Scene.4 せかいは
カコトガからデータを受け取った直後、私は無意識に地面へと頭を打ち付けていた。理由はわからない。本当に全く意識せずの行動だったからだ。おそらく、私に残る人間性が防衛反応を起こしたのだろう。自分を喪失してしまわないようにと。
『私は…人間じゃない。ましてや、生き物ですらない。』
それまでの出来事から察してはいた。肉体がもはや全くの別物となっていること。一切の疲労を見せない、およそ生物とは思えないその身体能力。ユニットという無機質な呼称。あたかも自身がある種の機構の一部であるかのような扱い…。背けてはいたが、変えようのない事実だ。
私は、様々な環境で斥候として活動させるための…機構戦闘兵器であるらしい。つまりは、敵情視察のための概ね人型なロボットだ。改造人間だとかそういうことではなく、純粋に人を殺すため、極めて発展した技術によって製造された存在。そこになぜか、貴志咲岩という一個人の意識が入っている状態なのだ。いわゆる、憑依というやつだろう。実に非科学的だが、しかしそうとしか言いようがない。
おそらくだが、私はあの時の事故で死んでしまったのだ。
そこから、どういうわけかこのロボの中に入り込んだ、ということになる。他人に憑依しなかっただけ、被害に遭う人がいなくてよかったのかもしれない。
しかしだ、ここまでは、地面への顔面叩きつけが功を奏したのか受け入れることができたのだ。自賛になってしまうが、私は精神力がなかなか強いと思う。
…問題は次だった。
『ここは…地球じゃない。』
呟いた自分の言葉が、完全には信じられなかった。
けれども、受け取ったデータは事実を容赦なく突き付けてくる。
カコトガが提供してくれた情報は単なる環境のデータだけではなかった。その環境が成立した経緯や情報が収集されたその時までにどんな事象が起きたかが事細かに記録されていたのだ。その中には、この世界の歴史さえも含まれていた。
そうだ。まず、そもそもこの歴史が違う。この世界は私の知るような世界史を辿っていない。極めて高度に発達した科学技術で社会を形成した巨大国家と、それに対抗するがごとく超常的な“魔法”の技術を洗練させた大小さまざまな国家が団結した連合国家という二つの勢力が何度も戦争を繰り返したという歴史だ。
今立っているこの場所も、かつては科学の巨大国家に属する大都市だった。
さらにはスライムやドラゴンをはじめとした、私たちの世界では一般に魔物と呼ばれるだろう生物が数多く生息している。地球にも猛獣と呼べる動物たちはいたが、この世界の魔物はあれらの単なる野生動物とは一線を画して強力で危険な存在だと言える。
著名なRPG作品では雑魚敵の代表とされるスライムですら、この世界のものは強い酸性により容易に人を殺害できるのだ。このような魔物に対抗するため、人類の戦闘能力は自然と非常に高い水準となっていった。科学技術による火器兵装はより強大な破壊力と展開力を有するように。対する魔術技術もまた、広範囲に拡散し高い殲滅力を持つ火の魔法や、津波の如くあらゆるものを押し流す水の魔法など…災害のような規模の代物さえも存在したようだ。
そして…その終着もわかっている。
この世界には既にヒトが存在しない。先ほど挙げたような巨大科学国家も、大小入り混じる魔法連合国家も無くなって久しく、人類は一人残らず滅んでしまったのだ。…何がその要因となったかまでは情報が無かったが、栄華を極めた文明が一瞬にして滅んだのだ。きっと、ろくでもない何かがあったのだろう。
今現在のこの世界は…人類が遺した構造物郡と、除去する者もいないためどんどんと成長し地上全てを飲み込みゆく森林が全てだ。ああいや、人間はいなくなったけれど魔物はまだ全然普通にいるらしいからただ植物だけがあるってわけではない。事実、私は巨大イナゴに遭遇したわけだし。…思えば、あれも魔物の一つだったのだろう。襲われなくてよかった。
…さて、以上のような事実が判明してしまっては強メンタルを自称する私も動揺を隠せるわけがなかった。だっていきなり死んでいきなり人外になってしかも異世界だよ?冷静でいられる方がどうかしているって。おまけにその異世界はとっくに人類滅んだ後とか。
はっはっは…正真正銘、孤独じゃないか。私。
異形の身体。見知らぬ土地。文明の途絶えた世界。
…信仰心なんてほとんどないが、仮に“神様”がいて、娯楽小説のありきたりな展開の如く私に何らかの役目を与え“転生”させたのだとしてみよう。…この世界で一体どうしろと?
