5.紅い空
教師になるのは、以前からの夢だった。
ヴォズィガが倒されてからの一年間は、復興の為にHERMも忙しなく動いていたから、《《協力者》》であった私もそれを手伝い、街の復旧や被害を受けた人々の手助けに奔走はした。
その後HERMが解体され、私は猛勉強の後に教育学部に入って、今年ようやく教育実習の年というわけだ。
6月の終わり頃から実習を始めて、梅雨明けもそろそろ。真夏の暑さには比べるべくもないが、今年は7月も始まったばかりだというのに暑く、我慢し切れずに私はアパートでは既にクーラーの稼働を始めてしまった。
だから一度家でまったりしてしまうと、外に出るのは億劫だ。特に週末の夕暮れ時であれば尚更である。
私の実習期間は3週間。終業式を前にして実習を終えることになるが、既にそのうちの2週間は本当に忙しかった。
朝は先生達同様、生徒の登校時間前に学校に着き、指導係についてくれた先生のもと指示に従って業務の手伝いをしながら、授業準備と研究授業の指導案や毎日の報告書も作成しなくてはならない。
それでいて私は(勝手に申し出たとは言え)女バレの朝練・放課後練にも続けて参加させてもらうことにしたので、朝から夕方までクタクタである。
それとは別に、先日の夜、先輩のことに思いを馳せて深酒をした夜から、断続的な頭痛にも苛まれていた。
薬を飲んで我慢していればいつの間にか消えてしまう程度で、疲れも溜まっているのだろう。たまの休日でしっかり休養を取るのは最重要事項だ。
けれど、女バレ顧問から「時間が空いたので前から約束していた食事、一緒にどうですか?」と連絡が来たのであれば、外出はやぶさかではない。
「うーん。まあ大丈夫か」
今日も今日とて、ズキズキとした頭の痛みと闘っていたところだった。
正直言うと、ここ数日で一番の痛みだった。
とは言えこういう頭痛は珍しいことではない。以前頻繁に感じていた痛みの後遺症のようなもので、怖い頭痛ではないし完治も難しいだろう、と医者からも言われていた。
「とにかく着替えよう」
朝からの頭痛を言い訳にして、休日であることを良いことに、寝巻き姿のままだった。
着替えもせねばならぬし、メイクにも時間がかかりそうだ。約束の時刻まではまだあるし、昼過ぎにベランダに干した洗濯物だけ取り込んでから外出の準備を始めるか、と。
そんなことを考えて立ち上がる。
ズキン。
「痛っ」
左の耳から脳幹を通って、一直線に走るような痛みを感じた。
今日は本当に頭痛が長引く。昔はよくあった。この痛みは、私にとって、そして周りにとっても気をつけなければならないものだった。
だから先輩がいなくなっても尚続く頭痛に、暫くの間ずっと怖がっていたものだ。
もしかして、終わっていないんじゃないかと。もしかして、この頭痛はまだ終わりでないことを教えてくれているんじゃないかと。
けれど一年が過ぎ、二年が過ぎ、ようやく先輩がもたらしてくれた平和は本物だと。
怪獣災害がまだ終わっていないなんて、私の杞憂に過ぎないと、そう思っていた。
思っていたのに。
「嘘」
ベランダ窓を開けて、空を見た。赤い地平線が広がる。だから私が見ているものもただの夕暮れだと、ただ落ちていく日の光に過ぎないとそう思おうとしたが、季節はまだ夏の始め。
太陽はまだ沈まない。
だからあれが、夕暮れである筈がなかった。
始めてあの空を見て、友人に伝えた時のことを思い出す。それまで見たこともない禍々しい紅。血に染まった雲が渦巻くような空。
私が必死にその空の様子を訴えても、友人は「そんなもの見えない」と怪訝そうな顔をするばかりだった。
友人も家族も、あの紅は見えないと。私の眼にははっきりと映っていた。まるで世界が吸い込まれそうな空だというのに。
怪獣災害においてHERMでは《《シャッガイ領域》》と呼ばれるモノを、私の眼だけは知覚しているのだと知らされたのは、私が怪獣に食べられてから、半年以上過ぎた頃のことだった。
「嘘」
私はもう一度呟いた。誰に向けた言葉だろう。目を擦る。違う。幻覚だ。
私が見ているのはいつもの空。だって、朝には見えなかった。でもアレはそういうものだ。
時間帯なんて関係なく、脈絡すらもなく現れる災害の前触れ。
私は幻視した。怪獣の闊歩する街街を。幻聴が聞こえる。怪獣に襲われて悲鳴と共に逃げ惑う人間の群れの鳴き声を。
先輩がいなくなってしまう以前に飽きる程に見た、先輩がいなくなってからは決して見ることのなかった紅い空。
それが地平線に広がる様子を、嘘だと自分に言い聞かせたが、残念ながらどれだけ瞬きを繰り返そうが、紅い空は消えちゃくれなかった。