2.拝啓、突然ですが。 #1
「ども、初めまして」
翌日、早朝。軽い身支度を整えて彼より先に住処を出た俺の前に現れたのは、真っ赤な髪が印象的な浅黒い肌の青年だった。歳は、俺の見た目より二,三若いくらいだろうか。二メートルはあろうかという高身長に大分鍛えているのだろうがっしりとした筋肉質の体格。喧嘩を売りたくない相手として教科書にも載れそうなくらいの威圧感をまとっていた。
「留守番担当の『マキナ』だ。この家の面倒はしっかりと見させてもらうぜ」
マキナと名乗った青年が片手で名刺を差し出す。受け取ってみると、そこには「真希那 燐」とシンプルな印字があるだけだった。およそ、名前の漢字表記を説明するためだけに作られたものなのだろう。他の情報が一切含まれていないのは少し味気なかった。
少し待ってみたが、マキナにそれ以上何かを言うつもりはないらしい。別にこれから一緒に行く訳でもない付き合いだが、さすがに情報が名前だけというのはどうも不信感を煽る。仕方がないので、俺は自分から色々と聞いてみることにした。
「えっと……おまえ、確かあの異端児の知り合い……だったよな? 仕事仲間なのか?」
「異端児……って、何だ、あいつそんな呼ばれ方してんだな? はは、まあおまえさんの想像で八割ってとこだな」意外にもマキナは懐っこい笑顔を見せた。俺が彼につけた「異端児」の呼び名が相当気に入ったらしく、にやにやしながら何度か口の中で復唱している。
とりあえずは現情報の確認だろう、と思って質問した内容だったが、しかしそれについては何ともはっきりした答えが得られなかった。当然のごとくその残り二割が何なのかも話す気は無いようである。彼との関係なんて、そんなに隠しておきたい情報なのだろうか。
俺が首を捻っているうちに、背後でドアの開く音がした。どうやら、当の本人のお出ましらしい。
「早いな、マキナ。もう来てたのか」小さな鞄を肩に掛けた彼が右手を挙げてマキナに近付く。
「おう。久々に来たぜ、こんなとこ」マキナも右手を挙げてそれに応えた。二人の掌が触れ、パチン、と乾いた音を立てる。
いきなり呼び出されて疲れちまったぜ、とわざとらしい伸びをするマキナと、嫌味な奴だな、と顔を歪める彼。その態度から察するに、相当親しい関係らしい。近所づきあいでもあったのだろうか、と俺は何となく想像した。
「んで、カガリさんよ」マキナが俺の方を向いた。
「ん? どうした?」そこまで返事してから、マキナが俺の名前を知っていることに気付く。
いや、もちろんそれは彼から伝わっているのだろうけれど。
何だ、俺の肌の色やら何やらについて訊かれるのか、あるいは彼との関係性を逆に訊き返されるのか。そう思って身構えていたのだが、しかしマキナはにっこりと笑って俺にこう告げたのだった。
「アニキって呼んでもいいか?」
「……は?」
いや、別に構わないけども。それは、初対面の相手に対して、嬉しそうにニコニコしながら訊くようなことなのか。
ちなみに、少し離れた壁に背をもたれさせてそ知らぬふりをしていた彼も俺の後ろで俺と同じ言葉を漏らしていた。当然だ。
「いや~実はな」さっきはあれだけ無言だったマキナが堰を切ったように話し出す。「俺、あいつに聞く前からおまえさんのこと話というか、噂で知っててな。昔っから会いたい会いたいって思ってたんだけど、近くに住んでる割に会えなくて! ほら、仕事が忙しいとかさ、おまえさんも人目を避けるわあんまり帰ってこねぇわでさぁ」
「あ……うん、その、えっと……こ、このあたりに住んでるんだな、おまえ」
辛うじてそれしか言えなかった。近くに住んでいると言ってもさすがに地獄の近所はないだろう。そもそもあそこは隔離された世界だし。と、なるとここの近所と考えるのが自然だった。わざわざ言うことでもなかったかそれは。
「マキナ。それ以上言うと色々バレるぞ」
彼が見かねたように口を挟む。聞いて、マキナははっとしたように口をつぐんだ。
「っと……悪い悪い。んじゃあ、俺はここでな。もしかしたらおまえさん達の道中連絡することもあるかもしれないし、そん時はよろしく頼むぜ」
半ば強引に話を終わらせ、マキナが手を振って見せる。彼の仲間というくらいなのだから機密事項なんかもあるのだろう。珍しい苗字だし、近所だと言われてみればどこかでその名を聞いたことがあるような気もするし……だけど具体的にそれがどこなのかまでは思い出せなかった。
「そろそろ出発しないと時間に余裕がなくなる。準備はいいか」壁から背を離した彼が俺の隣に立つ。
「ん?……ああ、もちろんだ」俺は彼の眼を見て頷いた。実を言うとまだマキナに訊きたいことが幾つかあったのだが、まあそれは仕方ない。次回のお楽しみ、ということで。
俺の返事を確認して一足先に歩き出した彼が、肩越しにマキナに向かってひらひらと手を振った。あいつのことよろしく頼むぜ、とマキナが小声で俺に言う。
任せとけ、と俺は最近すっかり忘れかけていた精一杯の笑顔で答えた。踵を返し、小さくなりつつある彼の背中を小走りで追う。少しだけ足を止めた彼に追いつき、並んで足並みを揃えた。振り返れば丁度マキナが住処に入っていくところで、大きな背中が軋んだ音を立てるドアの中に消えていく。
これから何が起こるかわからない不安と、仕事から解放された喜び。それらが一緒になって、複雑に俺の胸の中を塗りつぶしていく。無事に仕事に戻るのはいつになるのだろうかと、早速仕事の事を考えた自分を殴りたくなった。