2-4 三人の誓い
そのオルタナという証なのか、シャーリーが首筋を見せてくる。そこには、芍薬が刻まれていた。英雄と呼ばれる彼女。それはまさしく真の意味でもあった。
七つの大きな出力源と代替の役割を持つ七つの小出力源。合計十四の出力源が二つあることによって【月】は成り立っていると、シャーリーは言う。
途方もないこの情報開示に、リヴィたちは内心驚くばかりだった。
それをシャーリーは理解しているが、話はここからが重要だとして一拍置いてから話を進めだす。
「そして百年前、そのオルタナの一人が奴らに殺されたんだ。そのせいで【月】の効力は減退して【夜】が生まれちゃったってわけ」
「【夜】は最初からあったわけじゃなかったのか……」
「その時、生きてた人はどんな思いだったんでしょうね……」
つまり【夜】の出現もまた敗北の歴史の一つ。百年前、再び始まってしまった光が無い世界に人類はどれだけの絶望を抱いたことか。
立ち上がれたのが奇跡に近い。
「今、奴らが狙っているのは本丸の【神よけの陣】を破壊すること。わたしは活発になっていた奴らの動きを捉えることが出来たから【福音教】の思惑をぶっ壊す為にこの都市にやって来たんだ」
「人類――いや生物の生死の瀬戸際が今ここにあるのか……」
ここで完全に【月】が無くなってしまえばおそらく人類が立ち上がることはほぼ不可能だろう。
その後に待っているのは死だけだ。
なるほど、確かにこんな案件を世に知らしめるわけにはいかない。誰が【福音教】かは分かっておらず、隣にいる人が敵だと誤認すればこれもまた疑心暗鬼から人同士の闘争開始だ。
立ち向かうにしたって神を背景に持つ様な組織相手に一個人が立ち向かえるわけもない。無駄死にが目に浮かぶ。
だからこそ、余計にリヴィは訝しんだ。
「――そんな戦いになんで俺たちを巻き込んだ? 俺がエンジェリアと戦ってた時、お前がスルーすることだってできたはずだ」
「あの時も言ったように隷機を見つけたら見境なしに破壊しにかかっちゃうんだよねわたしってば。ただ、そこで縁を繋げたかったのは君たちだから――かな。【黒忌子】と【白忌子】の兄妹なんて珍しすぎるし何より【黒忌子】がボロボロになりながらでも本気で戦ってたからね。わたしの為にもこれは縁を結ぶべきだと思ったんだ」
「わたしの為……?」
「そ、一緒に戦ってほしいんだよ」
その言葉を聞いて、リヴィが真っ先に思ったことは“理解不能”だった。
【黒忌子】はまともに【霊法】を扱えない無能すぎるその特性から、【叛者】になる人はいない。なったところで死ぬだけだからだ。
【死にたがり】とリヴィが呼ばれているのだって、それが理由。傍からリヴィを見れば死にに行っているようにしか思えないのだ。
「金級、しかも【暴虐姫】なんて【称号持ち】がなんでこんな無能を欲しがる。シャーリーが声をかければ一緒に戦ってくれる人なんていくらでもいるだろう」
「兄さんが無能ってのは否定しますけど、私も同意見です。それこそオルタナと呼ばれる方々だって――」
「確かにオルタナは戦ってくれるだろうね。【福音教】を相手取ることも、実力さえあればみんな動いてくれるはず」
「だったら」
「――だけど、その先は絶対に動こうとはしない。この世界に真の意味で神に抗おうとしている人なんていなかったんだから。そこに【叛者】も一般人も関係ない」
諦観。そして怒りを孕んだシャーリーの静かな激情がリヴィたちに叩きつけられた。
先程までとは打って変わって鋭さを持った金色のその眼光に二人はたじろぎながらも、シャーリーの言葉を否定すべく口を開こうとするが、
「だってさ君たち、隷核石が無くなって今の人類がまともに生きていけると思う?」
「あ」
その言葉で理解出来た。
隷機を狩り続けて生きている【叛者】。そこから齎される隷核石などによって生きる一般人、商売人、農業者、畜産者、職人などなど――誰も彼もが生活と生きる術を全て隷核石に委ねている。
それが無い生活にはもう戻れない。
何せ人類は、最初の発明とされる火の起こし方すらも忘れ去っているのだから。
「勿論、全員が表立って考えているわけじゃないだろうけどね。でも無意識下では思っているよ。神を殺せば困るのはこっちだってね。六百年経って変わったのが悪化なのがその証拠さ。みんな、やる気がないんだ」
