世界と超人:ソフィーの世界
如何でしょう?これが哲学です。
そしてぼくとツァラトゥストラとの出会いでした。
「へぇ、ベトナムコーヒーってのは甘いのね」
完璧に空になったカップをもって、くるりくるりと何度となく回す。
と言うか貴方、全く聞いてませんでしたね。
「いや、自分が知ってる話を聞かされてもねえ?」
それ以前に何故貴方が此処に居るのですか。
此処は人に非ずモノが哲学のために集う場所なんですよ?
「あの後に受けた心臓の手術、見事に失敗してね。術式中に逝っちゃった」
いや、『あはは〜』ではないでしょう。笑い事になど成りやし無い。
それに貴方はニーチェに傾倒していたでしょう。
永劫回帰の理念はどうなっているのですか?
「うん?人生なんて一回きりだよ。だから、此処にいるボクは未だに続いてる道を歩いているに過ぎない」
未だに永劫回帰の中にいると?
「そう、無価値なボクの有意義な人生は未だ途中さ」
まあ、貴方がそう言うなら良いんですけどね。
「君こそこんな所でこんな格好して、見違えたね」
カッコイイでしょ?
「ばーかっ」
またまた、照れちゃって。
「って、言うかさ。お前、見た目はほぼ別人じゃん。」
全ての属性は自然の元に、自然は全てを内包し万物は属性の変状、あるいは様態である。故に個は神の中にあり。
我々は人形に非ず。神の中の自由意志に過ぎない。
「あいっかわらず、汎神論は堅いよねぇ。むしろ『エチカ』が堅いだけなんだけど」
要は世界の全てが神様で、神様の体の一部を間借りしてますってだけなんですけどね。
「『神即自然』だったっけ。で、君はその変状とでも言うのかしら?」
ええ、その通りです。
世界が全ての属性を持つなら、世界が全ての根元を記憶しているなら、この身が変わっても元は変わらないしょ?
「でも世界が記憶しているとしたら、もっと大ざっぱに記憶してるもんじゃないか?」
そうでもありませんよ。何せ、全ての属性を持つのですから。
忘れられない人間などという存在がいる限り、その属性すら持たなければならない。
故に神は忘れる事を故意にすることはあっても、忘れることはありません。
「成る程そうだね、世界に人のルールを求めるのは無粋か。」
不意に彼女は持っていたカップを持ち上げる。
おや、お代わりですか?
「今は純粋に再会を喜ぼうか」
空になったカップに拳を合わせる。
澄んだ音が一回、響き渡った。
思わず笑みが零れる。
こちらこそ歓迎しましょう、ツァラトゥストラ。
ここは人ならざるモノの集う場所。
人ならざるモノが人の在り方を語る場所。
人の在る限り終わらない世界、哲学の世界へようこそ!
当店の自慢は珈琲と哲学となっております。
お立ち寄りの際は是非ともどうぞ。
永劫回帰(ewig wiederkehren)
フリードリヒ・ニーチェの思想で、経験が一回限り繰り返されるという世界観ではなく、超人的な意思によってある瞬間とまったく同じ瞬間を次々に、永劫的に繰り返すことを確立するという思想である。
要は、たとえ転生しても同じ時、同じ行動を永遠に繰り返すと言うこと。
汎神論(Pantheism)
全ての物体や概念・法則が神の顕現であり神性を持つ。
あるいは神そのものであるという宗教観・哲学観。
倫理学(opera)
バールーフ・デ・スピノザの著作のひとつ。
限られた公理および定義から出発し、まず一元的汎神論、次いで精神と身体の問題を取り上げ、後半は現実主義的ともいえる倫理学を議論している。
幾何学的な証明を用いて汎神論を確立している。
正直、素人がよんでも何がなんだか意味不明。
神即自然(deus sive natura)
バールーフ・デ・スピノザの残した言葉。
神は超越的な原因ではなく、万物の内在的な原因なのである。
神とはすなわち自然である。
俺もお前も神様のうちにあるってこと。
ソフィーの世界(Sophie's World)
ノルウェーの高校の哲学教師ヨースタイン・ゴルデルによって1991年に出版されたファンタジー小説。
少年少女に哲学への手ほどきとして読んでもらうよう構想された作品で、世界各国語に翻訳され、全世界で約2300万部以上を売り上げたベストセラーとなった。
今回、リスペクトした作品。
当作品はソフィーの世界を参考文献……もとい、インスパイアさせていただいております。