世界と超人:我は思惟しつつ存在する
神は死んだ。ならば世界は死んだのでしょうか?
まず最初に世界とは何かを考えました。
電気で出来た空想?
原罪を背負った苦行の旅?
集団が無意識で生み出した共有幻影?
それとも神様、それ自体でしょうか。
八百万の神々と謳われたそれそのもの。
「自然、それ即ち神」
ですが、既に此の世は末法の時代と聖者は唱えます。
ある者は神は死んだと訴え。
世界は何度も巡り、それど幾度巡れど答えは同じ。
この世界、この自然、全てを神と仮定して。
神は死んだとするならば。
それすなわち自然、ひいては世界は死んだも同じ。
さて、長々と前振りを失礼いたしました。
その珈琲を飲む間に聴く、BGMと思って頂ければ結構です。
お客様がいらっしゃるのは久方ぶりなもので。
滑稽ではありますが、精一杯なものを語らせて頂きます。
むしろ、一杯一杯なのかもしれませんが。
そろそろ夜も中頃、語るには丁度良い時刻。
それでは物語を始めましょう。
・・・・・・ああ、そうだ。
今のが解りましたか?今のが哲学なんです。
ほらね、哲学なんて本当は簡単なんですよ。
ただ、魔術師と思想家は難しく語るのがお仕事。
分かりやすくするのは、いったい誰のお仕事なんでしょうね?
attention
この作品は『思想』『宗教』を含みます。
・宗教的に思想が認められない方
・哲学的思想に嫌悪感を持つ方
・宗教的思想に嫌悪感を持つ方
・思想を個人解釈によって歪められるのを許せない方
・神に対する冒涜が嫌いな方
・理解が至らない為に思想が間違っているのを許せない方
・その他、あらゆる意味で無理を思われた方
以上の項目に当て嵌まる方は、当店で楽しめない可能性が御座います。
次の項から本編に入りますので項目に当てはまった方はドンマイです。
我は思惟しつつ在る(Ego sum cogitans)
バールーフ・デ・スピノザの著書「デカルトの哲学原理」で言われた解釈。
私は今在るのは思惟することと共に証明する。