1.死神の命日 #4
粗末な固いベッドの上で、俺は目を覚ました。
身体中が痛むが、一応五体満足だし骨も折れていない。眞鳴に掴まれた記憶のある腕には指の跡こそ残っていたものの、無理矢理振りほどいた割には何の異常も無い。
意識がはっきりしてきたところで周りを見回すと、どうやらここは住処のようだった。寝室とも言い切れない、ただ古い大きなベッドが一つ置いてあるだけの小さな部屋だ。
ドアのない入り口の向こうから話し声が聞こえてくる。ベッドの脇に立て掛けてあった大鎌を拾って俺は立ち上がった。部屋を出て、横切る短い廊下を左に折れて数歩。いつもの部屋を覗けば、眞鳴と異端児が話している最中のようだった。
とはいえ人間と鬼、何か共通の話題があるようには思えない。しかし実際こうして会話が途切れない様子からして俺の知らない何か、話のネタがあるのは明らかなことだ。
いや、そういえば俺という共通の知り合いがいたな。思いつくのと同時に、ふとこっちを見た眞鳴と目が合う。何やら嬉しそうに手招きされるがまま、俺は空いていた眞鳴の向かいの椅子に座った。腰が痛んでそれだけでも一苦労だ。思わず呻き声が漏れる。
「な、大丈夫?カガリさん」眞鳴が椅子から跳ねるように立ち上がった。
「まぁな。一応」俺はそれを片手で制す。
「でも苦しそうだぜ、どうしよう、クッションになるものでも」座りなおした眞鳴は周りを見回した。だが彼の求めるものがこの場にないことくらいは熟知している。
「いいって。そもそもそんなもんここには無いし」
「じゃああの、ベッドに戻って、そこで話」
「立つのがだるいからいい」
過保護なほどに心配してくる眞鳴とは対照的に、彼の反応は冷たいものだった。なにしろ俺が部屋に入ってからここまで、まだ一言も発していない。別に何かを期待していた訳じゃないが、せめて心配するふりくらいしたらどうなんだ。いつも通り冷めた表情しやがって、無感情に俺の事眺めやがって、ちくしょう。
「……で、おまえら何の話してたの」仕方ないので俺の方から彼に話しかけることにした。
「あんたの話だよ。他に何があるんだ」愚問だとでもいうように眉根を寄せた彼が、机の上に置かれていた一枚の写真を差し出す。
そこに映っていたのは先程俺が轢かれたトラックだった。ただ、バキバキにひしゃげた酷い有様ではあったけれど。
一体どれぐらいの力がかかったらこんなことになるんだろう。三百トンくらいかな。
「うわ、すげぇ。俺ってこんなに硬かったんだ」
「違う」
苦々しい彼の表情。おれがやったんだぜ、と眞鳴の得意げな声。それを聞いてようやく、俺の頭は理解に辿り着いた。
つまり、俺が吹っ飛ばされたあの衝撃はトラックじゃなく眞鳴の蹴りだということ。トラックのあの有様は眞鳴がその時に掴んで、そして力んで出来たものなのだろうということ。
「カガリさん、急に鎌放り出して走ってっちゃうんだもん。必死で追いかけたら轢かれそうになってて、それで咄嗟に」眞鳴が照れ臭そうに頭を掻く。
「しかも、それであんた気絶しただろう。後片付けにどれだけ苦労したと思ってるんだ」追い打ちを掛けるように、彼が俺を指さして言った。
トラックの有り得ない横転を自然な事故に見せかけて、気絶している俺をこっそり隠し、運び……それをたった二人でやった苦労は想像に難くない。そのくせ一人は人間だというのだからなおさらだ。俺はできる限り神妙に頷く。返す言葉は見付からない。
「……まあ、その犠牲のおかげで俺はピンピンしてるんだけど」ふっ、と彼の表情が緩んだ。感謝してるぜ、と俺に微笑んで見せる。
彼――もとい、影の正体。
その感謝を、俺は素直に受け取れない。顔を逸らし、溜息をつくことでそれに答えた。
