4‐1 狙われた【白忌子】
「せああああ!!」
槍先に霊力を迸らせたリヴィがエンジェリアの前脚を一本根元からへし折った。
アンリと別れた後、リヴィは戦力が薄くなっていた西門へと急行。蔓延る尖兵を崩しながら、向かった先の【反しの森】では一体のエンジェリアと二体の下級中位が暴威を暴威を払っていた。
そこにアークリアにかかりっきりになっていた六人の【叛者】。それを見るや否や即座にリヴィはエンジェリアを受け持ち、一人荒れた森の中で戦っていた。
それぞれ余裕が生まれず、肉体と精神が削れていく中でそれでも誰一人諦めようとはしない。
大きく振り下ろしてくる矛を無くなった脚の方へと受け流し、エンジェリアの体勢を崩す。
絶好の隙が現れた。
『深淵に仇なす魂の叫び! 矮小なるその身に穢れた刻を打ち砕く力を与えん!霊法・裏一ノ章【荒魂】!』
槍が黒く染まりリヴィが魂を震わせながら吠える。
『【魂の咆哮】!!」』
空の闇より深く漆黒に染まった大槍が二本目の矛を斬り飛ばし、効力が失われる前に続けて胸を穿つ。
槍先は隷核を完全に破壊し、機能を失ったエンジェリアは地響きを立てながら地に伏せった。
「ふぅ……! これで終わりか?」
一息。身体から抜けていく黒い霊力と砕け散っていく槍の残骸が絡み合い、黒光の礫が散乱していく。それを尻目に、頽れたエンジェリアを見ながらリヴィは呟いた。
隷機が入ってこれないようにする為の大木は、奴らが暴れたせいで見る影もない。各方面で同じ惨状が繰り広げられていたとしたら、【反しの森】の効果はほぼ失われたと言ってもいいだろう。
残党は残っている。さっさとアンリを安心させる為、リヴィは残党狩りに参戦しようと踵を返した。
すると、空から聞き慣れた声が聞こえてきた。
「——【暴虐姫】さんじょぉぉぉう……ってこっち終わってるじゃん!」
「シャーリー? 何やってんだ?」
「あ、リヴィ! 無事で良かった! 君がここのエンジェリア倒したんだね! さすが!」
「お前もな。その様子だとあらかた方はついたみたいだ」
音もなく着地すると同時に嬉々と捲し立てるシャーリーの様子に、もう慣れたとリヴィは笑みを浮かべて返事する。
シャーリーの姿を見る限り傷もなく疲労もない。ギルドの指示で動いた彼女がこうも余裕を持っているということは、リヴィの予想は正しいだろう。
「うん。東、北、南は終了で今は外縁部に残った尖兵らを殲滅中。余裕が出来てわたしは、ここが戦力が薄いって聞いてたから跳んできたんだけどご覧の有り様って感じ」
「役目を奪って悪かったな」
肩をすくめるシャーリーに対して軽い皮肉を返す。お互い揶揄えるほどに事態が安定したことに心のゆとりを覚えていた。
だが、それもすぐに終わりを迎える。
「アンリちゃんは大丈夫そう?」
「ああ、おかみ——ミーシャに見てもらってる。今頃は眠ってるはずだ」
「良かった。【静寂の壁】もまだ続いてるし、とりあえずは安心できそうだね。——じゃあここからは次の話だ」
「【福音教】……」
朗らかな顔を怒りに染めたシャーリーに対して、苦々しく呟くリヴィ。
ギルドを除けば二人だけが知っているこの事態の黒幕を。
そして、恐らくこれで終わりじゃないということも。
「気付いてるよね、この状況がおかしいってこと」
「ああ……。【福音教】の目的と行動が一つたりとも合ってなさすぎる。俺たちの油断の隙を狙って事を起こしたってのは間違いないんだろうけど、【神よけの陣】を堕とす目的ならジャンブルを狙った意味がない……」
「一方でジャンブルを堕とすことが目的だったとしても戦力があまりにも少なすぎるってことだね。たしかにジャンブルの【叛者】は下級で精一杯なくらいだけど、このくらいの戦力なら時間をかければわたしがいなくても余裕で片付いてたはずだよ」
なにもかもがちぐはぐ。無駄に戦力を削られてばかりで【福音教】に一つも利点がない。
砂を噛まされ、見えない何かに操られているような気味の悪さを胸の奥に燻るのを二人は感じていた。少しずつ小さくなっていくはずの争いの音が二人の耳にはやけに大きく聞こえている。
