世界と超人5:力への意思
自分の哲学を力強く告げた後、彼女はくくっと喉を鳴らす。
まるで真実の山を登りきったような、そんな光悦とした表情だ。
「自分が自分で自分のために与えるものさ。意志を持つとかとも言うんだろうけどね」
「意志を持つ?」
「例えその行為に価値は無くとも、その人にとって意味が有れば意志が働き、行動を起こすことになるだろう?」
彼女は手が寂しいのだろうか、飲み終わったであろう紙コップをくるりくるりと回転させ。目を瞑った。
それはまるで祈るかのように、独白するかのように、自分の哲学を続ける。
「『意思』。それがあれば、例え無価値な自分であっても意味はある。意思は主に力へ向き易く、それこそ力への意思が人生で有るかのように意思は力に向かってゆく」
「それがお姉さんの人生?」
「そのとおり。『意味を作るために力を求める』これがボクの人生」
「何故、力を求めることが意味を持つことに繋がるのさ?」
「ふむ、それはだね」
なんて彼女は少し芝居がかった、おどけた調子でぼくにウインクする。
さっきから一つ一つの子芝居が偉くさまになっていて、ドキドキする身にもなって欲しい。このままじゃ、心臓が幾らあっても足りはしない。
「愛よりも誠実で、正義よりも確かで、そしてその二つを同時にかなえることが出来る物だからさ」
「いや、それじゃあ意味不明なんだけど」
「我がものとし、支配し、より以上のものとなり、より強いものとなろうとする意欲。無価値である今を見ず、ただ未来だけを見据える意思が唯一価値の無い世界において意味を持つ」
「いきなり難しくなったね」
「未来を信じる事で今の自分は無価値でも意味を持つって事かな」
成るほど、結局はその『力への意思』が彼女の生き方なんだね。
既に外は暗く。受付であるここにはぼくたち以外に人はいない。
ただ、雨音だけが時計の針と共に時間を刻み。二人は口を閉ざした。
葉桜が雨に打たれ、葉を一枚落とす頃。
どちらとなく別れの時刻が迫っていることを思い出す。
「どう?これがボクの哲学、面白かった?」
「とても面白い考えだと思う」
「そう、ならボクたちは友達だ。苦しみを共にするのではなく、喜びを共にすることが友人をつくるのだから。」
そうだね、友達。それも悪くない。
「また会おう、友よ」
そうカッコをつけて勢いよく立つ彼女。
空になった紙コップを投げ捨て、こちらを振り向くことなく歩き続ける。
その先は病院の奥。まるで闇の奥へ消えるかのように。
そんな背中に最後の親しみを込めて、ぼくはこう呼んだ。
「また会おう、ツァラトゥストラ」
その言葉に驚いて彼女が振り向く頃には、ぼくは視界から消えていた。
「あの野郎、哲学の思想を知ってて聞きやがったな」
くつくつと楽しそうツァラトゥストラと呼ばれた女性は笑い声をあげると、最後に今まで座っていた席に向かって指をさし。
「次はお前の番だからな」
壊れてしまったステレオのように笑い声をあげながら消えていった。
ツァラトゥストラ(Zarathustra)
フリードリヒ・ニーチェの主要な哲学的概念のひとつ。
無意味な人生の中で自らの確立した意思でもって行動する者。
日本では超人とも言うが、ニュアンスが伝わりにくい。
どっちかって言うと狂人な気がする。
力への意思(Wille zur Macht)
フリードリヒ・ニーチェの主要な哲学的概念のひとつであり、「我がものとし、支配し、より以上のものとなり、より強いものとなろうとする意欲」があらゆるものの根源であるという思想である。
また、ニーチェは『力への意志』を著すために多くの草稿を残したが、本人の手による完成には至らなかった。
ニーチェの死後、これらの草稿が妹のエリーザベトによって編纂され、同名の著書として出版されている。