「……自殺願望があるなら、あんな真似しなくても直接俺に言ってくれりゃ良かったのに」
「悪いけど、当分あんたのお世話になる気はないぜ」彼が椅子から立ち上がる音が聞こえた。視界の外、彼の足音が窓に近づいていく。「そもそも、あんたのしたことが余計だったんだ」
「轢かれそうになってた人を助けることが? だって自殺する気はなかったんだろ?」思わず視線を戻し、彼を睨む。彼は窓際で、すっかり日が落ちて暗くなった窓の外を眺めていた。
「つまり目的が自殺じゃなかったってことなのか? ……あ、分かった! 大怪我して学校休みたかったんだろ!」
「それは絶対違うと思うぞ、眞鳴」正面のドヤ顔を一瞥し、呑気な言葉を否定する。眞鳴の頬が少し膨らんだ。
例え世紀末レベルに勉強が嫌いだとしても、学校を休むだけのために誰がそこまでするものか。それに第一……
再び窓に視線を移すと、横目でこちらを見ていた彼と目が合った。彼が何だと言わんばかりに首を傾げる。この様子からして、いや、何となくだけど、彼は学校になど通っていないのだろう。顔だけ見れば高校生くらいに見えるけど、まあ、確かこの時代のこの国では義務教育じゃないはずだし。
「でもさ。カガリさん、一回焼身自殺しようとしたよね? 仕事嫌すぎて」
めげずに口を挟んでくる眞鳴。そういえば、そんなこともあったか。何百年前の話か忘れたけれど、思えば確かに一度、絶望のあまり地獄で溶岩に飛び込んだことがある。結局、まあ当然死ななくて、全身大火傷の瀕死から一日で完全回復して……そうだ、死ぬのを諦めたのはその時だったな。
いやぁ、あれも今になって思えば若気の至り。あの経験を通じて、俺はまた一つ打たれ強くなって――
「物思いに浸ってるとこ悪いけど。話、戻していいか」
あからさまに苛立った彼の声が、過去に思いを馳せていた俺を現実に引き戻した。眞鳴が肩を竦めて大人しくなるのを確認して、俺は彼に椅子ごと身体の正面を向ける。
「悪かった。で……俺が余計なことをしたって話だったっけ?」
「ああ。俺の目的はあのトラックを止めることだったからな」彼の視線が、俺の手元に置かれたままのトラックの写真に向けられた。
「自分の身を犠牲にしてでも、って? けど、結局トラック止まったじゃねえか。運転手だって……」俺も写真をちらりと見る。「生きては、いなかったんだろ」
運転手の生死……それ位は説明されなくてもわかることだった。あのトラックが時速何キロメートルで走っていたかは知らないが、あの程度のモノを受け止めたぐらいで眞鳴の重心は揺らがない。ぶつかった側の衝撃としては、鋼鉄の壁にぶつかったのと全く同じはずだ。
「もう一人、一緒に乗ってた奴には逃げられた。それに……俺が、死ぬとも思ってなかった」彼が首を横に振って否定する。何だか言い訳じみた言い方だった。
「ふぅん……?」俺は首を傾げる。言いたいことは分かったけれど、何だか要領を得ない。全体的にもやがかかったような感覚だ。
つまり、俺はどうするべきだったのだろう。思ってないと言われたって、俺が助けなければ彼は死んでいただろうし。それに、俺の耳にだけ聞こえるあの音には従うのが正解のはずだ。助けても助けなくても駄目なんて、そんなの聞いていない。いや、それとも何か策を用意していたのか?
例えばこう、ぎりぎりで空から檻がガシャーンって降って来るとか。
……いや、どこから落とすんだよそんなもん。あの国道に屋根は無かったぞ。雲か?
実はあの影は残像で、本人は光を何か上手く利用して別のところにいたとか。
……いや、だったら俺が捕まえられるはずが無いんだよ。ていうかそもそも人間がそんなスピードで動けるものなのか?