その時、自然ではない草葉の揺れた音が二人の耳朶を打った。
「――いやはや……。都市を破壊し神様の器たる我らが姫を手中に収めるつもりが、まさかこんなにも早く対処されてしまうとは」
「な、舐めてまし、たね……。さ、流石は【暴虐姫】と言った、と、ころでしょうか……」
「「――ッ!?」」
聞こえてきたしゃがれ声に、二人は驚きすぐさま戦闘態勢へと移る。リヴィは腰から短剣を抜き、シャーリーは腰を落として飛び掛かれるように。
鋭くさせた眼が捉えたその姿は煌びやかな装飾品を付けた修道服を着た老人と病的に蒼白い男性。
アルフェールとシューレイだ。リヴィ達はすぐさま二人が【福音教】の人間だと気付いた。
二人は警戒度を最大まで上げる。
「お前たち【福音教】……か?」
「このっ……! よくもわたしの前に顔を出せたね……!!」
訝しむリヴィと【福音教】の姿を見て怒りに震えるシャーリー。とりわけ、シャーリーの感情は昂ぶりまくっている。
なぜなら、この場で姫という言葉はつまり【暴虐姫】たる彼女を指しているようにしか聞こえないからだ。
憎しみ深い敵に自分が狙われているとなり、憤怒の気を抑えられそうになかった。
「おや。これはこれは、礼節を欠いてしまいました。ご存じでしょうが、我々は【福音教】。司教アルフェールと司祭のシューレイさんです。ぜひお見知りおきを」
「ぼ、僕のこ、ことは忘、れていいよ」
そんなシャーリーの意志にもどこ吹く風。余裕綽々としながら敬うようにアルフェールたちは礼を尽くす。ただ、その思いの先にリヴィは入っていない。一度も目が合わないことからリヴィはそれを如実に感じ取っていた。
二人の肩書を聞き、【踊り子の地鳴り】が唸りをあげて地を少し削る。
度を越したシャーリーの怒りの感情を浴びたリヴィは逆に冷静になれていた。
「……シャーリー、司教と司祭ってのはなんだ?」
「……【福音教】の中での階級だよ。司教は上から二番目くらいの地位の人間らしくて、司祭はその下。……簡単に言えば気色の悪い権力者共だよ。神にこびへつらい、人を人とも思わないクズさ。奴らに何人の人間が殺されたか……」
「これは酷い。我々は弱き者に救いの手を差し伸べてあげているのですよ? その手をお取りにならない方に裁きを下しているだけです」
嘲りも見下しも何もない、純粋さ。自らの行いは完全に善なるものと信じ切っていた。
その人らしからぬ想いを抱くアルフェールに、筆舌に尽くしがたい嫌悪が走りリヴィの肌を震わせた。
「……リヴィ、気を付けて。クズはクズだけど、その力は本物だから。特に司祭以上は中級以上の力を借り受けてる」
「中級以上……ってことはその能力も……?」
「うん、厄介極まりないよ……。こうしてすぐ動けない程にね」
今にも飛び出したい思いを必死に抑えつけているシャーリー。
中級以上の隷機は、下級とは違って特殊な能力を使うことで知られている。だからこそ、どれだけ頭が沸騰していても冷静な部分が残ったシャーリーは二人の持つ力を過小評価しない。
「――で、だから結局アンタらは何しにやって来たの。答えによっちゃ今すぐこの場で……!」
「それは先程、お聞きなさったでしょう? 神様の器たる我らが姫を確保しにまいったのです。神様のごとき、穢れを知らない無垢なる純白の御姿。莫大な霊力を保有し、成熟しながらもいつまでも衰えることも知らないその存在はまさしく神様を降臨させるのに相応しいのです。神様は自由であるべきですからね」
「神を降臨だと……!」
「そんなことッ!!」
――させないッ! と、枷が外れたかの様に二人はアルフェール達に向かって一気に飛び出した。
神を地上の人間に降ろすことで結界下でも行動できるようにするというアルフェールの言葉。手段は不明だが、その現実の到来がどれだけ恐ろしいことか。
ましてやその為に、身勝手に使われる人身御供。しかもその第一候補たるシャーリー。
捨て置ける道理は一つもなかった。
間合いを詰め、リヴィは躊躇いなくシューレイの首を狙って短剣を薙ぐ。シャーリーも同時にアルフェールの胸を踵で突き刺した。
