェールの意志を一蹴出来る。


「私の中の憎しみなんて、兄さんに会えないことに比べたらちっぽけなモノですよ。私、兄さんのことが大好きですので」


 その小さな体躯からは想像できぬ、妖艶な笑みを持ってアンリは言う。

 完全に晴れた心。もう、完全に吹っ切れていた。


「なるほど。これはもう何を言っても無駄なようですね。――ですが、たった二人で私たちや神様をどうにか出来るとでもお思いですか?」


 ずしりと、重みが増すようにアルフェールの圧力が増す。アンリが吹っ切れたというのであれば彼もまたアンリの説得はもう諦めている。

 ――自らの意志で来ないのであれば無理やり連れていく、と。

 ここからは力づく。緊張感が膨れ上がっていくも、アンリはそれを軽く受け流す。


「できますよ。神如き、私たちの敵じゃありません。だって私たちが揃えば最強ですもん」


 口の端を嫋やかに上げて言う。

 虚勢と言えば虚勢。ただ、そこにあるのは何を賭しても成し遂げる強い意志。

 諦めるも貫き通すも己の意思次第。ならば、未来を変えられるこの状況で諦める選択肢を取るほど、今のアンリは堕落していなかった。


「神如き……ですか。愚鈍な人間風情が、不遜にも神様を弑する欲深きその物言い……。いかに器となられる貴女でも捨てはおけませんね」


 シューレイさん、とアルフェールが続けて言った瞬間、巨大な炎の濁流がアンリ達に襲い掛かる。

 碧色の瞳の中が紅蓮に包まれた。

 火力は甚大。熱波だけで左右にある灰褐色の土壁が黒く焦げ付き、火先(ほさき)が触れると微々な透明なガラスが出来上がる。

 ほどなくして、アンリ達は炎に飲み込まれた。


「ごほっ。ア、アルフェール司教様……。はは、話が長すぎま、す。さ、最初からこうしていれば、良かったんですよ……」


 土気色の肌。咳き込む口に手を当てながら、アルフェールの隣に立ったシューレイが言う。

 二人とも視線は燃え盛る炎を捉えていた。


「申し訳ございません。神様にはなるべく綺麗な状態で献じたいと思っておりまして。ですが、こうなっては死ななければ構いません。四肢が焼け焦げようと神様はお許し下さるでしょう」

「わ、私は既に、そのつもりで、す……! い、今頃炎の向こうで苦しんで——」


 と、そこまで言って気付き、炎と同じ色の双眸を見開いた。

 熱波で焦げるほどの炎のはずなのに、アンリたちがいる奥のモノが一切燃えていないことに。

 アンリによる障壁を考えるが、あっさり壊されていた数刻前の過去を思い出し、更に固唾を飲む。


「ば、馬鹿な……!!  せ、聖なる炎の奇跡が嘘をつくなん、て……!!」

「——もう誰も傷付けはしません」


 若干の舌足らずさを見せながらも、玲瓏な声が炎の中から届く。

 そこに苦悶は混ざらず、貫き通す意志だけが宿っていた。


「ハッ——!」


 力強く呼気が小さな口から吐き出されると、ボンッと巨大な炎の壁が《《押しつぶされた》》。

 火の粉すら残さぬ霊力の圧。中から現れたのは無傷なミーシャと燦々と純白に輝く霊力を迸らせたアンリ。

 その小さな右手には霊力の増幅を抑える為の黒き紐が解かれて握られていた。

 歯止めが効かなくなった霊力は、肉体を押しのけ(破壊し)外に出ようとしている。


「た、ただの霊力の解放だけで、ぼくの炎を潰すなん、て……!!」

「流石、最上級の器たる白忌子(シニステラ)なだけはありますね。これまで会ってきた彼女たちの中でも飛び抜けています」


 理解の追いつかない現象に慄くシューレイに対して翠玉の瞳を爛々と輝かせるアルフェール。神にささげる器としての存在力の高さを改めて実感しているのだろう。

 ますます捕獲意識は高まっていく。しかし、アンリの行動はこれで終わりではない。


「——本当は兄さんに決して使わないように言われていたんですけどね。今を惜しんで、繰り返したい明日を迎え入れられないなんてしたくありませんから」


 アンリは祈る様に手を組む。

 瞳を閉じ、言の葉を紡ぐ。


『【紅き頸木をこの身に宿せ。我、人あれかしと忘れるるなかれ】』


 言葉が終わると同時に、アンリの白皙の肌に夥しい血色の荊が、顔面から首筋、四肢の指先にまで痛々しく浮かび上がる。

 一瞬、苦悶の表情。それを唇を噛んで押し殺す。

 口の端から血が一筋流れると、瞳を見開いた。


「それになにより私、兄さんを侮辱し続けたあなた達を許すつもりはありませんので――」

『【解錠】』


 荊が消え去ると溢れ出ていた霊力が勢いよくその小さな体躯に全て収まっていく。

 けれども、そこから放たれる圧力は遥かに以前のアンリを超えていた。


「これが器の力……!」

「ひっ……!」


 時間制限付きだが、術による霊力制御。増大し続ける霊力を肉体が壊れないギリギリのところで体内で循環させ、霊力の質を格段に向上させていくのだ。勿論、肉体に掛かる負担は凄まじい。アンリは体が裂けそうなほどの痛みを抱えている。