再び思慮に落ちた俺の意識を、突然笑い声が遮った。見ると、彼が腹を抱えて笑っている。こんな風に大きな声をあげて笑うのは、滅多に見ない光景だった。それだけに異様で、思わず凝視してしまう。
「にしても、おかしな話だな」
ひとしきり笑った後、彼の口から放たれたのはそんな言葉だった。
「おかしい?何がだ?」
「あんたが俺を助けた事さ。死神のくせに。人を死から遠ざけるなんて」彼がそう言いながら、ゆっくりとした足取りで近寄って来る。
彼はさっきまで自分が座っていた椅子に足を組んで斜めに座り、背もたれに腕を掛けた。二十センチ程の隙間を開けて、俺と膝を突き合わせる形になる。
おかしいと、改めてそう言われれば確かにそうだ。当たり前のようにやっていて、自分でも全く気にしていなかった。
死神ってのがこんなに人情溢れる生き物だったとはな。皮肉のこもった彼の言葉に、俺は無言で頷く。分かっていても、否定する気にはなれなかった。
「……それで、なんだけど」彼が、視線を落とした俺の顔を覗き込む。もはや隠そうともしていない、意地の悪い光がその目に宿っていた。
「……代わりに捕まえろってんなら無理だぜ。俺はおまえの取り逃したっていう奴の顔も名前も知らないんだから」俺はすぐさま目を逸らす。ここで万が一にも話を聞いてしまえばろくなことにならないだろう。彼らしくもない見え見えの罠だ、と俺は考えていた。
「まさか。あんたの無能さは俺が一番よく知ってる」彼が朗らかに言い放つ。
一瞬、彼を助けたことを本気で後悔した。いや今からでも遅くはない、その首刈り取ってしまおうか。
こっそりと大鎌に手を伸ばすそんな俺の殺意もよそに、責任を取ってほしい、と彼は続ける。
「言い方変えただけだろ、それ。だから俺は――」
「違う。まあ黙って聞いてろよ、さっき眞鳴にいい情報をもらったんだ」
そう言って彼は姿勢を元に戻すと、机の隅に置いてあった数枚の紙の内の一つを手に取った。裏返されていたので今まで分からなかったが、そこに書かれているのはどうやら地図らしい。どこにでもあるような世界地図のコピーに、黒のマジックで幾つか丸い印が書き込まれている。俺も机に向き直ると、その紙を覗き込んだ。
「逃げた奴の行き先の候補が幾つかに絞れた。今から……いや、明日から、俺はこいつを追ってこの地図の場所を巡る。あんたには、それについてきてほしい。仕事そっちのけでな」
仕事そっちのけ……イコール、休暇。そんな単語が、一瞬俺の頭をよぎった。責任だか何だか知らないが、仕事をしなくていいのなら、どんな形にせよ逃れて休めるのなら、それを断る手はない。一瞬遅れて、目の前が真っ白になる。
気が付くと俺は立ち上がり、彼の両手を取って固く握りしめていた。驚いたのだろうか、彼が僅かに目を見開いている。その眼に宿る淀みの無い黒が、俺の跳ね上がった意識を吸いこみ、そして引き戻した。
一瞬の間を開けて腰を襲う強い痛みに、俺は彼の両手を離すと再び椅子に座り込む。同時に正常な思考が、逃れられない現実が舞い戻ってきて。一瞬でも忘れていたのを咎めるかのように、二つの痛みは勢いを増して俺に突き刺さっていく。
「驚いたな。あんたがこんなに乗り気になるなんて、話に聞いてたよりよっぽど酷い上司らしい」唖然とした表情のまま、彼が言った。
ああ、その通りだ。だからこそ、いくら理由があるからといえ簡単にいくはずがない。
魔王様は許してくれるのだろうか。責任をこの異端児のものにしてしまえばそれでいいのだろうか。まさか。
「なあ、カガリさん」
眞鳴の手が俺の肩に乗った。いつの間にか席を立ち、背後に移動していたらしい。見上げれば、視界を塞ぐその顔は上気して、にこにこと笑っていて。
「何だよ、おまえも聞いてただろ。仕事そっちのけなんて、魔王様も閻魔様も許可なんて出してくれない」俺は真上を向いたまま首を振る。こんな時にまで、全く能天気な奴だ。