「ですが、少なくともギルドの人たちは……」
「ギルドが見ているのは現状維持だけさ。人類がこれ以上減らない様にする為の――ね。それ自体が悪いとは思わないけど、その先の未来を見ていない以上かれらを頼りにすることは出来ない」
人類の大半が見ているのは【今】だけ。
その上、人の意志が神への対抗手段ならそれを失ってる今じゃ絶対に勝てない。
人類が神と同じ土俵に立てたのは、【月】の完成が最初で最後だった。
それもまた、今となっては崩れ去ろうとしている。そうなれば待っているのは滅亡だけだ。
「わたしはこんな現状も滅びる未来も嫌だ。【白忌子】を受け入れてくれた村を滅ぼして、お母さんたちも殺した【福音教】と隷機は根絶やしにして、絶対に神を討ってみせる」
彼女の口から溢れる憎しみの怨嗟。ナニモノにも怒りを覚えている様なその心持ちに、体が思わずぶらりと震えていた。
敵がのうのうとのさばる事を許しているこの状況があるが故に、その怒りの矛先は何もしようとしない怠惰な人類にも向けられているのだろう。
そうなるだけの凄惨な過去を彼女は送っていた。
「だけど、一人で戦おうとするほど過信もしてない。だからわたしはわたしだけの仲間が欲しいんだ。本当に神を討つ覚悟を持った人を」
「それが俺たち……」
「そう。過酷な過去と現在を持ちながらそれでも一心に前を向いて戦い続けている君たちがわたしの理想さ」
込められたシャーリーの想いに【黒忌子】も【白忌子】も関係ない。
重要視しているのは、未来を見据え続けるその意志だけだった。
「多分、戦ってたら人に恨まれることもあると思う。もしかしたら敵対するかもしれない。——それでも良かったらどうか、わたしの仲間になってください」
ずっと見せていた快活さは鳴りを潜め、切実な願いだけが込められたその言葉。
頭を下げている彼女の姿は、祈りと共にあった。
「関係ないな」
「——ッ!」
放たれたリヴィの否定の声。
シャーリーは体を強ばらせると、下を向いた顔には諦めが残る笑みが宿った。
「そう、だよね……。わたしの都合に君たちを——」
「勘違いするな」
「え……!?」
顔をバッと上げ、シャーリーは顔に驚愕を貼り付けた。
希望が宿り始めたその金の双眸は潤みながら、優しく笑みを浮かべるリヴィとアンリを捉えていた。
「俺たちの戦いに誰がどう思おうが関係ない。最初から俺たちは誰かのために神を殺すなんて思いで戦ってないからな」
「そうです。私たちは【おひさま】を見るっていう二人だけの約束のために戦っているだけです! 私の力は私と兄さんのために——」
「俺の力は俺とアンリのために。戦う理由と力の使い道は俺たちが決めるんだ」
常夜の中でも【おひさま】を希う。
そう心に刻み、一緒に観るためにリヴィたちは戦っている。
他の理由を入れる隙間なんてどこにもなかった。
「じゃ、じゃあ!!」
「仲間になる。どうせ人に恨まれるなんて今更だし、目的は一緒だからな」
「まぁ、本当はこっちからお願いしたいくらいですよ。なにせ私たち、どう神を殺せば良いか分かっていなかったんですからね」
「シャーリーが仲間になった今が【おひさま】を観る絶好の機会。【福音教】を討ち倒して、その隙に【月】っていう最大の盾を最大の矛にでもして神に突き立てるぞ」
ひたすらに前だけを見据える二人の姿勢。そこに諦めなんて一切ない。
そう、二人の中に諦めなんて言葉はない。そんな言葉があったら今頃この場になんていなかっただろう。
蔑まれ、体を傷つけられ、心をも打ち砕かれも二人で立ち上がって生きてきたのだ。
誓いは絶対に叶えてみせる。あるのはその一心だけだ。
「やるぞシャーリー。まずは【福音教】の思惑の阻止だ」
「頑張りましょー!! それで一緒に【月霊祭】を楽しむんです!」
シャーリーに差し出される、鍛錬で硬くなっている強き掌と幼く小さな宿っている優しき手のひら。
素直すぎる二つの手がシャーリーの心にも届いた。
自然と浮かぶ心からの満面の笑み。
ここに三人の心が通うのだった。
「うん!! よろしく、リヴィにアンリちゃん!!」