 それでも恩恵は計り知れない。それは、余裕綽々の姿を見せていたアルフェールですら一つ汗を流すほどだ。

 続いて無詠唱で風の刃を作り出し、傍に落ちていた木材を切断。身の丈に合った槍を作り出し、純白の霊力で覆い尽くして強化する。

 アンリは左腕を曲げて前に出し、槍を持った右手を後ろに回して腰を落として戦闘態勢に入った。

 堂々たるその構え。それはまさしくリヴィの写し姿だった。

 シューレイが怯えて後ずさる。

 それを、アンリは見逃さない。


「【駆動廻希(エクタシス)!!】」


 術によってさらに身体能力を向上させると、地面が陥没するほどの亀裂が入るほどの踏み込み。

 アンリの姿がかき消える。


「なッ——!!」


 アルフェールがアンリの姿に気づいた頃には、既にシューレイの傍。槍の間合いに入り、アンリは思いっきり一突き。咄嗟にシューレイは顔を傾けて躱すも、そばかすの肌に切り傷が出来る。

 鮮血がアンリの顔を朱く染めた。

 アンリにとっては苦手な近接戦闘。身体強化をしたとしても、肉体を自在に操る経験値は無い。

 けれど。


「でりゃあぁぁぁ!!」


 避けられ、身体が奥へと流れる前に槍を地面に突き刺し《《流麗な動きで下がったシューレイの顔面を後ろ回し蹴り》》。

 破壊的な勢い。鈍い音を撒き散らし、シューレイは壁へと叩きつけられて気を失った。


「——ッ!?」


 間髪入れず、地面を蹴ってアルフェールの元へ。

 風を切り裂きながら横なぎで振るわれる槍を、アルフェールが両腕で防げたのは偶然に近かった。


「その動きは……」


 至近距離で必死の形相をしたアンリを眉を顰めながら訝しげに見つめた。

 それにアンリは表情を笑みへと変えて応える。


「ずっと見てきましたから」


 槍を引くと同時に一歩間合いを詰めると、左脚を跳ね上げ防御ごとアルフェールを上空へと蹴り飛ばす。

 爆発的にかち上げられたアルフェールは痺れた腕を歯を食いしばりながら耐え、地上から上を見据えるアンリを見た。


「……なるほど、兄の動きというわけですか」


 息を荒く吐きながら、一人上空でごちる。

 確かにアンリには肉体を操る経験値は無い。

 ただ、アンリは限られた時間の中でずっと敬愛するリヴィの動きを見ていた。

 窓から、庭で鍛錬するリヴィを。尖兵(アンダー)隸機 (ミニステラ)と戦闘するリヴィを。日常で時折見せる最適化されたリヴィの所作を。

 弱いからこそ、力が足りないからこそ、傷つきながら技術をただひたすらに極め続けるリヴィ(おひさま)の背中を。

 ずっと見ていた。

 だからこそ、アンリは経験(リヴィ)を呼び起こし、肉体へと適応させればそれで良いのだ。

 それになにより、リヴィの訓練に付き合ってきたのはアンリだ。


「今兄さんがいなくても私の中に兄さんはずっといる。私たちが揃えばやれないことなんてないんですよ」


 地上にて両の五指の第一関節を合わせながら張りのある声色で言う。

 見惚れるほどの笑みを浮かべ、紡がれる言葉はリヴィへの信頼と愛情だった。


「だって、私たちさいきょーですから」

『――深淵に仇なす魂の御業。震え、恐れ、首を垂れよ。万象慄きその一切を灰塵と化さん。霊法三ノ章一段【イグニア】』


 滔々に発せられる霊法の完全詠唱。爆発的に霊力が高まり、無数の炎弾となって表に出てくる。

 点が面になるほどの物量。先程とは打って変わり、宙に浮くアルフェールの前に炎が晒された。

 

燃ゆる刃(ロンファイア)!!】


 揺めき、無数の炎刃へと変わる。

 一拍後、射出。


「これほどとは——」


 紡がれた微かな声は、荒ぶる炎刃に飲み込まれた。

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