〈1〉現在
背後から髪を強引にむしり取られて、イオレッタは思わず悲鳴を上げてしまった。
髪を掴んでいるのは、イオレッタより三十も歳上の夫。
彼には嗜虐趣味があった。
夫は空いた片手に、長く重そうな鉄製の棒を持ち、ゴツンゴツンと床に打ち付けている。
床の次は、イオレッタが打たれる番だった。
彼女は自分の髪が千切れる音を聞きながら、体を床に擦り付けるように、無理矢理引きずられていった。
夫は特段機嫌が悪い訳では無い。酒に酔ってもいない。
ただ、歪むイオレッタの表情を、心底楽しんでいるだけだった。
イオレッタは今まで何度も、多少の痛みには我慢してきた。
心構えさえしていれば、今回も耐えられただろう。だが背後から足音を抑えて、突然に襲われたために、つい声に出してしまった。
恐怖に震える態度は、夫を余計に煽るだけだと、よく分かっていたのに。
イオレッタが嫁いでから、まだ十日。その間夫と寝床を共にした事は無い。
代わりに彼は、毎日イオレッタを痛めつけている。
夫は鞭や鋭い刃物よりも、鈍器を好んだ。
イオレッタは何度も殴られた。
骨は折れていなかったが、身体中は痣だらけで、痛みで歩く事にも苦労するほどだった。
金だけは持っている男だ。イオレッタにとっては悪魔にしか見えなくても、困窮している実家の母にとっては、神にも等しい男だ。
イオレッタはそのための人身御供だった。
およそ結婚生活とは呼べない。無邪気で残酷に、使い捨ての道具みたいに、散々玩具にされて、廃棄されるだけ。
知っていて犠牲になった訳では無かった。
母が結婚相手に援助を望んでいる事は理解していた。だがイオレッタは、毎日嬲られると分かっていて、嫁いだ訳では無い。
このままでは、そう遠く無いうちに、殺されてしまう。
分かっているのに、殴られ続けて焼けるように熱い体は、少しも動いてくれない。
そのうちに、イオレッタは意識を失った。