「それが、出たんだよ」笑顔を保ったままの眞鳴。
「だろ?やっぱり――何だって?」俺は思わず聞き返す。「出たって? 許可が? トイレの話とかじゃなく?」
眞鳴曰く、彼に言われるがまま魔王様に掛け合ったところ彼の名前を魔王様は知っていたらしい。帰ってきたときのノルマを増やす、ということで合意したのだそうだ。
……いや、勝手に何を決めてやがる。
死刑宣告か。
ちなみに、もう一つの砦である閻魔様に関しては、眞鳴が頑張って俺の分も請け負ってくれるとかなんとか。とはいえ、三途の川の渡し守兼隙あらば仕事をサボる閻魔様の監視なんて、そんな簡単にこなせることじゃない。
「眞鳴おまえ、そんなんじゃいつか死ぬぞ。俺ほど丈夫じゃないんだから……」
……いやまぁ、何だかんだ言ってありがたいんだけれども。
しかし、俺が気絶している間にそんな大事件が起きていたとは。正直、覚えている限りここ数千年で最大の衝撃……違うな。それよりも、だ。
俺は重要なことに気付く。魔王様が彼の名前を知っていた、だって? 確かに、魔王様の知り合いに人間も何人かいるのは分かっていたが……。
……ん?名前?
「っていうか、おまえの名前って」反射的に首の方向を正面に戻す。がちり、と歯の鳴る音がして、自分でも凄い勢いなのが分かった。衝撃で頭の奥に鈍い痛みが広がる。
「今あんたに言う気はない。眞鳴には必要があったから話しただけだ」彼が遮るように言った。
視界の端で、元の席に戻るべく移動中の眞鳴が俺に向かって両手を合わせる。口止めでもされているのだろう。周到なことだ。
なるほど、あくまでも俺には秘密ということらしい。
溜息をつき、俺は肩をすくめる。分かったよ、今はこれ以上追跡しない。
「……ここの留守番も知り合いに頼んでおいた」彼が半ば無理矢理に話を進める。
取られる荷物なんかないけどな、と口角を上げる彼。全くだ、と俺は同意した。
「もともと空き家だったんだから、ほっといてもいいのに」
「帰ってきた後、あんたが困るだろう?」微笑んだまま、彼が小首を傾げる。
「そりゃお優しいことで」俺も苦笑いを返した。
……それにしても。
本当に、この現実を受け止めてしまっていいのだろうか。明日起きたら、残念ドッキリでした、ってことないよな。
仕事を休むなら、仕事道具は置いていかなければならない。俺は大鎌を数秒間見つめ、ゆっくりと一度瞬きをして、それを手に取った。拾い上げ、机越しに眞鳴に向かって差し出す。にっこりと笑って、眞鳴は自信満々にそれを受け取った。
今まで、数十億年間。ほとんど肌身離さず持ち歩いていたものをいざこうして手放してみると、何となく不安がよぎる。やっぱり持っていこうかと一瞬考えすらしたが、駄目だ、それだと仕事を休む決意が鈍ってしまうかもしれない。ほんの一時的なものとはいえ、これは一種の決別のようなものなのだ。
「何かあったら、損害賠償請求はおまえでいいよな?」俺は眞鳴の手に収まる大鎌を見詰める。
「えっ待っておれ無給なんですけど。それに未成年」たじろぐ眞鳴。それでも一度受け取った大鎌を手放そうとはしない。そういう所が好きだ、と俺は思った。
「未成年ってのは生まれてせいぜい二十年間の事をいうんだよ。見た目がどうでもおまえは千五百年くらい生きてるだろ」
「ひいいいカガリさんの悪魔!」
「残念俺は神だ」
眞鳴が大鎌をぎゅっと胸に抱きしめるのを見て、俺は思わず吹き出してしまった。これなら大鎌がどうにかなってしまうこともないだろう。それに、なんだかんだ言って眞鳴は一番信頼している相手だ。もとより、他の選択肢などない。
「……契約成立ってことでいいか?」
タイミングを見計らったかのように彼が話しかけてきた。俺は黙って彼の眼を見て、そして右手を差し出す。彼は軽く頷き、俺の握手に応えた。どことなく弾んだ音の、眞鳴の拍手が何となく煩わしい。
