2.拝啓、突然ですが。 #2
久々に浴びた日差しは、思わず押し倒されそうになるほど鋭かった。
不自由な姿勢で何日もコンテナに詰め込まれていた己の身体を思い切り引き延ばす。ゴキゴキッという音がして、抱えていた違和感が一瞬にして解消された。次に、腕を思い切りぶん回し、足をばたつかせてみる。少し痛みがあった。やはりある程度身体は固まってしまったままらしい。
と。背後から聞こえてきたくすくすという笑い声に振り返れば、彼が俺と同じように伸びをしながら出てきたところだった。
「マリオネットの真似か、なかなかの腕前だな」
「……おまえはこういう事したくならねぇの?」
皮肉を無視し、質問を返す。俺とあんたじゃガタイがだいぶ違うからな、と彼は余裕の笑みを見せた。
それよりも、と彼に促されるまま俺はさっきまで自分たちが収まっていたコンテナを振り返る。見れば、道中俺達が食料を食い漁ったせいで積み荷は比較的ぐちゃぐちゃだった。この様子なら数分と経たずに密航者の存在が明らかになるだろう。到着して早々捕らわれの身に逆戻りなんてそんなの誰だって嫌に決まっている。どちらからともなく、俺達は顔を見合わせると路地裏に向かって走り出した。
……。
…………。
途中、何回か銃声のような音が聞こえたような気がした。全く物騒な世の中だ。
遠く、表通りの光の中に何人かの影が見えた。足音と怒声を聞いた彼が、俺の隣で小さく舌打ちをする。
「さっきの船員だな。ったく、テクノロジーがろくに発達してないからって、こういう安直な行動に出るのはどうかと思うけど」
「探知機使われるよりゃマシだろ。こんな場所で高度文明の産物なんか持ち出されたらたまったもんじゃねぇって」
さて、どうしたものか。今の状況を何とか打破すべく、俺は思考を巡らせる。
……とはいえ、この状況下で悪いのは百パーセントの確率で俺とこの異端児だ。まっとうに歯向かって説得しようが力で突破しようが、どちらもいい選択とは言えないだろう。幸い俺達が逃げ込んだこの路地は薄暗く、表通りから覗き込んだ程度でこちらの姿が相手の目に映ることはほとんどない。あるいは高機能のサーモグラフィーでも持っているなら話は別だが、どう見積もってもそれは無いだろう。それならこのまま大人しくして持久戦に持ち込んだ方がよっぽど勝算がある。
それにだ。別に、俺達は全世界に指名手配されている訳じゃない。追手は密航者がいる、というおおまかな情報だけで探し回っているに過ぎないのだ。ここに逃げ込む前にちらりと横顔を見られこそすれ、堂々と犯人の素顔大公開、なんて展開にはならない……と、信じたい。相変らず俺の色は目立っているが、そこは最悪彼に何か隠すものを探してきてもらおう。よし。
追手が疲れるのを待ってこっそりこの場から離れるしかない。そう俺は結論付けた。
ふと、気付けば隣から彼の姿が消えている。まずい、知らない場所ではぐれたら敵わないぞ。慌てた俺は彼の足音に耳を澄ませようとした。
しかしその必要は無かったようで、路地裏の向こうからこちらに向かってくる彼のシルエットが見える。あの方向はさっきの表通りか。
「連中、どうやらいなくなったみたいだぜ。案外早かったな」
俺のところまで戻ってきた彼がそう言ってにやりと笑う。なるほど、言われてみれば確かに静かになっていた。どうやら彼は偵察に行ってくれていたらしい。どうにも行動の速い奴だった。
「諦めたってことか?」俺は足元に置いてあった彼の鞄を拾い上げ、手渡した。彼が受け取り、肩に掛ける。
「それにしては早すぎる。港で他の事件でもあったんじゃないの」言いながら、彼はもう路地の出口へと歩き出していた。
まあ、どちらにせよ好都合か。これ以上考えるのをやめ、俺は後を追うことにした。
「ところで、行く当てはあるんだろうな? 俺、野宿は嫌だぞ」
「一応、知り合いがいるけど」
路地の出口。俺の質問にそう答えた後、彼は少し考えこむようにする。目の前を横切る道を挟んだ反対側にある小さな宿屋らしきものを、どうやら眺めているらしい。舗装されていない道路を、数台の旧式バイクが砂埃をあげて通り過ぎて行った。
「まぁ、宿代を出してくれる奴じゃあないな」
「じゃあ家に泊めてくれるとか」
「も、ないな」
再び、暫くの沈黙。日本円ならともかく、俺はこの国の通貨など持っていない。というよりそもそも、この国の通貨が何なのかさえ分からない。
ふと不安になった俺は、彼に訊いてみることにした。
「おまえ、金は持ってんだよな?」
すると、無言で差し出される小さな袋。開けてみると中には数枚の硬貨らしきものが入っていた。精錬度の低い銅で出来ているらしいそれを一つ取り出してみると、そこには摩耗した誰かの肖像画らしきものと、やけに古い――それこそ数千年前に使われていたような――文字が彫られている。つまり一応、この袋の中身が彼の所持金ということらしい。
「二人分の一食分、くらいだけどな」
ご期待に沿えなくてどうも、と彼の溜息。これで持っている分は全部だったんだ、と弁解するように言う。
何せ昨日の今日だ、持っていなくても何ら不思議ではない。不思議ではない……が、やはり。
「コンテナから解放された当日くらい、ベッドで寝たいなぁ、俺……」
硬貨を袋にしまい、彼に返す。受け取った彼はしばらく手の内でそれを弄びながら何かを思案する素振りを見せていた。その様子があまりにも不安で、俺は思わず彼の肩に手をかける。何しろ、この場所について右も左も分からない俺にとっては彼こそが命綱なのだ。
「……おい? 異端児さん?」
「……ああ」曖昧に頷いて、彼は袋を鞄にしまう。そして雑念を振り払うかのように一度頭を左右に振ると、大通りを道なりに歩き出した。
突っ立ってても仕方ない、と溜息交じりの声が聞こえる。
「とにかく、その知り合いの居場所を目指すぞ。今は他に行く当てがない」数歩歩いた先で、彼は一瞬俺を振り返った。
「……りょーかい」
頭の後ろで手を組み、彼の後ろについて歩く。何かの祭りなのか、それともそういう民族なのか、通りには様々な色の肌や模様を持つ人がちらほら見受けられた。なるほど、出発前に彼が言った通りここでの俺の見た目はそう珍しいものでもないらしい。人通りのある道をこんなに堂々と歩いて誰の注目も集めない、というのは何だか慣れない感覚だった。
ジリジリと照り付ける日射し。真っ暗な空間だけがひたすら広がる地獄の空と重ね合わせて、少し不思議な気分になる。本来、俺はそういう暗い空の下で日々をただ過ごしていく運命だったはずだ。それがこんな明るい場所で、あろうことか殺すはずの人間と共に歩いている。
俺はこの状況を何と呼ぶべきなのだろう。
二人の異端が呼び起こした、これは奇跡か。
あるいは、もしかすると。
この状況すらも、また定められた俺の運命の一端でしかないのか。
だとしたら、彼は。今俺の目の前を歩く、この異端児は。
果たして――