人の不幸を誰かが笑う
『番組の途中ですがここでニュースをお伝えします』
来た!
あれからまた数ヶ月、ついに深夜のラジオで緊急速報が流れたのだ。
「へえ、今回はそう来たかぁ」
未来ニュースによれば、現職の総理大臣が遊説中に胸部を刺されて亡くなったという。それも白昼堂々、何百人もの群衆の眼前で行われた衝撃的な暗殺事件であった。
しかもこの総理は、歴代でも屈指の名宰相と高く評価されている人物である。
なにしろその任期中に起こった大地震、大企業の巨額粉飾決算事件、化学工場の大規模火災事故。そんな天災・事件・事故への対応に毎度指導力を強く発揮して、この国の混乱を最小限に治めていた人物であったからだ。
ニートの俺にだって分かる。
この総理こそ不運続きのこの国を支える柱であると。だからこそ、今この総理を失えばこの国は大変なことになるのだと。
そうなれば当然、日本株だって軒並み暴落することになるのだと。
(もしも俺が、事前に警告の連絡を入れたなら)
むろんそんな迷いはホンの一瞬で霧散する。
これは未来のニュースである。
きっとこれは総理にとってもこの国にとっても、すでに逃れることのできない運命に違いないからだ。
だから俺は総理の死によって暴落するであろう銘柄をいくつか選び、全力で空売りを仕掛けたのだった。
そう、今回は全力だ。将来何倍にもなってリターンするのが解っているならば賭け金は多い方がいい。それで俺はありったけの自己資金に加え借金をしてまで資金をかき集め、その全てをこの空売りへと投入したのだ。
文字通り、俺の人生を賭けた大勝負である。
ある日突然やって来るようになった深夜のニュース。
俺だけが聴くことのできる、俺だけの未来ニュース。
言ってみればこれは、いいことなど何ひとつなかった俺の人生に唯一訪れた幸運である。
だが俺だって、こんな幸運がいつまでも続くとは思っていない。
だから俺はこれを最後と決めて、誰かの不幸で大儲けするのはこれを最後と決めて、この勝負に俺の全てを賭けたのである。
ところが。
それから二ヶ月経ち、三ヶ月経っても暗殺事件は起こらなかった。
暗殺されるはずの総理は今もなおピンピンしていて、強い指導力でこの国を牽引している。当然日本経済も好調。俺の仕込んだ銘柄は全て右肩上がりで上昇していたのだ。
こんなはずではなかった、未来のニュースはいつだって寸分違わず現実の事件を言い当てたではないか。
しかし。
これまで未来のニュースが実現するまで、これ程長く掛かることなどなかったのだ。
もしかしたら、もしかしたら、俺は未来ニュースの悪魔かなにかに騙されてハメられたのかもしれない。
『買いは家まで、売りは命まで』
このまま総理大臣の暗殺事件など起きなければ、俺はこの空売りに失敗して破滅してしまう。
そんな不安が日毎に大きくなっていく。
借金の利払いに迫られて、俺はとうとうヤバい筋の高利貸しにも手を出した。翌月からはその取り立ての電話と、不安に押し潰れそうな日々を重ねて重ねて、気づけば空売りの買い戻し期日がすぐそこまで迫っていた。
俺の仕掛けた銘柄は好景気によってどれも大きく値上がりしていたから、このまま期日が来れば俺は……。
それで俺は「どうか暗殺事件が起こってくれますように」と神に祈り悪魔に祈り見知らぬ犯人に祈り続け、そしてついに。
『番組の途中ですがここでニュースをお伝えします。首相暗殺事件の続報です』
来た!ついに来た!
ついについについに、深夜のラジオで緊急速報が流れたのだ!
『現行犯逮捕された■■市在住無職の■■■■容疑者ですがその供述によりますと……』
「なッ!」
ラジオからのその声が、冷たい刃となって俺の心臓にズブリと刺さる。
首相暗殺事件の実行犯としてアナウンサーが読み上げたのは、たしかに俺の名であったからだ。
『供述によりますと事件当日、■■県警の警備体制には盲点ともいうべき大きな穴があり……』
「違う、違う、違う! 俺はそんなこと、やっていない!」
俺は恐怖に駆られ、殴りつけるようにラジオのスイッチを切った。
『警察はなおも■■■■容疑者の背後関係を探るとともに……』
しかしスイッチの切れたラジオから、アナウンサーの声は流れ続けて。
「やめろ、やめろ、やめろ! 俺はそんなこと、絶対に!」
俺はラジオのコンセントを引きちぎるとアパートの扉へと力一杯に投げつけたのだ。
ガシャンと大きな音とともに安物のラジオが砕けて割れて。
『こうした総理の突然のスケジュール変更にも関わらず、■■■■容疑者がどうやって……』
飛び散ったプラスチックの破片のひとつひとつから未来のニュースがやって来るのだ。
『犯行の前日、同市内のホームセンターの防犯カメラには事件の凶器となった刺身包丁を購入する容疑者の姿が……』
何を使ってどんなタイミングでどう動けばこの犯行をなしうるのか、まるで生徒に教えるかのように真夜中のニュースは続くのだ。
これから起こるであろう誰かの不幸が、未だ起こっていないはずの誰かの不幸が、まるで逃れられない運命であるかのようにラジオの声は続くのだ。
『また、犯行に至った動機について■■■■容疑者は「自分は何者かに嵌められた」と未だ繰り返すのみで……』