4‐2 聖職者たちの略奪
——それはリヴィがアンリと別れ、一人戦闘へと向かっていった時のことだ。
横たわるアンリの部屋。瞳を閉じて膨れ上がる霊力を落ち着かせるアンリは呼吸を深くしていく。
尖兵を狩る戦闘音が窓ガラスを細かく叩き、それは如実に小さくなっていっていた。
混乱は既に落ち着きを取り戻し、ジャンブル側の叛者が優勢だということが見なくても理解できる。
そのことにほっと息を漏らすと、その音に割り込むように部屋の蝶番の軋む音が響いた。
「調子はどうだいアンリ。苦しくはないかい?」
「おかみさん……。はい、動いていないのでどうにか霊力を抑えることは出来ました。これがいつまで持つかは分かりませんけど、多分兄さんが戻ってくるまではおそらく問題ないでしょう」
ちらりと、アンリは手首の黒い紐を見やる。霊力の過剰供給を抑えるその効果は緩やかにもアンリの負担を和らげていっている。
とはいえ、それもあくまで応急処置のようなモノでしかない。リヴィが戻ってこなければ完全復活とはいかなかった。
「戻ってくるまで、ねぇ……。兄貴がいればどうにかなるのかい?」
「ええ。霊法で霊力を発散できるということもありますけど、兄さんは私の霊力を吸収することが出来ますので。溢れそうになる時はいつも吸い取ってくれてるんです。——それはとても苦しいはずなのに……」
顔を顰め、小さく呟かれた最後の言葉はミーシャには聞こえなかった。
黒い紐が霊力を抑える装置だとしたら、リヴィは吸引器。槍に自分の霊力を狂いもなく注ぎ込む事ができるリヴィの卓越した霊力の操作。それは他人にも一定の効果を示し、接触することで微量ながらも自分の方へと移すことが出来ていた。
頻繁に二人が——特にリヴィがアンリに触れるのもその為。アンリの為に霊力を吸収し、アンリはリヴィの為に霊力を分け与える。そうやって二人は生きてきた。
勿論、それは長くその存在を認識し続け真に理解出来てこそ。加えて、必要に迫られたからこそ決死の覚悟で身に付けられた偶然の産物に近い。当然敵には使えない。
だが、その効果はアンリにだけ使えればそれで良かった。兄として少しでもアンリを救えるのなら。
近い存在とはいえ他人の魂が入り込むことの意味。あの平然と笑みを浮かべるその裏で、身体が引き裂かれそうになるほどの強烈な苦痛を無視してでも。
「ったく、兄貴が必要ならここにいなってんだよ。妹がこんなになってるってのに率先して戦いに行くなんて」
「そう言わないであげてください。戦いに行ってほしいと言ったのは私なんですから」
水を張った桶に手ぬぐいを晒しながら、呆れるミーシャに苦笑で返すアンリ。
そんな小さな笑いを消すように、アンリの汗ばんだ顔をミーシャは拭っていった。
「だとしても――だよ。あんたはもっとわがままを言っていいんだよ」
「むぎゅっ……! わ、わがままはもう沢山聞いて貰ってますから! それに、ちょっと私が我慢するだけで街の人が助かるのなら私はそれでもいいんです」
顔を拭かれながら、柔らかく笑みを返すアンリ。
すると――
「――いやはや、なんとも慈悲深きお言葉。流石は我らが姫でございます」
「ッ!?」
突如、割り込んできた柔和なその声。
驚愕し、目を見開きながら扉の方を見るとそこには白い装束を身にまとった老人と病的にやつれている男性が立っていた。
アルフェールとシューレイだ。
恭しく、口角を上げながら今にも膝を折りそうなほどに頭を下げているアルフェール。けれど、そのままの視線でアンリを見る翠玉の双眸の中はピクリとも笑っていない。その様は、さながら死にゆき価値の失った家畜を見るがごとくだ。
――違うと、視線を見てアンリが心の中で否定する。その無機質な眼差しはミーシャにだけ突きつけられていると。
だからこそミーシャは異様な雰囲気を深く感じ取って、アンリの前に出る。ただでさえ不審者だ。彼らへの警戒度は跳ね上がっていた。
「……おかみさん、私の後ろに……」
「馬鹿言ってんじゃないよ。子供に守られる大人がいるかい……」
小さな体躯を守りながらミーシャが一筋の汗をかく。ミーシャはただの一般人だ。戦える力は一つもない。
それでも、リヴィから頼まれた身――そして大人故に病人のアンリを見捨てられはしない。せめて、アンリだけは守る。その一心だ。
その想いはアンリにも通じ、兄以外に感じたことのないその温かみに思わず感極まりそうになった。
「そこを引いてくれませんか。別に人間を傷つけることは厭いませんが、姫の御前ですので出来る限り場を汚したくはないのです」