短剣はいとも簡単にシューレイの首を刎ね、【踊り子の地鳴り】はアルフェールの胸を砕き後ろの木へと叩きつける。
完全に即死。
けれど――
「リヴィッ!!」
「なんだこれ……!!」
死んだと思った瞬間、アルフェール達の身体は小さな人形へと変わり、膨大な炎が溢れ出た。その焦げそうになるほどの熱さにリヴィは顔をしかめる。
それは霊法で味わうのとは違う《《本物の炎だった》》。
「このッ……! どっかいけ!!」
シャーリーが脚を振るい、大きな風を巻き起こして炎を蹴散らす。それによって炎は霧散し、消えたの炎の中にはアルフェールたちの姿は無かった。
と、訝しむ二人の耳にアルフェールの声が届く。
『――ですが、こうも無傷でいられては引き返すしかないようです。これ以上、暴れでもしたら溜まったものじゃありませんからね。目的のモノは手に入れましたし。そこの【黒忌子】にも一応感謝しておきますよ』
「俺……!?」
「待てッ!! わたしを狙ってるんだろ!? だったら逃げるな! わたしに蹴り殺されろ!!」
むざむざと姿を消されたことにシャーリーの憤怒の威が限界を超えてまき散らされる。そんな地団太を踏む隣で、リヴィは最後のアルフェールの言葉に疑問を抱いていた。
そして、その答えはすぐに導き出される。
アルフェール達への敵意はそれによって拡散。顔面が青白くなり、焦りが心臓の音を激しく鳴らした。
「違う……! シャーリーアイツらの目的はお前じゃない!」
「はぁ!? 何言ってんの! どう考えてもわたしでしょ! 姫って呼んでるし、狙ってるの【白忌子】だし!」
「もう一人いるだろ!! 【白忌子】は!!
「――ッ!?」
声を荒げたリヴィの言葉でシャーリーも血の気が引いた。そう、ここにはもう一人【白忌子】がいる。
アンリだ。
急いで踵を返し、リヴィはジャンブルの方へと向かっていく。少し遅れてシャーリーも駆け出し、二人は並んだ。
「アイツらはただ、アイツらの中で姫って呼んだだけだ! それがお前を指してると一言も言っていない……! 勘違いさせられていたんだ……!」
「で、でもだからって神の器とやらの条件に当てはまってるのはわたしなんだよ!? 霊力の大きさも、老いないって条件もそう! リヴィは知らないけどこう見えてもわたしの年齢は――」
「俺とアンリは双子なんだよ!!」
その言葉は一瞬、シャーリーの頭に入ってこなかった。ただ、理解が及んだ瞬間その重大さに気付く。
シャーリーから見てリヴィの年齢は18くらいだ。双子だとしたらアンリの年齢も18。だが、アンリの身体の幼さは8歳程度しかない。
それはつまり十年間も姿が変わっていないということだ。シャーリーとアンリの老いない状況は同じだとしても、成長した姿とそうでない姿ではその本質はまるで違う。
穢れを知らない無垢なる純白・莫大な霊力・老いない身体。条件の何もかもが、アンリに当てはまっていた。
「ごめんリヴィ……! わたしがもっとアイツらのことに詳しかったら……!」
「シャーリーのせいじゃない! 全部、俺の責任だ! クソッ……、こんなことならずっと一緒にいれば……! アンリ、無事でいてくれ……!」
軋みながら紡がれるたどたどしい声。焦りと不安ばかりが生まれるその胸中。泥の様に重たい、吐きそうになるほどの感情が心臓を大きく鳴らしていく。それなのに、手足の感覚は酷く鈍かった。
ジャンブルのすぐ傍だ。辿り着くのに時間はそうかからない。けれど、一歩一歩進むたびに大きくなるジャンブルの壁がなんと遠い事か。まるで旅をしているかの様に長く引き伸ばされた感覚だ。
たった二人。奪われるだけの人生。苦境も嘲りも誹りも受けながら、それでもと立って歩き、二人だけの幸せと喜びを見出して生きてきた。それなのに、一番大切にしている存在を奪われるわけにはいかない。奪わせてなるものか。
壊れた人形の如き足取りの中、息を切らしようやくと言わんばかりにジャンブルの中に辿り着いたその瞬間。
巨大な白き光の柱が一直線にジャンブルを貫いた――




