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プロローグ

プロローグ


「格の違いを見せつけてやるゼ」

「おっ、いいな。やってみろよ」生徒Aは生徒Bと話している。


 昼休み前の授業が始まり、元気のよい生徒たちを落ち着かせるために、導入の雑談を終え、教科書を開くよう僕は指示した。

 黒板にチョークで教科書のページを書く。

 そう、このご時世に黒板である。

 電子黒板と言わないまでも、ホワイトボードとプロジェクターを備え付けている教室が当たり前のはずの時代である。

 だが、これは磁石すらつかない古い黒板だ。

 時々、この設備を目の当たりにして、僕の授業はこの程度の価値しかないと言われているようで悲しくなる。

 教科書を実際に開いているか一人ひとり確認するために机間巡視した矢先に声がした。

 生徒の私語は珍しくもない。

 教科書とワークを持ってきて、授業内容のページを開くだけでも褒める必要がある生徒たちだ。

 英語の授業であるはずなのに、英語を使っても生徒は理解できないから、導入や指示でも英語を極力使わないようにと教頭先生に言われている。

「先生、コープんかーん」ニヤけながら生徒Aは机間巡視中の僕に声をかける。

 最近また髪の色が明るくなった生徒Aのネクタイは首元で緩められており、大股開きで、足は両足とも机から出ている。

「お、マイ ペン ライ クラップ」と僕は答える。タイ語で、どういたしましてという意味だ。にやけている生徒と笑顔で目を合わせる。

「えっ、」生徒Aは戸惑う。

「えっ、コープンカーって言ったよね。タイ語でありがとうでしょ。突然何」

「いや、こいつがですね。『英語以外の言葉使って、先生に格の違い見せつけてやるからみとけ』って言って返り討ちにあったんですよ。はいっ、クソ雑魚―」机に片方の肘をつきながら、生徒Aの前の席に座っている生徒Bは後ろを振り返って、大笑いしながら言う。

 こいつもワックスで固めたツンツンの髪に、首元のネクタイが緩んでいる。

「まだだ。先生、カームオン」生徒Aは背筋を伸ばして、机を叩きながら叫ぶ。教室は少し静かになり、他の生徒の視線も集まる。

「ん? それって、カームオンヒアって続くの? カームオンニャウって続くの?」

「えっ先生何言ってるんすか。ニャウって猫ですか」

「英語のcome on ならhereが続けられるでしょ。ベトナム語のCám ơnカームオンならありがとうって意味で、hiềuニャウをつけたら本当にありがとうって意味になる」

「……ベトナム語です」生徒Aは視線を逸らして答えた。

「はい、クソ雑魚確定―。完敗してやんのー」生徒Bは生徒Aに顔を近づけて煽る。

「いや、戦略は良かったね。この前、『小人って英語で何て言うんですか。キツツキって英語で何て言うんですかー』って僕が知らなそうな英単語を聞いてマウントを取ろうとした生徒がいた。失敗に終わった。英語の質問だと無意味に終わる。だからと言って、ドイツ語やフランス語、韓国語、中国語あたりだと僕が知っている可能性があるから、マイナーと思われるアジアの言葉を調べてきたのは悪くない。ちなみに中国語はまだ学んでないからわからないけどね。さて負けた罰として、観念して教科書開こうか」

「はい、ではこのタイトルのポットラックディナーとは何だろう」僕は発問をする。

 えっ、夕食? 運がいい夕食とかでおいしい夕食じゃ。などと自由に生徒たちは答える。

「ポットラック・ディナーとは、先生がよく留学中にハブられたイベントです。はい、復唱『留学中の先生がよくハブられる食事会』」 復唱と言った後は、全員で声を出すルールにしている。

 できるだけ生徒には声を出させて目を覚まさせるためだ。

「留学中の先生がよくハブられる食事会」

「はい、もう一回」

「留学中の先生がよくハブられる食事会」2回目は声が大きくなる。

「で、ポットラックディナーというのは、色々な国の人が各国の料理を持ち寄って食事をする楽しいイベントです。留学中の僕は、よくSNSで楽しそうな画像がアップされているのを見て、僕以外のクラスメイトがポットラック・ディナーを楽しんでいることを後から知ることが多々ありました。後から問い詰めたり、SNSに『楽しそう』とか書くと、『ごめんねKatsu。今日は女子だけのイベントなんだ』って返事されたり、で画像見ると普通に男が写ってる」笑いを誘って、教科書のトピックを印象付けるとともに、騙し騙し授業に集中させる。