『あぁ…家でお花を愛でたいなぁ…』
叶いそうにない願いをこぼしても、何も起こらない。この世界で目覚めてから体感2時間程度しか経過していないが、普段ルーティンとしてこなしていた鉢植えや花壇への水やりが無性に恋しく感じる。そういえば、水やりしたのは小旅行前日だった。日本は梅雨入りが近かったとはいえ、経過時間によっては水切れで枯れてしまうだろう。
ああ…なんと残念な事か。
意気消沈し、脱力した体が地面に沈み込むように重くなる。
『………いや、まてよ。』
ふと、思いついた。どういう行程を経たのかはわからないが、私は異世界へと…人格だけとはいえ、移動してきた。ならばこの世界から日本へと、私を送り返す方法があるかもしれない。
(…探しに行こう。そうだ。道はあるんだ。)
私はがばりと勢いよく立ち上がり、両手足にべっとりと付着した土を振り払った。沈み込んでいる場合じゃない。私はまだ見たい景色があるのだ。生きている限り、私は美しいものを見ていたい。
『…ん?…ああ、ふふ…そうか。…どおりで。』
今立ち上がって初めて自覚したのだが、私はどうやら現金な奴であるらしい。改めて考えると、ここは異世界だ。しかも、魔法があったり魔物がいたりするようなファンタジックな。つまりだ、この世界にも、地球と同じように素晴らしい景色があるのではないか?面白い生き物がいるんじゃないか?
(ふふ…なんだかむしろ、わくわくしてきちゃったぞ?)
地球…いや、この場合二つの意味で“前世”と呼ぶのが正しいか。前世では野山や水族館に植物園といった場所へ出向き、魅力的な景色と生き物を堪能してきた。…ドラゴンがいるような世界だ。なんなら前世では存在しないような大迫力の生き物を観察できるかもしれない。なかなか…いや、すごく魅力的じゃないか。
俄然として、やる気が湧いてきた。
一つ、深呼吸と伸びをする。
息を吸いこむことはできないし、体は常に絶好調なこの体にとって…意味のある行為ではない。けれども、未だ色濃く人間の身体を覚えている私にとっては、この行為が確かに活力を与えてくれるのだ。
気持ちを改めた私は、未だほのかに光を放つ制御ユニット――カコトガへ声を掛ける。
『カコトガさん。共有、ありがとうございます。おかげで今後の目的が定まりました。』
≪ハイ ヨカッタデス 残存スル機兵ハアナタ1機ノミ イノチダイジニデス≫
無感情な声色だが、彼女からちょっとした気遣いの声を掛けられて少し驚いた。そうか。そういえば、彼女の管轄範囲内で未だ動ける機兵は私だけ…だったか。彼女や…私のような戦闘用の“ユニット”は人類の抗争のために作られたものだ。人類が滅んでから時間が経過しているのだし、相当長いこと放置されてきたに違いない。むしろこうやってコミュニケーションできているだけで結構すごいんじゃないか?
『ありがとうございます。追加での質問になってしまうのですが、今現在はその、人類が滅んでからどれくらいの時間が経っているのか教えていただけますか?』
この際だ。気になったことは片端から聴いていこう。共有してもらった情報は密度こそすさまじかったものの、しかし地理情報とそれに付随する歴史の大筋が大半だった。正確な年数などは未だ私は知らない。
≪ハイ 現在ハ ラノー暦 花ノ年 ヨリ 142巡後 鐘の年 デス≫
聞きなれない都市の表現に首を傾げそうになり、次いで気付く。
しまった、そうか、ここは異世界だと。時間の感覚が前世と違って当然なのだ。
太陽との公転周期から算出されたグレゴリオ暦とは根本からして違う。…しかしそうなると時間間隔の把握が地味にかなり面倒だ。
異世界の人工知能に対していかに前世の暦の概念を伝えようかと思案を始めた瞬間、その思考を全て振り払うような言葉が告げられた。
≪計算完了 グレゴリオ暦換算デハ 現在15289年 人類ノ消滅ヨリ1826年 経過シテイマス ≫
『…せん、はっぴゃく…?』
何で教えてもいないのに西暦に直してくれたのとかいろいろ疑問はあるけど、それよりもせいぜい数十年とか数百年とかだと思ったら相当時間経ってる…!?
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