ドブネズミみたいに美しくなりたかった
僕のカラダの中のには、一匹のドブネズミがすみついています。いいえ、肉体のことではありません。カラダです、カラダの中に棲みついています。
そのドブネズミは、気まぐれに僕の頭と心を行ったり来たりします。いいえ、脳と心臓のことではありません。 僕の頭と心の間をガサゴソと、行ったり来たり騒ぎまわるのです。
このドブネズミとは、長い付き合いだ。出会いは、僕が中学2年、14才の時。中部地方のローカル番組で「五時SATマガジン」という、土曜の夕方5時から放送していた、若者向けの番組を見ていたら「本日のゲストは、ザ・ブルーハーツ!曲は、リンダリンダ!」という司会者の紹介とともに、バンダナを巻いたギタリストがダウンストロークで静かにギターを弾き始め、画面中央にいたビリビリに破けたTシャツを着た、坊主頭のお兄ちゃんが歌い始めたのです。
ドブネズミみたいに、美しくなりたい。
写真には写らない、美しさがあるから。
この時瞬間、一匹のドブネズミが、僕のカラダに入り込んだ。この瞬間、僕が、僕として、はじまった。
衝撃的だった。ブルーハーツのリンダリンダは、それまでの僕が14年という時をかけて、親や先生、大人達から教えられてきた価値観を、たった3分で粉々にする、とんでもない破壊力を持っていた。そして同時に、僕の揺ぎ無き絶対的な価値観となってしまった。
ちょうど、レコードとカセットテープとCDが市場に混在している時期で、ブルーハーツがとんでもないスターダムにのし上がっていく、まさに駆け出しの頃だった。僕は毎日カセットテープで憑りつかれたように彼らの楽曲を聴きまくった。テープがのびきってしまう前に別のテープにダビングしながら聴きまくった。
ヒロトもマーシーも、自分達の楽曲についてあれこれ説明するようなことは無く、聞く人がそれぞれの解釈で自由に聞いてくれればよいというスタンスだったので、ブルーハーツのロックンロールを評論するなんてのは、そもそもが愚の骨頂なのですが、愚かしいこと、恐れ多いこと、おこがましいこと、十分承知の上で、あえて言わせていただくと、彼らのロックンロールには、――
馬鹿だから、頭がいい!
真っ暗だから、眩しい!
端っこだから、真ん中で!
どん底だから、天高く!
せまっ苦しいから、だだっ広い!
そして何より、
カッコ悪いから、カッコいい!
ってな調子で、僕らが当たり前だと思っていた既成概念を、手当たり次第にアベコベにしてしまう、強烈な世界観があった。僕は、ブルーハーツの曲の中に出てくる主人公たちに憧れ、自分もそんなふうに、生きたいと強く思った。
そう、僕は、ドブネズミみたいに美しくなりたかった。
――――
時は流れた。
僕は、脱衣場の洗面化粧台の前で、ネクタイを締めている。
この日は、名古屋駅近くにあるハウスメーカーの業者会議に出席。その後は豪華な料亭に移動して、先方の偉いさんと食事会。
そう、かつてブルーハーツのロックンロールに憑りつかれた少年は、 気が付いたら、ただの、くたびれたサラリーマンになっていた。
さて、今夜も、下げたくない頭、下げるとするかあ。 満面の愛想笑いで、飲みたくない酒、頑張って飲むかあ。なんてこと思いながら、いまだに慣れぬネクタイを、長さ調整に苦戦しつつ締め上げ、ヨシッ! と気合を入れて、鏡の前で、精一杯しゅっとした顔をしてみる。何気に紳士服の広告のようなポーズを決めたりしてみる。
ガサガサガサ。
あ、ドブネズミだ!
ヤバい! 僕の中のドブネズミが騒ぎはじめた!
「おい、お前、何を気取ってんだ?」 ガサガサ。
……悪りぃな、僕、もう子供じゃないんだ。
「けけけ、オメエ、何様のつもりだよ?」 ゴソゴソ。
……勘弁してくれ、もう妻も子供もいるんだ。
「あ~あ、ダセえ。まったくダセェよ」 ガサゴソ。
はいはいはい! 分かった分かった! やりゃ~いいんでござんしょぉ~!
ドブネズミに挑発されて、僕はしぶしぶ、鏡の前で変顔をする。薄暗い脱衣場で一人、次々に変顔を続ける。全力で何度も、変てこりんな顔を繰り返す。
「ははは! いいね! その顔! いい面構えだ! お前は、美しい! おい、その顔忘れんなよ! 忘れたら、いつでも出てきてやるからな!」
あーあ、参ったなあ。あのドブネズミからは一生逃げられそうにねーよ。分かったよ。「現実」と「ドブネズミ」、何とか折り合いつけながら、せいぜいベストを尽くして生きてやるよ。
玄関に向けて歩きだし、廊下の角を曲がるところで、何となく出し抜けにグルリと脱衣場を振り返ると、鏡が映し出していたのは、ドブネズミのシッポをピーンと立てた僕の後姿。
げげ! やべぇやべぇ! なんつって、僕、慌ててシッポをズボンの中に隠したが、鏡の中の僕のシッポは――
シッポは、ぴーんと、立ったまま。