 生徒Aも足をきちんと机の中に入れている。

 決して学力が高くない高校の日常の風景だ。

 授業が終わり、職員室に戻って、スーパーで安売りされている90円のパンを食べていると女子生徒が話しかけてくる。

「Katsu先生―。山本先生はー? 呼び出されたんだけどいないー」去年の教え子だが名前を思い出せない。特別可愛くもなく、特別頭も良くなく、特別問題も起こしていない生徒だからだ。職員室に入ってくるのに、スカートの丈は短く、膝上だ。校則違反で職員室にも関わらず誰も指摘しない。もちろん非正規雇用の僕も服装はとやかく言わない。

「あぁ、山元先生なら緊急会議だよ」

「えーマジか。せっかく来たのに」

「少ししたら戻ってくるんじゃないの。また後できたら」

「また来るのが怠い。あ、先生アニョって知ってる? アニョ」

「んーと、サランヘヨが愛してるだっけ? あそうか、アニョハセヨがこんにちわだから、アニョは、『やぁ』とか『よっ』て意味か。日本語で言う『おは』的な」

「えー先生凄い。天才なんだけど」

 天才だったら、アニョがこんにちはの軽い表現だって暗記してるはずだ。忘れているんだから天才ではないし、天才なら教師をやっていない。

「えっ、先生韓国好きなの」

「韓国料理屋で皿洗いのバイトしてたくらいは好きだよ」

「えっ、ウソマジ。私韓国好きなんだけど」

「授業中に話したことあるよね。初回の授業聞いてなかったの」

「あ、寝てたかも。覚えていない」確かにこのクラスは、初回の授業から寝る猛者たちが集まっていた。

授業が退屈で寝るのはまだ理解できる。

が、初回の授業の冒頭から顔を伏せて寝るクラスでは、もはや工夫もクソもない。

「ほら、僕以外が全員韓国人だったから英語じゃなくて全員韓国語で話してたって内容だよ。で、絶望したのが『シフト表張ってあるから確認しとけ』って言われて見たら、曜日固定と思われる7つの枠があって、数字ですらない韓国語の文字だったから全然わからない。一番左が恐らく、日曜だけど、月曜の可能性もあった」