「そういえば……大鎌がないから瞬間移動はできないけど、どうするんだ?」手を放したところで、ふと心配になった俺は彼に訊いた。
「普通に移動すればいいだろう。電車や船で……なあ眞鳴」答えた彼が眞鳴に視線を向ける。
「へへん、抜かりはないぜ」
眞鳴が得意げに一枚の紙を取り出す。覗き込むと、そこにはリスト形式で幾つかの単語と数字が並んでいた。分からない言葉が多いが、魚に関係ありそうな単語がいくつか混ざっている。
「えーっと、眞鳴、これは?」
「さっきのトラックが積んでた荷物のリストだよ」
さすが十トントラックといったところか。見れば、積んでいたらしい荷物の種類も数も相当なものだった。
「なるほど……それで?」視線を紙から眞鳴の顔に移す。
こんなものが一体何の役に立つというのだろう。当の眞鳴も首を捻っているところを見るに、彼の指示だろうか。
「ここ。港の名前が書いてあるだろう」
そんな俺の期待に応えるかのように彼が口を開いた。指差された場所を眺めると、なるほど、確かにそんな名前が書いてある。が、地理に疎い俺はそこがどこにある港なのか全く見当もつかなかった。
「ここから十キロくらい離れたところにある小さな港なんだけどな」 彼が言葉を続ける。「要は、このトラックの目的地だ」
「……つまり?」
「明日、この港を発つ船の積み荷に空きが出る」
「密航じゃねぇか!」
少なくとも、密航に対して「普通に移動する」という表現は使わない。思わず、溜息が俺の口から洩れた。
「っはは。ご名答」
彼が苦笑する。あんたがそんな見た目だから、俺だって考えたんだぜ、と言葉尻を濁した。
「日本を出さえすれば、その先の目的地であんたの見た目をとやかく言うやつはいない。ひとまず、積み荷に書いてた目的地の中で、東南アジアの方に向かう」
「フィリピンとかタイとかか?」思いついた国名を挙げてみる。
ちなみにこれで全部だ。
「そんなに大きな国じゃない。本当のところ、地図にも載っていないような小さな国だ。いや、国というより自治権を持った集落と言った方が正確かもな」
『フラムフエゴ』という聞き慣れない、おそらくその集落名であろう単語が彼の口から発せられる。なんでそんな場所知ってるんだ、と聞きたくなったが我慢した。この異端児の事だ、今までどこに行ったことがあっても不自然じゃない。というよりもはや、日本人なのかどうかも疑わしいところだ。日本語は流暢に話すが、顔つきは……どうも判然としない。どこか、色々な国の血が混じってでもいるのだろうか。
「で、そこにおまえの追っかけてる奴がいるってわけか」
「いや、手掛かりがあるかもしれないってとこだな。奴は世界中に現れる」
「どんな奴なんだよ。犯罪者?トラベラー?」
「まあ……「カミサマ」だな。一言で言えば」
彼が紙から目を離し、つられて顔をあげた俺の眼を真っ直ぐ見る。そういうモノを相手にする覚悟があるのか、と問い詰められているようだった。
上等だ、鬼も悪魔も死霊だって見慣れてる。俺が彼の眼を見返すと、彼は僅かに口角を上げた。
窓から差し込んできた月光が、やけに強く俺の眼を射った。逆光の中、彼のシルエットが黒く浮かび上がる。
こいつと関わっていれば、とんでもない運命に巻き込まれるだろう。出会った当初から何となく分かっていたことではあったが、改めてそれを痛感する。
今はほとんど知らない彼の事も、これから追いかけるであろう謎の「カミサマ」の正体も、きっとこの旅の間に分かるに違いない。そう信じて踏み出した一歩は、もはや死神のそれではなく。
この俺自身も、今だけは死神ではないのだろう。「カガリ」という名を持った、一人の異端でしかないのだ。
眼が慣れるまでのほんの数秒の間。俺を見る彼から感じた鮮烈な紅は、気のせいだったのだろうか。