「ハッ! だったらあんたらが消えればいいじゃないか! 女のいる部屋に乗り込む変態共が」
「これはこれは手厳しいお言葉を」
「ア、アルフェール司教、様。じ、時間のむ、だです。さ、さっさと目的を……」
「そうですねシューレイ司祭。多少手荒になっても、許してくれるでしょう――」
淡々と発されたアルフェールの言葉。
それがアンリの耳朶に届いた時、アンリはベッドから跳ね起きミーシャの背から出て両手を広げて庇った。
アンリの眉間の前に、鋭い木製の針がピタっと停止した。間に入らなければ、針はミーシャの胸を穿っていただろう。
そんな姿を見て、アルフェールが感心したように顎髭を撫でる。
「ほう、素晴らしき反応ですな。詠唱いらずの単純なモノですが、コレを見抜かれるとは」
「……別に、見抜いたわけじゃありません。嫌な予感がしただけです」
「それだけでも感嘆に値するものですよ。大抵の人間では既に死体になっているはずですからね」
ちらりと、冷や汗をドバっと背にかいたアンリはアルフェールの足元を見る。そこには、脚が一本失われて壊れたスツールがぐらぐらと揺れていた。スツールは音を立てて倒れ、乾いた音が店に響き渡る。
アンリは推測する。目の前の木製の針は、スツールの脚から作られたのだと。ただ、何が起こったのかさっぱり分からない。
気付けば、こうなっていた。
「霊力の起こりすら見えないなんて……。一体、何をしたんですか……」
アンリが恐る恐る尋ねる。
術が使われたのは明白。けれどその場合、何らかの霊力の揺らぎである起こりが発生している――それは霊力が低いリヴィでも同じ――。つまり、感知が鋭い者であれば術に対処することは容易なのだ。
霊力に常に晒され続け、それを抑えなければならないアンリはその域に達している。なのに、その感知をアルフェールあるいはシューレイはすり抜けていた。
もし彼らに針を止める意志がなければ、アンリも死亡していたことだろう。
「アナタたち人間には理解の及ばぬ力ですよ。一言で言うのであれば、これぞ神様から賜りし御業です」
「神に様……? それにその恰好は……。もしかして貴方たち【福音教】……!?」
「【福音教】……?」
アンリの言葉に疑問符を浮かべるミーシャ。アンリは体に力が入り、生唾を飲み込んだ。
【おひさま】を奪い、人類を滅ぼそうとしている神に対して敬称を付ける者なんていない。――そう、神に与している者以外は。
ましてや【白忌子】でもないのに神の象徴たる〈白〉をわざわざ身に着けるなんて酔狂な人はこの世界にはいない。おまけに見たこともない術を放った彼らだ。
だからこそアンリはそんな彼らを見て、神に与する者だと確信した。
「……簡単に言えば、神に味方して人類を滅ぼそうとしてる組織らしいです。まさかここに来るなんて……!」
「そ、そんな奴らがいるのかい!?」
やはり聞いたことはなかったのだろう。ミーシャは目を見開いて驚く。
「ほう、ご存知でしたか。それなら話が早い」
答え合わせなのか、アルフェールが指を鳴らすとその身がドロリと溶ける。その中から現れたのは、皺ひとつもない瑞々しい肌を持ち、サラリとした金糸の様な長髪を靡かせる若い男性。
精悍な顔立ちをした若いアルフェールだった。
「やはりこの姿が一番良いですね」
「なん、でここに……! 貴方たちは兄さんたちが狩りに行ったはずじゃ……!」
「あぁ、あの無能者と野蛮な【暴虐姫】ですか。まんまと我らの姦計に嵌ってくれて助かりましたよ。だからこうして、貴女様を攫う時間が生まれました」
「ッ――! ……私を捕まえてどうするつもりですか!?」
リヴィを無能者と蔑まれ、心は激昂するも頭は冷静。
霊力の起こりを悟らせないよう、アンリが痛む体を無視して体内で霊力を練りながら聞く。リヴィ達が戻ってくる時間稼ぎもそうだが、それ以上に自身が狙われる理由が全く思い浮かばない。それをアンリは知りたがった。
しかしその時間は与えてくれない。
「そ、んな、こと。あな、たが知る必要、ありませ、ん。どう、せ、消えるんです、から」
「え……?」
『―――――…』
顎を上げ、隠れていた紅の瞳を晒しながら紡がれたシューレイの言葉――らしきもの。アンリとミーシャにはそれが《《人の言葉には聞こえず、また理解も出来なかった》》。
かろうじて把握できたのは、尋常じゃないほど膨れ上がるシューレイの霊力の起こり。
まばゆいほどの緑光がシューレイから発せられ、次の瞬間――
「ミーシャさんッッッ!!!」
悲鳴にも似たアンリの声が轟くと同時に。
【暴食亭】が爆炎に包まれた。