「それでどうしたんですか。」

「もちろん聞いて教えてもらった」

「韓国語ですか」

「いや、英語です」

「え、先生英語話せるの!? すごくない」

「いや、英語教師なんですけど」というか君と話す方が韓国人と話すより大変なんですが。

「え、てか熊本にそんな韓国レストランあった? 私そこでバイトしたかったんだけど」

「いや、カナダだよ。バンクーバー」熊本に全員韓国人の韓国料理屋があってたまるか。あっても従業員日本語話せないとおかしいだろ。

「なんだ、カナダかー。だから英語なんだ。ウケるー」全くウケない。本当に何も話し聞いてないなコイツは。

「韓国行ったことある?」

「ない。ないけど、卒業旅行で来月行くよ。みんなで」みんなが何人なのかわからないが、話を続ける。

「北と南どっちに行くの? ソウル・明洞・インチョンか、プサンか」

「有名なほう! 多分ソウル! プサン見るところないんでしょ」

「どっちも有名だよ。プサンは海があるよ。酔うけど船旅は安上がりだよ」職員室で場違いな会話を長々と続けていることで、他の先生方の視線を感じるようになった。

「それにしても、山元先生いらっしゃらないね。また時間おいてきた方がいいかもね」

「あーそうするー」その子も周りの目を感じ始めたのか、会話に飽きたのかわからなかったが、挨拶もなしに職員室を出て行った。

 午後の授業を終えて、帰宅する。

 ポストを見ると、英語の資格試験の結果が届いていた。

 ネットだと郵送より少し早く結果が確認できるが、完全に忘れていた。

 990点満点のテストだったが、910点だった。

 目標の900点を超えたので、楽しみにしていたベンガル語の勉強を解禁する。

 満点が目標でないのは、リスニングが僕にとっては難しすぎるからだ。

 この試験はリスニングとリーディングの点数が半々で、リスニングの方が満点を取るのが簡単とされている。

 が、超絶音痴でリズム感も壊滅、イントネーションとアクセントが苦手すぎる僕にとっては、リスニングとスピーキングは難しすぎる。

 どの言語であれ、個々の発音は問題なく習得できるが、リズム、アクセント、イントネーションどれも壊滅的である。

 僕が中国語の習得を躊躇っているのはこれが理由だ。

 この試験結果は学校には言わない。

 1授業3120円で働いている僕は、担任はおろか、部活動も持っていないし、職員朝礼にも出なくてよい。

 代わりに各種保険は自腹で払う。

 だが、英語力があると判断されたら、朝課外の多い特進クラスや進学クラスを担当させられる可能性が上がる、そうすると朝課外1コマ2000円で働くことになる。

 しかも朝5時45分に起きる必要がある。

 しかし朝5時45分に起きても、月給ではない。

 こうなれば、語学の勉強をする時間が減る。

 もちろん生徒は好きだし、英語を教えることにやりがいも感じる。だが、貰うものを貰っていないのに責任だけ増えるのも考えものだ。

 公立高校の教諭になる道もあるが、合格するための努力をする気が起きない。

 世界の言語の勉強をやめて激務に励むのも興味があるが、今の生活で不自由していない。

 実家なので、毎月お金は入れているが、支出はそこまでない。

 趣味は、スマホゲーを1つ数年間やっているのと、語学の勉強と、カジノのブラックジャックだ。

 夏休みなどの長期休みで、旅行に行き、現地語を試しつつカジノで出禁になるまで稼ぐ。

 モンスターチルドレンの扱いには慣れたが、モンスターペアレンツや、仕事を押し付けてくる教員との人間関係を考えると正規雇用の教員になるのは、今の生活と比べるとデメリットが多いように思える。

 ひとまず資格試験の結果は喜ぶとして、すでに購入して封を開けていないベンガル語の勉強を始めるとする。

 気が付くと夜中の1時だった。時計も見ずに勉強をして、たまにスマホゲーをして、少し仮眠をとって、また勉強してを繰り返していた。

 明日は休みなので、特に時間を気にしてなかったのだ。

 部屋にはスーパーの安売りのパン屋お菓子、飲み物は常備してある。

 身体を動かしたくなったので、神社に行くことにした。

 夜に温かい缶コーヒーを片手に電動自転車でウロウロするだけで気分転換になる。

 行先はどこでもいいのだが、近々カジノ目的で海外旅行に行くつもりなので、安全祈願と勝利祈願でもしとくかと思いついた。

 電動自転車に乗り、心地よい風にあたりながら、勉強内容について考えていた。

 勉強初期は、リスニングのスクリプト(音声を書き下ろしたもの)が全部についてて勉強しやすいのだが、ある程度勉強が進むと、旅行中に使ったり、その言語でニュースを見たりする。

 その時にスクリプトがあると勉強しやすいのにと考えながら颯爽と進む。

 途中で無灯火の自転車に「電気つけましょうねー」とすれ違いざまに言うと「うるせー」と言い返されて「ッライトつけろやライト、危ないだろうが」と大声で被せて逃げた。

 電動自転車なので、まず追いつかれないから気も大きくなる。

 神社について、お賽銭を入れて、安全祈願と勝利祈願と語学の勉強が進みますようにとお参りをした。

 また考え事をしながら鳥居を潜った。

 足元と頭がふらついた。しまった。

 鳥居の真ん中を潜ってしまった。

 ―神様の通り道なのに。― 

 普段は考え事をしながらでもそれは守って鳥居の端を歩くのにと朧げに頭に浮かんでいる。




「もしもーし、大丈夫ですか。日本語分かりますか」と頬を叩かれて、目を開けると、上からのぞき込まれていた。見たことのない女性。

「気が付きましたね。『ステアガーデン』へようこそ」と茶髪の女性は微笑んだ。

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